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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

反戦ビラ弾圧「事件」とは何だったのか

2009年05月08日 | 平和憲法
 ■ 反戦ビラ弾圧「事件」とは何だったのか
憲法学者 石埼 学さんの講演から

 ■ 有罪を「妥当」とする社会の投影


 立川自衛隊監視テント村のメンバー3人が2004年2月、イラクへの自衛隊派兵反対を訴えるビラを東京都立川市内にある自衛隊官舎の新聞受けに配布したことを「住居侵入罪」に問われて不当逮捕され、全国に衝撃が走って5年余り。3人の不当逮捕に抗して結成され、様々な活動を展開してきた「立川・反戦ビラ弾圧救援会」(代表ー大沢豊立川市議)は去る3月7日、立川市内で「最後の集会」を開いて、解散した。
 起訴された3人の裁判で一審・東京地裁は無罪判決、東京高裁は逆転有罪判決(罰金10万円から20万円)、最高裁第二小法廷は昨年4月11日、3人の上告を棄却、有罪が確定した。思想信条・表現の自由を踏みにじる弾圧は、その後もビラ配布などに対する逮捕が続き、権力は反戦活動に対する弾圧をむき出しにした。そうした弾圧がなぜ相次ぎ、司法は警察・検察の弾圧を追認していったのか。
 「救援会」の解散集会で憲法学者の石埼学さん=亜細亜大准教授=が行った講演「司法の、司法からの、逸脱?」の要旨を2回にわたって掲載し、弾圧の背景と社会の深層を探ってみた。
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 私は、この事件の発生の直後から支援に加わった。3人の即時釈放を求めた2004年3月3日の法学者声明以後の数次にわたる法学者声明の発表、弁護団会議への参加および国連自由権規約委員会に提出したオルターナティヴ・レポートの共同作成などが私の主な活動であった。この4年間、市民・弁護団・法学者の連携に微力であったが一定の役割を果たしたかと思う。
 支援の場は、生き生きとしたデモクラシーが息づくところであった。そこに参加していることが、私の活動の原動力であった。そのおかげで、多くの法学者に様々な協力要請をすることができ、多くの法学者からご教示、声明への賛同など支援運動に多大な協力を得ることができた。
 さらに幸いなことに、国連自由権規約委員会の「最終報告」を得ることができた。この「最終報告」により、そもそも法律論としても疑わしい最高裁判決の先例としての意義には重大なクェスチョンがつけられただろう。
 今後、同種の事件で、各級の裁判所は、この「最終報告」を無視はできまい、と思う。
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 しかし、私は、この事件の当初から腑(ふ)に落ちない何ものかを抱えていたし、なお抱えている。そして、何も終わっていないというか、新しいことが始まったのであり、この事件の分析も、今から始めないといけないという予感がする。
 あの最高裁判決に、法的なものではない「妥当性」を付与する何ものかが、この社会で作動しており、それを学問的に分析する必要があるという予感だ。
 私を含め、法学者たちは、法の言説という道具立てで考えられうるだけの分析と批判を加えてきたし、それを裁判所や学界や社会に向かって発信し続けてきた。それは、自由で民主的な社会を維持しようとする多くの市民やジャーナリストと共振することができた。
 しかしそのような人々の少なからざる部分が、おそらくは今なお氷解していない一つの疑問を持っているはずだ。
 ■ 「ノルムの言説」への司法の逸脱か

 そもそも3人の行為がなぜ「刑事事件」となったのか。
 イラク派兵に反対する市民運動を萎縮させるという当局の明確な意図に答えを求めるのは、事の一端を言い当てているにしても、安易だ。なぜなら当局がそのような意図を持っていたとしても、それだけでは「刑事事件」にはならないからだ。
 反戦運動の何がしかの「振る舞い」に注視し、それを法が定める犯罪の構成要件に該当するものとして検挙しなければいけない。そこで当局が注視したのは、この社会ではありふれた「振る舞い」である集合住宅へのビラ配布であった。
 この技術に、私も含めた法学者も、ジャーナリストも、そして市民も驚いたし、なぜそれが「刑事事件」として立件されるべきなのかを理解しかねたし、今も理解しかねている。
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 しかし、直視しなければならない現実がある。この裁判の過程を通じて、ビラ配布は、当局からだけではなく、新聞の投書欄やインターネットの空間などで、一部の市民からも非難され続けていたのだ。
 当局の意図は明確であった。しかし、この事件で注目すべきなのは、その意図を現実化する技術である。その技術は、この弾圧に対する一定の共鳴盤を市民の中に見出した。
 「ビラ配布は迷惑だ」「防犯上も取り締まるべきである」といった類の、法の言説ではない種類の言説が、この弾圧をキッカケに沸き起こったのは周知のことだ。そして、最高裁判決に「妥当性」を与えているのは、この種の法の言説ではない種類の言説であるかもしれない。
 もとよりこの種の言説を、法を語るべき裁判官が採用するわけにはいかない。最高裁判決の一つの言葉-住民の「平穏」を侵害したという-が、それを示唆しているだけである。ビラ配布のための立ち入りが、いかなる意味での「平穏」をどのように、どの程度侵害したのか、それについて最高裁は法の言説で説明することをしなかった。
 しかし、まさにそのことによって最高裁は、別の種類の言説-ノルム(norme=規範、正常)の言説-に応答したのではなかったか。重要な法律上の争点について沈黙した最高裁が示唆した、別の種類の言説の参照、ここにこの事件の新しさがあるのではないか。
 法の言説とは相容れない、四方八方から沸き起こるノルムの言説へと司法が逸脱したのではないか?それこそが重大なことであり、そうだとすると、私たちは、まだこれからの闘いの端緒を垣間見たにすぎないかもしれない。
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 法の言説に依拠して分析するならば、最高裁判決が今後の同種の事件の「先例」となるとは考えにくい。重要な具体的事実に関する法的判断の枠組み、例えばなぜ「表現の手段」規制といえるのかが示されていないし、表現の自由と管理権者の意思あるいは住居の平穏との調整の法的基準が示されていないからだ。
 しかし、司法がノルムの言説へと逸脱したのであれば、法の言説とは相容れない言説への参照を続けるならば、事は極めて深刻なこととなる。
 『週刊新社会』(2009/4/28~5/5)

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