◎ 意 見 陳 述 書
2024年5月29日
東京地方裁判所民事第38部御中
第63号事件原告 加藤陽子
加藤陽子と申します。1994年に東京大学文学部に着任してから今年で30年となり、現在同大学院人文社会系研究科教授で、日本近代史が専門です。
まず、2020年に日本学術会議から会員候補者として推薦された経緯と、その間に同会議に提出した文書について申し上げます。
候補者としての打診があったのは2019年11月であり、学術会議が用意した様式に、学歴・職歴・専門・業績・受賞歴等を私が記入し、推薦者である東大史料編纂所教授久留島典子氏に2020年1月お送りし、同年2月、その様式に推薦理由と私の所属すべき委員会名・史学を追記した書類である「日本学術会議会員候補者推薦書」を、久留島氏が学術会議事務局企画課選考担当に提出しているはずです。
私の属する予定だった史学委員会の下には、国際歴史学会議、中高大連携の歴史教育等、対外的にも社会的にも重要な分科会が置かれており、私はこれらの分科会での活動を期待されて推薦されたと考えておりました。
候補者となった私の許には、同年9月19日、「会長互選用会員名簿」が学術会議事務局企画課から送付され、9月29日には総会へのオンライン参加案内メール等も同会議事務局参事官付事務官から届いておりました。
次に、2020年9月29日夕刻、任命拒否がわかった時の心情について申し述べます。
私は、2日後の10月1日付で自らの心情を「毎日新聞」(電子版)に寄稿しましたので、そこからの引用も交えてお話いたします。
私が属するはずだった史学委員会は「多くの分科会を抱えており、国際会議も主催すべき」主体となるはずでした。任期が始まる2日前に突然任命拒否を通知してくるのは、「国民から負託された任務の円滑な遂行」を学術会議が行うことへの妨害になりはしないかとの懸念が浮かんだのです。
また、前述した国際歴史学会議、中高大連携の歴史教育等の分科会でなされるはずであった諸活動が行えなくなることは誠に遺憾に思いました。
任命拒否という事実それ以上に私を苦しめたのは、内閣総理大臣や官房長官等がその後に繰り返した言葉「人事のことなので説明を差し控える」に他なりません。あたかも拒否された側に欠格事由あるいは忌避される理由があり、それを庇っているかのような言葉遣いは、入学試験や入社試験に不合格となった人に大学や会社は説明などしないとの、比較としては全く不適当であるにもかかわらず、腑に落ちるアナロジーを人々に想起させました。
このような言葉は、拒否理由の説明を内閣側に求めていた私どもの態度を冷笑するような一群の人々を生み出す効果を確かに持ちました。週刊誌記者の自宅訪問、SNSでの誹謗中傷等はもちろんございました。
最後に、日本学術会議が総会で決定した候補者を内閣総理大臣が任命しなかったという初めての措置について、公文書管理という観点から申し述べたいと思います。
私は、2003年、小泉純一郎内閣時に福田康夫官房長官によって設置された「公文書等の適切な管理、保存及び利用に関する懇談会」に有識者として参加以来、2011年の公文書管理法の施行以降、公文書管理委員を務め、2020年まで内閣府の「国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議」のメンバーでした。
その知見に鑑みれば、内閣官房による文書の全部不開示(不存在)決定はおかしなものだと考えます。今回の人事への関与は、「重要」かつ「異例」な対応の部類に入ると思います。
そうであるならば、公文書管理法第4条の文書主義、第5条の「人事」に関する例示、内閣官房行政文書管理規則6条ほかから考えるとき、任命拒否一件に関する文書を作成し、保存する義務が内閣官房にはあったと愚考いたします。
任命を拒否すべきだとの内閣総理大臣の判断を支えた根拠、それを示す文書を開示していただきたいと切に願います。
以上
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