2023年12月25日
◆ 原告ら訴訟代理人 弁護士 雪竹奈緒
1 本年10月をもって、10・23通達発出から満20年が経過しました。ここ数年、国旗国歌に関する職務命令違反で懲戒処分を受けた教員はほとんどいません。
しかし、通達発出直後の2003年度周年行事、卒業式及び2004年度入学式では、延べ243人もの教職員が懲戒処分を受けました。懲戒処分の脅しに屈して心ならずも命令に従った教職員は、これよりはるかにたくさんいました。教育現場において、10・23通達はそれほど「異常」なものだったのです。
2 戦後民主教育において、戦時下における国民統合機能を担った日の丸・君が代を学校に持ち込むことは長年、ふさわしくないとされてきました。東京では、多くの学校で日の丸や君が代は「ない」式が普通だったのです。
しかし、1990年代後半から、文科省及び都教委は急速に日の丸・君が代実施の徹底をはかりました。1998年通知、1999年通達等を経て、2000年度卒業式及び2001年度入学式では、都立学校における国旗・国歌実施が100%となりました。ところが2003年に石原都知事が第2期の当選を果たすや、対策本部が設置され、その3か月後には通達発出に至ったのです。
実施率100%になった後、通達の必要性について教育現場からの十分な検討もないまま、結論ありきで拙速に発出されたその経過が、第一の異常性です。
3 第二は、通達の内容の異常性です。実施指針を改めてお読みください。国旗掲揚の時間、都旗との位置関係、式次第の文言から演台の位置、こんなことまで詳細に定め、すべての学校に一律に強制する必要性が本当にあったのでしょうか。
都教委の命令を行き渡し、各学校の一切の裁量を奪うことが目的だったとしか思えません。
4 第三は、職務命令発出から式当日、そして懲戒処分に至るまでの経過です。都教委は繰り返し、校長連絡会等において、管理職に対し、式の実施要領や職務命令の発出方法、式当日の不起立者の現認方法、現認後の流れに至るまで事細かに指示しました。
これはその際に示された「A高校の周年行事の実施例」ですが、校長らは当日に至る段取りまで事細かに指導されたのです。
そして式当日には、全校に都教委職員を派遣し、副校長に不起立の教員を「現認」させ、都教委職員は式後の事実確認まで立ち会いました。2003年度卒業式は、まさに「戒厳令下」の異常な式だったのです。
そして、その「異常」性は20年経った今も変わるものではありません。ほとんど不起立者がいなくなったにもかかわらず、通達に基づく職務命令が出され、教職員は監視され続けています。
5 通達は、学校における卒業式・入学式を一変させ、その教育的意義を変質させました。
かつて多くの特別支援学校では、壇上を利用せず、出席者がフロアで向かい合う、対面式やフロア形式が取り入れられてきました。
これは、多摩養護学校高等部の2002年度卒業式の会場図案です。多摩養護学校は重度重複障害児学校で、目が見えない生徒、ベッド式の車いすに寝たままの生徒、平らなフロアであれば自力で車いすをこげる生徒等、様々な生徒がいます。
個々の生徒の状況にかんがみ、教職員らが工夫して編み出してきたのがフロア形式だったのです。
6 これは別の学校の通達前の式の写真ですが、卒業生と在校生の対面式、フロアで卒業証書を授与する、という様子が見られます。
通達は、教育現場における長年の試行錯誤によって生み出された、フロア形式や対面式の式を一律に否定し、壇上での画一的な式を強制したのです。
7 これが、先ほどと同じ多摩養護学校高等部の、2003年度卒業式の会場図案です。
フロア式は否定され、縁台に至る特製のスロープが設置されました。
卒業生は、個々の事情は無視され、卒業証書授与のためにスロープで壇上に上がることを余儀なくされました。
8 これは別の学校の写真でやや見づらいですが、このように巨大なスロープが、多額な費用をかけて設置されました。
温かい雰囲気で生徒の卒業を祝うため、また教育の集大成としてどのような会場設営がふさわしいか、といった教育的配慮は一切無視され、通達通りの式、「国旗掲揚、国歌斉唱のための式」「教員を職務命令に従わせ、従わない職員を処分するための式」に変容したのです。
ここでは特別支援学校を例に挙げましたが、高等学校においても本質は同様です。
9 なぜ、都教委はこのような「異常な」通達および職務命令発出に拘っているのでしょうか。2003年11月11日の校長連絡会で、近藤指導部長はこのように発言しています。
「卒業式や入学式について、まず、形から入り、形に心を入れればよい。形式的であっても、立てば一歩前進である」と。
「国旗に向かって起立し国歌を斉唱する」という「形」を、まずは教職員、生徒にすり込ませ、後に「心」を入れようというのです。ここでいう「心」とは、国旗国歌が象徴する「国」に対する敬意や尊敬の念、そして「愛国心」であることは明らかです。
通達は、教職員や生徒に自ら考え、判断させることをやめさせ、まずは「形」から入ることで、教職員や生徒の「心」をも支配することを企図したものなのです。裁判所におかれてはぜひこの通達の本質的問題点を注視し、ご判断いただければと思います。
以上
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