◎ 人権侵害を後押しする司法の判断
-板橋高校卒業式威力業務妨害事件を中心に-
「キバナ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
あたりまえのビラ配布をターゲットにしたかのような「住居侵入罪」とされた一連の事件で有罪判決が続いていることは述べてきたとおりである。
立川防衛庁官舎ビラ人れの場合、判決を擁護して笠間治雄・最高検次長検事は「他人の住居の平穏の侵害が、表現の自由の名の下に許されないのは当然で、妥当な判断」とのべ、被告・弁護人は「残念で悔しい。権力者が気にいらない意見を言う者に刑事罰を科すことに、最高裁がお墨付きを与えた。さまざまな市民運動に強い影響を与える」と感想を述べている。
「他人の住居の平穏の侵害」の指す事態とはいったいどのようなものだというだろうか。極めて抽象的である。
この立川防衛庁官舎ビラ人れ事件判決を踏襲したのが「日の丸・君が代」思想弾圧事件となった板橋高校威力業務妨害事件(以下、藤田裁判)判決だ。〇八年五月、〇四年三月の卒業式から足かけ四年の藤田裁判、控訴審判決が出た。判決は言う。
「…そこで検討すると、憲法21条の保障する表現の自由が優越灼地位を有することは所論指摘のとおりであるとしても、憲法21条は表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のために必要かつ合理的な制限に服することを是認するものであって、たとえ思想を外部に発表するための手段であっても、その手段が他人の財産権、管理権等の権利を不当に害することは許されないといわなければならない。そして既にのべたように板橋高校の校長である北爪は(中略)本件実施要領に基づき本件卒業式を円滑に執り行う法律上の権利を有していたものである。」
ここでも「他者の権利」という表現が出てくる。マンションの管理人の「マンションを管理する権利」、自衛隊官舎住人の「平穏な生活をする権利」、北爪校長の「10・23通達に沿った厳粛な卒業式を円滑に執り行う権利」というものを対置してきたのである。
立川テント村の仲間たちは「イラク派兵を問う」たのであり、共産党員の新聞号外は自らの政治的主張を拡げたのであり、元教員藤田さんは「(学校現場に日の丸・君が代を強制する)10・23通達のために教員は起立して君が代を歌わないと処分される。だから理解して、協力して」と保護者に卒業式前にビラを配り、保護者席で語りかけたのである。
そうすると、裁判というものはこれらの主張がされて都合の悪い立場にある者、すなわち防衛庁や保守勢力や日の丸・君が代強制に血道をあげる学校行政などが、批判と受けとめた内容「イラク派兵は憲法違反か」「憲法を守ろうという主張は間違っているのか」「10・23通達は違法ではないのか」についての検討があってはじめて、行為に対して量刑がなされるべきであろう。そうして事実にそぐわない主張だったのであれば、いかに憲法が「表現の自由」を保障しようと、罰金刑もあるかもしれない。
だが官舎へのビラは宅配ピザのビラ同様、住人の平穏な暮らしに具体的な被害はなんら及ぼさなかったし、共産党員の号外も実害などない。藤田さんは肝心の卒業式が始まる前に式場から暴力的に追い出されていた。式を喧騒状態に陥れて(威力)卒業式を遅らせた(業務妨害)などというのは全くのうそ八百だ。
喧嘩状態というなら来賓の土屋たかゆき都議会議員が「国歌斉唱」のとき、卒業生が一斉に着席したことに驚愕し、「日本人だろう」「起って歌いなさい」と校長、教頭とともに騒いだことだ。厳粛という言葉がいかにあやふやなものか卒業生は胸に刻んだことだろう。開式が二分遅れたというのも、この土屋議員を取材するテレビカメラが入っていたからだった。
◎ まとめにかえて
以下は板橋高校卒業式の五日後の都議会予算特別委員会での発言である。
○土屋たかゆき 「板橋高校では、当日、元教員が式典の直前に、日の丸・君が代押しつけ反対で教職員十人の戒告との見出しの週刊誌のコピーをまき、今回の卒業式の実施方針について、いわゆる批判演説を行っていたんですね。この元教員は、在職中に組合活動の中心人物だったと聞いています。この元教員は、校長の制止命令にもかかわらず式典を妨害したものであり、これは厳しく法的措置をとるべきだと思いますが、いかがでしょう。」
○横山教育長(当時) 「校長などの制止にかかわらず元教員が週刊誌の記事のコピーを保護者に配布して、この卒業式は異常であるなどと大声で叫んだことは、卒業式に対する重大な業務妨害行為でございまして、法的措置をとります。」
藤田裁判が「国策裁判」(鎌田慧さんの言葉)といわれるゆえんである。
このやりとりののち、東京の学校現場における「日の丸・君が代」強制は熾烈になり、〇七年度未にはのべ四〇八人の処分者を出すに至っている。被処分者や支援者たちは「嘱託不採用」「解雇」「再発防止研修」「人事委員会審理」さまざまな旗の下で闘いながら、市民との連携を求めている。
藤田さんが警鐘を鳴らしたとおり、実害は東京から神奈川、大阪、新潟、北海道へと拡大している。だが、「日の丸・君が代」強制とのたたかいもまた確実に拡がっている。
大阪での新勤評訴訟で明らかになっていることは「日の丸・君が代」強制と勤務評価システムが完全に車の両輪となって教員を締め付けていることだ。身に覚えのない評価に苦情を申し立てれば、さらに評価が下がるというのでは労働者いじめも甚だしい。逆らうものは徹底的に抑え込む。新自由主義的教育改革の本音がここに現れている。
北海道では芽室小学校で新聞記者が卒業式潜入ルポで国歌斉唱不起立を書き立てた。「公共の福祉」「秩序」「常識」という言葉もこれからも頻繁に誤用されることだろう。
だが、閉塞感づくりもそこまでだ。弾圧を受けたものが負けずに闘いつづけることが、現在日本全体の就業者の三分の一を超えた非正規雇用の仲間たちや、無権利状態におかれた多くの働く仲間たちをはげますことにつながっていく。だから、「表現の自由」という「私の権利」を行使しよう。これ以上世の中を悪くしてはならない。
〇八年秋に国連の人権規約委員会がジュネーブで開催される予定だ。日本政府からのレポートに対してのカウンターレポート「民の声レポート」を私たちも提出する。「藤田先生を応援する会」は弁護団をはじめ教職関係者と地域の方々、そして関連裁判をたたかう仲間たちと力を合わせ、この閉塞感を払いのけ、一・二審判決を批判しぬき、最高裁で無罪判決を勝ち取る決意である。(かわむら・ひさこ)
(完)
『科学的社会主義』(2008.8 №124 《特集》 非核・平和、人権の社会を築く)
-板橋高校卒業式威力業務妨害事件を中心に-
「キバナ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
あたりまえのビラ配布をターゲットにしたかのような「住居侵入罪」とされた一連の事件で有罪判決が続いていることは述べてきたとおりである。
立川防衛庁官舎ビラ人れの場合、判決を擁護して笠間治雄・最高検次長検事は「他人の住居の平穏の侵害が、表現の自由の名の下に許されないのは当然で、妥当な判断」とのべ、被告・弁護人は「残念で悔しい。権力者が気にいらない意見を言う者に刑事罰を科すことに、最高裁がお墨付きを与えた。さまざまな市民運動に強い影響を与える」と感想を述べている。
「他人の住居の平穏の侵害」の指す事態とはいったいどのようなものだというだろうか。極めて抽象的である。
この立川防衛庁官舎ビラ人れ事件判決を踏襲したのが「日の丸・君が代」思想弾圧事件となった板橋高校威力業務妨害事件(以下、藤田裁判)判決だ。〇八年五月、〇四年三月の卒業式から足かけ四年の藤田裁判、控訴審判決が出た。判決は言う。
「…そこで検討すると、憲法21条の保障する表現の自由が優越灼地位を有することは所論指摘のとおりであるとしても、憲法21条は表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のために必要かつ合理的な制限に服することを是認するものであって、たとえ思想を外部に発表するための手段であっても、その手段が他人の財産権、管理権等の権利を不当に害することは許されないといわなければならない。そして既にのべたように板橋高校の校長である北爪は(中略)本件実施要領に基づき本件卒業式を円滑に執り行う法律上の権利を有していたものである。」
ここでも「他者の権利」という表現が出てくる。マンションの管理人の「マンションを管理する権利」、自衛隊官舎住人の「平穏な生活をする権利」、北爪校長の「10・23通達に沿った厳粛な卒業式を円滑に執り行う権利」というものを対置してきたのである。
立川テント村の仲間たちは「イラク派兵を問う」たのであり、共産党員の新聞号外は自らの政治的主張を拡げたのであり、元教員藤田さんは「(学校現場に日の丸・君が代を強制する)10・23通達のために教員は起立して君が代を歌わないと処分される。だから理解して、協力して」と保護者に卒業式前にビラを配り、保護者席で語りかけたのである。
そうすると、裁判というものはこれらの主張がされて都合の悪い立場にある者、すなわち防衛庁や保守勢力や日の丸・君が代強制に血道をあげる学校行政などが、批判と受けとめた内容「イラク派兵は憲法違反か」「憲法を守ろうという主張は間違っているのか」「10・23通達は違法ではないのか」についての検討があってはじめて、行為に対して量刑がなされるべきであろう。そうして事実にそぐわない主張だったのであれば、いかに憲法が「表現の自由」を保障しようと、罰金刑もあるかもしれない。
だが官舎へのビラは宅配ピザのビラ同様、住人の平穏な暮らしに具体的な被害はなんら及ぼさなかったし、共産党員の号外も実害などない。藤田さんは肝心の卒業式が始まる前に式場から暴力的に追い出されていた。式を喧騒状態に陥れて(威力)卒業式を遅らせた(業務妨害)などというのは全くのうそ八百だ。
喧嘩状態というなら来賓の土屋たかゆき都議会議員が「国歌斉唱」のとき、卒業生が一斉に着席したことに驚愕し、「日本人だろう」「起って歌いなさい」と校長、教頭とともに騒いだことだ。厳粛という言葉がいかにあやふやなものか卒業生は胸に刻んだことだろう。開式が二分遅れたというのも、この土屋議員を取材するテレビカメラが入っていたからだった。
◎ まとめにかえて
以下は板橋高校卒業式の五日後の都議会予算特別委員会での発言である。
○土屋たかゆき 「板橋高校では、当日、元教員が式典の直前に、日の丸・君が代押しつけ反対で教職員十人の戒告との見出しの週刊誌のコピーをまき、今回の卒業式の実施方針について、いわゆる批判演説を行っていたんですね。この元教員は、在職中に組合活動の中心人物だったと聞いています。この元教員は、校長の制止命令にもかかわらず式典を妨害したものであり、これは厳しく法的措置をとるべきだと思いますが、いかがでしょう。」
○横山教育長(当時) 「校長などの制止にかかわらず元教員が週刊誌の記事のコピーを保護者に配布して、この卒業式は異常であるなどと大声で叫んだことは、卒業式に対する重大な業務妨害行為でございまして、法的措置をとります。」
藤田裁判が「国策裁判」(鎌田慧さんの言葉)といわれるゆえんである。
このやりとりののち、東京の学校現場における「日の丸・君が代」強制は熾烈になり、〇七年度未にはのべ四〇八人の処分者を出すに至っている。被処分者や支援者たちは「嘱託不採用」「解雇」「再発防止研修」「人事委員会審理」さまざまな旗の下で闘いながら、市民との連携を求めている。
藤田さんが警鐘を鳴らしたとおり、実害は東京から神奈川、大阪、新潟、北海道へと拡大している。だが、「日の丸・君が代」強制とのたたかいもまた確実に拡がっている。
大阪での新勤評訴訟で明らかになっていることは「日の丸・君が代」強制と勤務評価システムが完全に車の両輪となって教員を締め付けていることだ。身に覚えのない評価に苦情を申し立てれば、さらに評価が下がるというのでは労働者いじめも甚だしい。逆らうものは徹底的に抑え込む。新自由主義的教育改革の本音がここに現れている。
北海道では芽室小学校で新聞記者が卒業式潜入ルポで国歌斉唱不起立を書き立てた。「公共の福祉」「秩序」「常識」という言葉もこれからも頻繁に誤用されることだろう。
だが、閉塞感づくりもそこまでだ。弾圧を受けたものが負けずに闘いつづけることが、現在日本全体の就業者の三分の一を超えた非正規雇用の仲間たちや、無権利状態におかれた多くの働く仲間たちをはげますことにつながっていく。だから、「表現の自由」という「私の権利」を行使しよう。これ以上世の中を悪くしてはならない。
〇八年秋に国連の人権規約委員会がジュネーブで開催される予定だ。日本政府からのレポートに対してのカウンターレポート「民の声レポート」を私たちも提出する。「藤田先生を応援する会」は弁護団をはじめ教職関係者と地域の方々、そして関連裁判をたたかう仲間たちと力を合わせ、この閉塞感を払いのけ、一・二審判決を批判しぬき、最高裁で無罪判決を勝ち取る決意である。(かわむら・ひさこ)
(完)
『科学的社会主義』(2008.8 №124 《特集》 非核・平和、人権の社会を築く)
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