パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

コロナ禍で世界と日本の経済はどうなるのか

2021年01月06日 | 格差社会
 ◆ コロナ禍の経済に関わる人々の魂の問題 (週刊新社会)
   同志社大学教授 浜矩子


 ◆ はじめに

 表題のテーマを頂戴した。我々が皆、答えを知りたい問いかけだ。
 このパンデミックは、どこまで深くて不治の傷跡を残して行くのか。いつまで、今のような非日常的日常が続くのか。どこまで、我々はかつてのような日常を取り戻すことが出来るのか。取り戻すべきなのか。まだまだ未知数が多過ぎる。
 未知数が多過ぎるから、表題の設問に解答を出すことは実に難しい。難題を設定されてしまった。さて、どうするか。まずは、設問を正確に理解することを試みよう。
 厄介なのが、「コロナ禍で」の部分だ。なぜなら、「コロナ禍」の性格とその経済への影響は、時間とともに変化する
 第一波が襲い掛かって来る過程では、世界的にロックダウンが広がり、日本でも緊急事態劣宣言が発動された。あの時点では、「コロナ禍」は経済活動に激震的な縮減効果を及ぼした。
 ほぼ活動停止状態。これがあの時の経済風景だった。
 またいつ、あの状態に戻らないとも限らない。我々はその懸念の暗雲が垂れ込め続ける中で日々を過ごしている。
 だが、その一方では、英米でワクチン投与が始まるなど、「終わりの始まり」が緒に着きそうな雰囲気も漂い始めている。ここから先の「コロナ禍でどうなる」問題は、どこに焦点があるのか。
 四つの焦点があるように思う。第一に、我々の心理と行動。第二に、政策の真っ当度。第三に、政治の清廉度。そして第四に、経済回復の形である。
 ◆ 第一に我々の心理と行動

 第一の我々の心理と行動は、これから先の経済風景を大きく左右する要因だ。
 「コロナ禍」の猛威が多少とも減衰した時、我々は、喉元過ぎれば熱さを忘れるのか。それとも、羹(あつもの)に懲りてなますを吹き続けるのか。
 内外での報道や調査結果などをみれば、我々は「喉元」と「なます」の間を揺れている
 「なます」疲れが溜まると「喉元」派になる。それで感染が拡大すると、あわてて「なます」状態に戻る。
 これは、かなりの程度まで致し方ない。多くの場合、これが人間の心理であり、行動だ。この綱引きは、容易に勝敗が決まる性格の競技ではない。
 ◆ 第二に政策の真っ当度

 ただ、それにしても、どちらかと言えばいずれの側の引きが強いということはないのか。実は、ここのところに、第二の焦点として挙げた政策の真っ当度がかなり強く関わって来るのだと思う。
 政策が真っ当なバランス感覚を持って練り上げられていて、真っ当に賢明に運用されていれば、我々の心理も行動も浮足立って揺れ動くことはないだろう
 だが、政策が行き当たりぱったりだったり、慎重さに欠けていたり、楽観的に過ぎたりすると、我々の心理と行動は、ぐっと「喉元」の方に引き寄せられてしまう。
 このことをくっきり示しているのが、今の日本の有様だ。「GoTo」キャンペーンなどというものを展開して、我々を旅や遊びへと押し出した。それが感染再拡大の要因となった可能性が極めて濃厚なのに、政策転換に踏み切ろうとしない。
 批判の声が高まり、内閣支持率が急落するに及んで、しぶしぶ、一時停止を決意した。しかも、その間に政府・与党の要人たちが人数制限オーバーの豪華会食に耽っていた。
 政策の真っ当度がここまで低いと、「コロナ禍」があろうがなかろうが、経済活動は極めて安定感に欠ける変動を繰り返し続けるだろう。その変動に耐える「自助」力無き者たちを、どんどん窮地に追い込んで行くことになるだろう。
 ◆ 第三に政治の清廉度

 政策の真っ当度を決めるのが、政治の清廉度だ。
 清らかな精神を持つ者たちが運営する政策は、おのずと真っ当度が高くなる。そして、真っ当度が高い政策は、「コロナ禍」を抑制する効果も高い。
 そのことは、ドイツニュージーランド台湾の状況をみれば解る。
 それに引き換え、今の日本においては、清廉度が計測不能なほど低い政治家たちが政策責任を担っている。何たることか。そもそも、彼らに政策貢任という言葉はふさわしくない。政策無責任集団だ。
 ◆ 第四に回復の形がどうなる

 第四の焦点が回復の形だった。
 コロナ対応がもたらした落ち込みの後、経済活動はV字型の回復を遂げる。それを誰もが期待した。
 だが、実際には鳴かず飛ばずのL字型やなべ底的なU字型などもある。
 欧州では、チョイ回復の後、また落ち込むW字型の展開になりつつある。
 どれも辛いが、何としても避けなければならないのが、ねそべりV字型だ。横たわりV字型と言ってもいい。要は「V」型である。格差拡大型回復だ。
 「コロナ禍」太りと言えば顰蹙(ひんしゅく)を買いそうだが、オンライン関連やネット通販系ビジネスが需要大拡大に沸く一方で、モノづくり中小零細企業が大打撃を受ける。
 前者はねそべりVの上向きスロープを駆け上がる。
 後者はその下向きスロープを止めどなく滑り落ちて行く。

 これを回避するために、政策は知恵を巡らせなければならない。だが、超低清廉度政治超低真っ当度政策を展開していると、そうした知恵は出て来ない。
 「コロナ禍で世界と日本の経済はどうなるのか」という設問への解答は、結局のところ、そこに関わる人々の魂の問題だ。それに尽きる。
 ※ 浜矩子(はま・のりこ)
 1952年生まれ。三菱総合研究所に入社。その後、同志社大学大学院ビジネス研究科専門職学位課程教授。専門は国際経済学、国際金融論など。
 アベノミクスの経済政策を徹底して批判、恩恵を受けるのは株や不動産を持っているごく一部の富裕層だけである、と断定した。
 親族には、憲法学首の美濃部達吉や元東京都知事の美濃部亮吉らがいる。平和憲法への根強い考え方を持っている。
 主な著書に『グローバル大恐慌時代の経済を読む』(毎日新聞社)、『「アベノミクス」の真相』(中軽出版)、『どアホノミクスの断末魔』(角川新書)など多数。
『週刊新社会』(2021年1月1日)

コメント    この記事についてブログを書く
« 経団連会長の原発関連産業会... | トップ | 明けない夜はない(24)<『... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

格差社会」カテゴリの最新記事