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【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
==================
東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
==================
対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
======================
本日(3月14日(月))、東京は一日中雨降りでした。
本日は都立高校の卒業式は行われませんでした。
ただ、▲ 「河原井さん・根津さんらの『君が代』解雇をさせない会」による石神井特別支援学校(田中聡史さん勤務)へのビラまきが行われました。
(参加者9人)
ビラのテーマは、<卒業・入学式での「君が代」起立強制は、教育と言えるでしょうか>というものでした。
というのも、石神井特別支援学校の卒業式が3月24日にあるので、主に教職員向けにまいたというわけです。
それに対しては、特に管理職が出てくるわけでもなく、教職員もリラックスした対応で受け取ってくれる方が比較的多かったように思います。
ところが、その後、
「10・23通達を撤回し、『君が代』起立の職務命令を発出しないことを求める要請書」
を持って校長に面会を求め、事務室のところに行くと、校長は出てきません。
代わりに副校長が出てきて、「外部の者は入れません」などと言って、彼自身門外に出て、私たちも門外に出されました。
そこで彼は、非常に不誠実な対応をした挙句、「警察を呼ぶ」などと言う始末でした。
「要請書」はすでに送ってあったので、私たちは本日はそれ以上追求せず帰りました。
その後、昼からは7人で同じ「要請書」を持って都教委への要請行動に行きました。
出てきたのは教育情報課の職員2人でした。
「要請書」には、結論として、
①都教委はただちに10・23通達を撤回すること。
②T校長は、卒業式での「君が代」起立を求める口頭での職務命令を撤回し、以降、文書による職務命令を出さないこと。
③来たる3月24日の石神井特別支援学校の卒業式において「君が代」起立をしない教職員を処分しないこと。
が書いてありました。
そうして、参加者から、
・最高裁判決に照らし田中さんへの減給処分は違反していること、
・本日朝の副校長の不誠実な対応をしたことと都教委の指導について、
・国際的に見た日本の「君が代」強制の異常さについて、
などの意見が出されました。
その中で、最後のことについては、
「ひのきみ全国ネット」<首都圏>がこの1月30日に発行したパンフレット
『共和か死か!~世界国歌の旅』(2015)(アレックス・マーシャル著)
の日本部分を訳したものを紹介しました(原文付き)。
すると、その本を都教委では見たことがなかったようなので、そのパンフを2人に渡し、簡単に内容を紹介しました。
そして、
「是非、都教委の皆さんもこの本を読んで頂いて、自分たちがやっていることが、いかに国際的に見て異常なことなのかを知って頂きたい。」
と付け加えました。
パンフの紹介のなかでは、次のような部分を読み上げました。
以下の文中、「 」は読んだ部分、( )は私の補足説明部分です。
「すべての国歌はいくつかの点で論争をかきたてているようだ。」
(アメリカ、カナダ、バングラディッシュ、ウクライナ、イスラエル、インドなどの例が紹介されている)
「しかし、このような論争がいかに熱を帯びても『君が代』をめぐるほどのものはない。
それは日本の学校において70年以上も対立となっている。
教員たちはそのために仕事を失った。
彼らはそのために死の脅迫を受けてきた。
保護者たちはそのために戸惑い、彼らの子どもたちの将来に対して心配してきた。」
「日本政府は、第二次大戦後で敗れた他の国々と違って、国歌を変えようとは決して考えなかった。」
(ドイツ、イタリアの具体例が紹介されている)
「しかし、日本は『君が代』を持ち続けた。
アメリカが戦後7年間もその国を占領したにも拘わらず、強いて変えさせようとはしなかった。
統治者マッカーサー将軍は、天皇ヒロヒトの個人崇拝を彼らが改革を推し進めるために必要だと信じていた。
それで、ヒロヒロが彼の神格を放棄した後、アメリカは戦争に於ける彼の役割を軽く扱い、彼を彼の歌を従えてドサ回りさせた。」
(中略) (ここでは1989年の指導要領までは処分などはなく、
それ以降もばかげた校長の振る舞い(一人で歌うなど)
があったことなどを紹介している)
(その後、2003年東京で「10・23通達」が出され大量処分が出る)
「これらの最中、天皇アキヒトでさえ一言述べた。
彼は園遊会で東京都教育委員会の一人のメンバーと偶然出会い、何をしているか尋ねた。
『私の仕事はすべての学校で国歌を歌わせることです』と彼は自慢げに話した。
『誰も強いられないことが望ましい』と天皇は言い返した。
誰も聞いていないようだった。」
(この後、著者が大阪における「君が代」強制と処分の問題についても取材し、国歌条例に反対している2人の教員にも話を聞いていることを紹介し)
「彼らの物語を聞いたので、私はこれらの教員たちが起立しないことは正しいことだと確信した。
もし彼らが国歌は本当に軍国主義や家族の悲劇と結びついていたと信じていたなら、彼らはどうすることができよう。
そしてどうして誰かが彼らに強いることができるだろうか。」
(その後、著者は、横浜にある「国歌君が代発祥の地」の碑がある
妙香寺を訪ね、「君が代」が好きだという職員(かつてイギリスにも
住んでいたことがある)の言葉を紹介している。)
「『彼らはきっと不起立する彼らなりの理由があるのだろう。
彼らは自分とは違う。
私はあなたとも違うし他の日本人とも違う。
誰もそのことについて何かをすることはできない。それがまさに世界のやり方だ。』」
(そして結論とも言える部分)
「日本の国歌法は――また他の国のそれらもまたーー国歌の重要さについて、あるいはその滑稽さについて語っているのだろうか。
どちらにしても、政治家(主として右の)がそれらを彼ら自身の目的のために巧みに操り利用するという事は、国歌らが多数の人々に本当に楽しまれ尊敬されることは決してあり得ないということであろう(それは、私がフランスやアメリカで会った大変多くの人々が、何故それらにうんざりしたように見えたかを確かに説明するだろう)。
「君が代」は政治に屈従させられた美しい歌である。」
(アレックスが取材を終えて数週間後、
通訳をしてくれた方から彼にメールが届く)
「彼女は私に元東京都知事の石原慎太郎とのインタビューの雑誌のコピーを送ってくれた。
――この男は、根津公子の人生を大変厳しいものにした2003年の都の国歌の厳重な取締りの責任者であった。
その中で彼は日本の皇室について質問されている。
それに対して短い三つの文で答えている。
それは日本で起きたバカバカしいことの全てを物語っている。
彼は言っている。
『私は[皇室]にはあまり興味をもっていない。
私は国歌を歌わない。
そして、歌わなければならない時には、歌詞を替え[天皇へ]というよりはむしろ[わが日本]へと歌う。
私がそのように歌うとみんなは私の方を見る。」
(訳注に、『文学界』(文芸春秋、2014年3月号のその部分を紹介しておきました)
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2人はパンフをめくりながら真剣に聞いていたようです。
そして、教育委員会に報告するということでした。
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「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス
http://houinet.blogspot.jp/
「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
http://homepage3.nifty.com/hinokimi/
「ひのきみ全国ネット」のウェブサイト
http://hinokimi.web.fc2.com/
【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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本日(3月14日(月))、東京は一日中雨降りでした。
本日は都立高校の卒業式は行われませんでした。
ただ、▲ 「河原井さん・根津さんらの『君が代』解雇をさせない会」による石神井特別支援学校(田中聡史さん勤務)へのビラまきが行われました。
(参加者9人)
ビラのテーマは、<卒業・入学式での「君が代」起立強制は、教育と言えるでしょうか>というものでした。
というのも、石神井特別支援学校の卒業式が3月24日にあるので、主に教職員向けにまいたというわけです。
それに対しては、特に管理職が出てくるわけでもなく、教職員もリラックスした対応で受け取ってくれる方が比較的多かったように思います。
ところが、その後、
「10・23通達を撤回し、『君が代』起立の職務命令を発出しないことを求める要請書」
を持って校長に面会を求め、事務室のところに行くと、校長は出てきません。
代わりに副校長が出てきて、「外部の者は入れません」などと言って、彼自身門外に出て、私たちも門外に出されました。
そこで彼は、非常に不誠実な対応をした挙句、「警察を呼ぶ」などと言う始末でした。
「要請書」はすでに送ってあったので、私たちは本日はそれ以上追求せず帰りました。
その後、昼からは7人で同じ「要請書」を持って都教委への要請行動に行きました。
出てきたのは教育情報課の職員2人でした。
「要請書」には、結論として、
①都教委はただちに10・23通達を撤回すること。
②T校長は、卒業式での「君が代」起立を求める口頭での職務命令を撤回し、以降、文書による職務命令を出さないこと。
③来たる3月24日の石神井特別支援学校の卒業式において「君が代」起立をしない教職員を処分しないこと。
が書いてありました。
そうして、参加者から、
・最高裁判決に照らし田中さんへの減給処分は違反していること、
・本日朝の副校長の不誠実な対応をしたことと都教委の指導について、
・国際的に見た日本の「君が代」強制の異常さについて、
などの意見が出されました。
その中で、最後のことについては、
「ひのきみ全国ネット」<首都圏>がこの1月30日に発行したパンフレット
『共和か死か!~世界国歌の旅』(2015)(アレックス・マーシャル著)
の日本部分を訳したものを紹介しました(原文付き)。
すると、その本を都教委では見たことがなかったようなので、そのパンフを2人に渡し、簡単に内容を紹介しました。
そして、
「是非、都教委の皆さんもこの本を読んで頂いて、自分たちがやっていることが、いかに国際的に見て異常なことなのかを知って頂きたい。」
と付け加えました。
パンフの紹介のなかでは、次のような部分を読み上げました。
以下の文中、「 」は読んだ部分、( )は私の補足説明部分です。
「すべての国歌はいくつかの点で論争をかきたてているようだ。」
(アメリカ、カナダ、バングラディッシュ、ウクライナ、イスラエル、インドなどの例が紹介されている)
「しかし、このような論争がいかに熱を帯びても『君が代』をめぐるほどのものはない。
それは日本の学校において70年以上も対立となっている。
教員たちはそのために仕事を失った。
彼らはそのために死の脅迫を受けてきた。
保護者たちはそのために戸惑い、彼らの子どもたちの将来に対して心配してきた。」
「日本政府は、第二次大戦後で敗れた他の国々と違って、国歌を変えようとは決して考えなかった。」
(ドイツ、イタリアの具体例が紹介されている)
「しかし、日本は『君が代』を持ち続けた。
アメリカが戦後7年間もその国を占領したにも拘わらず、強いて変えさせようとはしなかった。
統治者マッカーサー将軍は、天皇ヒロヒトの個人崇拝を彼らが改革を推し進めるために必要だと信じていた。
それで、ヒロヒロが彼の神格を放棄した後、アメリカは戦争に於ける彼の役割を軽く扱い、彼を彼の歌を従えてドサ回りさせた。」
(中略) (ここでは1989年の指導要領までは処分などはなく、
それ以降もばかげた校長の振る舞い(一人で歌うなど)
があったことなどを紹介している)
(その後、2003年東京で「10・23通達」が出され大量処分が出る)
「これらの最中、天皇アキヒトでさえ一言述べた。
彼は園遊会で東京都教育委員会の一人のメンバーと偶然出会い、何をしているか尋ねた。
『私の仕事はすべての学校で国歌を歌わせることです』と彼は自慢げに話した。
『誰も強いられないことが望ましい』と天皇は言い返した。
誰も聞いていないようだった。」
(この後、著者が大阪における「君が代」強制と処分の問題についても取材し、国歌条例に反対している2人の教員にも話を聞いていることを紹介し)
「彼らの物語を聞いたので、私はこれらの教員たちが起立しないことは正しいことだと確信した。
もし彼らが国歌は本当に軍国主義や家族の悲劇と結びついていたと信じていたなら、彼らはどうすることができよう。
そしてどうして誰かが彼らに強いることができるだろうか。」
(その後、著者は、横浜にある「国歌君が代発祥の地」の碑がある
妙香寺を訪ね、「君が代」が好きだという職員(かつてイギリスにも
住んでいたことがある)の言葉を紹介している。)
「『彼らはきっと不起立する彼らなりの理由があるのだろう。
彼らは自分とは違う。
私はあなたとも違うし他の日本人とも違う。
誰もそのことについて何かをすることはできない。それがまさに世界のやり方だ。』」
(そして結論とも言える部分)
「日本の国歌法は――また他の国のそれらもまたーー国歌の重要さについて、あるいはその滑稽さについて語っているのだろうか。
どちらにしても、政治家(主として右の)がそれらを彼ら自身の目的のために巧みに操り利用するという事は、国歌らが多数の人々に本当に楽しまれ尊敬されることは決してあり得ないということであろう(それは、私がフランスやアメリカで会った大変多くの人々が、何故それらにうんざりしたように見えたかを確かに説明するだろう)。
「君が代」は政治に屈従させられた美しい歌である。」
(アレックスが取材を終えて数週間後、
通訳をしてくれた方から彼にメールが届く)
「彼女は私に元東京都知事の石原慎太郎とのインタビューの雑誌のコピーを送ってくれた。
――この男は、根津公子の人生を大変厳しいものにした2003年の都の国歌の厳重な取締りの責任者であった。
その中で彼は日本の皇室について質問されている。
それに対して短い三つの文で答えている。
それは日本で起きたバカバカしいことの全てを物語っている。
彼は言っている。
『私は[皇室]にはあまり興味をもっていない。
私は国歌を歌わない。
そして、歌わなければならない時には、歌詞を替え[天皇へ]というよりはむしろ[わが日本]へと歌う。
私がそのように歌うとみんなは私の方を見る。」
(訳注に、『文学界』(文芸春秋、2014年3月号のその部分を紹介しておきました)
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2人はパンフをめくりながら真剣に聞いていたようです。
そして、教育委員会に報告するということでした。
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