母が先に逝って3年くらいしたころでしょうか。
母の誕生日に私を呼んで一緒にご飯を食べようと父が申しました。
気が進まなかったですが、参りました。
せめてケーキでも求めて持参したらよかったのですが、手ぶらでした。
父は炊き立てのご飯を前に、さあ誕生日誕生日、とニコニコ。
いつもの仕出のお刺身とか煮物とかは、もう食べたそうです。
ごはんだけでお誕生日を祝っていたら、だんだん私はせつなく、悲しくなりました。
いくらお仏壇にお供えするのがご飯だからといっても。。。
そのあと、父は、ぽこちゃんの誕生日はお母さんの一ヶ月あとだったね、と申します。
ついでだから、今日今からプレゼントを買いに行こう、と父が提案しました。
亡き母も私も行きつけにしていた近くの洋装店に父と出かけました。
私は買い物はいつも母と一緒で、父にプレゼントしたいから、選んでごらん、と言われたのは、生まれてはじめて。3周り以上年齢差のある父がもう90歳を少し過ぎていましたから、私は50代も半ばでしたでしょうか。真っ白の質のいいセーターを買ってもらいました。4万円くらいしたように思います。
明日箪笥の中を探してみます。一度も着ていないかもしれません。
肝心の私の誕生日には倒れて死の床に就いていた父を想って、今夜決意したことがあります。
幸い余震があまり感じられなかった今日(1月14日ですから、もう昨日ですが)、父を思い、母を思ってだいぶ慰められました。
だから、自らに課して強くなろうと、立ち直ろうと思います。
日常生活に復帰します。
これから起こらないかもしれない自然災害のことで、杞憂するのをいい加減やめて、備えはよくして、あとは潔く、日々をしっかり送るように、父母の写真の前で誓いました。
まだまだそちらの世界に行くことを父も母も望んではいないはず。
父も母も知らなかった怖さも含むけれど、便利になったAIの活躍するこの世界をもう少し楽しんでから、あの世のことは考えようと思います。
さあ、明日(今日)起きたら、私はもっと歯切れよくなっているはず。
少しでも楽しい話題をお運びできますように、このブログもただのつまらないひとり言言いたい放題場所 だけに済まないように、心してゆくつもりです。
母の誕生日に私を呼んで一緒にご飯を食べようと父が申しました。
気が進まなかったですが、参りました。
せめてケーキでも求めて持参したらよかったのですが、手ぶらでした。
父は炊き立てのご飯を前に、さあ誕生日誕生日、とニコニコ。
いつもの仕出のお刺身とか煮物とかは、もう食べたそうです。
ごはんだけでお誕生日を祝っていたら、だんだん私はせつなく、悲しくなりました。
いくらお仏壇にお供えするのがご飯だからといっても。。。
そのあと、父は、ぽこちゃんの誕生日はお母さんの一ヶ月あとだったね、と申します。
ついでだから、今日今からプレゼントを買いに行こう、と父が提案しました。
亡き母も私も行きつけにしていた近くの洋装店に父と出かけました。
私は買い物はいつも母と一緒で、父にプレゼントしたいから、選んでごらん、と言われたのは、生まれてはじめて。3周り以上年齢差のある父がもう90歳を少し過ぎていましたから、私は50代も半ばでしたでしょうか。真っ白の質のいいセーターを買ってもらいました。4万円くらいしたように思います。
明日箪笥の中を探してみます。一度も着ていないかもしれません。
肝心の私の誕生日には倒れて死の床に就いていた父を想って、今夜決意したことがあります。
幸い余震があまり感じられなかった今日(1月14日ですから、もう昨日ですが)、父を思い、母を思ってだいぶ慰められました。
だから、自らに課して強くなろうと、立ち直ろうと思います。
日常生活に復帰します。
これから起こらないかもしれない自然災害のことで、杞憂するのをいい加減やめて、備えはよくして、あとは潔く、日々をしっかり送るように、父母の写真の前で誓いました。
まだまだそちらの世界に行くことを父も母も望んではいないはず。
父も母も知らなかった怖さも含むけれど、便利になったAIの活躍するこの世界をもう少し楽しんでから、あの世のことは考えようと思います。
さあ、明日(今日)起きたら、私はもっと歯切れよくなっているはず。
少しでも楽しい話題をお運びできますように、このブログもただのつまらないひとり言言いたい放題場所 だけに済まないように、心してゆくつもりです。