子ども脱被ばく裁判の会共同代表 水戸喜代子
☆ 子ども脱被ばく裁判(上)精神的苦痛の代償求め
昨年末の12月18日に仙台高裁で、「子ども脱被ばく裁判」のうち「親子裁判」の判決がでました。
全国各地の避難先で提訴されている「損害賠償訴訟」と混同されますが、「親子裁判」は原発事故の後、国・県がもしもまともな被ばく対策をとっていれば、受けずに済んだ被ばく、すなわち無用な被ばくをしなくてもすんだとして訴えた国賠訴訟です。
今後の人生を被ばくの不安と共に歩まなければならない精神的苦痛の代償として、1人10万円を国に請求しました。目的はお金ではなく、国・県が二度とこのような人権侵害を起こさないようにとの原告の思いから、金銭的ハードルをあえて低額にしました。
事故の後、国・県によって一体どんな作為、不作為が福島県民に行われたのでしょうか?まず、
①SPEEDI情報が開示されなかったために、線量の高い方角に逃げた原告もいたこと、
②20mSv基準の高線量下で学校が再開されてしまったこと、
③福島県放射線管理アドバイザー山下俊一医師の科学に反した安全発言(県内各地の公民館での講演)を放置したために、窓を開け放つなど原告の放射線への正しい警双心を解いてしまったこと、
④安定ヨウ素剤を与えなかった事実は県民保護義務違反である、と追及しました。
山下医師と甲状腺がんの執刀責任者の鈴木真一医師を証人として法廷に呼びました。
そこで山下医師は10項目を超える嘘を認めた上で、クライシスコミュニケーションとしてやむを得なかったと開き直りました。
危機時にこそ、人々は真実の情報を求めているのに国・県によって否定されただけではなく、司法までもが国・県を追認したのです。
上記各項目について県民への保護義務違反を犯した責任者を具体的に明らかにするために、5人の行政官の名を上げて証人申請しましたが、全員却下して責任の所在を闇に葬った上で、判決では「損害を明らかにしていない(?)」という論理破たん(弁護団談)した理由で訴えを全面的に棄却しました。
地震国で原発を操業する限り事故はつきものですし、海外で原発事故が起きた時にも、「福島モデル」として前例になることを許してはなりません。57名の原告が上告しました。
『週刊新社会』(2024年1月24日)
☆ 子ども被ばく裁判(中)安全な場所で学びたい
今回は「子ども脱被ばく裁判」のもう一つの柱である「子ども人権裁判」についてです。
この裁判は、3・11事故直後に福島県郡山市の小中学生14名が郡山市を相手取って、事故後の環境は健康リスクがあるので、法律どおりの環境(年1mSv以下)に自分たちを避難させ、そこで学校教育を行ってほしいと提訴した「ふくしま集団疎開裁判」を引き継ぐものでした。
この裁判に勝訴していたら、郡山市の小中学生3万人を強制疎開させることができたのに、仙台高裁は、「由々しい事態の進行が懸念されるが、一人ひとり転居するしかない」として国の責任を退けたために、新たに約30名の福島県下の小中学生が原告となり、2014年8月に居住地の自治体と国を相手に訴訟を起こしたものです。
「今の学校環境は危険である(空間線量が1mSv以上あり、土壌汚染が4万Bq/平米以上の環境。通学路の土壌は放射性セシウムの殆どが不溶性微粒子の形で存在)」ので、安全な地域で教育を受ける権利があると訴えました。
国・県は、このような裁判を起こすこと自体が許されないと門前払いし「却下」を主張、一貫して100mSv以下では健康被害はないと主張し続けています。
これに対して、子ども側は「今では世界の常識となっている内部被ばくの視点から、空間線量の多寡で、健康被害の大小は測れないこと、通学路を調べると放射性セシウムは不溶性微粒子の形で土に留まっているので、風の吹く日には砂埃と一緒に吸い込んで危険である」と、専門家による証言をしました。
「学校環境安全基準」に放射性物質についての記述がないので、「環境基準」を根拠に暫定値を試算したところ、何と20mSvは、がんで死亡する確率が7千倍に達することがわかり衝撃的でした。
「年20mSv基準に科学的な根拠がないことは、除染対象となる3千校を10数校に縮小するための便宜的な数値でしかなかった」と小佐古敏荘内閣参与(放射線防護担当、東大教授)の西日本新聞のインタビュー記事から涙の辞任劇の背景がわかりました。
高裁の石栗正子裁判長は、昨年2月1日、7千倍基準に蓋をしたまま棄却決定したのです。
『週刊新社会』(2024年2月7日)
☆ 子ども脱被ばく裁判(下)全力で若者を支える
被ばくに「許容量」はない、と物理学者の武谷三男が語つて70年。ICRP(国際放射線防護委員会)ですら閾値(しきいち)なし直線モデル(これ以下なら安全という数値はなく、被ばく量に比例して健康被害は増加する)を提唱する時代です。
追加被ばくは可能な限り避けなければならないとする考え方は、今や世界の常識です。ICRP1990年勧告では公衆の被ばく限度を年1mSvとし、日本はそれを受け入れ法制化していました。
1mSvは他の毒物基準からみて高すぎる基準値ですが、原告側はそれを満たす福島周辺地域を地図に書き込み、そこに学童疎開させることを求めました。
ところが、3・11福島原発事故が発生した途端、法律とは無関係のICRP2007年勧告、「緊急時には20~100mSv/年。復旧時には1~20mSv/年」を持ち出して、1mSv基準を一挙に20mSvに引き上げて学校を再開したのです。
福島のお母さんたちが猛抗議に立ち上がつたのは当然ですが、学校のグラウンドだけ1mSvに除染して幕引きでした。
裁判においても国は100mSv以下だから、被ばく対策は不要であるという立場を貫きました。
原告側は、原爆症を数百人診察してきた医師を証人に立て、内部被ばくの実例、歴史、低線量域での健康被害など多くの最新の研究結果を示して反論しましたが、判決ではスルーして、国の主張をそのまま追認し、法を根底から否定する司法のありように唖然とします。
事故のたびに当事国で国際会議を開き、UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)→ICRP→IAEA(国際原子力機関)→各国への勧告、という形で核被害を小さく見せ、不安を抑え込む役割を果たしてきました。
チェルノブイリでは被害を小さく見せたいIAEAに対して、町医者の特に女性医師たちが頑強に頑張って、小児甲状腺がんの多発を原発事故由来であると認めさせました。残念ながら同調圧力が行き届いている福島には、そんな医師はほぼ皆無です。
そんな中で、甲状腺がんに侵された300人余のうち7人の若者が勇気をもって裁判に立ち上がりました。私たちは全力で支えたいと思っています。
『週刊新社会』(2024年2月21日)
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