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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

●第4回公判[2005/6/21]報告

2005年07月08日 | 板橋高校卒業式
     ICレコーダーの疑惑
                                                     事務局 S・A

 藤田裁判第4回公判は、6月21日、10時から17時近くまで行われた。多彩な顔ぶれの支援者が詰めかけ、開廷時には傍聴席がほぼ満席となった。傍聴者は相変わらず法廷入り口で荷物を預けさせられ、ボディ・チェックされた。休廷後の再開時も繰り返された。「疑わしきは罰せず」の精神とはほど遠く、「人を見たら泥棒と思え」式の傍聴者への裁判所の姿勢である。

 第4回公判は、報告集会での澤藤弁護士の言によれば、「ICレコーダーが唯一の証拠であり、これがなかったら立件出来なかっただろう。そのICにこんなに問題点があるということを明らかにさせる」のが目的であった。その上で「次回ICレコーダーを聞くことになるが、こんな程度のことが犯罪なのか、表現の自由の範囲ではないのか」を主張することになる。

(1)村瀬裁判長は訴訟指揮の威力を見せつけている。検察官の「異議あり」をほとんど却下しつつ傍聴席にも厳しい目を光らせ、今回は「退廷命令」まで出した。ICレコーダーで卒業式を録音した鯨岡証人(当時指導主事)が「したかも知れないし、しなかったかも知れない」とか「覚えていない」など不誠実な返事を繰り返していた所で、思わず出た「嘘つくな」のさほどの大声でもないつぶやきを、裁判長は聞きとがめ、「証人への侮辱」として退廷命令を発した。一度退廷になるとその日は傍聴できない。
 しかし、全体としては弁護人の質問が「事案の真相」を明らかにするように配慮した法廷運営をしているようにも感じられた。

(2)[午前の部] 前回に続き鯨岡証人に対し、加藤・小沢・大山・只野弁護士が順に反対尋問にあたる。書証を証人に示しての細かいやりとりなので、傍聴席ではよくわからない所が多々あったが、いくつかポイントを紹介する。問題のICレコーダーは鯨岡証人が誰にも断らず無断で録音したもの。オンにしてから卒業式終了まで録音し続けた。
●それを再生して作った筈の「IC解析表」には、証人自身が「9時43分」と確認した直前に、藤田さんは既にビラを「配布していた」と過去形で表現しているのに、「最後まで見届けていない、知らない」と証言。
●ビラ配布を制止したという教頭の「やめなさい」という言葉は載っていないのに、証人はそれを「聞いた」と証言。
●証人は加治警察官に事情聴取を受けた時間がどの位か、調書が取られたのか、何回呼ばれたのかなどは「定かではない」。
●ICレコーダーを任意提出した時にB、Cフォルダの件を警察に伝えたか否かも「わかりません」「覚えていません」を連発。
●Bフォルダに入っていた杉並高校の卒業式に出席したといいながら、他の指導主事等の名前は記憶になく、どの場所にすわったかも「保護者席か、教職員席の後か、記憶が定かでない」。
●パソコンにデータを保存し、CDも作製したが、他に配ったかどうか「記憶にない」。
 午前最後のところで、左陪席の裁判官が発言を求め、教頭の制止について質問。「大きい声で聞き取れた」と言い、「ICで聞いた部分と違わない」と矛盾する答をした。裁判官も首を傾げていたように見えた。(11:50終了)

(3)[午後の部] 公安二課の加治警察官が証人として登場。主尋問から。ICレコーダーの任意提出を鯨岡証人から受けて、ICの機能をよく知らない証人がこれをパソコンに入れて、Aフォルダしかないと「資料入手報告書」に書いた。その後(今年の2月)B、Cフォルダにもあったということがわかった「単純ミス」として説明。
 反対尋問は大山・小沢・只野・加藤弁護士。はじめに公安二課の仕事について追及したが、証人の口は固くなり、「私の立場で答えることではない」と言い、板橋高校に捜査に行った公安の人数が所轄の板橋警察より多かったことは認めたが、名前は「業務に支障が出るので答えられない」と拒否。当初から公安事件として立件すべく動いていたことが明らかになる。(警視庁公安二課は「労働組合、市民団体等担当」。ちなみに国公法弾圧堀越裁判において、公安が隠し撮りしたビデオが証拠として出されている。)
●提出されたICレコーダーからは1回も音声を聞いていない。
●鯨岡証人からB、Cフォルダの説明も受けていない。
●「解析表」を作る時に焼いたCDを鯨岡証人といっしょに聞きながら、これは誰とか教えてもらった。「一日近くかかった」と鯨岡証言と異なる証言。
●さらに今年1月、検察官からの依頼で、映像的なものを入れて「解析表」を再度作るように言われて作製。この2種類の解析表は時間が逆転していたり、一方に載っている言葉が一方では無くなっているなどについては、「ずれたかも知れない」「メモを取り忘れたかも知れない」。
●「鯨岡証人以外に事情を聞いた人はいたか」に対し、「いた」と答えたものの、その名前は言えないのか沈黙が続く(藤田さん曰くフリーズしてた)。
●「土屋都議から聞いているのでは?」とたたみ込まれると「はい、聞いています」「土屋都議にICレコーダーを聞かせているのではないか」「いない」と答えた。さらに「土屋都議がこの男を排除しろと言ったのではないですか」「そういう記憶もあります」「その声がどうしてICレコーダーに入っていないのか」「聞き取れていない、その声を探そうとして聞いてはいない」さらに「TBSの報道特集のビデオを使ったのではないか」に対してそれを認めたが、誰が提供したか「忘れた、わからない」を繰り返した。
●起訴状にある「この卒業式は異常です。国歌斉唱の時、教職員が立って歌わないと処分されます。ご理解願って、国歌斉唱の時は出来たら着席お願いします」がどうして「解析表」にないのか? に対して、「はっきりしないがあったんではないか」「はっきり聞こえていない部分は入っていない、・・・・・(テンテン)の部分です」と答えた。(終了16:37)

(4)こんなにも多い「なぜ?」
●そもそも不測の事態に備えて「状況把握」のため派遣された鯨岡証人の記録としてのICレコーダーを、(他の主事及び上司を含め)都教委がなぜ再生し検討しないのか。
●ICレコーダーを警察に提出する時に、A、B、C、Dフォルダの話をなぜしないのか。
●もしかしてAフォルダのみのレコーダーとBCDフォルダつきのものと2本あるのか。編集・改ざんの可能性は? 
●教頭の「止めなさい」というビラ配布制止の言葉が録音されていないのはなぜか。「制止」する行為は本当にあったのか?
●足音が多く録音されているのはなぜ?(鯨岡証人が歩き回って藤田さんの言葉を拾っているからではないか?)
●土屋都議の声は録音されていないのはなぜか?
●公安警察と言えば警備情報の収集が主要な仕事の一つであるのに、証拠品としてのICレコーダーを再生も出来ず、パソコンに移して加治警察官1人で作業するなどありうるのか。またAフォルダしかないという虚偽の報告書を書いて、「ミスだった」というようなずさんさで証拠能力が認められるものなのか。
 次回はICレコーダーのA、B、Cフォルダを再生する証拠調べになる。教頭の制止を振り切ってビラをまいたのか、開式はどの位遅れたのかなどが焦点。Bフォルダの杉並高校の卒業式開始時間にも注目。第4回公判で明らかにされた「IC解析表」の矛盾からいっても、証拠能力自体に疑問があり、起訴状にあるような「威力を用いての卒業式妨害」の成り立つような客観的証拠になり得ないのではないか。  

(5)10・23通達に逆らう者へのみせしめ
 ことが「日の丸・君が代」強制にかかるものでなければ、このような起訴はなかったに違いない。再び澤藤さんの言葉(「澤藤統一郎の事務局長日記」から)を借りれば、藤田さんは「お上にまつろわぬ者に対するみせしめ」「お上に逆らう不逞の輩」として、都教委と公安二課、地検公安部の合作で起訴された。そこには今回登場した土屋都議も関わっている。その物的証拠としてのICレコーダーがかくも疑惑に満ちたものであることが明らかになった。
 私たちは今後の展開を注目し傍聴にかけつけ、裁判官に「多くの市民が関心を向けている事件」として、藤田さんの無罪判決を決断させなければならない。最後に弁護団の精力的な活動にもあらためて感謝と敬意を表したい。

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