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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

新基地建設を許さない1.30全国集会

2010年02月05日 | 平和憲法
 ▲ 新基地建設を許さない1.30全国集会

 1月30日(土)14時から日比谷野外音楽堂で「チェンジ!日米関係 普天間基地はいらない 辺野古・新基地建設を許さない1.30全国集会」が開催された(主催:1.30全国集会実行委員会 参加6000人)。
 1月の屋外集会なので寒気が心配されたが、幸い気温は13度と3月並で快晴、ちょうどステージが逆光になる時間でまぶしいほどだった。2700席の会場に6000人が集まったので立見やコンクリートの床に座る人が多数、そして色とりどりのノボリが乱立する色鮮やかな集会だった。沖縄からは100人が上京しステージに上がった。スピーチは1人5分の短いものだったが、6000人の参加者を前にいずれも気迫に満ちたものだった。

スピーチする福島みずほさん

 主催者あいさつのあと、2人の国会議員からスピーチがあった。議員では2人以外に重野安正議員、服部良一議員、山内徳信議員(いずれも社民党)が参加した。
 ●福島みずほ参議院議員(社民党党首、内閣府特命担当大臣)
 昨年12月末、三党合意で沖縄基地問題検討委員会を設置し7人の委員のなかに阿部知子議員と服部良一議員を送りこんだ。自民党は「迷走」というが反論したい。社民党ががんばりみんなが頑張ったから12月に辺野古の基地建設を強行できなかった。社民党はアメリカに使節団を送り、さまざまな人と会談してきた。日本政府がきちんと決断し方針を出せば、辺野古の沿岸部に海上基地を建設させないことは実現できると考える。
 今年は韓国併合100年、安保50年の節目の年だ。わたしはみなさんと歴史を変えたい。世論を変え、政治を変えよう。
 ●斉藤つよし衆議院議員(民主党)
 先週、名護を訪れた。稲嶺市長の勝利は全国に感動と勇気を与えた。基地はグァムに行ってもらえばよい。もとよりアメリカの基地なのだから、アメリカが判断して決めればよい。昨年8月政権が交代した。そのときに新政権がアメリカに「ノー」というメッセージを送ればよかった。しかしまだ間に合う。この運動を大きくし、この5月に鳩山政権に新基地をつくらないとアメリカ側に言わせればよい。
 昨日の鳩山総理の施政方針演説で、わたしも「命を守りたい」という言葉を聞いた。武器はいらない、そして全世界で基地はいらない。
 沖縄から3人の方がスピーチをした。安次さんは辺野古の方、伊佐さんは東村高江の方である。
 ●山城博治さん(沖縄平和運動センター事務局長)
 1月24日名護市長選挙で、6期24年続いた自民党市政を打倒した。普天間の即時返還、基地のたらい回しを許さない大きな炎が燃え上がった。全国の仲間とともに今年を、沖縄の歴史を清算し基地をなくす年にしていきたい。しかし平野官房長官は信じ難い発言を繰り返している。沖縄に水をかけるどころか、沖縄の闘いに背を向けるものだ。政府は沖縄の思いをしっかり受け止めてほしい。
 沖縄の米軍基地を即時撤去してわが国の戦後を終わらせよう。それは政府だけの責任ではない。ここに集まった市民の責務でもある。ともにしっかり闘おう。
 ●安次富浩さん(ヘリ基地反対協共同代表)
 名護市長選挙勝利を報告できることをうれしく思う。*辺野古現地の座り込みに全国から支援していただいたことがこの大きなうねりを作り上げた。鳩山首相は「名護市長選の結果を判断材料にする」と言ったのでわれわれはがんばった。それなのに平野官房長官のあの言い草は何か。「蹴っ飛ばしたい」といった人もいた。わたしは平和主義者だが、もしわたしがそばにいたら、鉄拳を加えただろう。そのくらい沖縄の人は怒っている
 もともと基地はアメリカの基地だ。基地はアメリカに持って帰れ、持って帰らないなら太平洋の藻屑に消えればよい。全国のどこにも持っていく必要はない。そういう闘いを全国津々浦々で作り上げよう。
 ●伊佐真次さん(「ヘリパットいらない」住民の会共同代表)
 ヤンバルには自然が残りヤンバルクイナなど貴重な動植物の宝庫となっている。そのジャングルで米海兵隊の若者が人殺しの訓練をしている。
 96年の日米合意で北部訓練場の過半が返還されることになったが、7つのヘリパッドを移設するという条件が付いていた。そうでなくても15ヵ所残るので到底受け入れられず地元は反対決議を挙げた。ところが沖縄防衛局は07年1月工事着工を発表したので、たった160人の高江地区の住民は座り込みを始めた
 防衛局は、08年那覇地裁に16人の住民への通行妨害禁止仮処分を申し立てた。前代未聞のことだ。09年12月地裁は12人は却下したが2人に通行妨害禁止の仮処分命令を下した。そして昨日29日に防衛局はこの2人に本裁判を提訴した。国策に合わない住民は、国が裁判にかけるということだ
 基地は、県内、県外、国外もだめ、グァム押しつけもだめ、戦争のための基地はどこにもいらない。
2人の方から連帯のアピールがあった。
 ●神田公司さん(合志市議会議員 自治体議員の共同声明)
 昨日1月29日「普天間飛行場の閉鎖・返還と海兵隊の米国への移転を求める自治体首長・議員の共同声明」を内閣、防衛庁、外務省、民主党・社民党など各政党に提出した。伊波洋一宜野湾市長ら15人が呼びかけ人になり、267人が賛同した声明だ。
 2006年日米政府は「再編実施のための日米ロードマップ」を合意し、海兵隊の沖縄からグアムへの移転を決定した。昨年11月海兵隊員8000人の移転が公表された。しかし3年間日本政府は詳細を明らかにせず、指令部のみの移転なので新基地が必要と説明してきた。海兵航空部隊が移転するなら代替施設は必要ない。なぜ隠し続けたのか、検証することを求めた。今後、5月の移設問題決着を目標に、第2弾、第3弾の共同声明を目指す。
 ●井原勝介さん(前岩国市長)
 国防政策は政府の専管事項といわれる。しかしそれは「国民にものをいうな」という専管事項ではない。国民の意思を踏まえず、協力のない国防政策にはなんの意味もない。まして一部の役所や政治家が勝手に決めて押しつけることなど断じて許されない。民意を踏まえた政策ができあがってこそ、その政策の基盤は強化され、交渉力は強化される。そこから外国との交渉が始まる。そういう政策であれば外国も理解するし尊重せざるをえない。
 最後に「普天間基地返還、辺野古・新基地建設反対、沖縄をはじめとする全国の米軍基地の縮小・撤去に向け大きな闘いを目指そう」という集会決議を採択し、「沖縄を返せ」を合唱した。歌詞の一部を「我らは叫ぶ普天間と辺野古の基地は許さない 沖縄へ返せ平和を すべての軍事基地返せ」と替え歌にしたものだった。
 デモにも多数が参加し9つに分かれて出発したが、きっとスタートに30分くらいかかったのではないかと思う。
 「普天間基地はいらないぞ」「新基地建設を許さないぞ」「沖縄から米軍基地をなくそう」「政府は日米安保を見直せ」「日本に米軍基地はいらない」「米軍への戦争協力をやめよう」というシュプレヒコールを銀座や東京駅の歩道を行きかう人に訴えかけた。
 銀座5丁目(ソニービル)あたりまで歩行者はあまり多くなかったが、交差点を渡ると急に増えた。
☆わたくしは安全保障問題については詳しくない。しかし日本の国土のたった0.6%の沖縄県に全国の米軍専用施設面積の約75%が集中している異常な状態、65年間沖縄の人が苦しんできたことはわかる。昨年の政権交代で、普天間返還・新基地建設問題は現在、世論の綱引き状態にあるのでこの集会に参加した。なお増田都子さんの足立十六中学事件は、そもそも97年の米軍普天間基地問題の授業から起こった。もう13年も前のことだが、ちょうど普天間基地返還が合意された直後のことだった。
『多面体F』より(2010年02月02日 集会報告)
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/877f94bb3c457921573267c83cc2ab06

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