今年の小学校卒業式・中学校入学式で「君が代」不起立・不斉唱を実践した娘さんを持つ京都のMさんに、そのいきさつや「君が代」裁判への思いをお願いして書いてもらいました。(松田)
=Mさんからのメール=
◆ むすめの小学校卒業式・中学校入学式の経過と「君が代」裁判について感じること
私は子ども時代から、第二次世界大戦について考察し行動することが平和な世界をつくることに繋がると確信して生きてきました。
日本の戦争責任についての総括で、いくつも納得できない点があり、その中に日の丸・君が代問題があります。
いかなる見地からしても証明済みの、日本の他国への侵略。この際に用いられたものを戦後も引きずっているおぞましさは、耐えられないものがあります。
子ども時代の私は、先生が教えてくれなくてもその思想をハッキリ持っていましたが、その想いを潰すことなく支えてくれたのは、私の大切な恩師たちです。もしもあの時に、先生が私の想いを尊重しないような言動をしたら。意志の強い私でも心が折れていたかもしれません。
私は現在、中学生の親です。はじめに問題が起こったのは、むすめの小学校卒業式でした。
声が大きく歌が大好きなむすめが、卒業間近のある日、肩を落として帰ってきました。
「お母さん、今日学校で卒業式の練習をして、歌いたくない君が代を歌わされた。」
いつも元気で勝気なむすめが困っていました。私はどうしようかと悩みました。とりあえずは、歌う必要も起つ必要もないことをむすめに伝えました。
そして、まずは担任の先生に直談判しました。
担任の先生は「自分ではよくわからないので、(当日学校にいた)教頭と一緒に話し合いたい。」とおっしゃったので、校長室で3人で話すことになりました。
話し合いを要約すると、
●教員には君が代斉唱の命令が出ているので逆らえない
●児童がどうするのかは本人の自由
●しかし、念のため明日、教員からむすめさんに意思確認する
というものでした。
翌日むすめは5時を過ぎても帰ってきませんでした。5時半になる頃、非常に疲れた様子で帰ってきました。小一時間、先生に説得されたようでした。
●あなたが起立斉唱しないと周りのみんなが驚く
●せっかくの卒業式を台無しにしてしまうかもしれない
●みんなで練習してきたのに、みんなに迷惑がかかる
●けれど、最終的にはあなたの判断に任せる。
むすめに意思確認すると「私は絶対に立たないし歌わない。」とのことでした。
この日(3月17日金曜日)、日ごろ活用しているFacebookに悩み相談をしたところ、反響が大きく、投稿にたくさんの返信があり、私とむすめは勇気が湧いてきました。松田先生も連絡をくださいました。
それを受けて、むすめは、3月20日(月)、「日の丸・君が代」強制反対大阪ネットとグループZAZA連名の高校卒業式生向けビラを持っていって先生に手渡しました。
その経過の中で、担任の先生はクラスメイトにむすめが君が代斉唱の際に起立斉唱しない旨を伝えました。
クラスメイトは驚き、むすめに質問などをしてきたようで、むすめは天皇制度などにも触れながら自分の想いを説明しようとしたようですが、担任の先生は「天皇制とか難しいし、みんなは考えなくていいよ(汗)」と話を終わらせたそうです。
3月23日、卒業式当日。私もむすめも君が代不起立・不斉唱でしたが、児童・保護者及び来賓者から一瞥もされることなく、また卒業式が終わってからいろんな人と雑談している際も、一切質問されることもなく誰も全く気にしていない様子だったので、式の進行の妨げになるなどということは教員の杞憂に過ぎませんでした。
4月には中学の入学式もありました。
たまたま私のむすめは新入学生代表挨拶をすることになっていたので、君が代を歌わないことは中学校にも伝えておかなければならないと思いました。
3月30日、春休み中に代表挨拶練習のためにむすめが中学校に行った時、迎えに行った私が対応した教員にその旨を切り出すと「小学校から既に連絡が入っているので承知しています」とのことでした。
私は、大阪で学校宛に発信されているという、「君が代」指導のありかたについての校長・学校教職員への「お願い」を参考に、自分でまとめた「お願い」文書を渡して帰ってきました。
その時は、校長とは話せませんでしたが、電話がかかってきたとき、一度は説得されました。
校長が私に言ったことを要約すると以下の通りです。
・むすめさんの小学校は少人数でしたが、この中学校は人数が多いので、初対面の入学式の場、しかも新入生代表挨拶をする子がいきなり『君が代』不起立・不斉唱となると、これはとんでもないことになります。
・まずは、他の子どもたちから「誤解」を受けるかもしれない。
・そして浮いてしまうかもしれない。
・さらに「イジメ」の対象になるかもしれない。私はそれが心配で心配で……
これに対して私が毅然とした態度で対応すると、校長はあっさり折れて、これもちょうど良い機会なので、日の丸・君が代問題を知らない若手職員に対して入学式にむけての会議で説明するとおっしゃってくださいました。
むすめの新入生代表挨拶は自分で原稿を書くスタイルだったので、平和に向けての願いを込めたメッセージを一生懸命考えました。
ところが、4月4日、むすめが持っていったこの文章はほぼ全文変えられてしまいました。誰が読んでも変わらないような、全く「無難」すぎる文章に…。
入学式の日も私とむすめは『君が代』不起立・不斉唱でしたが、文章を変えられてテンションが下がったむすめは代表挨拶の時も白けた様子でした。
今回松田先生の裁判にあたって、私とむすめの経験談をまとめてほしいという依頼があり、喜んでお受けしました。
松田先生に経緯を聞いて驚いたところがありました。
「被告弁護人、裁判所の立場は、処分の可否の判断は、「君が代」起立・斉唱の職務命令が出ていたか、それを認識していたか、起立・斉唱しなかったのかどうかだけで、他の要素は考える必要がないというものです。」
という箇所です。
驚いた というより、怒りに震えました。
教員とは、科目を教えるだけのロボットではないはずです。時には生き方や考え方、思想を生徒に伝え、議論を交わし、生徒に考えさせる。その上で出てきた個々の考えを尊重することを教えるのが、先生の大きな役割ではないでしょうか。
子どもの世界は小さいときほど狭いです。その中で「先生」の影響はとても大きいものです。
『日の丸・君が代』は教育委員会からの「命令」だから逆らえない。
教員に対してのものだから児童の自由意思は関係ない!?
そんな無茶苦茶な理論が通るわけがありません。先生のしていることは生徒に多大な影響を与えることを誰もが知っています。解っていてこんな理論でくるなんて、まるで詐欺です。
やっていることは「独裁」です。けれど民主主義国でそれが表向き許されないから見苦しい言い訳をしているのです。恥を知れ と言いたいです。
私は松田先生を支持します。生徒の思想信条の自由を守る先生を支持します。
学校の中で、先生が守ってくれなくて誰が守ってくれるんですか?
少なくとも現状ではむすめはしんどい想いをしています。これからも逆境に立ち向かわなければならないのですから。
校長先生はイジメを心配していましたが、イジメているのは先生の方です。
松田先生の裁判、民主主義の名において勝訴を願っています。
2023.5.19 M
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