◆ わたしの「れいわ・山本」参議院選ボランティア (多面体F)
3年に1度の参議院選が終わった。アベがいつ衆議院を解散し同日選挙に突入するか、国会延長をいつ発表するかということにばかり気がとられ、結局7月4日告示、21日投票の当初予定どおりのスケジュールで進行したので、いつのまにか始まりなんとなく終わった選挙という感が強い。ニュースとしては、自公・維新の改憲勢力2/3議席獲得をなんとか阻止できたことと、れいわ、N国の新党がなぜか比例で議席を獲得できたことだろう。また消滅するかと思った社民が、N国と同議席ではあるが1議席確保できた意義も大きい。
わたくしは、今回は山本太郎候補のボランティア活動を行った。党名の「れいわ」も「維新」も好きではないのだが、新聞などでみると山本太郎議員は、いかにも「野党議員」らしい「議員」として与党への発言および批判活動を日常的にしていたからだ。
はじめて事務所に行ったのは、開所1週間にならない6月5日(水)夕方。偶然新宿方向から四谷方向に向かっていたとき看板を見かけたからだった。
少しだけチラシ折りを手伝い、斜め前で作業している男性と過去の選挙の話をしていると、共通の知人のことで話が弾んだ。住所・アドレスなどを用紙に記入したのでボランティア登録を済ませたつもりでいた。
ところがその後いっこうにメールが届かず、業を煮やし次に訪問したのは6月29日(土)、自由にチラシを撒けるリミットまで4日という押し迫った日だった。
チラシ800枚を受取り、近所でポスティングする。2日ほどで撒き終え、7月1日追加を取りに行く。
自力で配布できそうな300を追加で受け取る。配布を完了し合計1100になり、1000の大台を超えたことでほっとする。これまでの体験で累計1000を超えないとポスティングしたという実感がわかないからだ。
4日の告示日の午後ならポスター貼りをできると申し出たが、「ポスター貼りについてはまだ、なにも言われていない。しかし3年前の三宅参議院選のことを考えると、早朝から事務所前に人が並ぶので人数は間に合っている」といわれた。
7/4(木)告示日なので何かやることがあるだろうと、午後事務所を訪問。本来はポスター掲示をしているはずなのに、驚いたことにポスターの納品が6日(土)午後とのこと。たしかに小出しに比例候補を発表し、結局東京選挙区には山本候補は立候補せず、沖縄の野原候補が立ち、比例の特定枠を2つ使い、山本候補は3位以下ということになったのはギリギリで、選対事務所の特定の人しか知らされていなかったのかもしれない。
この日は、公営掲示板のリストと地図のコピー切抜と投票区ごとの封筒集約のボランティア作業を手伝った。2台のコピー機が混みあったり、リストや地図の置き場所、さらにセロテープ、ハサミ、ホッチキスなど事務用品の置き場所がよくわからず混乱が甚だしい。統括責任者がだれなのか明確でないせいではないかと思った。その場で、自分の家の近くなら掲示可能と申し出て、登録した。
7/6(土)午後、電話で「そろそろポスターは届いたか」確認してから事務所に出向きポスター2地区分を受け取る。
自民、共産、公明、立明、国民など主要政党のポスターはもちろん掲示ずみ、野末陳平、維新・音喜多、幸福・七海も掲示ずみだ。
れいわ・野原は16番で公明・山口の左斜め下だが、あざとくも山口は党名を表示しない。野原は「沖縄創価学会壮年部」と大きく表示しているので、公明支持の有権者が勘違いしてこちらに入れてくれないかとひそかに期待した。
なおオリーブの木・みぞぐち、N国・大橋など、野原より遅く掲示していた政党もあった。驚いたのは「安楽死制度を考える会」で、なんと2枚貼ってある公営掲示板をいくつか見かけた。ポスターは選挙区だけなので、同じ選挙区に複数立候補させてでも党名をアピールしたいということなのだろう。
ところが現地で貼り始めるとポスターの数が5枚足りないことが発覚、仕方ないので事務所に取りに再訪問。往復時間をロスしたのでやっと貼り終えたのは予定時刻を3時間もすぎた夜になった。翌朝早朝から大きなイベントを控えていたのに、おかげですっかり予定が狂ってしまい、怒り心頭に発した。
7/12(金)午後、仕事は電話入れだったが、投票予測のための電話入れや電話による普通の投票依頼ではない。3年前の三宅参議院選挙のときにお世話になった方、いわば身内の方に、公選ハガキの宛名書きを依頼することが目的である。
電話番号も8割が個人の携帯番号だった。普通の選挙の電話は、かけられる方にすれば迷惑電話そのものだし、チラシもほとんどの人には迷惑チラシだ。
ところがこの事務所の場合、「よろこんで」と公選ハガキ書きを引き受けてくれる人が続出した。しかもわたくしが電話をかけた地区は、東京・大阪など大都市ではなく広島、大分、宮崎などの地方のそれも県庁所在地以外の市だったので余計に驚き、かつ感激した。
自分でも公選ハガキを15枚書いて事務所に渡したが、3人からメールやハガキで返信があった。これもびっくりする体験だった。
7/18(木)15時に出先から四谷の事務所へ。2階も1階もボランティアがあふれていた、はじめて6階へ上がる。16時に新聞折込チラシの集配トラックが来るというので、チラシを詰めるダンボール組立てを10箱ほど行う。15分くらいで終わったが席がないので仕方なく帰ろうかと1階に下りると、帰った人がいるというので、ふたたび6階へ。
街宣で手配布のチラシへの証紙貼り。1シート200枚だったが、500枚貼り終えた。選挙ボランティアたち独特の井戸端会議での情報交換となる。近くに座っていた人が毎週金曜の官邸前行動でよくみかける人であることに途中で気がつき、話が弾んだ。
7/19(金)、投票日まであと2日、どうせ事務所に行っても満席だろうと、16時すぎに「れいわ祭り2」の会場、新橋SL広場に直行した。
なぜか浴衣姿の人が盆踊りをやっていた。周辺の道路でチラシ撒きをしていると野原候補の車が到着。しかし、もう一度発車し周辺で宣伝行動を行っていた。
寄付ブースに人があふれ、途切れることがない。これには驚いた。こんなことなら6年前の「緑の党」街宣でもやればよかった。
チラシも、こんな都心の盛り場なのに、まあまあの受取だった。
山本、野原以外の比例候補のチラシをほしいといってきた人もいる。スタッフに聞いても、相変わらず何が後から届くのかわからないとの返事だった。野原や山本のチラシですら、一時品切れになり、あとで「どこかから出てきた」という返事だった。
7/20(土)フィナーレの日は18時過ぎに新宿西口に行ってみた。超満員、小田急ハルクの2階通路にも人があふれていた。
テレビクルー(フジテレビの表示あり)の脇で壁に張り付いてチラシやうちわ配りのボランティアをした。あまりにボランティアの数が多いこともあり、通行人の3人に1人は受取済み。また混雑で蒸し暑さがすごく、うちわが目当てで「1本ください」という人が何人もいた。
ビラ配りが本業なので、演説内容まではあまり聞けなかったが、山本、野原氏の各氏の演説がだんだんうまくなっていた。
木村英子さんの冷静なスピーチと対照的に、友人でやはり障害者・井上さんの「施設や養護学校は嫌いで、国立(くにたち)の地域で自立生活をしている」という応援スピーチは元気にあふれ感動的だった。
また前川喜平さんの「2015年2月25日安倍は加計氏と15分面談し新しい獣医学校に『いいね』とコメントしている。なのに国民にも国会にもウソを言っている」という理路整然としたアベ批判が印象に強い。
野原さんの「公明党をつぶせは日本の社会はよくなる」という絶叫は、これこそテレビで放映してほしかった。
スピーカーによる街宣終了の8時直前に、なぜか音声マイクが故障した。しかし「野原、野原」の野原コールがいつまでも続いた。
3年前の品川の三宅参議院選のときもすごかったが、選挙でこれだけの熱狂が出現することは珍しい。しいていえば、12年前の川田の渋谷駅東口のフィナーレくらいか。今回もすさまじい熱狂で、これだけでも見に行く価値があった。
自分の活動を振り返ると、事務所でのボランティア6回、街頭ボランティア2回だけだったので、回数は多くない。しかし選挙ボランティアとして手伝ったのはこの14年で二十数回になるが、事前ポスティング、ポスター掲示、電話入れ、証紙貼り、街宣の支援と一通りのことができたので効率はよかった。
逆に言うと、候補者回りの立ち合い、たとえば桃太郎をやるとか商店街での練り歩きをすることはなかったが、たいていのことはやった。
ただし、ボランティアをやってこれはどういうものかと思うこともいくつもあった。もっとも困ったのは、野原候補が東京新聞7月8日、9日の候補者アンケートで、安倍が進める憲法改正について、9条改憲には反対なものの憲法「改正」には「回答なし」だったことだ(あとで「回答なし」でなく「反対」との訂正記事が出た)。そういえばと思って、れいわのチラシの8つの緊急政策をみても憲法問題は入っていない。これはショックだった。
たまたま今回は他党の候補の運動をしているが、もとは熱心な山本太郎ファンの人に出会ったので、この件を相談してみた。すると、一度事務局スタッフに説明を求めたほうがよいとアドバイスされた。たとえば野原候補は沖縄の学会員に気兼ねしていることもありうる、とのことだった。
事務所で近くにいたスタッフに聞いてみたが「山本氏自身は、現在の政権による憲法「改正」には反対とツィッターなどで発言している」というがあまり明確なことはわからなかった。
19日18時過ぎに新橋から議員会館前の毎月恒例「総がかり行動」に向かった。そういう不安を周りの人にすると、「山本太郎は、野党共闘についても触れない」と指摘を受けた。それもそのとおりだ。
その他、ボランティア登録はをしたつもりだったのにメールが届かなかったこと。掲示ポスターの枚数が違っていたことなど、選挙なので混乱は仕方ないが、この事務所はガバナンス(統治)という概念がもともと欠落しているのではないかとすら思った。
また、チラシポスティング、事務所内作業ボランティア、ポスター掲示などがそれぞれ別の登録になっていたようで、ボランティアの側からすると、まるで旧ソ連邦の役人はこんな感じの仕事をしていたのではないかと思うほど、何度も何度も登録しなくてはいけないシステムになっていて辟易した。
欧米の左派ポピュリズムから4~5年遅れの和製ポピュリズム現象ともいわれるが、まあ、難病と重度身体障害の2人の参議院議員が誕生したことは社会的にも意義深い。
2年以内に行われる衆議院選挙に、おそらく山本太郎氏自身が出馬するのだろう。どこの選挙区から出るつもりなのかはまったく予想が立たないが・・・。またわたくし自身がどこでだれの応援をするのかも、まったく分からない。
『多面体F』(2019年08月10日)
https://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/c8b3e09e0a977c059ddc8de372c5dee4
3年に1度の参議院選が終わった。アベがいつ衆議院を解散し同日選挙に突入するか、国会延長をいつ発表するかということにばかり気がとられ、結局7月4日告示、21日投票の当初予定どおりのスケジュールで進行したので、いつのまにか始まりなんとなく終わった選挙という感が強い。ニュースとしては、自公・維新の改憲勢力2/3議席獲得をなんとか阻止できたことと、れいわ、N国の新党がなぜか比例で議席を獲得できたことだろう。また消滅するかと思った社民が、N国と同議席ではあるが1議席確保できた意義も大きい。
わたくしは、今回は山本太郎候補のボランティア活動を行った。党名の「れいわ」も「維新」も好きではないのだが、新聞などでみると山本太郎議員は、いかにも「野党議員」らしい「議員」として与党への発言および批判活動を日常的にしていたからだ。
はじめて事務所に行ったのは、開所1週間にならない6月5日(水)夕方。偶然新宿方向から四谷方向に向かっていたとき看板を見かけたからだった。
少しだけチラシ折りを手伝い、斜め前で作業している男性と過去の選挙の話をしていると、共通の知人のことで話が弾んだ。住所・アドレスなどを用紙に記入したのでボランティア登録を済ませたつもりでいた。
ところがその後いっこうにメールが届かず、業を煮やし次に訪問したのは6月29日(土)、自由にチラシを撒けるリミットまで4日という押し迫った日だった。
チラシ800枚を受取り、近所でポスティングする。2日ほどで撒き終え、7月1日追加を取りに行く。
自力で配布できそうな300を追加で受け取る。配布を完了し合計1100になり、1000の大台を超えたことでほっとする。これまでの体験で累計1000を超えないとポスティングしたという実感がわかないからだ。
4日の告示日の午後ならポスター貼りをできると申し出たが、「ポスター貼りについてはまだ、なにも言われていない。しかし3年前の三宅参議院選のことを考えると、早朝から事務所前に人が並ぶので人数は間に合っている」といわれた。
7/4(木)告示日なので何かやることがあるだろうと、午後事務所を訪問。本来はポスター掲示をしているはずなのに、驚いたことにポスターの納品が6日(土)午後とのこと。たしかに小出しに比例候補を発表し、結局東京選挙区には山本候補は立候補せず、沖縄の野原候補が立ち、比例の特定枠を2つ使い、山本候補は3位以下ということになったのはギリギリで、選対事務所の特定の人しか知らされていなかったのかもしれない。
この日は、公営掲示板のリストと地図のコピー切抜と投票区ごとの封筒集約のボランティア作業を手伝った。2台のコピー機が混みあったり、リストや地図の置き場所、さらにセロテープ、ハサミ、ホッチキスなど事務用品の置き場所がよくわからず混乱が甚だしい。統括責任者がだれなのか明確でないせいではないかと思った。その場で、自分の家の近くなら掲示可能と申し出て、登録した。
7/6(土)午後、電話で「そろそろポスターは届いたか」確認してから事務所に出向きポスター2地区分を受け取る。
自民、共産、公明、立明、国民など主要政党のポスターはもちろん掲示ずみ、野末陳平、維新・音喜多、幸福・七海も掲示ずみだ。
れいわ・野原は16番で公明・山口の左斜め下だが、あざとくも山口は党名を表示しない。野原は「沖縄創価学会壮年部」と大きく表示しているので、公明支持の有権者が勘違いしてこちらに入れてくれないかとひそかに期待した。
なおオリーブの木・みぞぐち、N国・大橋など、野原より遅く掲示していた政党もあった。驚いたのは「安楽死制度を考える会」で、なんと2枚貼ってある公営掲示板をいくつか見かけた。ポスターは選挙区だけなので、同じ選挙区に複数立候補させてでも党名をアピールしたいということなのだろう。
ところが現地で貼り始めるとポスターの数が5枚足りないことが発覚、仕方ないので事務所に取りに再訪問。往復時間をロスしたのでやっと貼り終えたのは予定時刻を3時間もすぎた夜になった。翌朝早朝から大きなイベントを控えていたのに、おかげですっかり予定が狂ってしまい、怒り心頭に発した。
7/12(金)午後、仕事は電話入れだったが、投票予測のための電話入れや電話による普通の投票依頼ではない。3年前の三宅参議院選挙のときにお世話になった方、いわば身内の方に、公選ハガキの宛名書きを依頼することが目的である。
電話番号も8割が個人の携帯番号だった。普通の選挙の電話は、かけられる方にすれば迷惑電話そのものだし、チラシもほとんどの人には迷惑チラシだ。
ところがこの事務所の場合、「よろこんで」と公選ハガキ書きを引き受けてくれる人が続出した。しかもわたくしが電話をかけた地区は、東京・大阪など大都市ではなく広島、大分、宮崎などの地方のそれも県庁所在地以外の市だったので余計に驚き、かつ感激した。
自分でも公選ハガキを15枚書いて事務所に渡したが、3人からメールやハガキで返信があった。これもびっくりする体験だった。
7/18(木)15時に出先から四谷の事務所へ。2階も1階もボランティアがあふれていた、はじめて6階へ上がる。16時に新聞折込チラシの集配トラックが来るというので、チラシを詰めるダンボール組立てを10箱ほど行う。15分くらいで終わったが席がないので仕方なく帰ろうかと1階に下りると、帰った人がいるというので、ふたたび6階へ。
街宣で手配布のチラシへの証紙貼り。1シート200枚だったが、500枚貼り終えた。選挙ボランティアたち独特の井戸端会議での情報交換となる。近くに座っていた人が毎週金曜の官邸前行動でよくみかける人であることに途中で気がつき、話が弾んだ。
7/19(金)、投票日まであと2日、どうせ事務所に行っても満席だろうと、16時すぎに「れいわ祭り2」の会場、新橋SL広場に直行した。
なぜか浴衣姿の人が盆踊りをやっていた。周辺の道路でチラシ撒きをしていると野原候補の車が到着。しかし、もう一度発車し周辺で宣伝行動を行っていた。
寄付ブースに人があふれ、途切れることがない。これには驚いた。こんなことなら6年前の「緑の党」街宣でもやればよかった。
チラシも、こんな都心の盛り場なのに、まあまあの受取だった。
山本、野原以外の比例候補のチラシをほしいといってきた人もいる。スタッフに聞いても、相変わらず何が後から届くのかわからないとの返事だった。野原や山本のチラシですら、一時品切れになり、あとで「どこかから出てきた」という返事だった。
7/20(土)フィナーレの日は18時過ぎに新宿西口に行ってみた。超満員、小田急ハルクの2階通路にも人があふれていた。
テレビクルー(フジテレビの表示あり)の脇で壁に張り付いてチラシやうちわ配りのボランティアをした。あまりにボランティアの数が多いこともあり、通行人の3人に1人は受取済み。また混雑で蒸し暑さがすごく、うちわが目当てで「1本ください」という人が何人もいた。
ビラ配りが本業なので、演説内容まではあまり聞けなかったが、山本、野原氏の各氏の演説がだんだんうまくなっていた。
木村英子さんの冷静なスピーチと対照的に、友人でやはり障害者・井上さんの「施設や養護学校は嫌いで、国立(くにたち)の地域で自立生活をしている」という応援スピーチは元気にあふれ感動的だった。
また前川喜平さんの「2015年2月25日安倍は加計氏と15分面談し新しい獣医学校に『いいね』とコメントしている。なのに国民にも国会にもウソを言っている」という理路整然としたアベ批判が印象に強い。
野原さんの「公明党をつぶせは日本の社会はよくなる」という絶叫は、これこそテレビで放映してほしかった。
スピーカーによる街宣終了の8時直前に、なぜか音声マイクが故障した。しかし「野原、野原」の野原コールがいつまでも続いた。
3年前の品川の三宅参議院選のときもすごかったが、選挙でこれだけの熱狂が出現することは珍しい。しいていえば、12年前の川田の渋谷駅東口のフィナーレくらいか。今回もすさまじい熱狂で、これだけでも見に行く価値があった。
自分の活動を振り返ると、事務所でのボランティア6回、街頭ボランティア2回だけだったので、回数は多くない。しかし選挙ボランティアとして手伝ったのはこの14年で二十数回になるが、事前ポスティング、ポスター掲示、電話入れ、証紙貼り、街宣の支援と一通りのことができたので効率はよかった。
逆に言うと、候補者回りの立ち合い、たとえば桃太郎をやるとか商店街での練り歩きをすることはなかったが、たいていのことはやった。
ただし、ボランティアをやってこれはどういうものかと思うこともいくつもあった。もっとも困ったのは、野原候補が東京新聞7月8日、9日の候補者アンケートで、安倍が進める憲法改正について、9条改憲には反対なものの憲法「改正」には「回答なし」だったことだ(あとで「回答なし」でなく「反対」との訂正記事が出た)。そういえばと思って、れいわのチラシの8つの緊急政策をみても憲法問題は入っていない。これはショックだった。
たまたま今回は他党の候補の運動をしているが、もとは熱心な山本太郎ファンの人に出会ったので、この件を相談してみた。すると、一度事務局スタッフに説明を求めたほうがよいとアドバイスされた。たとえば野原候補は沖縄の学会員に気兼ねしていることもありうる、とのことだった。
事務所で近くにいたスタッフに聞いてみたが「山本氏自身は、現在の政権による憲法「改正」には反対とツィッターなどで発言している」というがあまり明確なことはわからなかった。
19日18時過ぎに新橋から議員会館前の毎月恒例「総がかり行動」に向かった。そういう不安を周りの人にすると、「山本太郎は、野党共闘についても触れない」と指摘を受けた。それもそのとおりだ。
その他、ボランティア登録はをしたつもりだったのにメールが届かなかったこと。掲示ポスターの枚数が違っていたことなど、選挙なので混乱は仕方ないが、この事務所はガバナンス(統治)という概念がもともと欠落しているのではないかとすら思った。
また、チラシポスティング、事務所内作業ボランティア、ポスター掲示などがそれぞれ別の登録になっていたようで、ボランティアの側からすると、まるで旧ソ連邦の役人はこんな感じの仕事をしていたのではないかと思うほど、何度も何度も登録しなくてはいけないシステムになっていて辟易した。
欧米の左派ポピュリズムから4~5年遅れの和製ポピュリズム現象ともいわれるが、まあ、難病と重度身体障害の2人の参議院議員が誕生したことは社会的にも意義深い。
2年以内に行われる衆議院選挙に、おそらく山本太郎氏自身が出馬するのだろう。どこの選挙区から出るつもりなのかはまったく予想が立たないが・・・。またわたくし自身がどこでだれの応援をするのかも、まったく分からない。
『多面体F』(2019年08月10日)
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