最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

干し柿あれこれ

2022-01-13 00:31:43 | 日記
今年になって、はじめて外出したのは、6日でした。
三が日も過ぎているのに漸くの初詣で。神さまも呆れられていたかもしれません。

東京をはじめとして、関東地方に大雪警報が発令された日でもありました。
こちらは快晴で、立山連峰の美しさが自宅の2階の窓からも楽しむむことができました。
海岸部まで足を運べば、「けあらし」が、雨晴海岸で見られたようでした。

翌日7日は、干し柿を求めに買い物に出ました。
お歳暮に送ったのは、「福蜜柿」。南砺市福光で作られるお菓子のように甘い干し柿は、光でなく蜜という漢字を充てて称されています。時期は年末頃にはもう求められません。
代わりに店頭に出るのが、「あんぽ柿」それもとても贅沢な甘さが評判です。
7日に、当市で最も古い八百屋さんを訪れて、買いに行ったのがそれでした。
でも、その前日にもう市場から「あんぽ柿」は消え、今シーズンは「富山干し柿」の名前で出るのがこれから1か月だそうでした。
今回は三か所にお届けしたいと息せき切って(というのはオーバーですが)本年二回目の外出を実行したのでした。年賀状で知ったのは、長兄が昨年夏に圧迫骨折で入院治療していたこと。びっくりしてまずは、何か美味しいもの、と思いついた干し柿です。
年末に思わぬ最期の別れとなった遠い親戚の訃報https://blog.goo.ne.jp/poco_a_poco_2019/e/6c13573e9f9ec1d46a4f5ee66b18427b
行く年に思うこと【本題】を記しました。
どうしても気がかりが残り、お骨をあずかられたお寺さまのもとを訪ねて、やっと、お参りさせてもらうことができました。
それが8日のことです。お供えにこの干し柿を持参しました。
この日は、好天に恵まれて、お寺をあとにしたあと、海辺まで足をのばしました。
途中からどんどん渋滞が始まったのは、みなさん、海岸から立山連峰を臨む風景を見にこられていたのです。
道の駅雨晴に入るには数十分待たないといけなそうなので、その前にきっぱり諦め、
高台にあるカフェに車を停めました。
中2階のコーナーに二人分の席が空いていたので、迷わずそこへ。
眺めよし、選んだ紅茶の味も良し、でよかったのですが、海側の席についている4名の先客は、マスクなし、声高、あるはずのアクリル板も消えて、おばさまワールドにはまりきっている様子。
私たち二人にそう話すこともないのもあって、早々に折角の眺め良好カフェを離れることにしました。
さっさとティーカップを傾けたので、残り少なくなって慌てて撮ったのが👇

間にアクリル板はちゃんとありました。Wedgwoodの知らない絵柄のカップ&ソーサ―はとても美しく、それを愛でるだけでも甲斐がありました。
下手なりに撮った海から見える立山連峰です。


雨晴海岸をもう少し北上すると、氷見海岸につながります。
同じ日に、送った干し柿では、とても追いつかないお品を頂戴していますので、氷見の漁港に「寒ブリ」が大漁の日にでも、それを求めて、お返しのしるしにできないか、と考えていますが、今は、太平洋側と日本海側の両方に低気圧がやってきていて、等圧線の幅がうんと狭く、海は大荒れ、大雪強風警報が出ていますので、漁は無理でしょう。

熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
万葉集は、額田王のうたです。
氷見の漁船とは全く趣を異にしていますが、寒ブリを思うとこの歌が口をついてでてきます。。。
条件反射のようです(笑)

今週末には明けるといわれているこの冬の嵐が去って、早く漁場に活気が戻ってほしいです。
大寒を迎える今からは、毎晩雷鳴が轟くのが、この地の風物詩ですが、私は何十年ここで時間を重ねてもいっこうに慣れません。ブリおこし、と言われ、ブリ漁の豊漁の前触れ、と多くの人が期待します。心臓まで凍てつくような冬の嵐は、私には、ただ恐怖の夜の時間になります。
心の芯まであっためてくれるおひさまの光を待ち望んでいると、ごくまれに、日中のなぎの海も享受できることも。。。それが、つい先日、干し柿にまつわる出来事もあった土曜日のことでした。
思いつくまま書き連ねているために、あっちに行ったりこっちに行ったりの話題でした。
もともと、話題、というには、気恥ずかしいただの思いつき言葉の群れでしかありません。



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事始め

2022-01-05 01:43:29 | 日記
恭賀新年
昨年は、たくさんの思いをお寄せくださり、ありがとうございました。
辛うじて、松の内の間には登場できましたが、
本年もかように、のろのろ動きの鈍い当ブログでございます。
どうぞ、ご寛容な思し召しで、今年もよろしくご厚誼のほど、慎んでお願い申し上げます。

当地は、男子の誕生を殊の外、喜ぶ風潮がございます。
学問の神さま、菅公を男児誕生と同時に生母の親側が贈呈する、学問は、男子優先、女子は歌舞音曲へ。
今年も出しました。


かつて、新春の宴(というほどのものでもありませんが、それでも、家人の勤務先の若い人たちなど総勢15名くらいは参集され、
そのために、続き座敷(10畳と8畳)をマイホームの新築の際には設けました。座敷の前室にあたるところは、飲み物を入れる冷蔵庫を置き、グラスや湯呑を置く水屋もしつらえました。
このご時世だから、という理由ではなく、我々の現役時代は終わり、もう来客を想定する環境ではありません。無駄に広かったお座敷はひとつは私のクロ―ゼットと化しています。

かつて年始客で賑やかだったころには、だいぶ大きめの床の間に、官公(天神さま)の掛け軸は3幅、並べて掛けました。最も若いのがムスコ、真ん中に家人の、左側の書院の隣にそのまた先代の、というふうに。

今はムスコのを陋屋に掛けて、大正五年の先々代のを自宅に掛けました。問題は、陋屋のこのスペースが狭く、自宅の方が余裕があるのに、掛け軸自体が茶掛けサイズで小さく、バランスが悪いことです。
ま、誰に見せるつもりもない単なる季節の行事のシンボルですから、気にしません。

この季節にふさわしい、と思い、いくつか掛物をかえました。

地獄大夫です。

お正月の寄せ書き、130年前のです。
もちろん、忘れずに、定番のも。自宅の居間の床の間に掛けていますが、この部屋は、カリモクのソファやテーブル様式で暮らしているので、何ともアンバランス。

茶室の小さな床の間に新しく花器をおろしました。庭のピンクのツバキを前に入れました。


こうして新年の準備も、だいぶ、手間暇をかけずに、何とか大晦日までにぎりぎりセーフ状態でした。
天神さまは二十五日にお隠れになりますが、あとのものは、十五日あたりを目途に片付けます。神棚のしめ縄、玄関の松飾、鏡餅の飾りなどは十三日の左義長で燃してもらいます。
あっという間に、次の季節へと様相も変わるのです。

とりあえず、4日はお仕事の方はお仕事はじめでしたのでしょうね。
私も2日に〇ゾンから届いた家計簿とか手帖に近々の予定を記入し始めました。


これでも、ささやかな事始めですね。
年末年始と触れることもなかったバイオリンもケースから出しました。お弾き初めでした。
本来ならば、書初めもしないといけませんが、自宅の文箱には、墨滴がなく、墨をする気になれないので、明日にでも陋屋の自分の文机の前に座って墨滴を硯に入れて、半紙に書き下ろすつもりです。
言葉は、決まっています。
「すこやかであれ」です。

今年の事始めは、先程の家計簿など事務(前年の会計はエクセルでしましたが)とお弾き初め、
そして4日は、最初のかかりつけ医での受診でした。
1か月前にした昨年最後の心臓の検査の数値が思わしくはありませんでしたが、これも私の日常茶飯事に消え失せさせることにして、まずまず元気なのを死守したいです。
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