<転送歓迎>(重複ご容赦)・「都教委包囲首都圏ネットワーク」・「新芽ML」の渡部です。
▲ 『荀子』という本を読んでいたら、以下のような文に出会いました。
「特定秘密保護法」を考える上で参考になればと思い、<通釈>で紹介します。(集英社版『荀子』(下)57~59ページより)
少し長いので、興味の無い方には向いていないかもしれませんが。(ただ、読みやすくするため少しスペースを明けました)
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世俗の論者は「君主の統治のやりかたは秘密主義がよい」と言うが、これは正しくない。
君主という者は民衆のための先導者であり、上位に立つ者は下民のための模範である。
下々の民衆は先唱するところを聞いて応答し、模範となるところを見て行動しようとするのだが、その先唱者が黙ると民衆は応答することができず、模範が隠れると下民は行動できなくなる。
下々の民衆が応答もせず、行動もしないのでは、上下の階級はそれぞれに維持していけなくなる。
このようでは君主はないのと同じであって、これ以上に不幸なことはない。
だから、君主という者は下民の根本なのである。
君主の統治のやりかたがなんの隠すところもなく明白であれば下民もよく治まり、君主の統治のやりかたが中正で誠実さがあれば下民も慎み深くまじめになり、君主の統治のやりかたが公正であれば下民もすなおで正直になる。
下民がよく治まれば統一しやすく、慎み深くまじめであれば使いやすく、すなおで正直であればその本心が分かりやすい。
統一しやすければ国は強くなり、使いやすければ功績があがり、本心が分かりやすければ施策にも迷うことがない。
これこそ国家の治平が得られる原因なのである。
ところが反対に、君主の統治のやりかたが秘密主義であれば下民は疑心暗鬼し、君主の統治のやりかたが陰険で図りがたければ下民はそれを見習って偽り欺き、君主の統治のやりかたが偏って不公平であれば下民は徒党を組んで悪事を働くようになる。
下民が疑心暗鬼すれば統一しにくく、偽り欺けば使いにくく、徒党を組めばその本心が分かりにくくなる。
統一しにくければ国は弱くなり、使いにくければ功績はあがらず、本心が分かりにくければ施策にも迷ってしまう。
これこそ国家の混乱の起こる原因なのである。
だから、君主の統治のやりかたは明白であるのがよく、隠して暗いのはよくない。
公明であるのがよく、秘密主義はよくない。
そこで、君主の統治のやりかたが明白であれば下民は安心して平静になり、君主の統治のやりかたが隠して暗ければ下民は不安を感じて動揺する。
そして、下民が安心して平静になれば君主を尊んでその命令に服するが、下民が不安を感じて動揺すれば、君主を卑しんで命令に服しようとしなくなる。
だから、君主の統治のやりかたが明白でその本心が分かりやすければ下民は君主に親しむが、君主の統治のやりかたが隠して暗くその本心が分かりにくければ下民は君主を恐れはばかるのである。
下民が君主に親しめば君主も安心して平静であるが、下民が君主を恐れはばかるようでは君主も不安を感じて動揺することになる。
だから、君主の統治のやりかたはその本心が分かりにくいのが最も悪く、下民に自分を恐れはばからせるのが最も危険である。
古くから伝えられたことばに「自分を憎む者が多ければ危険である」とあり、
『書経』には「君主の明白な徳をいよいよ明白にして、下民に隠すところがない」とあり、
『詩経』には「文王がその徳を明白に輝かせて下士を治め、下民に隠すところがない」とある。
こうしてみると、古代の聖王たちは明白な統治のやりかたをしたのであるが、どうして単に外に対して公明であるだけにとどまろうか、心の徳をも明白にしたのであって、秘密主義の悪いことはいまさら言うまでもないことである。
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「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス
http://houinet.blogspot.jp/
「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
http://homepage3.nifty.com/hinokimi/
▲ 『荀子』という本を読んでいたら、以下のような文に出会いました。
「特定秘密保護法」を考える上で参考になればと思い、<通釈>で紹介します。(集英社版『荀子』(下)57~59ページより)
少し長いので、興味の無い方には向いていないかもしれませんが。(ただ、読みやすくするため少しスペースを明けました)
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世俗の論者は「君主の統治のやりかたは秘密主義がよい」と言うが、これは正しくない。
君主という者は民衆のための先導者であり、上位に立つ者は下民のための模範である。
下々の民衆は先唱するところを聞いて応答し、模範となるところを見て行動しようとするのだが、その先唱者が黙ると民衆は応答することができず、模範が隠れると下民は行動できなくなる。
下々の民衆が応答もせず、行動もしないのでは、上下の階級はそれぞれに維持していけなくなる。
このようでは君主はないのと同じであって、これ以上に不幸なことはない。
だから、君主という者は下民の根本なのである。
君主の統治のやりかたがなんの隠すところもなく明白であれば下民もよく治まり、君主の統治のやりかたが中正で誠実さがあれば下民も慎み深くまじめになり、君主の統治のやりかたが公正であれば下民もすなおで正直になる。
下民がよく治まれば統一しやすく、慎み深くまじめであれば使いやすく、すなおで正直であればその本心が分かりやすい。
統一しやすければ国は強くなり、使いやすければ功績があがり、本心が分かりやすければ施策にも迷うことがない。
これこそ国家の治平が得られる原因なのである。
ところが反対に、君主の統治のやりかたが秘密主義であれば下民は疑心暗鬼し、君主の統治のやりかたが陰険で図りがたければ下民はそれを見習って偽り欺き、君主の統治のやりかたが偏って不公平であれば下民は徒党を組んで悪事を働くようになる。
下民が疑心暗鬼すれば統一しにくく、偽り欺けば使いにくく、徒党を組めばその本心が分かりにくくなる。
統一しにくければ国は弱くなり、使いにくければ功績はあがらず、本心が分かりにくければ施策にも迷ってしまう。
これこそ国家の混乱の起こる原因なのである。
だから、君主の統治のやりかたは明白であるのがよく、隠して暗いのはよくない。
公明であるのがよく、秘密主義はよくない。
そこで、君主の統治のやりかたが明白であれば下民は安心して平静になり、君主の統治のやりかたが隠して暗ければ下民は不安を感じて動揺する。
そして、下民が安心して平静になれば君主を尊んでその命令に服するが、下民が不安を感じて動揺すれば、君主を卑しんで命令に服しようとしなくなる。
だから、君主の統治のやりかたが明白でその本心が分かりやすければ下民は君主に親しむが、君主の統治のやりかたが隠して暗くその本心が分かりにくければ下民は君主を恐れはばかるのである。
下民が君主に親しめば君主も安心して平静であるが、下民が君主を恐れはばかるようでは君主も不安を感じて動揺することになる。
だから、君主の統治のやりかたはその本心が分かりにくいのが最も悪く、下民に自分を恐れはばからせるのが最も危険である。
古くから伝えられたことばに「自分を憎む者が多ければ危険である」とあり、
『書経』には「君主の明白な徳をいよいよ明白にして、下民に隠すところがない」とあり、
『詩経』には「文王がその徳を明白に輝かせて下士を治め、下民に隠すところがない」とある。
こうしてみると、古代の聖王たちは明白な統治のやりかたをしたのであるが、どうして単に外に対して公明であるだけにとどまろうか、心の徳をも明白にしたのであって、秘密主義の悪いことはいまさら言うまでもないことである。
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