<転送歓迎>(重複ご容赦)
・「都教委包囲首都圏ネットワーク」・「千葉高教組」・「新芽ML」の渡部です。
本日(3月25日)、東京高裁(加藤裁判長)で<河原井さん・根津さんの06年停職処分>の判決があり、全面棄却でした。
3月10日、「君が代」一次訴訟で東京高裁(大橋裁判長)で勝訴して2週間後、しかも同じ争点であり、加藤裁判長も「歴史的な判決を出す」などと述べていましたので、全面棄却の判決が出るとは多くの人が予想していませんでした。
判決理由は、これまでにもましてひどい内容でした。
この判決は段階を画した反動判決と思われますので、以下少し長くなりますが、判決文から引用します。
<争点1>の思想・良心の自由について
思うに、内心に反する外部的行為の強制が思想及び良心の自由の侵害となることがあり得るとしても、思想及び良心に反することを理由に外部的行為を強制されない自由が一般的に認められるとするならば、適法に課された義務までが一切否定されることになりかねず、社会の秩序を維持することは困難となり、ひいては社会が成り立たなくなる蓋然性がある。
したがって、思想及び良心に反することを理由に外部的行為を強制されない自由があるとしても、それは外部的行為の強制がその者の思想及び良心の核心的部分を侵害する結果となる場合に限られるものと解される。
戦前のわが国の教育が、国家による強い支配の下で形式的、画一的に流れ、時に軍国主義的又は極端な国家主義的傾向を帯び、この中で日の丸・君が代が利用された面があったことは過去の歴史的事実ではある。
しかし、戦後半世紀にわたり、憲法の精神に従った民主的で文化的な国家建設が行われ、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するところの普遍的かつ個性豊かな文化の創造をめざす教育が実践されて来ており、現代において、皇国思想や軍国主義的又は極端な国家主義的傾向又はそのような価値観を一方的に押しつける教育は少なくとも公立学校の教育現場には存在しないと解される。
そうすると、外部的行為である「国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること」の目的が上記のようなものであり、かつ一定の普遍性のある儀礼的なものである以上、これが命じられたとしても控訴人らの思想及び良心の上記核心的部分と直接抵触し、これらを否定することにはなり得ない。
すなわち、本件においては、控訴人らの思想及び良心の核心的部分の保持と外部的行為として命じられた行為の拒否とが客観的に密接不可分に結びつくものと評価することはできないのである。
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<争点2>不当な支配・教育の自由に関して
そこで判断するに、現行教育法制上、教育公務員に一般公務員と異なり、特別な法的地位が付与されているとの根拠はない。・・・また、学問の自由を保障した憲法23条及び教育を受ける権利を保障した同法26条は、児童、生徒が適切な教育を受ける権利を保障しているもので児童、生徒に教育する立場にある教師の普通教育の場における個人的人権としての教育の自由を保障したものとは解されない。
そこで判断するに、普通教育において指導すべき国旗・国歌に関する基礎的な知識を指導することが必要であること、また、卒業式、入学式などの学校行事を学習指導要領に即して適正に実施する必要があることは前示のとおりであろところ、国歌斉唱の指導を行うべき教員の中に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する教員とそれらを拒否する教員とがいた場合、その指導を受ける児童、生徒としては、国歌斉唱の際に国旗に向かって起立してもいいし、しなくてもよい、国歌を斉唱しなくてもいいし、しなくてもよいと受け取ってしまうこととなり、児童、生徒が国旗・国歌について正しい認識を持ち、国旗・国歌を尊重する態度を学ぶことができなくなる結果を招く。
このことは児童、生徒が基礎的知識に属する事項を学ぶ上ではマイナスというほかないから、その意味では児童、生徒の*学習権又は教育を受ける権利の侵害に当たると評価せざるを得ないものである。
さらに、同時に式に参列する来賓や保護者に不信感を抱かせるとともに、これらの者の中には卒業式や周年行事などの式典において、日の丸を掲揚し、国歌を斉唱することが当然と考える人々も多数おり、それらの人々に対しては、嫌悪感や不快感を生じさせることともなる。
このことからすると、本件職務命令である国旗に向かって起立すること、国歌を斉唱することに違反した場合は、児童、生徒の学習権又は教育を受ける権利を侵害する職務命令違反であると同時に信用失墜行為を評価せざるを得ないものである。
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<争点3>裁量権の逸脱・濫用について
控訴人らが行った不起立行為は、公教育を担う教育公務員が、教育課程の一つである特別活動としての卒業式や周年行事の場において、学習指導要領に沿って教育課程を適正に実施するため、また児童、生徒に国旗、国歌に関する基礎的知識を指導すべく児童、生徒の学習権を保障するために発せられた校長の職務命令に違反し、児童、生徒、保護者、来賓その他の学校関係者に違和感ないし嫌悪感を生じさせる職務命令違反行為であると同時に信用失墜行為といわざるを得ないものであるから、重大な非違行為であると評価されてもやむを得ないと解される。
また、根津さんの3ヶ月加重停職処分に関して次のような記述がある。
以上のとおり、控訴人根津が、本件処分までに、卒業式における不起立という本件処分の事案と同種の非違行為について、既に、減給(10分の1)6月、停職1月の処分を受けていること、また国旗掲揚及び国歌斉唱に抗議する積極的な行動を続け、これより減給(10分の1)1月から3月の懲戒処分を3回受けており、その他文書による訓告も受けていることなどの考慮すべき事情を総合して判断すれば、停職が重大な不利益処分であることから最大限慎重な配慮を加えても、また控訴人根津が*真摯な動機の下にかかる行動に出ていることを考慮しても、なお同人について処分を加重し、停職3月としたことが、社会通念上著しく妥当性を欠き、裁量権を濫用、逸脱したものと評価することはできないというほかない。
河原井さんの1ヶ月加重停職処分についても同様です。
そして最後に、次のような訳の分からないようなことが述べてあります。
なお、以上の判断は、本件各処分が極めて適切かつ合理的であるとの評価を含意するものではない。司法判断としては、上記ウで説示した判断枠組みに依拠して、本件処分を審査し、いずれも処分権者に許容される裁量の範囲の上限というべきであるが、なお裁量権の濫用、逸脱があるとはいえないという評価をしたものであることを付言する。
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以上のようにここには多くの問題点があります。
以下とくに問題と思われる部分を抜粋しておきます。
<思想及び良心に反することを理由に外部的行為を強制されない自由があるとしても、それは外部的行為の強制がその者の思想及び良心の核心的部分を侵害する結果となる場合に限られるものと解される>
<現代において、皇国思想や軍国主義的又は極端な国家主義的傾向又はそのような価値観を一方的に押しつける教育は少なくとも公立学校の教育現場には存在しないと解される>
<外部的行為である「国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること」の目的が上記のようなものであり、かつ一定の普遍性のある儀礼的なものである>
<現行教育法制上、教育公務員に一般公務員と異なり、特別な法的地位が付与されているとの根拠はない>
<学問の自由を保障した憲法23条及び教育を受ける権利を保障した同法26条は、児童、生徒が適切な教育を受ける権利を保障しているもので児童、生徒に教育する立場にある教師の普通教育の場における個人的人権としての教育の自由を保障したものとは解されない>
<卒業式、入学式などの学校行事を学習指導要領に即して適正に実施する必要がある>
<児童、生徒の学習権又は教育を受ける権利の侵害に当たると評価せざるを得ないものである>
<本件職務命令である国旗に向かって起立すること、国歌を斉唱することに違反した場合は、児童、生徒の学習権又は教育を受ける権利を侵害する職務命令違反であると同時に信用失墜行為を評価せざるを得ないものであるから、重大な非違行為であると評価されてもやむを得ないと解される>
裁判所は、もはや「憲法の番人」ではなく、「政府・文科省・都教委の番人」に成り下がっています。
しかし、人々の「民主主義」「民主教育」を闘いは続いています。
今年度、根津さんは卒業式に参加できず不起立できませんでしたが、それでも不起立者は出ており、しかも新しい不起立者も複数出ているのです!!。
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本日(3月25日)、東京高裁(加藤裁判長)で<河原井さん・根津さんの06年停職処分>の判決があり、全面棄却でした。
3月10日、「君が代」一次訴訟で東京高裁(大橋裁判長)で勝訴して2週間後、しかも同じ争点であり、加藤裁判長も「歴史的な判決を出す」などと述べていましたので、全面棄却の判決が出るとは多くの人が予想していませんでした。
判決理由は、これまでにもましてひどい内容でした。
この判決は段階を画した反動判決と思われますので、以下少し長くなりますが、判決文から引用します。
<争点1>の思想・良心の自由について
思うに、内心に反する外部的行為の強制が思想及び良心の自由の侵害となることがあり得るとしても、思想及び良心に反することを理由に外部的行為を強制されない自由が一般的に認められるとするならば、適法に課された義務までが一切否定されることになりかねず、社会の秩序を維持することは困難となり、ひいては社会が成り立たなくなる蓋然性がある。
したがって、思想及び良心に反することを理由に外部的行為を強制されない自由があるとしても、それは外部的行為の強制がその者の思想及び良心の核心的部分を侵害する結果となる場合に限られるものと解される。
戦前のわが国の教育が、国家による強い支配の下で形式的、画一的に流れ、時に軍国主義的又は極端な国家主義的傾向を帯び、この中で日の丸・君が代が利用された面があったことは過去の歴史的事実ではある。
しかし、戦後半世紀にわたり、憲法の精神に従った民主的で文化的な国家建設が行われ、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するところの普遍的かつ個性豊かな文化の創造をめざす教育が実践されて来ており、現代において、皇国思想や軍国主義的又は極端な国家主義的傾向又はそのような価値観を一方的に押しつける教育は少なくとも公立学校の教育現場には存在しないと解される。
そうすると、外部的行為である「国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること」の目的が上記のようなものであり、かつ一定の普遍性のある儀礼的なものである以上、これが命じられたとしても控訴人らの思想及び良心の上記核心的部分と直接抵触し、これらを否定することにはなり得ない。
すなわち、本件においては、控訴人らの思想及び良心の核心的部分の保持と外部的行為として命じられた行為の拒否とが客観的に密接不可分に結びつくものと評価することはできないのである。
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<争点2>不当な支配・教育の自由に関して
そこで判断するに、現行教育法制上、教育公務員に一般公務員と異なり、特別な法的地位が付与されているとの根拠はない。・・・また、学問の自由を保障した憲法23条及び教育を受ける権利を保障した同法26条は、児童、生徒が適切な教育を受ける権利を保障しているもので児童、生徒に教育する立場にある教師の普通教育の場における個人的人権としての教育の自由を保障したものとは解されない。
そこで判断するに、普通教育において指導すべき国旗・国歌に関する基礎的な知識を指導することが必要であること、また、卒業式、入学式などの学校行事を学習指導要領に即して適正に実施する必要があることは前示のとおりであろところ、国歌斉唱の指導を行うべき教員の中に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する教員とそれらを拒否する教員とがいた場合、その指導を受ける児童、生徒としては、国歌斉唱の際に国旗に向かって起立してもいいし、しなくてもよい、国歌を斉唱しなくてもいいし、しなくてもよいと受け取ってしまうこととなり、児童、生徒が国旗・国歌について正しい認識を持ち、国旗・国歌を尊重する態度を学ぶことができなくなる結果を招く。
このことは児童、生徒が基礎的知識に属する事項を学ぶ上ではマイナスというほかないから、その意味では児童、生徒の*学習権又は教育を受ける権利の侵害に当たると評価せざるを得ないものである。
さらに、同時に式に参列する来賓や保護者に不信感を抱かせるとともに、これらの者の中には卒業式や周年行事などの式典において、日の丸を掲揚し、国歌を斉唱することが当然と考える人々も多数おり、それらの人々に対しては、嫌悪感や不快感を生じさせることともなる。
このことからすると、本件職務命令である国旗に向かって起立すること、国歌を斉唱することに違反した場合は、児童、生徒の学習権又は教育を受ける権利を侵害する職務命令違反であると同時に信用失墜行為を評価せざるを得ないものである。
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<争点3>裁量権の逸脱・濫用について
控訴人らが行った不起立行為は、公教育を担う教育公務員が、教育課程の一つである特別活動としての卒業式や周年行事の場において、学習指導要領に沿って教育課程を適正に実施するため、また児童、生徒に国旗、国歌に関する基礎的知識を指導すべく児童、生徒の学習権を保障するために発せられた校長の職務命令に違反し、児童、生徒、保護者、来賓その他の学校関係者に違和感ないし嫌悪感を生じさせる職務命令違反行為であると同時に信用失墜行為といわざるを得ないものであるから、重大な非違行為であると評価されてもやむを得ないと解される。
また、根津さんの3ヶ月加重停職処分に関して次のような記述がある。
以上のとおり、控訴人根津が、本件処分までに、卒業式における不起立という本件処分の事案と同種の非違行為について、既に、減給(10分の1)6月、停職1月の処分を受けていること、また国旗掲揚及び国歌斉唱に抗議する積極的な行動を続け、これより減給(10分の1)1月から3月の懲戒処分を3回受けており、その他文書による訓告も受けていることなどの考慮すべき事情を総合して判断すれば、停職が重大な不利益処分であることから最大限慎重な配慮を加えても、また控訴人根津が*真摯な動機の下にかかる行動に出ていることを考慮しても、なお同人について処分を加重し、停職3月としたことが、社会通念上著しく妥当性を欠き、裁量権を濫用、逸脱したものと評価することはできないというほかない。
河原井さんの1ヶ月加重停職処分についても同様です。
そして最後に、次のような訳の分からないようなことが述べてあります。
なお、以上の判断は、本件各処分が極めて適切かつ合理的であるとの評価を含意するものではない。司法判断としては、上記ウで説示した判断枠組みに依拠して、本件処分を審査し、いずれも処分権者に許容される裁量の範囲の上限というべきであるが、なお裁量権の濫用、逸脱があるとはいえないという評価をしたものであることを付言する。
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以上のようにここには多くの問題点があります。
以下とくに問題と思われる部分を抜粋しておきます。
<思想及び良心に反することを理由に外部的行為を強制されない自由があるとしても、それは外部的行為の強制がその者の思想及び良心の核心的部分を侵害する結果となる場合に限られるものと解される>
<現代において、皇国思想や軍国主義的又は極端な国家主義的傾向又はそのような価値観を一方的に押しつける教育は少なくとも公立学校の教育現場には存在しないと解される>
<外部的行為である「国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること」の目的が上記のようなものであり、かつ一定の普遍性のある儀礼的なものである>
<現行教育法制上、教育公務員に一般公務員と異なり、特別な法的地位が付与されているとの根拠はない>
<学問の自由を保障した憲法23条及び教育を受ける権利を保障した同法26条は、児童、生徒が適切な教育を受ける権利を保障しているもので児童、生徒に教育する立場にある教師の普通教育の場における個人的人権としての教育の自由を保障したものとは解されない>
<卒業式、入学式などの学校行事を学習指導要領に即して適正に実施する必要がある>
<児童、生徒の学習権又は教育を受ける権利の侵害に当たると評価せざるを得ないものである>
<本件職務命令である国旗に向かって起立すること、国歌を斉唱することに違反した場合は、児童、生徒の学習権又は教育を受ける権利を侵害する職務命令違反であると同時に信用失墜行為を評価せざるを得ないものであるから、重大な非違行為であると評価されてもやむを得ないと解される>
裁判所は、もはや「憲法の番人」ではなく、「政府・文科省・都教委の番人」に成り下がっています。
しかし、人々の「民主主義」「民主教育」を闘いは続いています。
今年度、根津さんは卒業式に参加できず不起立できませんでしたが、それでも不起立者は出ており、しかも新しい不起立者も複数出ているのです!!。
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