<検定情報1>
◆ 沖縄戦「集団自決」で「日本軍の『強制』」表記が15年ぶりに復活!
皆さま 高嶋伸欣です
2021年度(主に高校2年生用の)教科書検定結果が、マスコミにだけ情報開示されて、29日午後から一斉に報道されています。
それらの報道であまり注目されていない話題の幾つかについて、情報をお届けいたします。
最初は、『沖縄タイムス』が沖縄戦の「集団自決」の記述で日本軍の「強制」という2文字が15年ぶりに検定で認められた事実を報道している話題です。
話しは15年どころか、一部は40年前の話題にも及ぶ事柄で、以下、長文の説明になります。時間のある時にお読みください。
① 第1次安倍政権が誕生した2006年度の高校「日本史」の2年目検定で、前年度の検定では認めていた沖縄戦「集団自決」は「日本軍による強制だった」とする旨の記述が削除されました。
このことが明らかになると沖縄では保革一致の「島ぐるみ」の抗議運動が起こりました。
*このことは、すでに「日本史」教科書に写真付きで詳しく記述しているものさえあります。
② 抗議の声を集約した2007年9月29日の県民大会には、11万6000人(主催者発表)もの参加者が結集しました。
*その時壇上にいた翁長隆志那覇市長(当時)は”オール沖縄”の民意の力強さを体感したことで、「辺野古新基地反対」をスローガンとする知事選挙への出馬を決意したと、語っていました。
その遺志を継いでいるのが玉城デニー知事です。
*ちなみに、上記の歪曲検定を強行させたのは、第1次安倍政権で官房副長官に抜擢された下村博文氏によるものだったことを、当時の文科省関係者が漏らしています。
下村氏の一種の”ごますり行為”が、結果的には沖縄の翁長・玉城県政を実現させたとも言えそうです。
③ ともあれ沖縄の怒りに直面した政府は、福田首相に替わったこともあり、検定意見の撤回は拒否しながら、記述の復活には執筆者が「訂正申請」をするならば考慮すると応じます。
④ 著者の側は渋々ですが「訂正申請」をし、2007年12月26日に「日本軍によって『集団自決』に追い込まれた人々もいた」などの記述まで認めさせたことで、一応の決着とされました。
⑤ こうした記述の「訂正」だけでも、文科省内では世論に屈したことになり、検定制度の権威、官僚としての威厳を損ねたという受け止めがありました。
⑥ 一方で、沖縄では「日本軍によって」という表現は復活したものの、「強制」の2文字の復活を文科省が意固地になって拒否したことに、強い反発が残りました。
その様子は、12・26決着を報じた沖縄の地元紙と「本土」紙の見出しの差異として読み取れます(添付資料参照)。
⑦ 以来、沖縄では県民大会の発起組織を主体とした「9・29県民大会決議を実現させる会(実現させる会)」が、今日まで活動を続けています。
その活動目標が「強制」記述の復活で、毎年、教科書会社を訪問して記述復活を要請してきました。
⑧ けれども、教科書会社は2007年の「訂正申請」の際に文科省が示した「集団自決」記述のガイドライン(「見解」)が撤廃されていないので、「強制」記述が認められる可能性はほとんどないなどとして、応じてもらえていませんでした。
⑨ 昨年の「歴史総合」、今回の「日本史探求」「世界史探求」でも同様でした。
ところが「日本軍によって『集団死』も強制された」という記述が、2冊の教科書に登場し、それらに検定意見が付かず検定合格となっていたのを、『沖縄タイムス』が見つけて、30日の紙面で報道したのです!
⑩ この報道には驚きました。「今回も地歴科の教科書で「強制」を復活させたものは見当たらない」との情報があったからです。
ところが、『沖縄タイムス』によれば、国語科「文学国語」の第一学習社版の2冊に、「日本軍によって『集団死』も強制された」という沖縄戦についての解説記述があって、検定意見が付されずに検定合格となっているというのです(どなたか、同紙の当該記事のURLをアップして頂けると幸いです)。https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/934276(有料会員限定)
⑪ しかも、同記事では教科書課の検定担当者から「(ガイドラインでは)軍の関与は主要なもので、それによって人々が死に追いやられた部分は認めているところ」であって、「(この記述がこれまでの)検定意見に反するとの認識はなく、問題はない。(この件では)教科書会社に修正を求めない」とのコメントを得たと、明らかにしています。
*上記コメント内のカッコ部分は高嶋の加筆です。
⑫ このコメントを『沖縄タイムス』が公表したことで、この記述が「検定で見落とした」として、教科書課から書き換えを強要される心配はなくなりました。
*かつては、類似のケースを執筆者が集会で明らかにしたのを報道される前に文部省(当時)が察知して、検定後でありながら書き換えをさせられたことがありました。
⑬ なお念のために確認しておくと、この記述部分は「文学国語」の教科書に掲載された作品の中の表現ではありません。従って、検定などで改変できない部類ではありません。
沖縄戦を生き抜いた大田昌秀氏の著書『血であがなったもの』を引用し、その作品の理解を深めるためのに沖縄戦の解説をしている文章の中の一文であるということです。
それなのに、検定意見が付されなかったのです。
⑭ さらに、これは国語科「文学国語」の教科書の記述であるから、地歴科の教科書の検定と同列に扱われないのでは?という疑問も浮かびそうです。
けれども、「同一の話題・事項については複数の教科に跨っても整合性のある検定でなければならない」旨の基準を、文部省(当時)自身が1981年のある検定「事件」の際に明らかにしているのです。
⑮ それは、1981年7月に公表された新科目の高校「現代社会」の検定結果を巡る事件でした。
複数の教科書が「四大公害訴訟」の「チッソ」など被告企業名を明記したのに対し、「現存の特定の企業名や個人名は原則として記載しない」旨の検定基準に反するとして、削除や記号化させたことが判明しました。
*当時の検定は、年度末を超えて6月末から7月上旬までかけて行っていました。
⑯ これに対し、公害被害者だけでなくマスコミ各社や一般市民が一斉に反発し、さらには鯨岡環境庁長官(当時)までが「世界中に知られているチッソの名を隠すなど恥ずかしい」旨、記者会見の場で公然と批判をします。
その結果、孤立無援になった文部省は、同年9月に公害企業名の記述復活承認に追い込まれたのです。
*ただし、この時に文科省が用いた記述復活の手法は、執筆者が記述復活を望むならば、「訂正申請」(当時は「正誤訂正」)の手続きがされた時に認める用意があるというものでした。
⑰ その際、文部省は企業名記述復活を認める理由の一つとして、同時に検定していた「保健体育」教科書では、公害企業名の記述に検定意見を付していなかったことを挙げていました。
*その後、教科書課のなかでは、この理由が記述復活を認めることになった主因であるとして語り継がれています。前出の「9・29県民大会決議を実現させる会」が文科省交渉をした際に、そうした弁解がされています。
⑱ 中央省庁の官僚は世論によって不手際を追及されのを屈辱、とりわけ沖縄など地方の世論に押されるのを嫌っている気配があります。
そこで、1981年のチッソの社名削除「事件」の屈辱感を薄めるために、教科間の検定意見の調整ミスに理由を置き換えるという小細工をしたように見えます。
⑲ けれども、今回はその不自然な理由付けが教科書課の足かせになって、「文学国語」に限った検定事項である、とする説明を不可能にしていることになったわけです。
⑳ かくして『沖縄タイムス』の今回の報道は、「9・29県民大会」に集約された沖縄県民の要求、及び「実現させる会」の15年間の取り組みが、正当であったことを証明するものとなっている、といえます。
(21) それだけにこの報道が沖縄だけに限られているのが、残念です。
最低限、「本土」社会に大半が居住する中学・高校の歴史教科書の編集者・執筆者たちがこの報道の事実を確認し、次回の沖縄戦記述においては「強制」の2文字を復活・定着させる取り組みに踏み切る決断を求めたいです。
(22) 加えて、文科省にはなれ合いの記者クラブに限定して提供している検定関連資料の内の白表紙本と修正表だけでも、迅速に公表するように求めます。
今年の場合、これら検定関連資料の公表は5月24日からです。2008年までは毎年4月20日過ぎからでした。
第1次安倍政権で強引な教科書検定が一層横行するようになり、関連情報隠しも構造化したように思います。
(23) 一方で、そうした禍根を生んだ安倍政権が消えたことが、今回の「強制」記述に検定意見を付さずにおくことにしたのも、教科書課への締め付けが緩んだ結果とも考えられます。
中学社会科教科書で「つくる会」系の採択が激減したのも、そうした政治的状況の変化によって、教委が世論に対処する姿勢を明確にし始めた結果という意味もありそうです。
(24) そうした意味をより現実化するためにも、今回の『沖縄タイムス』の報道に「本土」の心ある市民、教科書関係者や教育現場の皆さんが関心を持たれることを願っています。
以上 高嶋の私見です。 ご参考までに。 転送・拡散は自由です
◆ 沖縄戦「集団自決」で「日本軍の『強制』」表記が15年ぶりに復活!
皆さま 高嶋伸欣です
2021年度(主に高校2年生用の)教科書検定結果が、マスコミにだけ情報開示されて、29日午後から一斉に報道されています。
それらの報道であまり注目されていない話題の幾つかについて、情報をお届けいたします。
最初は、『沖縄タイムス』が沖縄戦の「集団自決」の記述で日本軍の「強制」という2文字が15年ぶりに検定で認められた事実を報道している話題です。
話しは15年どころか、一部は40年前の話題にも及ぶ事柄で、以下、長文の説明になります。時間のある時にお読みください。
① 第1次安倍政権が誕生した2006年度の高校「日本史」の2年目検定で、前年度の検定では認めていた沖縄戦「集団自決」は「日本軍による強制だった」とする旨の記述が削除されました。
このことが明らかになると沖縄では保革一致の「島ぐるみ」の抗議運動が起こりました。
*このことは、すでに「日本史」教科書に写真付きで詳しく記述しているものさえあります。
② 抗議の声を集約した2007年9月29日の県民大会には、11万6000人(主催者発表)もの参加者が結集しました。
*その時壇上にいた翁長隆志那覇市長(当時)は”オール沖縄”の民意の力強さを体感したことで、「辺野古新基地反対」をスローガンとする知事選挙への出馬を決意したと、語っていました。
その遺志を継いでいるのが玉城デニー知事です。
*ちなみに、上記の歪曲検定を強行させたのは、第1次安倍政権で官房副長官に抜擢された下村博文氏によるものだったことを、当時の文科省関係者が漏らしています。
下村氏の一種の”ごますり行為”が、結果的には沖縄の翁長・玉城県政を実現させたとも言えそうです。
③ ともあれ沖縄の怒りに直面した政府は、福田首相に替わったこともあり、検定意見の撤回は拒否しながら、記述の復活には執筆者が「訂正申請」をするならば考慮すると応じます。
④ 著者の側は渋々ですが「訂正申請」をし、2007年12月26日に「日本軍によって『集団自決』に追い込まれた人々もいた」などの記述まで認めさせたことで、一応の決着とされました。
⑤ こうした記述の「訂正」だけでも、文科省内では世論に屈したことになり、検定制度の権威、官僚としての威厳を損ねたという受け止めがありました。
⑥ 一方で、沖縄では「日本軍によって」という表現は復活したものの、「強制」の2文字の復活を文科省が意固地になって拒否したことに、強い反発が残りました。
その様子は、12・26決着を報じた沖縄の地元紙と「本土」紙の見出しの差異として読み取れます(添付資料参照)。
⑦ 以来、沖縄では県民大会の発起組織を主体とした「9・29県民大会決議を実現させる会(実現させる会)」が、今日まで活動を続けています。
その活動目標が「強制」記述の復活で、毎年、教科書会社を訪問して記述復活を要請してきました。
⑧ けれども、教科書会社は2007年の「訂正申請」の際に文科省が示した「集団自決」記述のガイドライン(「見解」)が撤廃されていないので、「強制」記述が認められる可能性はほとんどないなどとして、応じてもらえていませんでした。
⑨ 昨年の「歴史総合」、今回の「日本史探求」「世界史探求」でも同様でした。
ところが「日本軍によって『集団死』も強制された」という記述が、2冊の教科書に登場し、それらに検定意見が付かず検定合格となっていたのを、『沖縄タイムス』が見つけて、30日の紙面で報道したのです!
⑩ この報道には驚きました。「今回も地歴科の教科書で「強制」を復活させたものは見当たらない」との情報があったからです。
ところが、『沖縄タイムス』によれば、国語科「文学国語」の第一学習社版の2冊に、「日本軍によって『集団死』も強制された」という沖縄戦についての解説記述があって、検定意見が付されずに検定合格となっているというのです(どなたか、同紙の当該記事のURLをアップして頂けると幸いです)。https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/934276(有料会員限定)
⑪ しかも、同記事では教科書課の検定担当者から「(ガイドラインでは)軍の関与は主要なもので、それによって人々が死に追いやられた部分は認めているところ」であって、「(この記述がこれまでの)検定意見に反するとの認識はなく、問題はない。(この件では)教科書会社に修正を求めない」とのコメントを得たと、明らかにしています。
*上記コメント内のカッコ部分は高嶋の加筆です。
⑫ このコメントを『沖縄タイムス』が公表したことで、この記述が「検定で見落とした」として、教科書課から書き換えを強要される心配はなくなりました。
*かつては、類似のケースを執筆者が集会で明らかにしたのを報道される前に文部省(当時)が察知して、検定後でありながら書き換えをさせられたことがありました。
⑬ なお念のために確認しておくと、この記述部分は「文学国語」の教科書に掲載された作品の中の表現ではありません。従って、検定などで改変できない部類ではありません。
沖縄戦を生き抜いた大田昌秀氏の著書『血であがなったもの』を引用し、その作品の理解を深めるためのに沖縄戦の解説をしている文章の中の一文であるということです。
それなのに、検定意見が付されなかったのです。
⑭ さらに、これは国語科「文学国語」の教科書の記述であるから、地歴科の教科書の検定と同列に扱われないのでは?という疑問も浮かびそうです。
けれども、「同一の話題・事項については複数の教科に跨っても整合性のある検定でなければならない」旨の基準を、文部省(当時)自身が1981年のある検定「事件」の際に明らかにしているのです。
⑮ それは、1981年7月に公表された新科目の高校「現代社会」の検定結果を巡る事件でした。
複数の教科書が「四大公害訴訟」の「チッソ」など被告企業名を明記したのに対し、「現存の特定の企業名や個人名は原則として記載しない」旨の検定基準に反するとして、削除や記号化させたことが判明しました。
*当時の検定は、年度末を超えて6月末から7月上旬までかけて行っていました。
⑯ これに対し、公害被害者だけでなくマスコミ各社や一般市民が一斉に反発し、さらには鯨岡環境庁長官(当時)までが「世界中に知られているチッソの名を隠すなど恥ずかしい」旨、記者会見の場で公然と批判をします。
その結果、孤立無援になった文部省は、同年9月に公害企業名の記述復活承認に追い込まれたのです。
*ただし、この時に文科省が用いた記述復活の手法は、執筆者が記述復活を望むならば、「訂正申請」(当時は「正誤訂正」)の手続きがされた時に認める用意があるというものでした。
⑰ その際、文部省は企業名記述復活を認める理由の一つとして、同時に検定していた「保健体育」教科書では、公害企業名の記述に検定意見を付していなかったことを挙げていました。
*その後、教科書課のなかでは、この理由が記述復活を認めることになった主因であるとして語り継がれています。前出の「9・29県民大会決議を実現させる会」が文科省交渉をした際に、そうした弁解がされています。
⑱ 中央省庁の官僚は世論によって不手際を追及されのを屈辱、とりわけ沖縄など地方の世論に押されるのを嫌っている気配があります。
そこで、1981年のチッソの社名削除「事件」の屈辱感を薄めるために、教科間の検定意見の調整ミスに理由を置き換えるという小細工をしたように見えます。
⑲ けれども、今回はその不自然な理由付けが教科書課の足かせになって、「文学国語」に限った検定事項である、とする説明を不可能にしていることになったわけです。
⑳ かくして『沖縄タイムス』の今回の報道は、「9・29県民大会」に集約された沖縄県民の要求、及び「実現させる会」の15年間の取り組みが、正当であったことを証明するものとなっている、といえます。
(21) それだけにこの報道が沖縄だけに限られているのが、残念です。
最低限、「本土」社会に大半が居住する中学・高校の歴史教科書の編集者・執筆者たちがこの報道の事実を確認し、次回の沖縄戦記述においては「強制」の2文字を復活・定着させる取り組みに踏み切る決断を求めたいです。
(22) 加えて、文科省にはなれ合いの記者クラブに限定して提供している検定関連資料の内の白表紙本と修正表だけでも、迅速に公表するように求めます。
今年の場合、これら検定関連資料の公表は5月24日からです。2008年までは毎年4月20日過ぎからでした。
第1次安倍政権で強引な教科書検定が一層横行するようになり、関連情報隠しも構造化したように思います。
(23) 一方で、そうした禍根を生んだ安倍政権が消えたことが、今回の「強制」記述に検定意見を付さずにおくことにしたのも、教科書課への締め付けが緩んだ結果とも考えられます。
中学社会科教科書で「つくる会」系の採択が激減したのも、そうした政治的状況の変化によって、教委が世論に対処する姿勢を明確にし始めた結果という意味もありそうです。
(24) そうした意味をより現実化するためにも、今回の『沖縄タイムス』の報道に「本土」の心ある市民、教科書関係者や教育現場の皆さんが関心を持たれることを願っています。
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