Noneがつきたい仕事に向かってうまくやっていくには、
同級生や上司の親がお金持ちとか名のあるひとであることも多くあって
嫉妬や僻みの心をもっていてはやりきれないよといってある。
でもそれよりも前に、Noneがつきたい仕事にもしなれるなら
貧しい人も学力が高くない人も傷つけないやりかたで成功しなさいと言ってある
公立出身でいこうと決めたからにはしかたのないことである。
私立のように成功したひとたちだけ集まって上を目指すわけではない。
成績が良くて自分の明るい将来をこれみよがしにするとしたら
それだけでラグビーでタックルされるぐらいの横槍が入る。
Noneが勉強して、調子がいいときがあっても、いや、調子にのらないときですら、それをうちあける相手がいないのだ。
その中で難易度の高い理系の科目の勉強をつづけていくのに困難を感じている。
今日は高校受験のことはぶっとばして予備校めぐりをしていた。
今日を生きるのに精一杯の人たちの多い職場で稼いだ金をわが子の成功のためにかける予定でいる。
元から子供にかけるつもりで仕事に出たのだし、時代柄職場の人々がそのようであるとしてもおかしくはないのだけど、世の中の不平等をこういう形で体感するのは気持ちのいいものではない。(これは、もっと無神経にならないとこれからやっていけないとは思っているのだけれど)
なんだか自分が犍陀多のように思えてくる。自分の身の回りの貧しい人頭の賢くない人、誰一人を傷つけてはならない、そんなことをすれば自分の手繰っている蜘蛛の糸が切れてしまうような気になってくる。とはいえ、この蜘蛛の糸を必死で手繰り寄せなければ、Noneをもっと勉強させなければ、出口にはたどり着けないだろうと思うのだ。
子供が学校で家で猛勉強をしていることを一言も言わないのと同様、わたしも仕事場でNoneの話をしない。他の人で家族の話をするひとはいるが、たわいもない話である。たいていは就職しそこねたとかの事情で本当はもっと待遇のいい企業にでも就職希望してたのだろうけれど残念な結果になっている。
結果平等主義とかはこういうのとは違うと思う。
今仕事場にいる人は結構実力もあってそれなりの学校も出ているのだと思う。それでもこの結果なのだ。実際頑張ってけっこういい大学の理系の院かなにか出たのだろうけど結局大型電気通販店のバイトになったりするようなことと同じだ。
結果だからで済ませられるようなことではないと私は思っている。
もしそう思っていたらそれはNoneに還ってくる気すらする。うまく理系の大学にいれても、その分野で就職難になっていて、塾の非常勤講師で終わってしまうような。
Noneが入る高校によって対策も変わるだろうのに予備校まで見てた(その前に書店でNoneが理系に向かうとしたら受ける試験対策の本をみてた)のは、Noneが受ける予定の科目でないなら、たとえば地理とか、必要ないなら高校受験に必要なぶんだけをさせて、科学や数学など必要なものは前へ、しかも大学受験に役に立つように先取りしていったほうがいいと思ってなのだ。
できることならたくさん貯金して理系に強い予備校にも入れてやりたい。
そのお金はたぶん無理すれば出てくるだろうと今は信じていて、それにNoneがついていけるとも信じていて。
ただ、この地元に居て同じ方針でいこうと考えるような人がいない。いや、この荒廃した地域ではみなもっと今日明日のことで動いている。
犍陀多の蜘蛛の糸は切れるってもう話はきまっているのだけれど
そう、だから、だれも傷つけてはいけないと思っている。
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同級生や上司の親がお金持ちとか名のあるひとであることも多くあって
嫉妬や僻みの心をもっていてはやりきれないよといってある。
でもそれよりも前に、Noneがつきたい仕事にもしなれるなら
貧しい人も学力が高くない人も傷つけないやりかたで成功しなさいと言ってある
公立出身でいこうと決めたからにはしかたのないことである。
私立のように成功したひとたちだけ集まって上を目指すわけではない。
成績が良くて自分の明るい将来をこれみよがしにするとしたら
それだけでラグビーでタックルされるぐらいの横槍が入る。
Noneが勉強して、調子がいいときがあっても、いや、調子にのらないときですら、それをうちあける相手がいないのだ。
その中で難易度の高い理系の科目の勉強をつづけていくのに困難を感じている。
今日は高校受験のことはぶっとばして予備校めぐりをしていた。
今日を生きるのに精一杯の人たちの多い職場で稼いだ金をわが子の成功のためにかける予定でいる。
元から子供にかけるつもりで仕事に出たのだし、時代柄職場の人々がそのようであるとしてもおかしくはないのだけど、世の中の不平等をこういう形で体感するのは気持ちのいいものではない。(これは、もっと無神経にならないとこれからやっていけないとは思っているのだけれど)
なんだか自分が犍陀多のように思えてくる。自分の身の回りの貧しい人頭の賢くない人、誰一人を傷つけてはならない、そんなことをすれば自分の手繰っている蜘蛛の糸が切れてしまうような気になってくる。とはいえ、この蜘蛛の糸を必死で手繰り寄せなければ、Noneをもっと勉強させなければ、出口にはたどり着けないだろうと思うのだ。
子供が学校で家で猛勉強をしていることを一言も言わないのと同様、わたしも仕事場でNoneの話をしない。他の人で家族の話をするひとはいるが、たわいもない話である。たいていは就職しそこねたとかの事情で本当はもっと待遇のいい企業にでも就職希望してたのだろうけれど残念な結果になっている。
結果平等主義とかはこういうのとは違うと思う。
今仕事場にいる人は結構実力もあってそれなりの学校も出ているのだと思う。それでもこの結果なのだ。実際頑張ってけっこういい大学の理系の院かなにか出たのだろうけど結局大型電気通販店のバイトになったりするようなことと同じだ。
結果だからで済ませられるようなことではないと私は思っている。
もしそう思っていたらそれはNoneに還ってくる気すらする。うまく理系の大学にいれても、その分野で就職難になっていて、塾の非常勤講師で終わってしまうような。
Noneが入る高校によって対策も変わるだろうのに予備校まで見てた(その前に書店でNoneが理系に向かうとしたら受ける試験対策の本をみてた)のは、Noneが受ける予定の科目でないなら、たとえば地理とか、必要ないなら高校受験に必要なぶんだけをさせて、科学や数学など必要なものは前へ、しかも大学受験に役に立つように先取りしていったほうがいいと思ってなのだ。
できることならたくさん貯金して理系に強い予備校にも入れてやりたい。
そのお金はたぶん無理すれば出てくるだろうと今は信じていて、それにNoneがついていけるとも信じていて。
ただ、この地元に居て同じ方針でいこうと考えるような人がいない。いや、この荒廃した地域ではみなもっと今日明日のことで動いている。
犍陀多の蜘蛛の糸は切れるってもう話はきまっているのだけれど
そう、だから、だれも傷つけてはいけないと思っている。
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