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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

権力側がミリタリズムを学校教育に導入する手口は、“防災訓練”と“職場体験”(自衛隊連携)

2020年11月29日 | 暴走する都教委
 ◆ 都立高校「自衛隊連携 宿泊防災訓練」その正体は“募集広報”
   今年度は都教委がしぶしぶ中止したが (紙の爆弾)

2014年2月、田無工業高の"訓練"で若手教員を乗せ、担架の運び方を"指導"する隊員ら

 本誌二〇一七年十一月号で「教職員への懲戒処分」を中心にレポートした、東京都教育委員会による小中高校等の卒業・入学式の“君が代”強制を強化した〇三年の“10・23通達”は、「児童・生徒に国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ、それらを尊重する態度を育てるために」(傍点は筆者。以下同)と明記している。
 “君が代”起立・斉唱強制を、儀礼的所作としつつ、個人の内心(思想・良心)に深く踏み込んでいる。
 この内心への踏み込みは、賛否分かれるなか、政府が強行成立させた国旗・国歌法施行後の一九九九年九月十七日、当時の御手洗(みたらい)康・文部省初等中等教育局長らが出した通知の「児童生徒に我が国の国旗と国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てる」との表現に倣った文言だ。
 そしてこの文言は、“愛国心”強制と軌を一にする。現に、退陣した安倍晋三前首相の第一次政権時の〇七年一月一日、日本経団連の御手洗冨士夫会長が公表した『希望の国、日本』と題する“御手洗ビジョン”は、「新しい教育基本法の理念に基づき、(略)国を愛する心や国旗・国歌を大切に思う気持ちを育む。教育現場のみならず、官公庁や企業、スポーツイベントなど、社会のさまざまな場面で日常的に国旗を掲げ、国歌を斉唱し、これを尊重する心を確立する」と主張している。
 都教委が“愛国心・君が代”強制と連動し、校長権限強化=職員会議の空洞化や、主幹教諭等の職階制=ピラミッド型学校組織作りにより、モノ言えぬ(言っても文科省・都教委の施策に反すれば、学校運営に全く反映されない)学校現場にした(本誌一七年六月号)後、押し付けてきたのがミリタリズムだ。
 一一年三月の東日本大震災後、都教委など権力側がミリタリズムを学校教育に導入する手口は、主に“防災訓練”と総合学習の時間の“職場体験”での自衛隊連携だ。本稿では前者を中心に暴いていく。
 ◆ 隊員の号令一下、行進訓練も

 都教委は一四年度から、定時制等を除く全都立高校に、消防や大学、警察のほか、自衛隊をも連携先として募集の形を採り、校長から応募させ“宿泊防災訓練”を強制している。
 このうち自衛隊と連携する“宿泊防災訓練”は、
 〔1〕都教委主導で生徒を駐屯地等に連れて行き、自衛隊東京地方協力本部の隊員の“指導”で行進訓練させたり、隊員の行進・敬礼を見せたりするのに一定の時間をとる
 〔2〕自衛隊員を学校に招き生徒に“防災講話”を聞かせる
 の二パターンがある(もちろん〔1〕も自衛隊員による”防災講話”あり)。
 〔1〕は都教委がこれまで三回強行した。

 ◇ 一回目一三年七月二十六日~二十八日(非公開)
 都教委は“宿泊防災訓練”試行段階の一三年度、防災教育推進校の中から都立田無工業高校(西東京市)を指定し、当時の江本敏男・高校教育指導課長(現・都立上野高校校長)以下八名もの指導主事らと、同校の当時の校長・池上信幸氏(現・都立工芸高校校長)ら教職員六名とが、ラグビー部などの男子生徒三四人を陸上自衛隊朝霞駐屯地に引率した。
 幼稚園や小学校低学年なら一定数の引率教員が必要だが、「高校生三四人に、大の大人が計一四名」という“手厚い”引率は、前例がない。
 この時、都教委は大手マスコミも筆者らフリーにも駐屯地内の取材を認めなかったので、「自衛隊をウォッチする市民の会」の坂本茂さんただ一人が、フェンス越しに監視した。
 この“訓練”の申込書には“隊内生活体験”と書かれていた。
 後日、市民が「防災という語がない」と問うと、池上氏は「手続きでその書式しかなかったから」と回答。
 当時の保護者は「“隊内生活体験”だと、隊員募集に利用されないか、不安だった」と語る。
 坂本さんが開示請求で得た自衛隊側の「行動予定」文書は「躾(しつけ)。行進間のこと動作。駐屯地内行進(各班毎)」などと明記。
 坂本さんは「食堂から外来隊舎への移動も行進訓練で、生徒六人に制服自衛隊員一名が付き、『右向けー右』など号令をかけていた」と語る。
 これも後日、市民が質すと、池上氏は「『自衛隊の文書で行進と言っている』と仰るが、整列して歩くということ。『右向けー右』などの号令は、体育の授業でもやっている」と弁解した。
 ◇ 二回目 一四年二月三日~五日(部分公開)

 都教委は借り上げたバスで、田無工業高校二年生一四八人(うち女子は六人。欠席者が一定数いた)を、学校から江東区の都の施設に輸送。筆者を含む報道関係者や坂本さんが取材できた二月三日午後の枠では、東京地方協力本部の迷彩戦闘服等の隊員一三名が、
  ①応急担架の作成・搬送、
  ②三角巾での止血・包帯法
 の訓練を“指導”した。
 取材スペースは会場の体育館二階席の一角だけで、生徒たちや池上氏ら教職員、都教委幹部、隊員らがいる一階入口のガラス扉は全て白い布で目張り。生徒や隊員に直接取材をさせないよう、指導主事数名が目を光らせていた。
 ①では女性隊員が、角材に迷彩戦闘服上下を通し担架を作成。男性隊員四名によりこの担架で運ばれる役に、二十歳代の教諭が”志願”。
 本来武装集団である自衛隊に、若手教諭が率先し協力する姿に、筆者は危機感を持った。なぜならこの日の“訓練”終了時、瀧澤健二3等陸佐(当時、自衛隊東京地方協力本部渉外広報室長)を先頭に、隊員らは前方に整列後、敬礼。一糸乱れず行進し(足を高く上げ、九〇度の角度で曲がる)退場。軍隊としての姿を生徒に見せ付けたからだ(報道が入ったので、生徒にはさせなかったが…)。
 会場外に駐車した自衛隊マイクロバスのフロントガラス越しに、坂本さんが見た文書(車両の運行日時や経路等を記載)は、「募集広報実務訓練」と明記していたという。若手教諭は進路指導で何の躊躇(ためら)いもなく自衛隊への就職を勧めるのではと、不安がよぎった。
 ◇ 三回目一四年十一月二十六日~二十八日(非公開)

 都教委は一四年度、陸上自衛隊武山(たけやま)駐屯地(神奈川県横須賀市)で二泊三日の“宿泊防災訓練”を行なう学校を一校募集し、都立大島高校(伊豆諸島の大島町)の大塚健一校長(当時)が応募した。
 この時期は、当時の安倍首相が集団的自衛権を行使できるよう憲法解釈変更の閣議決定をした一四年七月一日から約五カ月後であり、生徒や保護者の不安感は強く、反対意見が続出。参加対象の二年生全三五人中、参加者は一六人に留まった。
 “自衛隊訓練”に不参加の一九人の生徒は、学校の図書室で英数や防災教育等の課題学習に取り組み、同年十二月二日の二学年会議録は、「課題取り組み良好」と記している。
 都教委や大塚氏はこの“自衛隊訓練”を教育課程上、特別活動の「学校行事」に位置付けた。その「学校行事」を、学習指導要領は「全校若しくは学年又はそれらに準ずる集団で協力し、よりよい学校生活を築くための体験的な活動…」と規定している。
 都教委は同じ「学校行事」に位置付く卒業式等の“君が代”斉唱では指導要領厳守・墨守を主張しているくせに、参加者が大幅に学年の“過半数割れ”した“自衛隊訓練”強行で、完壁な指導要領違反をしているのだ。
 この“訓練”でも、十一月二十六日の「基本訓練・90分」の枠で、前出の瀧澤3佐らが、「回れー右。前へー進めー」等の号令一下、行進訓練を実施。生徒の希望者に号令をかけさせることまでやった。
 “防災”とは別の意図が鮮明だが、筆者の電話取材に大塚氏は「行進は防災訓練の一環だ。学校の体育等でやる行進と同じ延長」と、前出の池上氏と同じ回答をした。
 大島高校の訓練も非公開だったが、都民が情報開示請求で入手した前出・二学年会議録や職員会議録、大島に帰る船を待つ竹芝桟橋で坂本さんが生徒から聞いた話等をもとに、筆者は「週刊金曜日」(一五年三月六日号)に詳述した(インターネットで読めるので、検索いただければ幸いである)。
 ◆ “防災講話”なのに軍事の大宣伝

 田無工業高校の“訓練”のうち、報道陣には非公開だった一四年二月三日午前に視察した、都議会文教委員(当時)の里吉ゆみ議員(共産)や関係者によると、瀧澤3佐の“防災講話”は「自衛隊の役割」として、「我が国の独立と安全を守る。諸外国の侵略への抑止」との表現で“国防の任務”=軍事面に言及していた、という。
 そして瀧澤3佐はスライド上映で、「自動小銃を手に、鉄帽・迷彩戦闘服で突撃してくる自衛隊員らの写真」を、田無工業高校生(朝霞駐屯地の時)に七枚、大島高校生には一枚見せ、軍としての存在“意義”をPRしている。こうしたミリタリズムの濃い“訓練”に、保護者や現・元教職員をはじめとする都民らから憲法九条違反だという意見が出て政治的中立性が問題になり、都教委は大島高校の“訓練”後、自衛隊駐屯地への生徒の動員は断念した。

瀧澤健二3佐が田無工業高ラグビー部等の男子生徒34人に見せた戦闘訓練のスライド。
"防災講話"とは無関係だ。早朝の非常呼集も強行した。

 ◆ 3密の典型なのに中止決定は五月七日

 だが“防災講話”を含む、校内での一泊二日の宿泊防災訓練(主に“講話”は体育館等、宿泊は教室)は、全都立高校に実施を強制し続けており、佐藤聖一・高校教育指導課長は二〇年一月六日、警視庁・消防庁と並べ、自衛隊も選択させる、「令和2年度宿泊防災訓練及び関係機関との連携に関する意向調査について」と題する事務連絡を発出した。
 そしてコロナ禍が深刻になりつつあった二月十九日、増田正弘指導部長は“自衛隊東京地方協力本部長”宛、「関係機関と連携した防災講話の協力について」と称する依頼文を発出。増田氏の部下・佐藤氏は都立高校校長ら宛、「関係機関と連携した防災講話の実施について」と称する通知文を発出し、自衛隊との連携もありと明示した。
 佐藤氏は長期休校となっていた三月十二日、“ガイドライン”まで添付し、「令和2年度の宿泊防災訓練実施」の「予算配布」を予告する文書を発出。さらに三月二十日には「関係機関と連携した防災講話の実施校の決定について」と題する通知文で、小笠原・調布北・園芸・東久留米・葛西工業の五つの都立高校を自衛隊連携先(自衛隊員が来校)に明記した。
 前述通り問題が多い上に、コロナ禍での“訓練”となりそうだったが、佐藤氏が二〇年度の実施中止決定の文書を発出したのは五月七日にずれ込んだ。
 ある都立高校のベテラン教員らは、筆者の取材に「自衛隊が来て政治色の濃い“防災講話”をするのではという心配に加え、男女別々の教室とはいえ、狭い空間で多数の生徒が寝る、いわゆる3密の典型の宿泊訓練をやらされるのかと不安一杯だった。中止決定は遅きに失する」と語った。
 こうした現場の悲痛な声を受け七月十四日、開示請求した都民らは「五月七日は臨時休校の二度目の延長後であり、二〇年度の教育課程実施において、ムダな行事等は削り、学習の遅れを取り戻すことが至上命題となった時期(年間の教育計画変更等で学校は多忙)だ。佐藤氏はもっと早く、遅くとも四月七日の一度目の臨時休校延長決定時には『今年度は中止』決定を発出するべきだったと考えるが、いかがか?」等、質す内容の請願を提出。
 だが都教委は八月十二日付で、「御意見として承ります」いう一行にも満たない“回答”を送付するに留まった。
 冒頭に引用した“御手洗ビジョン”は、「憲法上、自衛隊や集団的自衛権に関する考え方が明確になったとしても、内外からの信頼を得る上では、それだけでは不十分である」と、さらなる軍拡を煽り、「憲法改正案に関する国民的な合意を形成する」とも主張。
 民主主義を守るには、都教委のミリタリズムと“愛国心”=“君が代”強制の両方をやめさせる、地道な取り組みが必要だ。
 ※永野厚男(ながのあつお) 文科省・各教委等の行政や、衆参・地方議会の文教関係の委員会、教育裁判、保守系団体の動向などを取材。平和団体や参院議員会館集会等で講演。
『紙の爆弾』2020年12月号

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