◆ ピースリーディングでの菱山さん、高遠さんのスピーチ (多面体F)
今年の夏も非戦を選ぶ演劇人の会の「ピース・リーディング」vol.21が、7月19-20日の2日間、新宿のスペース・ゼロで開催された。わたくしは7月20日のほうをみた。
いつもはひとつの朗読劇が今年は3つ、これは初めての試みだ。「9人いる! ―憲法9条と沖縄2017~」(作・演出=宮城康博)は沖縄の辺野古新基地反対や山城さんの闘いをテーマにしたもの、
『「反戦」落書きのススメ』(作・演出=坂手洋二)は2003年4月に東京・杉並区の西荻わかば公園のトイレに「戦争反対」、「反戦」、「スペクタクル社会」と落書きしただけで懲役1年2月、執行猶予3年の有罪判決を受けた人の実話をもとにした話、
『戦場イラクからのメール』(作・演出=坂手洋二)は、2004年イラクで拉致された安田純平さん、渡辺修孝さんの話だったが、その前の「落書き」との境目が見ていてよくわからなかった。
また引用の原典を「注」として文章で読まず、セリフだけ聞いていたのでは、相変わらずわかりにくかった。
リレートークは12人の豪華スピーカーによるものだった。
石原岳(ミュージシャン・高江在住)、糸数慶子(参議院議員)、織田朝日(くるどっこ劇団「ウィンクス」主宰)、志葉玲(ジャーナリスト)、高遠菜穂子(イラク支援ボランティア)、高林敏之(アフリカ国際関係史研究者)、寺脇研(映画評論家)、早野透(政治コラムニスト)、菱山南帆子(解釈で憲法9条を壊すな実行委員会)、福島みずほ(参議院議員)、保坂展人(世田谷区長)、馬奈木厳太郎(まなぎ・いずたろう弁護士) (敬称略)の12人で進行は坂手洋二氏だった。
スピーカーのトークの順序はシンプルに名前の五十音順だった。
沖縄の米軍基地問題、日本の難民受け入れ問題、自衛隊の南スーダン派遣・撤退問題、恣意的に使われている法の問題、モリカケ問題にみる官僚の反乱、共謀罪、日本国憲法の意義、憲法「改正」など、論者が論者だけに多岐にわたるトピックスが語られた。
そのなかで、いちばん面白かったのは菱山さん、心に響いたのは高遠さんだったので、2人のスピーチを紹介する。2人ともいまアベ「改憲」で問題の自衛隊に触れていた。
菱山南帆子さんは、1989年生まれで、プロフィールに「小学5年から学内で差別を許さない学内闘争」とあり観客を驚かせた。
アベを倒すためには、バラバラでなく総がかりでという総がかり行動実行委員会のメンバーだ。いつも国会前や日比谷野音での総がかり行動で元気いっぱいのコールでお世話になっているが、アジテーション演説の才能があることもよくわかった。
まず面白かった一節。「わたしの地元は萩生田官房副長官の八王子だ。みなさんに多大なご迷惑をおかけしていて申し訳ない。菅官房長官が安倍政権の番頭だとすると、番犬は萩生田だ。八王子市民は萩生田に「ハウス!」といって落選させ、自宅謹慎させないといけないと、わたしは思っている」。
自民批判、都民ファースト批判も舌鋒鋭かった。次に、9年前のピースリーディングの「9条は守りたいのに口ベタなあなたへ……」(作・構成:永井愛)にも通じる話を一部紹介する。
最寄りの駅の近くで工事をしていた。駅への道はない。しかしみんないちばん近い雑草の生えているところを夜中などにこっそり横切っていた。
そうするとだんだん道ができてきた。わたしは心の中で魯迅の小説の一節を思い浮かべた。「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道となるのだ」
夜にまぎれてポスティングをしたり、口コミで「あれさあ、ちょっとよくないわよねぇ」という。そういうコツコツとしたことが道をつくることだと思っている。だからあきらめない闘い、これは沖縄から学んだが、あきらめない闘いを続けていく。
そして来年にはもしかして憲法を変える国民投票が行われるかもしれない。この国民投票、とんでもない眉唾ものだ。青空天井の法律で、カネを持っているほうが有利だ。国民投票で民意を問おうじゃないか、これとんでもないカモフラージュだ。国民投票まで持ち込ませない、そのためにはいますぐに安倍政権を倒すことが必要だ。
自衛隊の問題もこれから出てくる。「自衛隊いいじゃない、みんながんばっている」。「違うんですよ」、災害救助隊と勘違いしている人がいるかもしれない、なぜ人助けするときに迷彩服を着るのか、と言いたい。
「だって迷彩服を着ていると目立たない。瓦礫の下敷きになっている人には、迷彩服を着ていると遠くから見るとわからないじゃないですか。オレンジの服を着なさいよ」といいたい。
あれはカモフラージュ・ファッション、略してカモフラ・ファッションというらしい。本当に恐ろしい。最近31アイスクリームに行ってびっくりした。3種類の迷彩柄のカモフラ・アイスがあった。食べるものまで迷彩柄とは。
子どもたちや女性にまで迷彩の軍服のイメージを払拭させて市民権を得る、これこそ「自衛隊を銘記する」ための市民慣らしだと思っている。「迷彩はちょっとイヤだわ」とそういうことを少しずつ重ねていって 自衛隊がいっているのは人助けではなくて、人殺しのためじゃないの。ではなぜ自衛隊が持つヘリは攻撃が必要なのか、そういうことをもっとどんどん街なかで発していく、自衛隊の議論や憲法の議論をどんどん街なかや職場で持ち込んで行って改めて憲法を実践する、憲法9条をただ掲げている理念だけではなく、わたしたちが実践してはじめて光り輝くものだ。ということは、今回は絶好のチャンスだから、わたしたちは明日から憲法をどんどん発信して伝えていきたいと思っている。
自衛隊の「災害救助」に関する記事が東京新聞7月7日の「こちら特報部」にも紹介されていた。内閣府が3年に一度行う「自衛隊に関する世論調査」の2015年版で「自衛隊の存在目的」という質問で最も多いのは「災害派遣」(81.9%)で、「国の安全の確保」(74.3%)を上回る。
しかし自衛隊法3条の任務は「我が国を防衛すること」で「災害派遣」は主任務ではない。83条に知事その他による「要請」が前提で国が「事態やむを得ないと認める場合」にのみ実行される。防衛「出動」などと異なる災害「派遣」という扱いなのだ。一方主任務にはPKOや後方地域支援が追加されている。
高遠菜穂子さんのスピーチは、かつて2015年10月に池袋で聞いたことがある。ファルージャ攻撃やIS、そして海外メディアと「マスゴミ」にまで及ぶ内容だった。すごい迫力だったが「マシンガン・トーク」だったので記録に残せず、残念な思いをした。そこで今回紹介する。
モスルなどへ支援物資を届けた後、10日前に帰国した。帰国するといつも痛感することを述べる。
昨年12月ドバイで90人ほどのアラブ人の大学生に2時間授業をした。2003年のイラク戦争を4,5歳のときに体験したのでほとんど覚えていない世代だ。そのとき時代は完全に変わったと痛感した。なぜなら「日本は矛盾した国だ。平和主義を抱えながら戦争に参加する国」ということが一般的な考えとして広がっていたからだ。これまで懸念してきたことが決定的になった。
安保法制のときにCNN、BBC、アルジャジーラなど世界のメディアはどう伝えたか。あるメディアは「平和主義から軍国主義へ」、あるメディアは「平和主義を捨てた」、2013年アルジャジーラは30分のドキュメンタリー番組のタイトルを「平和主義者の戦争」と名付けた。
いまでは中東を歩くと「日本は矛盾した国」といわれるのが普通になった。10年、20年前なら「日本人ならだれだってOK」といわれたのに、時代の変化を感じる。
2014年から毎年3月ごろバグダードで対イスラム国の武器展示会が開催されている。今年3月とうとうトヨタ、ニッサンが初出展した。しかもスペースは他国の企業の数倍の大きさだ。これまでこの2社は日本人を賞賛するときに使う社名だった。
一方韓国では、展示会に出展すると韓国人がテロの標的となるので出展をやめさせろという世論があった。日本では報道されないので、議論になりようもない、こういうことに接するたびに「まずい、まずい、まずい」と思う、ギャップがだだ広がりに広がっていった。こういう状況に危機感を感じている。
自衛隊の南スーダン派遣問題で、日報や撤退させろということはマスコミや国会でも注目されたが、ひとつ残念なのは人道的な視点が抜け落ちていることだ。その間にNGOが撤退を命じられ、自衛隊も撤退すると、とたんに南スーダンのことが報道されなくなった。
南スーダン情勢はいまや世界の人道危機で最悪の地域のひとつだ。世界には国内避難民も含め6500万人の難民がいる。63人に1人の割合だ。そのほとんどはイラク、シリア、南スーダン、スーダン、ソマリア、コロンビアの数少ない国で占めている。
日本の平和を再構築するためには人道支援に目を向ける必要がある。しかしいままで自衛隊さんに丸投げしていた。日本は難民を受け入れないのだから、若い日本人がもっと難民のいるところに行くべきである。ここにいるもう少し年長の人たちには、若者の背中を押すようにお願いしたい。
このあと何人かの方から追加発言があった。最後に、高遠さんから「どうしても一言」と追加説明があった。
わたしのバックグラウンドとして、北海道・千歳の演習場の横で生まれたことがある。銃弾や砲弾の音、町を走る戦車の音を聞いて育った。いま自衛隊員個人個人は限界にきている。サマワの自衛隊員は「国民のみなさんは自衛隊を災害救助のプロだと思うかもしれないが、わたしたちは災害救助の訓練はいっさいやっていない。国防だけをやっている。自衛隊員は何でも屋だと思うかもしれないが、限界が来ている」と語った。
一方サマワの人がもっとも求めていたのは水ではなく、電気だった。人道支援のイロハであるマッチングができていない。自衛隊を派遣したい、自衛隊ありきという発想なのでそんなことになる。個人的にはそれをわかっている隊員もいた。
2004年のファルージャ総攻撃はもっとも悲惨な戦闘だったが、やったのは沖縄からきたアメリカ海兵隊だった。海兵隊は北海道にも来るから国際問題であり、かつ国内問題、自分の町の問題でもある。
すべては地続きだ。そしてファルージャで攻撃した米兵はトラウマになり、2014年の統計で1日平均22人がPTSDで自殺を図っている。
南スーダンに派兵された自衛隊員はわが町からだった。米軍との差別化を図るため、車両のドアに大きく日の丸をつけた、その効果はどうだったかさりげなく聞くと「何回も(外に)出ていない」と答えた。しかし少ない機会でも外に出れば狙撃の対象となる。
いままでわたしたちはあまりにも自衛隊員に丸投げしてきた。やっていることで米軍との差がいよいよなくなってきたので、今年1月に「海外派遣自衛官と家族の健康を考える会」という、医療支援の会を立ち上げた。
わたしは憲法9条を守りたい、それと同時に自衛官の健康を守るため自衛隊法でなんとかできないかといろんな人に教えを乞うているところだ。
なんとか戦力不保持でいきたいが、自分の町にいる人口9万人中3万人の自衛隊関係者をどうすればよいのか、わたしには答えが出ない。出ないまま人生を歩んできた。
どうすればよいのか、みなさんの知恵を借りたい。わたしの友人の息子さんは海上自衛隊で自殺した。お母さんは「自衛隊なんかに入れるから悪い」と周りからいわれた。
そういう雰囲気をとても感じる、皆さんのお知恵を借りたい。力を借りたい、どうやれば憲法9条を守り、どうすれば名誉ある市民、名誉ある国際社会での地位を得られるのか。
最後は高遠さんのアンビバレントな感情がよく伝わる、涙声の悲痛な叫びだった。
『多面体F』(2017年08月10日)
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/ce76e3492761e7eae3ab91904b3fe23a
今年の夏も非戦を選ぶ演劇人の会の「ピース・リーディング」vol.21が、7月19-20日の2日間、新宿のスペース・ゼロで開催された。わたくしは7月20日のほうをみた。
いつもはひとつの朗読劇が今年は3つ、これは初めての試みだ。「9人いる! ―憲法9条と沖縄2017~」(作・演出=宮城康博)は沖縄の辺野古新基地反対や山城さんの闘いをテーマにしたもの、
『「反戦」落書きのススメ』(作・演出=坂手洋二)は2003年4月に東京・杉並区の西荻わかば公園のトイレに「戦争反対」、「反戦」、「スペクタクル社会」と落書きしただけで懲役1年2月、執行猶予3年の有罪判決を受けた人の実話をもとにした話、
『戦場イラクからのメール』(作・演出=坂手洋二)は、2004年イラクで拉致された安田純平さん、渡辺修孝さんの話だったが、その前の「落書き」との境目が見ていてよくわからなかった。
また引用の原典を「注」として文章で読まず、セリフだけ聞いていたのでは、相変わらずわかりにくかった。
リレートークは12人の豪華スピーカーによるものだった。
石原岳(ミュージシャン・高江在住)、糸数慶子(参議院議員)、織田朝日(くるどっこ劇団「ウィンクス」主宰)、志葉玲(ジャーナリスト)、高遠菜穂子(イラク支援ボランティア)、高林敏之(アフリカ国際関係史研究者)、寺脇研(映画評論家)、早野透(政治コラムニスト)、菱山南帆子(解釈で憲法9条を壊すな実行委員会)、福島みずほ(参議院議員)、保坂展人(世田谷区長)、馬奈木厳太郎(まなぎ・いずたろう弁護士) (敬称略)の12人で進行は坂手洋二氏だった。
スピーカーのトークの順序はシンプルに名前の五十音順だった。
沖縄の米軍基地問題、日本の難民受け入れ問題、自衛隊の南スーダン派遣・撤退問題、恣意的に使われている法の問題、モリカケ問題にみる官僚の反乱、共謀罪、日本国憲法の意義、憲法「改正」など、論者が論者だけに多岐にわたるトピックスが語られた。
そのなかで、いちばん面白かったのは菱山さん、心に響いたのは高遠さんだったので、2人のスピーチを紹介する。2人ともいまアベ「改憲」で問題の自衛隊に触れていた。
菱山南帆子さんは、1989年生まれで、プロフィールに「小学5年から学内で差別を許さない学内闘争」とあり観客を驚かせた。
アベを倒すためには、バラバラでなく総がかりでという総がかり行動実行委員会のメンバーだ。いつも国会前や日比谷野音での総がかり行動で元気いっぱいのコールでお世話になっているが、アジテーション演説の才能があることもよくわかった。
まず面白かった一節。「わたしの地元は萩生田官房副長官の八王子だ。みなさんに多大なご迷惑をおかけしていて申し訳ない。菅官房長官が安倍政権の番頭だとすると、番犬は萩生田だ。八王子市民は萩生田に「ハウス!」といって落選させ、自宅謹慎させないといけないと、わたしは思っている」。
自民批判、都民ファースト批判も舌鋒鋭かった。次に、9年前のピースリーディングの「9条は守りたいのに口ベタなあなたへ……」(作・構成:永井愛)にも通じる話を一部紹介する。
最寄りの駅の近くで工事をしていた。駅への道はない。しかしみんないちばん近い雑草の生えているところを夜中などにこっそり横切っていた。
そうするとだんだん道ができてきた。わたしは心の中で魯迅の小説の一節を思い浮かべた。「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道となるのだ」
夜にまぎれてポスティングをしたり、口コミで「あれさあ、ちょっとよくないわよねぇ」という。そういうコツコツとしたことが道をつくることだと思っている。だからあきらめない闘い、これは沖縄から学んだが、あきらめない闘いを続けていく。
そして来年にはもしかして憲法を変える国民投票が行われるかもしれない。この国民投票、とんでもない眉唾ものだ。青空天井の法律で、カネを持っているほうが有利だ。国民投票で民意を問おうじゃないか、これとんでもないカモフラージュだ。国民投票まで持ち込ませない、そのためにはいますぐに安倍政権を倒すことが必要だ。
自衛隊の問題もこれから出てくる。「自衛隊いいじゃない、みんながんばっている」。「違うんですよ」、災害救助隊と勘違いしている人がいるかもしれない、なぜ人助けするときに迷彩服を着るのか、と言いたい。
「だって迷彩服を着ていると目立たない。瓦礫の下敷きになっている人には、迷彩服を着ていると遠くから見るとわからないじゃないですか。オレンジの服を着なさいよ」といいたい。
あれはカモフラージュ・ファッション、略してカモフラ・ファッションというらしい。本当に恐ろしい。最近31アイスクリームに行ってびっくりした。3種類の迷彩柄のカモフラ・アイスがあった。食べるものまで迷彩柄とは。
子どもたちや女性にまで迷彩の軍服のイメージを払拭させて市民権を得る、これこそ「自衛隊を銘記する」ための市民慣らしだと思っている。「迷彩はちょっとイヤだわ」とそういうことを少しずつ重ねていって 自衛隊がいっているのは人助けではなくて、人殺しのためじゃないの。ではなぜ自衛隊が持つヘリは攻撃が必要なのか、そういうことをもっとどんどん街なかで発していく、自衛隊の議論や憲法の議論をどんどん街なかや職場で持ち込んで行って改めて憲法を実践する、憲法9条をただ掲げている理念だけではなく、わたしたちが実践してはじめて光り輝くものだ。ということは、今回は絶好のチャンスだから、わたしたちは明日から憲法をどんどん発信して伝えていきたいと思っている。
自衛隊の「災害救助」に関する記事が東京新聞7月7日の「こちら特報部」にも紹介されていた。内閣府が3年に一度行う「自衛隊に関する世論調査」の2015年版で「自衛隊の存在目的」という質問で最も多いのは「災害派遣」(81.9%)で、「国の安全の確保」(74.3%)を上回る。
しかし自衛隊法3条の任務は「我が国を防衛すること」で「災害派遣」は主任務ではない。83条に知事その他による「要請」が前提で国が「事態やむを得ないと認める場合」にのみ実行される。防衛「出動」などと異なる災害「派遣」という扱いなのだ。一方主任務にはPKOや後方地域支援が追加されている。
高遠菜穂子さんのスピーチは、かつて2015年10月に池袋で聞いたことがある。ファルージャ攻撃やIS、そして海外メディアと「マスゴミ」にまで及ぶ内容だった。すごい迫力だったが「マシンガン・トーク」だったので記録に残せず、残念な思いをした。そこで今回紹介する。
モスルなどへ支援物資を届けた後、10日前に帰国した。帰国するといつも痛感することを述べる。
昨年12月ドバイで90人ほどのアラブ人の大学生に2時間授業をした。2003年のイラク戦争を4,5歳のときに体験したのでほとんど覚えていない世代だ。そのとき時代は完全に変わったと痛感した。なぜなら「日本は矛盾した国だ。平和主義を抱えながら戦争に参加する国」ということが一般的な考えとして広がっていたからだ。これまで懸念してきたことが決定的になった。
安保法制のときにCNN、BBC、アルジャジーラなど世界のメディアはどう伝えたか。あるメディアは「平和主義から軍国主義へ」、あるメディアは「平和主義を捨てた」、2013年アルジャジーラは30分のドキュメンタリー番組のタイトルを「平和主義者の戦争」と名付けた。
いまでは中東を歩くと「日本は矛盾した国」といわれるのが普通になった。10年、20年前なら「日本人ならだれだってOK」といわれたのに、時代の変化を感じる。
2014年から毎年3月ごろバグダードで対イスラム国の武器展示会が開催されている。今年3月とうとうトヨタ、ニッサンが初出展した。しかもスペースは他国の企業の数倍の大きさだ。これまでこの2社は日本人を賞賛するときに使う社名だった。
一方韓国では、展示会に出展すると韓国人がテロの標的となるので出展をやめさせろという世論があった。日本では報道されないので、議論になりようもない、こういうことに接するたびに「まずい、まずい、まずい」と思う、ギャップがだだ広がりに広がっていった。こういう状況に危機感を感じている。
自衛隊の南スーダン派遣問題で、日報や撤退させろということはマスコミや国会でも注目されたが、ひとつ残念なのは人道的な視点が抜け落ちていることだ。その間にNGOが撤退を命じられ、自衛隊も撤退すると、とたんに南スーダンのことが報道されなくなった。
南スーダン情勢はいまや世界の人道危機で最悪の地域のひとつだ。世界には国内避難民も含め6500万人の難民がいる。63人に1人の割合だ。そのほとんどはイラク、シリア、南スーダン、スーダン、ソマリア、コロンビアの数少ない国で占めている。
日本の平和を再構築するためには人道支援に目を向ける必要がある。しかしいままで自衛隊さんに丸投げしていた。日本は難民を受け入れないのだから、若い日本人がもっと難民のいるところに行くべきである。ここにいるもう少し年長の人たちには、若者の背中を押すようにお願いしたい。
このあと何人かの方から追加発言があった。最後に、高遠さんから「どうしても一言」と追加説明があった。
わたしのバックグラウンドとして、北海道・千歳の演習場の横で生まれたことがある。銃弾や砲弾の音、町を走る戦車の音を聞いて育った。いま自衛隊員個人個人は限界にきている。サマワの自衛隊員は「国民のみなさんは自衛隊を災害救助のプロだと思うかもしれないが、わたしたちは災害救助の訓練はいっさいやっていない。国防だけをやっている。自衛隊員は何でも屋だと思うかもしれないが、限界が来ている」と語った。
一方サマワの人がもっとも求めていたのは水ではなく、電気だった。人道支援のイロハであるマッチングができていない。自衛隊を派遣したい、自衛隊ありきという発想なのでそんなことになる。個人的にはそれをわかっている隊員もいた。
2004年のファルージャ総攻撃はもっとも悲惨な戦闘だったが、やったのは沖縄からきたアメリカ海兵隊だった。海兵隊は北海道にも来るから国際問題であり、かつ国内問題、自分の町の問題でもある。
すべては地続きだ。そしてファルージャで攻撃した米兵はトラウマになり、2014年の統計で1日平均22人がPTSDで自殺を図っている。
南スーダンに派兵された自衛隊員はわが町からだった。米軍との差別化を図るため、車両のドアに大きく日の丸をつけた、その効果はどうだったかさりげなく聞くと「何回も(外に)出ていない」と答えた。しかし少ない機会でも外に出れば狙撃の対象となる。
いままでわたしたちはあまりにも自衛隊員に丸投げしてきた。やっていることで米軍との差がいよいよなくなってきたので、今年1月に「海外派遣自衛官と家族の健康を考える会」という、医療支援の会を立ち上げた。
わたしは憲法9条を守りたい、それと同時に自衛官の健康を守るため自衛隊法でなんとかできないかといろんな人に教えを乞うているところだ。
なんとか戦力不保持でいきたいが、自分の町にいる人口9万人中3万人の自衛隊関係者をどうすればよいのか、わたしには答えが出ない。出ないまま人生を歩んできた。
どうすればよいのか、みなさんの知恵を借りたい。わたしの友人の息子さんは海上自衛隊で自殺した。お母さんは「自衛隊なんかに入れるから悪い」と周りからいわれた。
そういう雰囲気をとても感じる、皆さんのお知恵を借りたい。力を借りたい、どうやれば憲法9条を守り、どうすれば名誉ある市民、名誉ある国際社会での地位を得られるのか。
最後は高遠さんのアンビバレントな感情がよく伝わる、涙声の悲痛な叫びだった。
『多面体F』(2017年08月10日)
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