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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

未完の大作『板橋高校卒業式事件』 藤田勝久〈再掲〉-2

2011年10月10日 | 板橋高校卒業式
 ◎ 未完の大作『板橋高校卒業式事件』 藤田勝久〈再掲〉-2

「沼ノ平」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》

 ★ 元教諭の行動


 9時半過ぎに、保護者席に「サンデー毎日」3月7日号、1ページ分を配布始める。
 式場内は、200人ほどの保護者が着席中、静寂そのものである。
 その後も参列者順次到着。
 配布はブロック前列の方には1枚づつ、後列は端の方に渡して手渡しで横に流していただく。ぐるぐる回って、約200枚配布完了。
 その間相変わらず場内は静寂そのものであった。
 のち式場、体育館にいた職員で配布に気がつかなかった人までいたことを聞く。

 配布後、保護者席前列真ん中ほどに立ち挨拶と説明を行う。
 「私は、今回の卒業生の一年の時の生活指導担当です」(その年度の3月、退職)
 一年生の時、煙草その他で学校に来ていただいた保護者の方は顔を知っているやもしれぬ。授業も持っていないから、ほとんど未知の方である。「今年の卒業式は従来と違って、国歌斉唱の時、教員が起立しないと処分されます」なる趣旨、1分ほど話する。
 静聴していただいた。 マイクはないが声は後列まで届いたと思われる。

 最後、「出来ましたら、国歌斉唱のさい着席くださいますようお願いもうしあげます」で締めくくる。直前、来賓の列が目の端に映る。
 話終り、さて来賓席に向かおうと思った瞬間、横より教頭が迫ってきてやにわに二の腕を掴む。
 「止めろ」
 私は教頭の顔を見て言った。「もう終わったんだよ」
 教頭は一瞬苦笑した。だがまだ掴んでいる。
 「手を離しな」
 それで我に返ったのか、教頭、手を離す。

 その時、式場入り口方向から私の前、4,5メートルの地点に現れた校長、いきなり私に、「退去しなさい」と通告する。
 私はすでに来賓席にコートを置いてある。
 「荷物を持ってきて」と教頭に言う。

 当日はガードマンの出番の日、やっと調整して遠方より東北道、首都高を乗り継いで来たのにこれだけのことでとの思いが胸をよぎる。
 Yさんのピアノ伴奏を楽しみにしていたのに。 
 Yさんは、視覚障害の女子生徒、3年間通い切った。一年の時、たびたび登校時、正門前の道を渡るのを見守った。退職時には同僚のS氏に後を頼んだ。
 自分がと思うと竦んで道をわたれないであろう。音の静かな車もある。自転車などはすうっと走ってくる。よく3年間事故に合わなかったものだ。
 「なぜ来賓を追い出すんだ」
 「私は卒業生の1年の時の生活指導担当だ」
 抗議しつつも私は仕方なく出口に向かった。
 出口近くで、教頭が私に言った。教頭とは在職中、2、3年の付き合いがある。このまま追い出されるのは哀れと思ったのかも知れぬ。
 「もう静かにするのか」
 「もちろんそうだよ」
 私は了解が成り立ったと思い、転じて来賓席に向かおうとして数メートル進んだ。

 私の前に校長が立ちふさがった。この方は、去年の4月に着任された方で付き合いはない。
 私は言った。
 「教頭が許可したよ」
 一瞬彼は言葉を失って、棒立ちになった。
 その時である。
 いつの間にか校長の1メートルほど後方左右に指導主事2名がちょ立している。
 そのうちの1名が校長に言った。
 「管理者は校長だ」
 これで校長我に返ったのか、再度
 「退去せよ」
 と発声したのである。

 彼等の言葉はここに記したもののみである。
 「早く出ろ」とか「進め」とか一切ない。
 移動しつつの対応であって、留まったり、停止して言うことを聞かなかったという事実はまったくない。校長のもの言いを見聞して、これはもう話にならないと悟った。
 そこに丁度タイミングよく事務のT氏がコートをもってきてくれた。
 それを受け取り出口から式場をあとにしたのである。
 「一年の時の社会科の教員だったのを、何で追い出すんだ」と言いつつ。

 体育館をあとにして、剣道場、柔道場前の通路を見たら卒業生の姿、形がない。この場所は私が板橋在職7年間、卒業生を並ばせ待機させていた処である。
 狭いので4クラスと3クラス入り口に向かって左側に並ばせる。
 右側の狭いところを来賓と遅れてきた保護者が通っていくのである。
 その卒業生が一人もいない。
 これじゃ、式はだいぶ遅れるなあと思った。
 まずそこまで誘導して、さらに全クラスの到着を待ち整列し直して切れ目なく、詰まることもないよう入場させねばならないからだ。
 あとで聞くと、当日テレビカメラが入っていたためそれと卒業生をバッティングさせないため五十メートルほど離れた二棟の生徒会室前に先頭を待機させていたとのことである。
 カメラに向かいおちゃらけるのを危惧したとのことであった。

 ところで式場をあとにしたのにどういうわけか校長、教頭がついてきた。
 そこに会場から保護者の男性一人が足早にやってきた。
 「何騒いでんだ」
 「騒いでんのは校長と教頭ですよ」
 私は、校長と教頭を指差して言った。
 彼は校長に、「俺はこういうもんだ」と言って、背広の内側をパッと見せた。
 ついで私に向かい「静かにするのか」と言う。
 私は、彼に言った。
 「勿論ですよ、私がどんな人間かあなたのお子さんに聞いてもらえばわかりますよ、もし私がしゃべったら殴っていいですよ」
 「じゃ入れよ」と言ったように思う。
 彼は式場に取って返して行った。
 そのあと体育館そのものの出口に向かった時、3年の担任がやって来た。
 「まだか」
 それを機に校長、教頭は式場内に向かったのである。

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