語学に本当に奔走中(旧子供の夢をかなえたい 旧英語に本当に奔走中)

娘Noneは現在某国公立大学生、今年院を受験予定。現在自分はジオシティーズ時代からのネット界の知り合いを捜索中。

フランチャイズの講師をしていたとき

2012-11-22 08:48:41 | 英語学習でもなんでもないもの
外大の生活にも慣れたあと、結婚するまで、副業として
自宅でECCジュニアの講師を副業としてしていました。

私のところに来たのは小学校の高学年の子がほとんどで
英語は全くと言っていいほど初心者の子ばかりでした。

テキストはそれでも動揺がないレベルのものでしたが
私が勤めていたときは、幼児のときから習っていても
さほど変わりのないレベルの教科書をすることになって
いました。

算数や国語も見れるようにしていたので、算数や国語の
授業を一緒に取る生徒も半分ぐらいいました。

私が受け持ったのは「学校についていけない」子が
大半で、英語は普通に最初のレベルからでしたが
算数などは、レベル判定テストの結果、学年を
かなり下げないといけない子もいました。

複雑な家庭の子(塾などに習いに来るお金はあるけど
家庭で家族に構われていなかったり、勉強する環境に
なかったりして、授業についていけなかったのは
その子のせいだけとは言えないような子)も結構いて
私のところでその子を肯定する雰囲気で勉強すれば
ちゃんとわかるし、嫌いだった勉強を好きになって
くれるようにもなりました。

一部の高偏差値の子以外は価値がないようなことを
書く人に強い反感を持つのはそのためです。
(今は偽善的なことを書いていますが、初期の見下した
内容のひどさを私は忘れられません。)

お金持ちだったけど、お父さんが出張の際海外で妻でない
人と作ってしまった子で、小学校低学年のときに急に
日本に連れてきて、(母国語は英語でない、その子自身
親が日本にいることも聞かされないで育っていた)そして
日本で両親も母親の違う妹弟も学校も誰もその子の母国語を
喋らない、いわゆるサバイバル的手段で日本語を獲得
した子がいた。

私がその子を担当することになったのは、その何年か後で
母国語を完全に忘れていた。その上に英語を始めて、
ついでに国語と算数を該当学年についていけるように
教えてもらうように頼まれた。

その子は授業の合間に辛いことなどを私に相談し、(英語とか
算数は人数がいたのでそんなことはしなかったが、国語は
その子の学年の授業は個人授業になっていたので、その子の
相談相手になっていた。)

その他の子も英語を学ぼうとする子はお母さんが英語圏でない
外国人で将来国際的に活躍出来る子にしたいと願ってうちに
連れてきた親も結構いた。

該当学年についていけないような子は家庭環境が整って
いなかったり、それなりに理由があることが多いのだと
そのときに知ることになりました。

もちろん、世間一般的な家庭環境で、成績も学年標準的な
子もいた。

そういう子でも、あの人は「終わっている」と言ったのだ。

一般的な家庭で、特に勉強にそれほど一生懸命になる動機も
なく、学年標準的な成績をとっている子のどこが「終わって
いる」のだろう。

どの子と接していても楽しかった。その子なりのペースで
頑張っていくのを、私は受験とか特に重い責任がないので
ただ、その子が勉強を好きになるように導いていくことだけを
考えることだけをしていけばよかったので楽しい期間だったと
思います。

もうその子たちも成人しているはずで、私と一緒に国語を
勉強したその子はいい就職をしたとだけ聞いています。

ほとんどの子は平均的な成績をとり、平均的な社会人に
なっているそうです。

以前塾講師が耳鼻科を難色しただけで、全国の耳鼻科に
謝れとか書いていたひとがいたけど、こちらこそ全国の
標準的な成績の一般的な社会人に対して謝れと言いたかった。

もう、ちゃんとした対応をしてくれるひとではないのだと
思うので諦めることにしましたが。

うちの子が小さい時物分りの悪い子だったときも(いまでも
そんなに飲み込みよくないですが)そのままで引き受ける
ことができるのはその時の経験が活かせていると思っています。

天性の才能のある人ばかりが優遇される世の中ではない。

平凡な我が子に学習を面白いものだと分からせることができたら
私の仕事は殆ど終わる。あとはうちの子がそれでできたことが
私の子の答えなのだと受け止めればそれでいい。

我が子の知的好奇心をくすぐるものを探してくる、現在は
昔よりそういう素材が探せばたくさんあるし、それを探す作業は
まだ子どもにできるものではない。

電子辞書の中に入っているNHKの動画コンテンツに興味を
持ってくれた。それは普通のレベルのことで天才的なことでは
ない。それでいい。

公立小学校の中でいろんな子と(とくに優秀な子だけを選ぶと
いうわけでなく)うまく付き合っている子になっていることは
私が期待していた以上の成長だと思っています。

私がすることはもう、宿題するときに宿題をさせる、とか
簡単な時間配分のことだけになってきたなあと思っています。

もちろん、英語など、私がついていたほうがいいことはまだまだ
あると想いたいですが。

ブログを書いていたほうが、家庭学習の時間配分を考えるのに
いい効果があると思うので続けてはいますが、多くの地域では
中学で受験するか、高校でそんなに特殊な受験もないのでしょう
から、うちの勉強法が参考になるとかそんなことはないだろうな
英語もかなり特殊な教え方してるし、頑張ってる人からみたら
遅れているし、先取りとして考えたら無理して見えるかもしれない。

うちの子の「いまできる」ことを小さいときからしていた
だけですから、それにこれからもそうするんだろうなと
思います。

私自身が自分の親から「出来る子」みたいに自慢されて育って
身動きがとれなくなって迷惑をした覚えがあるので、似たような
ことをする人に神経質になるところは否めませんが。

自分の子は今できることを今できるだけの評価をして
できたこともできただけの評価をして、最終的にできたことを
受け入れてあげる、それが親の役目だと思っています。

だいたいこんな感じです。
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