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=週刊新社会:映画紹介=
☆ 『裸のムラ』
~日本の縮図を表すドキュメンタリー
https://www.hadakanomura.jp/
2020年、富山市議会の政務活動費不正受給等で、14人の市会議員が辞職に追い込まれました。その顛末を描いたドキュメンタリー映画『はりぼて』の五百旗頭幸男監督が、隣県の石川テレビで制作した2つの番組、『裸のムラ』(21年)と『日本国男村』(22年)を組み直したのがこの作品です。
登場人物は、全国最長7期目の谷本正憲元石川県知事と後任として知事選挙に立候補する馳浩衆議院議員、石川県のドン、森喜朗元首相など権力のトップに君臨する政治家たち。
そして、ムスリムの女性との結婚を機にイスラム教に改宗し、金沢市内で暮らす松井誠志さん、ヒクマさん夫婦と子どもたち。
車中で生活するバンライファー(車のバンで生活し、定住しない人)の中川生馬さん、結花子さん夫婦と娘の結生ちゃん。
もう1組のバンライファー、秋葉博之さん、洋子さん夫婦が登場します。
長期政権とその権力移行、ムスリムやバンライファーは一見関連がなさそうだが社会に潜在し、私たち自身も無意識に「容認」している男性優位、権力に忖度し同調圧力にまみれた日本社会をこの作品は浮かび上がらせます。
☆ 男性優位や権力を無意識に「容認」
コロナ対策で「今が正念場」と話す谷本知事(当時)は、自身の後援会会員90人と会食し、「感染対策は万全」と開き直ります。
議会の知事席に置かれた水差しの水滴を丁寧に拭く女性職員、こんな無駄な行為が当たり前の業務として行われているのです。しかも女性の業務として…。
知事選の出陣式で、馳浩候補は壇上に女性を多く登壇させ「女性の声」を強調します。
しかし、当選を祝う花束を贈呈した女性たちは直ちに降壇し、壇上にいるのは背広姿のオジサンだけ。
小泉進次郎衆議院議員が馳氏の知事選で、「能登半島の突き出ている部分が馳さんのガッツポーズに見える」と得意げに話す街頭演説では思わず笑ってしまいました。
権力者とそれに忖度し、持ち上げる地元記者クラブの記者たち。男村を強固にする存在としてメディアの異常さも映し出されます。
一方で、差別をされる人々や自由を求め生活している市井の人々の家父長的な態度もカメラはとらえます。
ムスリムのヒクマさんは、日本国籍を取得しないのは、「国籍を変えても外国人でしょう。日本では顔で判断されるから…」と、偏見と差別の中で生活しています。
そのヒクマさんは、「日本人は、キリスト教を信仰していないのにクリスマスをする。クリスマスは信仰の行事でしょう」と、子どもたちがクリスマスに行くのは…(だめ)と言います。子どもたちは納得しているのか。そもそもムスリムになることを受け入れているのかと疑問が湧いてきます。
中川さんは、自由に生きたいと大企業を辞めてバンライファーになったど言います。彼は、娘の結生ちゃんにタブレットで毎日日記を付けることを課しています。結生ちゃんは本当はやりたくありません。自由な生き方を実践している彼は無意識に娘の自由を奪い、彼女の生活を縛り付けているのです。
秋葉さんは、妻に対して慇懃無礼な丁寧語で話し、妻に気を使わせて、結局妻のことを尊重していません。
映画は、告発する側だけでなく、松井さんの次女に、過去に差別されたことを執拗に問いかけマイクを向けます。権力の横暴さを自分たちメディアも持っていることを露呈し、自らを告発します。
権力者と被権力者、親と子、家父長制度の中で脈々と受け継がれてきた有力者を中心に、よそ者を受け入れようとしない排他的なムラ社会、単純に善悪で語ることのできないこの社会で、私たちはひとりの人間として対等に接しているのかを問いかけられる作品です。(茨城・三宅敏之)
『週刊新社会』(2023年4月26日)
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