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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

政党紙配布―理は無罪判決の方にある

2010年05月19日 | 平和憲法
 《朝日新聞社説》5月15日
 ◇ 政党紙配布―理は無罪判決の方にある


 仕事のない休日に、職場や自宅から遠い地域で、身分を明かすことなく、支持する政党の機関紙を家やマンションの郵便受けに1人で投函(とうかん)する。
 そんな行為が、公務員に政治的中立を求めた国家公務員法に違反するとして、2人の男性が起訴された。審理は別々に行われ、1人は東京高裁で無罪となり、1人は同じ高裁の別の裁判部から有罪の罰金刑を言い渡された。
 事件の概要はほとんど変わらない。裁判官の判断を分けたのは、憲法が保障する「表現の自由」に対する理解の深さの違いというほかない。
 無罪とした中山隆夫裁判長は、表現の自由には政治活動の自由も含まれると指摘したうえで、この程度の行為で行政全体の中立性に対する国民の信頼が失われる危険があるとはいえず、刑罰を科すのは憲法に反すると述べた。
 一方、有罪の出田孝一裁判長は表現の自由について正面から論じないまま、機関紙の配布は政治的偏向が強い行為で「放任すると行政の中立的運営が損なわれ、党派による不当な介入や干渉を招く恐れがある」と説いた。
 もちろん行政は国民全体の利益のためにあり、中立・公正であるべきは言うまでもない。だからといって、そのために個人の人権をないがしろにしてもいいという話ではない。
 なぜ表現の自由は大切なのか。ものを考え、他者に伝えることによって、人間は成長をとげ、政治にも前向きに参加していくことができる。自由で民主的な社会を築き発展させるために、それは不可欠な存在なのである。
 だれもが基本的人権として表現の自由をもつ。ここをしっかり押さえたうえで、では行政の中立性を担保するために、公務員にいかなる制約を課し、違反した場合にどんな制裁を与えるのが適当かを検討する。それが憲法の理念にかなう考えの進め方である。
 公務員の地位や権限、仕事の中身と性質、政治活動の内容・態様……。様々な事情を考慮し、問題のあるなしをケースごとに見極める。そうしたアプローチをとって無罪を導き出した中山判決にこそ理があると思う。
 高裁の判断が割れ、結論は最高裁に持ち越された。最高裁は1974年に公務員の政治活動の自由を厳しく制限する判決を出している。15裁判官のうち4人の反対意見がつき、学界などからの批判も強い猿払(さるふつ)事件判決だ。
 それから36年。今回の二つの事件をすべての裁判官が参加する大法廷に回付し、徹底して議論してもらいたい。猿払判決を貫く論理の荒っぽさ、この間の国民の法意識の深化や人権意識の発達、行政や公務員を取り巻く環境の変化などを考えれば、この判例は見直されてしかるべきだ
 憲法や人権をめぐる認識がまた一歩深まる。そんな判断を期待したい。

 『今 言論・表現の自由があぶない!』(2010/5/16)
http://blogs.yahoo.co.jp/jrfs20040729/14568216.html

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