最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

クラクフ

2025-01-18 02:28:06 | 日記
織物会館



クラクフヴァヴェル城


クラクフは、ポーランドの首都ワルシャワの南東部の古くて由緒のある都市、ポーランドの春という言葉に連動する 曰くある都市です。レオナルドダビンチの900年前の作品もこの都市の美術館にあったり、ユダヤ人人口が多かったことが影響して最初の画像の織物会館はユダヤ織物の宝庫だそうです。

新しい年を迎えましたが、ムスコの帰省はなし、お取り寄せのお節が薄味の割には、おだしがよくきいていて、6段重ねを最初の10日間で完食しました。その間、主として主食はお雑煮か、白がゆ。上手に漬けてくださる当地方の冬の名物「かぶらすし」とで、おさんどんから全く解放された年の始まりでした。
いくつか、見入ったテレビ番組もありました。お正月に限らずほぼ通年でヨーロッパのトラムの旅の番組があります。思いがけず、クラクフが取材されていて、録画しました。ずっと憧れの街です。古さや文化の深さを観点にしますと、日本はヨーロッパの地方に伍すどころか、ほぼ勝っています。文化の交流の薄かった時代でさえも、独特の和のみにとどまらぬ中庸や、静謐や、主張のない主張、など、黙して語る重厚かつ繊細な独特の文化をあちこちの場所で残しています。
それでも、何故か、バタ臭くないこのクラクフの空気感?といってももちろん訪れたこともない未知のばしょですが、心惹かれてまいりました。

夢を持てば叶う、というには、私は自分の分を心得ているつもりですので、その地を訪れるのは、画像の中で十分満足できます。
今月中旬は久しくお会いしてこなかった知人をお迎えする機会がありました。家人の奉職時代の若い方々で、私は今回はじめてお目もじ叶った方もいらっしゃいました。話の輪に加わるのは少しの時間に限られましたが、そのお話の中から、ふと、人は、実は、他とのふれあいを求めてやまない部分があるのだ、と妙に感心しました。

下旬は、隔月に一度くらいはお会いしてあれこれ、心の済むまで話すかつての職場で知り得た友人が、来週早々訪れてくれます。
そして、最後の週には、何と45年ぶり?だそうですが、私が初めて教えた新米以下のド素人教師だったときの教え子(と口にするも恥ずかしい)が、訪ねてくれることになっています。
私の影響、といいますと、口が過ぎますが、彼女たちの学年は、めざせ、ぽこ先生、が合言葉のように、10人近く私の母校に合格、入学してきたそうです。卒業後、そのまま修士博士課程を終えて、母校の助教授くらいまでにはなった人がいます。途中で、心の平穏を保つのが辛くなり、仕事をやめて、故郷に戻った、と聞いておりました。
その彼女が、私とお茶する時間を持たせてほしい、と戸をたたいてくれました。
今年の年賀状に「一緒にお茶しませんか?待っています」と一言添えたのが、ぽっかり晴れ間を見た瞬間でした、とハガキがきました。

私は、Let’s have a good time together over a cup of tea を合言葉に心が潤う日々を重ねていきたい、と人の出入りの多い今年の最初の月にまるで目からうろこのように、教えられたのでした。

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越年

2025-01-04 00:59:10 | 日記
恭賀新年
2025年が無事に幕を開けました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

昨年末30日に大慌てで、陋屋の方の新年に向けての最低限の設営を終えてきました。
玄関先の若松に紅白水引をかけただけの門松飾りは、暗くて撮影には及びませんでした。
29日は、9の字の縁起が悪いとか、31日は一日飾りになるから、とかの理由で30日中には、設えを終えないといけないようです。


簡素な花材で済ませました。


数日前に友人が、枝落としをしたものばっかりだけど、と、届けてくれた薔薇のを上手に水あげしました。亡き母が季節の推移を愛でる気持ちは大切だから、行く季節のものを花材に入れるのも意味があるのよ、と言っていたのを思い出し、中庭のフジバカマやまだ元気だったホトトギスも加えました。
松、千両、梅 と決めているお正月花もだいぶルールから外れるのもま、いいか、というところ。


ここのおはなも原則、葉っぱが生き生きしていたら、前のものも使うことにしている結果そのもの。
自宅庭から摘んできたヤブコウジの実をたくさんつけた長い枝、ハランなども加えました。

茶室もどきの小間の床の間の香合も替えました。備前焼で銘は「大黒様」です。
水屋は、もう残り少なくなった花材を何とか工夫せんとこの散らかりようです。




そして何とか

とごまかし戦法で終了。

都合1時間で、作業を終えました。急ぎ帰宅して、自宅の門松(若松1本に柳と南天を束ねて水引をかけただけの)を最初に終えて、あとは、3か所の床の間の掛物、そしてその前のお花です。
天神さま(陋屋のとは違い、少し小さめ 大正5年だったか作の義祖父の?)、その前には、松、オンシジウム、柳とつわぶきのはっぱ、チューリップの投げ入れをどさっと入れておしまい。
100年前の三宝はだいぶ時代がかっていますが、それを味とみなして、のしもちと、干し柿、こんぶ、みかんを飾ります。
居間の床の間には、旭日青波の掛軸。お花はかけ花入れに、椿と柳でおしまい。常々、この床の間は書院付きでその向こうに縁側がある伝統的座敷作りなのが恨めしい。クローゼットにでもできれば、もっと片付くのだけど・・・隣は仏間になってるし(私の総桐の和箪笥が入っている)
長押のついた立派な和室だけど、カリモクのソファやテーブル、ネコ足の椅子など、生活しやすいために和洋折衷の極限状態です。→写真撮影は無理。

最後に玄関ホールのお花は、松とデンファーレと千両でこれにて無事完了しました。花器の前に、小さな泥人形の数々(お供え餅、鏡、七福神、その他野菜など、20個くらい紅白の小さい焼き物で、並べる順番など今となると聞くすべもなく、勝手に置いています)

掛物は「日の出」母が師事していた日本画の先生、日展作家さんのお作です。


これにて新年を迎える設営のみ終わり(ぎりぎり30日内でした)31日は、キッチンの気になる掃除と整理を済ませ、多少の手作り料理を一日中意味なく続け、何とか年越しそばまでこぎつけました。

掃除は完全にし残しました。
今日やっと一部屋だけ掃除機をかけました。一日一部屋で、何とか10日までに完了します。年のはじめから何と年越しの借金を背負った気分がしきりです。
でもこんなものでしょう、私の現実の姿は。


こんなに不確か極まる私の生活ですが、日記のつもりでこうしてぐだぐだ綴っております。
昨年最後のバイオリンのレッスンが12月27日だったのですね、結局時間の調整ができずに、先生にお断りして、今年は1月6日がお稽古始め、というふうにお願いしました.。27日からちょうど1週間一度も楽器に触ることもしなかったのがたたって、早速、これからの掃除計画もつぶさないといけない

これがありのままの私なんだなぁ、とため息と変な落ち着きと、、、ちょっとの笑いと。
小さな日々の出来事を記録しながら、日々を重ねてまいります。

本年ももしよろしければ、小学生の日記状態のこんなブログにお立ち寄り頂けたら嬉しいです。

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大雪注意報の北陸の片隅で、加賀蒔絵の棗を取り出して

2024-12-25 04:37:42 | 日記
やっと、ノーマルタイヤから、スタッドレスタイヤにかえました。天気予報では、断続的に降雪があり、注意しましょう、と繰り返し警告するので、気が気ではありませんでした。
とはいえ、私のこの目では、雪の舞う景色はこの冬確かめておりません。
北陸地方より北が降雪どころか積雪が相当あるらしいです。新潟県が怪しいのです。最北部に近い新潟市があまり降らず、中越地方と言われるあたりは、白馬をはじめとしてスキー場が有名ですぐ3メートルは積もります。オリンピック選手も輩出している地方です。
今は、関東北信越地方という区分ですから大雑把な区切り。
北陸地方も多雪地方として知られていますし、実際、数年ごとにではあっても、交通機関や輸送の遅延が生活を脅かすことがあります。何といっても青空と無縁の3ヶ月は、回避できません。
雨樋からだいぶ雨水がこぼれるような雨降りのクリスマスは、どうにも雰囲気が出ませんね。せめてうっすらでいいからホワイトクリスマスが望ましい。

クリスマスイブでは、幼子がサンタを待ちわびて、クリスマスツリーを飾り、毎日アドベントカレンダーをめくっては、チョコレートを楽しみにしていたし、幼稚園の生誕劇のお稽古が本格的で、聖歌隊の歌声があまりにも可愛らしくて涙ぐんでしまったことなども、昨日のように思い出されます。
今は、大人二人、正確に言えば、老夫婦二人となって、イベントのたびに、むしろ虚しいのが実情です。準備はシュトレーンを婦人画報のお取り寄せで3箱買ったことくらい。1つは先日ムスコに。1つはすでに味見と称して完食。残りは、クリスマスケーキ代わりに、それでも、3日くらいはかかりそう。
150歳近くの陋屋には相応しくない季節のしつらえです。

御覧のように積雪はありません。
今年の元旦に地震の被害にあった石灯籠も今は、復活しました。

変わりないない奥に続く土間。少し雪らしいものもあるかどうかもおぼつきませんが。

陋屋の居間は、エアコンからガスファンヒーターに早々と変えてあります(寒さは半端ないので)そして、11月下旬には気持ちだけのツリーを掛けて。。。

35年位前にキルトをちょっとだけしていた時の拙い手の跡です。
前座敷の譜面台下に、古風なサンタさん?あるいは???
義父が義母にプレゼントしたものでもうライトアップができません。
でもせっかくですからこの季節登場してもらっています。

25日は、官公 菅原道真さまをお出迎えして飾る日なので、それに合わせてお花も松や千両、葉牡丹などお正月然としたものに活け替えます。
ですから、それだからこそあと一日、



勤務先の用命は、24日で終わり、年賀状の文面(毎年ほぼ同じ)に添える画像を考え始めました。十二支では縁起のいいと言われる巳年に相応しい書も絵も生憎持ち合わせていません。
昨日朝7時ころ、久しぶりにちょっと本格的な揺れがあったので、思い起こさないわけにはいきませんでした。360余日前のあの日あの惨事を。
伝統産業加賀蒔絵のお棗を箱から大切に出してまいりました。
光が入ってうまく撮れていはいませんが、そこを修正してお年賀のご挨拶に一言添えたいです。穏やかな日々がどうか戻ってきますように、と。



途中で、加筆したので、益々読みにくい記事になっていますこと悪しからずお許しの程。
今は12月26日間もなく午前1時になります。クリスマスも褪せました。私は昨夜9時過ぎに陋屋へ行き、リースやツリーのタペストリーとあのおじいさんにありがとうを言って、書院の奥に休んでもらいました。
そして登場するのは、ここでもご紹介した菅原道真、天神さまです。何とかお出まししていただきました。神様棚の掃除や、他の部屋の掛物の掛け替え終了、神様棚の中に入れるお札は、大みそかに当地の最も古い神社でいただきます。真夜中まで作業が片付かなかったのは、途中にティーブレイク、
北鎌倉ベルグフェルドのシュトーレンを3本購入していたので、今夜はどうしても1本は食べきりたいと、それに心血注ぎました。甘いのを我慢して量はそう多くはなかったのですが結構辛かったでした。食後でしたから(笑)写真はありません。食べるのに疲れ切って天神さまも呆れられていたに違いありません。

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束の間だけど、地域活動に参加する

2024-11-13 18:47:17 | 日記
当市では、月二回自治会単位で、不燃焼物やリサイクルの収集に来てくれます。
第二、第四水曜日の午前6時から8時までに各戸が決められた場所(当該地域は自治会公民館)に住民がたまった瓶やら缶やら高分子系(スーパーのパックなど)を出しにきます。
自治会は20くらいの班で構成されていて以前は各班が2年に一度くらい収集の見張り、実際に市(の委託の業者)の収集車への搬入などの当番役に出ればよかったようでした。
かつては、300戸くらいあった住宅が高齢化やマンションへの建て替え(マンションや社宅などは、自治会会員にはならないのが恒例)で半減でもないですが、200戸以下までに減少したうえ、お一人暮らしの高齢者が増えたために、ゴミ当番や、不燃焼物収集の人出など生活の基本になる活動に出られる戸数が減っています。
今、班数は20くらいあっても班同士が合体したりして実際稼働しているのは10数班のよう。一年に一度くらいは活動が割り当てられるところを見ますと。。。
幸い拙宅が属してきた班は空き家状態が2軒、クルマの運転ができなくなったら引っ越すと仰っているおひとり暮らしの80代後半のご婦人宅を合わせて3戸には、活動を割り当てずに残りの12,3軒の家でやりくりできています。昨年班長をやったのでわかったのですが、拙宅のように老夫婦二人だけの構成という家庭は、確か2軒くらいだけでした。
6時から7時に公民館の周辺に集まったのは6人くらい、7時に交代して残りの6人前後の方が立たれます。

そんなにすることもないので、手持無沙汰の上に、班の人たちのお顔を見てもどこのどなたなのか判然としません。まさか、どちらさまでしたっけ、とも伺えないので、適当(不適当ともいえます)に会話に相槌をうつしかありません。
あまり寒くもなく雨もあがっていたので、和やかに作業時間を全うできました。
両隣りのお宅のお顔だけはかろうじて判別できました。
お隣の奥さまが、(たぶん認知症初期?)で、週に3度デイサービスに行っていらっしゃることを今年の班長であるご主人さまから伺いました。身につまされる話(私にも当てはまるかもしれない)もお聞きしました。

面倒で仕方なかった地域活動への参加、がようやく、生活の基盤、お互いさまの精神でしょうか、に気付いて高いハードルとは感じずに終わることができました。
物騒なことが多い昨今、よけいに、他人の家のことなど、気にする素振りなど非常識のようにも感じられますが、一声かける、とか、ちょっと無駄な立ち話をする、ということを無駄だと思ってはいけないのだな、と思い知りました。

私の属す自治会は、お店はお鮨屋さん1つあるのみで、あとは完全住宅地です。かつてガラス屋さんが同じ班のお宅にあり、なかなか便利でした。(今は空き家、ただし、ムスコさんには連絡ができる)
それから我が家と庭で背中合わせになっているのが歯医者さんで、徒歩3分の近さにあるのに長いことお世話になっていません。全くお顔を忘れておりました。親切に奥さま(ご夫婦共歯医者さん)が、私に「ぽこさん、今でもお仕事におでかけになっています?」と聞いて下さり、恐縮しきりでした。
積極的にお顔くらいは覚えないと、と反省もしつつ、何とか無事に今日の業務を終えられたことを嬉しく思ったことでした。
気づいたときはもう遅いのかもしれませんが、そう思いこまないで、今日からはご近所や地域活動には、声をかけあって動かないと、と思いをかえつつあります。
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数日たってツワブキは、、、

2024-11-07 00:00:42 | 日記
今年はどう見たって暑さが尾を引いている感じ、そのせいか、ツワブキの見頃も1ヶ月は遅れているかも。

陋屋に行ってみました。最近、陋屋でのWi-Fiによるインターネット環境がよくなくて、これは、ルーターとか、接続の設定とか、挙句、スマホのハード部分(つまり壊れた)か、とちょっと心が曇る時間を過ごしてきました。自宅では、何の問題もなくWi-Fiによるインターネットが動きます。陋屋に行くとたちまち、モバイルによる接続にいってしまう。。。一体どうなってるのかしら?そういえば、昨日、職場でもやけに、大人しかった我がスマホ、一切ネットからは何も入っていなかったのか、、、

門を恐る恐る開けました。

ここで、スマホのネットワーク状態をチェック。やはり、Wi-Fiは接続されていません。
ツワブキが、だいぶつぼみの膨らみをまして、あのおとなしい黄色の花々を見せてくれていますのが、せめてもの慰め、か(😞)
門を開けると迎えてくれました。この通りです。

スマホについては、陋屋に立ち寄る直前に、ショップで相談済みです。どうやら、故障を直すために、修理に出すことを、ショップのクルーはすすめたいようでした。
もう一度、Wi-Fiを確認してからそうします。5時までに戻りますから、一度帰らせてください、と、ケータイショップの特徴でもあるZ世代?の担当の人に落ち着いて頼んでみるも
お客さまのいうことがわかりません。何を言っているのですか、とつれない反応でした。。必ず、30分後にはここに戻りますので、、きっと、私の思い過ごしで、家のWi-Fiが変、なんてことはないでしょうから、結局修理をおねがいすることになるでしょうけれど。。。
と言い訳を残して、とにかく、私をショップの外に出したくない社員から解放されて、自宅でのWi-Fiチェック、そして陋屋でのそれ、と考えるのは安全運転だけで急ぎました。
陋屋の門のところでのWi-Fiチェックは詮無し、でした。室内に入ってもしや、とルーターを見ますと、、ランプの点滅が見られません。よくよく調べますと、コンセント近くで緩んで電源が入っているようです。椅子を運んできて、ここでケガがあっては元も子もない、と矢筈をもってきて、手を伸ばして押し付けて固定しました。ルーターが元気よく点灯し、スマホのWi-Fiもつながりました。
ケータイショップには電話で要件を簡潔に言って、無罪放免。
それにしても、私が初歩的なミスを見逃していたのがそもそもの原因とはいえ、ショップの人ときたら、修理に出すなんて、、、あんなにこの老婆を疑って「仰ることが分かりません」と私の話を聞こうとしなかった、あの人たちでした。
矢筈をご紹介しますね 。ウイックペディアからです。

矢筈(やはず)は、踏み台を使わずに掛軸を掛けるための棒状の道具で、掛け棹(掛物棹、掛棹)が本来の名称である。

構造
全体の長さは1メートル前後で、竹製の棒の先端に掛軸の紐(掛緒)を引っ掛けるための金具がついた構造になっている。金具は二股に分かれており、さらにそれぞれの先端がU字型になっている。このU字部分が掛緒を引っ掛ける場所となる。


頭の中も住んでいるところも黴臭かったり、さび付いていたり、和風一辺倒です。
自然のままに、季節の移り変わりを感じながら生活することを喜びとしたのは、大学での4年間がそのきっかけでした。



こんな森と水辺の場所(玉川上水)を駅から歩いて通ったキャンパスは

洋風ですが、山野草の咲き乱れる森も林ももたくさん残っていました。

スマホと格闘している自分は、探求心を育てる学生時代の名残が多少残っている気もしますし、一方、世間の錯綜からシャットアウトして暮らすのもこんなに武蔵野の林の中をさまよった時代に培われていたからかも、などとあれこれ思うこの2日ほどでした。

正面全容ではありませんが、


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