パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「学校に自由の風を!ネットワーク」元保護者による最高裁要請(4)

2016年05月25日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ★ 第2回最高裁要請5月26日(木)15:00~15:30(15分前最高裁西門集合)
2016年5月10日 最高裁判所第三小法廷 御中
◎ 10・23通達が激変させた式のあり方
T.S.

 ◎ 二度の入学式
 私の2人の子は1987年12月、1992年2月に生まれ、小学校入学は94年、98年でした。当時の式は日の丸掲揚、君が代斉唱もありましたが、地域によってかなり幅のあるものでした。1994年、最初の入学式は小平市の小学校で、初めての子の小学校入学という親にとっても一大イベントでした。子どもに負けるとも劣らない関心を親も抱きました。
 新1年生のわが子たちは、新6年生に手をひかれ、体育館の舞台を背にしてクラスごとに座り、保護者席からはその子どもたちの顔と姿を見ることができました。その子が3年生の時に引っ越し、二度目の入学式は4年後の1998年に東久留米市でした。
 新1年生のわが子は新6年生と手をつなぎ体育館に入場、在校生が手を掲げて作ったアーチの下を歩いて退場、各クラスの教室へ向かうというものでした。
 保護者席からは、入場してから舞台を背にした席に着き、退場するまでの子どもの顔と姿を全て見ることができました。式の間、親子で顔を見合わせ、互いの緊張と喜びも感じ取れました。
 体育館の壁に飾られていたのは、在校生が作った切り紙の木々、折り紙などで作った動物などで、新一年生を歓迎する気持ちにあふれたものでした。
 幼稚園や保育園で集団生活を経験してきたとはいえ、心配ばかりがあふれましたが、学校全体で新1年生を歓迎していることが感じられました。
 教員も在校生もみなで協力して6年間を過ごすのだ、というような決意さえ感じ、心配ばかりでこわばった保護者の心に安心を与えてくれました。
 桜の咲き誇る時期、子どもたちも咲き誇っているように感じる素敵な入学式でした。

 地域によって違いはあっても、ともに子どもたちが主役で、大事にされていることが感じられました。
 ◎ 二度の卒業式
 小学校の卒業式は2000年と2004年でした。
 2000年3月、卒業していく子どもたちは、体育館に置かれた植木鉢の道に沿って、校長が待つ机まで歩いて卒業証書を受け取りに行き、植木鉢を持ち帰りました。
 子どもたちが歩く道を真ん中に、保護者の席は二か所で向かい合って並べられ、歩く姿とその顔をしっかり見ることができました。その姿を目にして、6年間の歩みを思い出し、頭の中が一杯になり、感激と涙が止まりませんでした。
 子どもの成長と思春期を迎えるこれからのことが浮かび、心配ばかりがよぎりましたが、子どもの自信に満ちた足取りと、卒業を祝う教職員たちの気持ちは、その顔を合わせることから感じることができました。
 その卒業式時ですら担任や列席する教員たちは日の丸掲揚、君が代斉唱強制に反対してリボンをつけていました
 担任たちは子どもに、保護者にそう伝えるように言ったのです。

 4年後の2004年は同じ学校とは思えない卒業式でした。
 卒業する子どもたちが新1年生の入学式のとき、あれほど歓迎してくれた同じ学校とはとても思えませんでした。ましてたった4年前には感動すら覚える卒業式を行っていた同じ小学校なのです。
 子どもたちは、壇上に登る階段に一列に並ばされ、名を呼ばれ、壇上の演台に着いた校長と日の丸に礼をし、卒業証書書を受け取り、階段を下りていくという、皆が同じ動作のあっけない儀式でした
 卒業生の席は壇上に向かい、保護者の席はその後ろで、子どもの顔も姿も見るべくもありません。喜びの中で、子も親も式を祝うことができないことに大きな悲しみを覚えます。
 2003年の10・23通達以後は、私たち親子が経験した参加者全員で喜びあう、素敵な入学式や卒業式は今やどこにもありません
 10・23通達は教員に及ぶだけではなく、子と親の喜びを奪うものです。命令を出し、それに従わない者は処分するなど、力づくで従わせる強制から喜びは生まれません。
 最高裁判所が、東京都教育委員会が命令に背いたとして処分した教職員全ての処分撤回を判断してくださるよう要請します。
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