◇ 2月9日(木)予防訴訟・最高裁判決(13:30~最高裁第1小法廷)
《2・1予防訴訟をすすめる会による最高裁要請行動から》
◎ 司法に訴えてでも東京の教育の危機的現状を変えたい
2012年1月26日付けで、最高裁判所から「決定」の文書が示されました。「上告受理」の訴訟要件の部分だけを上告審として受理し、その余の部分については上告審から排除するというものです。この「決定」を受けて、上告人且つ申立人である私たちは落胆の念を禁じることができません。
2004年1月30日に228名の教職員で東京地裁に提訴したのは、2003年の「入学式・卒業式等における国旗掲揚・国歌斉唱の実施について(通達〉」(10・23通達)が教職員の人権侵害であるに止まらず、東京の教育の危機的状況の象徴として10・23通達がある、と判断したからでした。司法に訴えてでも、そういう現状を変えたいと強く願ったからでした。
私たちは、この国の教育が憲法・教育基本法に基づいて行われるべきであることに誰もが確信を持っていました。そして、10・23通達が、憲法・教育基本法に基づく教育を根本から変えてしまうのではないか、という危機感を抱きました。
そのことは、一審以来積み重ねられてきた準備書面・陳述書等で繰り返し述べられてきました。膨大な分量の証拠書類は、東京の教育の危機的な状況がまさに事実であると語っています。処分が出ていない段階で起こした訴訟を私たちは*「予防訴訟」と呼びましたが、この通称には自らの精神的・経済的な不利益を自ら予防するという意味がこめられています。しかし、それだけではありません。私たちは、東京の教育状況がこれ以上悪化するのを防ぎたい、いや防がなければならないという思いをも、この言葉にこめてきました。それだからこそ、400人を越える多数の人々が原告に名を連ねたのです。
これらの人々の共通の思いは、「東京の教育をこれ以上悪化させてはならない」ということでした。本要請に併せて再度提出してきた陳述書には原告たちの切なる訴えがこめられています。最後の最後に、判決の前に、これらの陳述書をぜひぜひ読んでいただきたい、と強く念願する次第です。
極めて残念なことに、憲法19条については、すでに当法廷において一定の見解が示されています。私たちは到底納得できません。しかし、重要な論点はそれだけではありません。
10・23通達やそれに基づく職務命令が、旭川学力テスト事件最高裁判決に照らしても教育基本法10条(改定後は16条)に定める「不当な支配」に該当すると私たちは主張してきました。一審判決を覆した原審は重大な判例違反をおかしています。この申立てを上告審から除外したことに落胆と憤りの念を禁じ得ません。
10・23通達を契機に、東京の公立学校の教育の状況は大きく変わってしまいました。私たちの当時抱いていた杞憂は現実のものとなってしまったのです。
職員会議で教育に関する議論が沸騰することはいっさいなくなりました。職員会議はただ決まったことの伝達の場と化しました。
教員は生徒を目の前にしてあれこれと思案し試行するのではなく、ただ「上のだれか」がきめたことをただ黙々と実行するだけの存在と化してしまいました。都教委の文書は教員を生産現場の「ライン」と呼んではばかりません。
また、卒業式・入学式だけでなく、授業をはじめとする日常の教育活動も「経営支援センター」から派遣される都教委職員の監視のもとにさらされています。
このようなことがすべて10・23通達以降の教育現場の現実です。
最高裁判所におかれては、このような教育現場の現実を念頭に置いた上で慎重審理をしていただきたく、以下の諸点を再度、切に要請します。
1.一審、二審で争点となった事実を審査し、法の趣旨に則り、納得の行く公正な判断をしてください。
2.当訴訟は、10・23通達及びそれに基づく職務命令が教育基本法旧10条(現16条)に規定する「教育に対する不当な支配」であると主張し、二審判決が旭川学力テスト最高裁判決の判例違反としています。この点を厳正に審査してください。
3.憲法19条以外にも、教育の本旨に基づき、憲法23条、26条も憲法判断してください。
《2・1予防訴訟をすすめる会による最高裁要請行動から》
◎ 司法に訴えてでも東京の教育の危機的現状を変えたい
国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟(予防訴訟)上告人兼申立人 青木茂雄
2012年1月26日付けで、最高裁判所から「決定」の文書が示されました。「上告受理」の訴訟要件の部分だけを上告審として受理し、その余の部分については上告審から排除するというものです。この「決定」を受けて、上告人且つ申立人である私たちは落胆の念を禁じることができません。
2004年1月30日に228名の教職員で東京地裁に提訴したのは、2003年の「入学式・卒業式等における国旗掲揚・国歌斉唱の実施について(通達〉」(10・23通達)が教職員の人権侵害であるに止まらず、東京の教育の危機的状況の象徴として10・23通達がある、と判断したからでした。司法に訴えてでも、そういう現状を変えたいと強く願ったからでした。
私たちは、この国の教育が憲法・教育基本法に基づいて行われるべきであることに誰もが確信を持っていました。そして、10・23通達が、憲法・教育基本法に基づく教育を根本から変えてしまうのではないか、という危機感を抱きました。
そのことは、一審以来積み重ねられてきた準備書面・陳述書等で繰り返し述べられてきました。膨大な分量の証拠書類は、東京の教育の危機的な状況がまさに事実であると語っています。処分が出ていない段階で起こした訴訟を私たちは*「予防訴訟」と呼びましたが、この通称には自らの精神的・経済的な不利益を自ら予防するという意味がこめられています。しかし、それだけではありません。私たちは、東京の教育状況がこれ以上悪化するのを防ぎたい、いや防がなければならないという思いをも、この言葉にこめてきました。それだからこそ、400人を越える多数の人々が原告に名を連ねたのです。
これらの人々の共通の思いは、「東京の教育をこれ以上悪化させてはならない」ということでした。本要請に併せて再度提出してきた陳述書には原告たちの切なる訴えがこめられています。最後の最後に、判決の前に、これらの陳述書をぜひぜひ読んでいただきたい、と強く念願する次第です。
極めて残念なことに、憲法19条については、すでに当法廷において一定の見解が示されています。私たちは到底納得できません。しかし、重要な論点はそれだけではありません。
10・23通達やそれに基づく職務命令が、旭川学力テスト事件最高裁判決に照らしても教育基本法10条(改定後は16条)に定める「不当な支配」に該当すると私たちは主張してきました。一審判決を覆した原審は重大な判例違反をおかしています。この申立てを上告審から除外したことに落胆と憤りの念を禁じ得ません。
10・23通達を契機に、東京の公立学校の教育の状況は大きく変わってしまいました。私たちの当時抱いていた杞憂は現実のものとなってしまったのです。
職員会議で教育に関する議論が沸騰することはいっさいなくなりました。職員会議はただ決まったことの伝達の場と化しました。
教員は生徒を目の前にしてあれこれと思案し試行するのではなく、ただ「上のだれか」がきめたことをただ黙々と実行するだけの存在と化してしまいました。都教委の文書は教員を生産現場の「ライン」と呼んではばかりません。
また、卒業式・入学式だけでなく、授業をはじめとする日常の教育活動も「経営支援センター」から派遣される都教委職員の監視のもとにさらされています。
このようなことがすべて10・23通達以降の教育現場の現実です。
最高裁判所におかれては、このような教育現場の現実を念頭に置いた上で慎重審理をしていただきたく、以下の諸点を再度、切に要請します。
1.一審、二審で争点となった事実を審査し、法の趣旨に則り、納得の行く公正な判断をしてください。
2.当訴訟は、10・23通達及びそれに基づく職務命令が教育基本法旧10条(現16条)に規定する「教育に対する不当な支配」であると主張し、二審判決が旭川学力テスト最高裁判決の判例違反としています。この点を厳正に審査してください。
3.憲法19条以外にも、教育の本旨に基づき、憲法23条、26条も憲法判断してください。
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