<シリーズあの時>
☆ 「国旗」をデザインしてみたら (8、最終回)
後日の情報公開開示で知ったことでは,記事掲載後の5月9日に開催された教育委員会定例会で,教育長は教育委員に対して,記事の内容やタイトルなどの細かい部分にいたるまで,かなりの時間をさいて言い訳のような「報告」をしていたこともわかった。
夏の7月。公開で開催された三鷹市個人情報保護審査会では,傍聴に来ていただいた方々の視線を背中に受けながら,私を含め「三鷹の教育を考える会」のメンバーなど5名が,審査委員を前に黒塗り部分の全面開示を求め口頭意見陳述を行った。
秋風の吹く10月1日。より多くの人たちにこれまでのことを知ってもらおうと,1000人近く収容可能な三鷹市公会堂ホールで,講演会を開催することを計画した。
講師はどなたにお願いしようかと話し合っていたとき,「いのちまんだら無知と無恥」という,今は故人となった灰谷健次郎さんの文章が新聞に掲載された。それは「国が前面に出て,何か指図するときは危ない。日の丸・君が代の法制化を検討するという。ちょっと待ってくれ,それは…と思わず声が出た。(以下略)」というものだった。
現場教員でありながら教育評論なども手掛けていた故・遠藤豊吉さん。かつて井之頭小学校で一緒に仕事をしたこともあり,また雑誌『ひと』の編集にもかかわらせてもらったことがあった,遠藤豊吉さんの追悼展を三鷹駅前で開催したときに,灰谷さんは忙しい時間を割いて訪れてくれた。その折りに灰谷さんに直接会って会話を交わしたこともあったので,無理を承知で講演依頼の手紙を沖縄宛に送った。
すると意外なことに灰谷さんから快諾の返事が届いた。いまでも大事にとってある灰谷さん自筆の絵ハガキには,このように書かれていた。
「お便り恐縮です。ご実践のことは新聞等で承知していました。ほんとうに悪い世の中です。ご要請のことは承知しました。日程等は電話で打合せしましよう。灰谷」
さらにチラシづくりでは,灰谷さんの書籍でイラストを描いている坪谷令子さんの描かれた『天の瞳』の表紙絵を使用させていただいた。
灰谷健次郎さんの講演会は,これまで支援してくれた方々はもちろんのこと,多くの参加者で大成功に終わった。
「国旗をデザイン」という授業,その後の処分をきっかけに,これまで出会うことのなかった方,知り合うことのなかった人との交流。市民運動の大切さやおもしろさ,人と人との出会いの不思議さや広がり。これまでの教員生活だけでは,けっしてできなかったであろう貴重な体験。今後も,これらを踏まえて教員生活市民運動をしていきたい思っています。「三鷹の教育を考える会」は,いまも元気に,そして楽しく続いています。
『ほっととーく 69』より
「良心・表現の自由を!」声をあげる市民の会
〒176-0012 練馬区豊玉北5-17-7-303 サポートねりまねりま全労協気付
郵便振替:00140-6-517545 加入者名:声をあげる市民の会
「シリーズあの時」全8回連載
過去の記事は、"「国旗」をデザインしてみたら"で、ブログ内検索してみて下さい。
☆「国旗」をデザインしてみたら(1)<リンク>
☆「国旗」をデザインしてみたら(2)<リンク>
☆「国旗」をデザインしてみたら(3)<リンク>
☆「国旗」をデザインしてみたら(4)<リンク>
☆「国旗」をデザインしてみたら(5)<リンク>
☆「国旗」をデザインしてみたら(6)<リンク>
☆「国旗」をデザインしてみたら(7)<リンク>
☆ 「国旗」をデザインしてみたら (8、最終回)
遠藤 勝
後日の情報公開開示で知ったことでは,記事掲載後の5月9日に開催された教育委員会定例会で,教育長は教育委員に対して,記事の内容やタイトルなどの細かい部分にいたるまで,かなりの時間をさいて言い訳のような「報告」をしていたこともわかった。
夏の7月。公開で開催された三鷹市個人情報保護審査会では,傍聴に来ていただいた方々の視線を背中に受けながら,私を含め「三鷹の教育を考える会」のメンバーなど5名が,審査委員を前に黒塗り部分の全面開示を求め口頭意見陳述を行った。
秋風の吹く10月1日。より多くの人たちにこれまでのことを知ってもらおうと,1000人近く収容可能な三鷹市公会堂ホールで,講演会を開催することを計画した。
講師はどなたにお願いしようかと話し合っていたとき,「いのちまんだら無知と無恥」という,今は故人となった灰谷健次郎さんの文章が新聞に掲載された。それは「国が前面に出て,何か指図するときは危ない。日の丸・君が代の法制化を検討するという。ちょっと待ってくれ,それは…と思わず声が出た。(以下略)」というものだった。
現場教員でありながら教育評論なども手掛けていた故・遠藤豊吉さん。かつて井之頭小学校で一緒に仕事をしたこともあり,また雑誌『ひと』の編集にもかかわらせてもらったことがあった,遠藤豊吉さんの追悼展を三鷹駅前で開催したときに,灰谷さんは忙しい時間を割いて訪れてくれた。その折りに灰谷さんに直接会って会話を交わしたこともあったので,無理を承知で講演依頼の手紙を沖縄宛に送った。
すると意外なことに灰谷さんから快諾の返事が届いた。いまでも大事にとってある灰谷さん自筆の絵ハガキには,このように書かれていた。
「お便り恐縮です。ご実践のことは新聞等で承知していました。ほんとうに悪い世の中です。ご要請のことは承知しました。日程等は電話で打合せしましよう。灰谷」
さらにチラシづくりでは,灰谷さんの書籍でイラストを描いている坪谷令子さんの描かれた『天の瞳』の表紙絵を使用させていただいた。
灰谷健次郎さんの講演会は,これまで支援してくれた方々はもちろんのこと,多くの参加者で大成功に終わった。
「国旗をデザイン」という授業,その後の処分をきっかけに,これまで出会うことのなかった方,知り合うことのなかった人との交流。市民運動の大切さやおもしろさ,人と人との出会いの不思議さや広がり。これまでの教員生活だけでは,けっしてできなかったであろう貴重な体験。今後も,これらを踏まえて教員生活市民運動をしていきたい思っています。「三鷹の教育を考える会」は,いまも元気に,そして楽しく続いています。
『ほっととーく 69』より
「良心・表現の自由を!」声をあげる市民の会
〒176-0012 練馬区豊玉北5-17-7-303 サポートねりまねりま全労協気付
郵便振替:00140-6-517545 加入者名:声をあげる市民の会
「シリーズあの時」全8回連載
過去の記事は、"「国旗」をデザインしてみたら"で、ブログ内検索してみて下さい。
☆「国旗」をデザインしてみたら(1)<リンク>
☆「国旗」をデザインしてみたら(2)<リンク>
☆「国旗」をデザインしてみたら(3)<リンク>
☆「国旗」をデザインしてみたら(4)<リンク>
☆「国旗」をデザインしてみたら(5)<リンク>
☆「国旗」をデザインしてみたら(6)<リンク>
☆「国旗」をデザインしてみたら(7)<リンク>
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