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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

市教育委員宛て一元教員の手紙

2005年07月24日 | 平和憲法
拝啓
 大変お忙しい最中に突然手紙を出して、煩わしいことと思いますがお読み頂ければ幸いです。
 私は都立高校で長く社会科を教えていました。その内久留米高校では15年教諭として教壇に立っていました。最近は、東京都立大学で<公民科教育法>を教え、亜細亜大学ては世界史教育の実践研究という講座を担当しております。
 このような仕事をしてきた私には、昨今の中学校社会科教科書をめぐる問題は、ただ憂慮すべき事態だといっていられないと判断して、筆を執る次第です。
 それで、6月17日から4日ほど仕事の合間をぬって成美教育文化会館に行って、すべての出版社の歴史・公民の教科書見本本を手にとって、計11時間ほど読み、比較してみました。
 この程度の時間ではまだまだ目の届かない所が多いのですが、それでも以下の点だけははっきりいえると思います。

 扶桑社版と他の7社版とでは、歴史・公民とも、はっきりした違いがあることが分かります。それもただの違いではなく、教科書の、教育の根幹にかかわる相異です。中学生に対する姿勢にかかわるところです。
 8社とも見た目はきれいなのですが、7社は、いずれも「子どもめ目線に立ち]「子どもとともに考え」、ときには「子どもに問いかけ」ています。
 ということは、子どもの考える材料が、ときには異なる考え方が豊富に提供されているということです。
 そして、子どもがすぐにできることが、イラストや写真で示されています。「子ども国会」「公害患者へのインタヴュー」などです。
 しかも「アジアの人々と共に」という表題のように視野を世界に広げて、子どもが重大な社会問題でアメリカなどの子どもとメールを交換するような「動き」も載せるなど、実によく工夫されています。

 一方、扶桑社版はひたすら説明調なのです。執筆者達の考えを教え込もうとする流れではじまり終わっています。上からの、一方的な記述といった方がよいかもしれません。
 例えば、「公民」では、いきなり「公民とは」からはじまります。古代ギリシアでは、市民は「外敵から都市を守る義務を負う『公的』存在でもあった」などと書いています。大人には何をいいたいか大体分かるのですが、中学生には通じません。
 古代ギリシアの歴史は高校生になってはじめて、「世界史」や「倫理jで学びます。「難しさ」はとっつきにくさにつながります。子どもたちとの距離が広がってから次のベージに入ります。
 基本的人権の節では、いきなり「法律とは国家が強制的に国民に守らせるルールであり、これを守らなければ罰せられることもある」と書いて、子どもに「説教して」からはじめています。
 3つめは、各章の最後に1ページとって、重要な用語をぎっしりと並べています。「覚えなさい」ということです。暗記型の教科書では、社会科でいうところの真の学力を身につけることにつながらず、もう時代遅れになっているのです。

 扶桑社版は「中学校学習指導要領」をきちんと把握していないようです。
 現行指導要領は冒頭に「生きる力をはぐくむことを目指し、~中略~、自ら学び自ら考える力の育成を図る~後略~」と提示しました。
 従来の文章による説明中心の教科書ではなく、ただ覚えさせる学習から、思考力重視に転換した教科書、子どもが学ぶための材料としての教科書が求められるようになりました。
 各社の姿勢が一斉に変わって、工夫に工夫をこらせて、子どもとともに学べるような教科書ができたのだと思います。
 扶桑社の編集者・執筆者たちが、指導要領の転換をちゃんと把握できない主たる原因は「自分たちのある考え」を子どもに分からせようと」することばかりにねらいを定めてしまったからでしょう。
 「自分たちの考え」とは全く異なる考え方は無視されるか、わずかに書かれているだけです。教科書としてあってはならないもののように思います。

 2つめに、「公民」の憲法の部分をとりあげます。中学校学習指導要領では、「日本国憲法が基本的人権の尊重、国民主権および平和主義を基本原則としていることについての理解を深め」とあります。どの教科書も、もう何十年も前から憲法の三大原則を大きく掲げて記述しています。
 扶桑社版は「三大原則」という言い方をしていません。
 さらに指導要領では、「日本国憲法の平和主義について理解を深め」とありますが、「前文」と第9条の丁寧な解説はなく、戦後果たしてきた役割、非核3原則などはとりあげません。
 また指導要領は「日本国憲法の基本的な考え方を中心に理解させるように」と配慮をせまっています。
 ところが、扶桑社版では、「憲法を現実のものにするために憲法改正手続きが定められている」として、憲法改正に力を入れたり、「公共の福祉と国民の義務」の項では憲法99条にある公務員の憲法尊重の嚢務にはふれないで、外国の憲法にある「崇高な義務として国防の義務を定めている」をとりあげたりして、「憲法の基本的な考え方」が軽く扱われるようになっています。

 「歴史」教科書については、3点あげます。
 1つは近代史での様々な考え方についてで、他の教科書では、日露戦争について賛成・反対の両論を並記、満州事変による満州獲得の企てについては反対論も、日中戦争の開始にあたっては日中双方の言い分を載せるなど、子どもに考える機会が用意されています。
 扶桑社版は、日露戦争については、日本あげての国民的な戦争であったと高く評価するのみで、戦争に伴う国民の苦しみには目を向けず、日本の勝利が韓国の植民地化をもたらしたので、今日も韓国が最も厳しい評価をしている点は無視したままですし、また排日運動を大きくとりあげて、そのせいで中国に攻め込まざるをえなかったかのように記述しています。
 これからの日本が何よりも東アジア諸国と協力して平和を築いていかなければならないときに、このような叙述は子どもの視野を狭くしてしまうことになりそうです。
 2つめに太平洋戦争については「緒戦の日本の勝利が東南アジアの人々に希望を与えた」と当時の東南アジアの人々のある証言を載せて高く持ち上げていますが、今日に至るまで東南アジアのどの国からも、過去の日本の行動を評価する声どころか、非難する声しかあがってこないのは、東南アジア諸国の教科書を見てもはっきりしています。
 執筆者たちの考えを一方的に書いて、子どもたちに与えるだけでは、彼らの歴史認識が偏り、視野の広い若者が育たないと思います。
 3つめは、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下について、沖縄戦は2行半、原爆は1行半しか書いていません。
 日本国民の悲惨な体験は、どの教科書も写真も大きく載せ、あの苦しみを書き綴って、「平和」を語っているのとは大きな違ぃがあります。
 この部分は歴史のとらえ方の違いを超えて、中学生に話し掛けなければならない部分だと思います。周囲の年配の人の戦争体験を子ども自身の手で調べてくるような課題をだしている教科書もあります。
 国民の戦争体験を軽く扱う傾向は大問題ですし、子どもが平和の原点を自分たちで考え、行動して認識を深めるようにもっていくことこそ、憲法を深く学ぶことになるはずです。

 以上私が見本本を読んで考えたことの一端を簡単に書きました。
 改めて扶桑社版は採択できない内容だと思います。
 では他の7社ではどれがよいかというと、何といっても生徒と日常接し、指導しておられる現場の社会科の先生が生徒のために最もよい教科書をご存じだろうと思います。
 私は、東久留米の中学の先生の総意をどこまでも尊重されて決めていただければと考えます。
 わかりにくい文章で申し訳ありません。ご配慮のほどを念じております。酷暑の折からご自愛下さい。
敬具

平成17年7月18日   I.T.

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