◆ 東京シューレ25周年祭 つながる力・つくる力
◆ 子どもの休む権利学校以外の居場所
学校外の学びの場をつくり、NPO活動として不登校の子どもの成長を支援してきた東京シューレが、開設以来25年となりました。そこで「東京シューレ25周年祭 つながる力・つくる力」を7月24日、都内で催しました。
わが国の登校拒否・不登校は、1975年から増加の一途をたどっています。当時、文部省発表では「怠け」ととらえ、医者は「登校拒否症」と病気扱いすることが多く、戸塚ヨットスクールのような矯正施設や精神病棟に入れられることも疑問とされなかったのです。
多くの学校や親の対応は「首に縄をつけてでも登校させる」というものでした。人権無視のやり方が子どもたちにいい影響を及ぼすわけもなく、大人への不信惑、自己への否定感、苦しさからの家庭内暴力、多くの身体症状や神経症を生みました。さらに、人権侵害の結果、命を落とす子どもたちも出てきたのです。
1985年に誕生した「東京シューレ」は、学校復帰にこだわるのでなく、その子の休む権利を認め、学校以外の居場所、フリースクールも育っていく場のひとつであると考えています。
子どもたちが学校と距離をとる背景に学校のあり方の問題が大きいこと、親や社会が学歴社会の価値観を問い直して子どもを受け止めることの大事さを訴えていきました。親の学び合い、支え合いにも力を入れていったのです。
93年にはホームシューレ、99年にシューレ大学、03年に千葉県との協働で「流れ」(現在の柏の葉)開設、07年に教育特区を使ってフリースクールの公教育化をはかり、「東京シューレ葛飾中学校」の開校へと歩むことができました。
卒業生は1300人を超え、この25年間で親の会の全国ネットワーク、世界のデモクラティック教育とつながり、その活動を支え、不登校新聞社や出版社の活動を生み出すことにもなっています。
◆ 自らが歴史を学習劇と映像仕上げる
「東京シューレ」の25年は、日本のフリースクールの25年といっても良く、四半世紀経った今日、過去と未来を考える重要な節目ともいえます。
子どもたちは、各スペースから20人くらいが集まり実行委員会をつくり、積極的に準備していきました。私がとりわけ驚いたのは、「25年の歴史を参加者にどう知ってもらおうか」という課題についてのことでした。
25年のことを知っているのは私だけなので、自分でしなりをを書くしかないのかなと思っていたのですが、なんと子どもたちが歴史を学習しながら、劇と映像の1時間ものに仕上げたことです。親は自ら準備会を持ち盛り上がりました。
◆ 卒業生も40歳越え子連れで参加する
当日のステージは、とても生き生きとして子どもたちの表現がはじけていました。
注目の「25周年」の歴史では、「怠け」という認識を全国へのアンケートをとりながら変えていった取組みを紹介。劇ではフリースクールに通う*通学定期券を獲得させるまでを演じていました。
また、ユーラシア大陸横断やログハウス建設の夢を実現させたことを映像で紹介。06年に起こったいじめ自殺や「不登校の子どもの権利宣言」を取り上げました。参加者からはあきなかったと大変好評でした。
記念講演では、汐見稔幸さん(白梅女子大学学長)が不登校は本来の教育に戻せという訴えであり、子ども中心の教育の必要性だと話されて共感を呼びました。
地下展示場では各スペースごとの展示が行われ、子どもが製作した本物の10分の1の機関車も登湯しました。
発行された記念誌には、海外も含めた関係者のコメントの他、各分野の識者から「私にとっての25年」のテーマで寄稿があり、感慨深いものがあります。
卒業生たちは40歳になり、子連れでかけつけてきた人もかなりいます。大人になって働いているので、現在の雇用構造の悪化についての影響も出されていました。
多様なあり方で成長が保障される社会になるためには、時代にあった教育の仕組みにする取り組みと、文部科学省の政策の根本的変更の必要性について確認できた25周年でした。
(東京シューレ葛飾中学校校長 奥地圭子)
◆ 『子どもをいちばん大切にする学校』
奥地圭子著 東京シューレ出版1600円+税
東京シューレは、登校拒否が社会問題化した1985年に学校以外の居場所づくり、フリースクールとして東京都北区に設立、99年には東京都からNPO法人として認証され、活動している。
フリースクールは不登校の子どもの、不登校の子どもによる、不登校の子どものための学校である。入学した学校が本人の個性に合わなくて苦しんでいる子どもたちを受け入れる学校である。
現在の教育体制では学校は、教師や親、教育委員会、文科省によって指導され、子どもたちは指示通りに従って決められたことを消化していく制度になっている。
これと対照的な存在が、フリースクールである。シューレ中学校は、不登校の子どもを対象とする私立中学校だ。
不登校で学ぶ機会を失い、孤立感、ひけ目に苦しみ、未来への希望を失っている子どもたちが多くなっている。そこに焦点をあて、学ぶ権利を保障しながら自立に向けて成長を支える学校として存在している。
シューレ葛飾中学校は、東京シューレが母体となり、設立には葛飾区と連携し、東京都から学校法人の認可を受けることができた。
文部科学省から独自のカリキュラム申請を認められ、国の特区制度を活用して誕生した正規の私立中学校である。この3年間で100人の卒業生があり、高校や専門学校に入学してきた。
シューレ中学校は、「ミーティング」「学校運営会議」「実行委員会」で催しを企画している。基本にあるのは、子どもと親、スタッフが一体となり「子どもが創る」学校にするために、子どもが主人公になって自立性をつくっているところにある。
『週刊新社会』(2010/9/14)
◆ 子どもの休む権利学校以外の居場所
学校外の学びの場をつくり、NPO活動として不登校の子どもの成長を支援してきた東京シューレが、開設以来25年となりました。そこで「東京シューレ25周年祭 つながる力・つくる力」を7月24日、都内で催しました。
わが国の登校拒否・不登校は、1975年から増加の一途をたどっています。当時、文部省発表では「怠け」ととらえ、医者は「登校拒否症」と病気扱いすることが多く、戸塚ヨットスクールのような矯正施設や精神病棟に入れられることも疑問とされなかったのです。
多くの学校や親の対応は「首に縄をつけてでも登校させる」というものでした。人権無視のやり方が子どもたちにいい影響を及ぼすわけもなく、大人への不信惑、自己への否定感、苦しさからの家庭内暴力、多くの身体症状や神経症を生みました。さらに、人権侵害の結果、命を落とす子どもたちも出てきたのです。
1985年に誕生した「東京シューレ」は、学校復帰にこだわるのでなく、その子の休む権利を認め、学校以外の居場所、フリースクールも育っていく場のひとつであると考えています。
子どもたちが学校と距離をとる背景に学校のあり方の問題が大きいこと、親や社会が学歴社会の価値観を問い直して子どもを受け止めることの大事さを訴えていきました。親の学び合い、支え合いにも力を入れていったのです。
93年にはホームシューレ、99年にシューレ大学、03年に千葉県との協働で「流れ」(現在の柏の葉)開設、07年に教育特区を使ってフリースクールの公教育化をはかり、「東京シューレ葛飾中学校」の開校へと歩むことができました。
卒業生は1300人を超え、この25年間で親の会の全国ネットワーク、世界のデモクラティック教育とつながり、その活動を支え、不登校新聞社や出版社の活動を生み出すことにもなっています。
◆ 自らが歴史を学習劇と映像仕上げる
「東京シューレ」の25年は、日本のフリースクールの25年といっても良く、四半世紀経った今日、過去と未来を考える重要な節目ともいえます。
子どもたちは、各スペースから20人くらいが集まり実行委員会をつくり、積極的に準備していきました。私がとりわけ驚いたのは、「25年の歴史を参加者にどう知ってもらおうか」という課題についてのことでした。
25年のことを知っているのは私だけなので、自分でしなりをを書くしかないのかなと思っていたのですが、なんと子どもたちが歴史を学習しながら、劇と映像の1時間ものに仕上げたことです。親は自ら準備会を持ち盛り上がりました。
◆ 卒業生も40歳越え子連れで参加する
当日のステージは、とても生き生きとして子どもたちの表現がはじけていました。
注目の「25周年」の歴史では、「怠け」という認識を全国へのアンケートをとりながら変えていった取組みを紹介。劇ではフリースクールに通う*通学定期券を獲得させるまでを演じていました。
また、ユーラシア大陸横断やログハウス建設の夢を実現させたことを映像で紹介。06年に起こったいじめ自殺や「不登校の子どもの権利宣言」を取り上げました。参加者からはあきなかったと大変好評でした。
記念講演では、汐見稔幸さん(白梅女子大学学長)が不登校は本来の教育に戻せという訴えであり、子ども中心の教育の必要性だと話されて共感を呼びました。
地下展示場では各スペースごとの展示が行われ、子どもが製作した本物の10分の1の機関車も登湯しました。
発行された記念誌には、海外も含めた関係者のコメントの他、各分野の識者から「私にとっての25年」のテーマで寄稿があり、感慨深いものがあります。
卒業生たちは40歳になり、子連れでかけつけてきた人もかなりいます。大人になって働いているので、現在の雇用構造の悪化についての影響も出されていました。
多様なあり方で成長が保障される社会になるためには、時代にあった教育の仕組みにする取り組みと、文部科学省の政策の根本的変更の必要性について確認できた25周年でした。
(東京シューレ葛飾中学校校長 奥地圭子)
◆ 『子どもをいちばん大切にする学校』
奥地圭子著 東京シューレ出版1600円+税
東京シューレは、登校拒否が社会問題化した1985年に学校以外の居場所づくり、フリースクールとして東京都北区に設立、99年には東京都からNPO法人として認証され、活動している。
フリースクールは不登校の子どもの、不登校の子どもによる、不登校の子どものための学校である。入学した学校が本人の個性に合わなくて苦しんでいる子どもたちを受け入れる学校である。
現在の教育体制では学校は、教師や親、教育委員会、文科省によって指導され、子どもたちは指示通りに従って決められたことを消化していく制度になっている。
これと対照的な存在が、フリースクールである。シューレ中学校は、不登校の子どもを対象とする私立中学校だ。
不登校で学ぶ機会を失い、孤立感、ひけ目に苦しみ、未来への希望を失っている子どもたちが多くなっている。そこに焦点をあて、学ぶ権利を保障しながら自立に向けて成長を支える学校として存在している。
シューレ葛飾中学校は、東京シューレが母体となり、設立には葛飾区と連携し、東京都から学校法人の認可を受けることができた。
文部科学省から独自のカリキュラム申請を認められ、国の特区制度を活用して誕生した正規の私立中学校である。この3年間で100人の卒業生があり、高校や専門学校に入学してきた。
シューレ中学校は、「ミーティング」「学校運営会議」「実行委員会」で催しを企画している。基本にあるのは、子どもと親、スタッフが一体となり「子どもが創る」学校にするために、子どもが主人公になって自立性をつくっているところにある。
『週刊新社会』(2010/9/14)
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