最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

隔世遺伝?

2020-11-30 01:40:19 | 日記
先程、親ばかの見本みたいに、ムスコ中学生のときの彫刻の小品をアップしました。
(前記事に、不眠のイラストを貼った場所に、少しは気が晴れた証に)
つらつら考えると、さらに親ばかが高じますが、ムスコって私の子供ではないくらい、器用なやつです。
小学一年生でミシンに興味を抱き、これを作成しました。

右側のゴブラン織りのクッションは、私の母製ですが、左の緑っぽい大小二つのクッション親子は、ムスコ製。
いろいろ部屋の中を見渡すとあるはあるは。。。
モチーフをつないでできたレース編みのテーブルクロス、毛糸で編んだ人形の帽子、譜面台を折り曲げて入れる袋物、などなど。。。
母が時間と布地を無駄にしない人でした。

ゴブランの袋物(ピアノの楽譜入れに使っていました)黒いラメ入りの袋物は、ちょっとしたパーティなどで、ハンドバッグに入りきらないスカーフとかボレロを入れるのに役立ちました。
晩年は、袋物を通信講座で学んで、コースを制覇して、和の袋物などは、二生分くらい残してくれました。お嫁ちゃんが、NHK茶道教室に入ったと聞いて、早速いろいろあげることができました。
母は日本画も10年以上日展画家に師事していたので、絵も字も上手でした。
ムスコは、モノ作りが好きで、上に描きましたように糸、布を使う手芸を独学で(おばあちゃんにも教えてもらったのでしょうが)習得しました。一方、版画や木工、絵画、書道も属した学校の中ではいつも目立ってうまい方でしたので、私は手伝ったことも制作過程も知りません。ものをつくるのが好きで遊びの一種として集中していました。高校の芸術は音楽ですので、小中だけですが、多くの賞をもらって、当たり前の感覚で私は見ていました。
いろいろな繕い物も全部母がしてくれていました。

母の亡きあと、いったい誰が、ボタン付けや、裾上げ、ちょっとしたつくろいをするのか、私しかいないので(息子はできますが、すでに学生の身で、家を離れていました)しかたなくのろのろとやってきました。

隔世遺伝で、息子は器用、と最近まで思い込んでいました。
ところが、最近、私は針仕事があんまり嫌でなくなっています。
何かつくろいものが生じるとすぐに、そしてなるべくきれいに始末したい、と思うようになりました。
家人が言うには、「おかあさんがみんな、やってあげるから、ぽこちゃんはすることがないわ」で一切、裁縫もですが、家事全般を手伝わせなかった・・おかあさんのちょっと狭い意味の愛情だったね。

私が不出来なので、息子は小さい時から、自分でジーンズの穴かかりなどもしていました。楽しそうに完成させていたのを今でも覚えています。

私はど近眼なので、針に糸を通すのもなんでもありません。最近は、自分の白いソックスに、花の刺繍など入れるのも楽しんでいます。

決して上手にはできませんが、天を仰いで、母に言いたい。
「おかあさん、かわいい子には旅をさせよ。危ないと思っても、針やハサミを私に持たせたら、案外、もっとましな人生だったかも」

私は生来のチョー不器用人間なのです。
手芸関係でできるのは、フランス刺繍を少しだけ。

幼稚園のスモックは、おかあさんの手作りが求められました。
母にスモック、お弁当カバン、絵本カバン、うち履き(布製)、うち履き入れなど全部用意してもらい、私はスモックに人より劣る刺繍を少ししただけでした。
デザインも思いつかないので、苦肉の策で、聖句を写して、チェーンステッチで刺繍した私らしい横着さ発揮。ムスコはこのイエス様の言葉はとても気に入っていたのを思い出します。

母の手のあとは、いろいろなものの中に見出すことができます。
陋屋のソファの上に3つおいているクッションは、久留米絣で、百年以上前の夫の大叔父旧制中学の時代の着物を解体して、つなぎつないで母が作りました。丈夫で美しいです。カリモクのソファに違和感なく鎮座まします。
この家(自宅)玄関ホールに姿見を置いていますが、それにかかっているカバーは、母の長兄のお宮参りの時の紋付から加工したものです、羽二重生地です。
私の手のあとは、以前は英和辞書でしたが、最近は、あまり辞書をひかなくなったので、どこかに失くしてしまいました。新しい辞書や電子辞書を使っています。
手のあと、最早私の手のあとなんてだれも望まないでしょうが、母の作ったツイードや絣のだいぶレトロな座布団は、息子たちが粗末にしていないようなので、それが嬉しいです。そういえば、ムスコのPCにつながっているキーボードのカバーも裏がコットン、表がウールの黒白のギンガムチェックで、恐らく高校生だった息子のために作ってくれたと記憶します。20年も毎日のように掛けたりめくったり、役立っているのは、驚異的でさえあります。
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この数日、心を曇らせていること そして解決へ。

2020-11-30 00:45:01 | 日記
相変わらず、個人的な繰り言になります。どうぞ、悪しからず。
この時刻になっても、眠りに就けずに、悶々としているので、思い切って起きだして、PCに向かいました。

今日は日曜日、新しい週の始まりでもあり、いよいよ師走十二月を迎える週にもなります。
先週の水曜日、授業のあと、珍しく職場に残って、二学期末考査の作問の続きに没頭しました。最終問題でだいぶ、迷って何とか折り合いをつけました。
今の高校英語は、10年以上前から、コミュニケーション英語という教科名になっています。以前でしたら、リーディングとかグラマーとかいわれていたものでしたが、今はそれらの呼称は死語といってもいいくらい、片隅に追いやられました。
あくまで伝達しあう、自己表現のひとつとして英語という教科を学ばせているのが平成から令和にかけての目標です。
このコロナのせいで、授業中の飛沫感染を恐れて、私が声を発するのは仕方ないとして(マスクを通してですから多めに見て)生徒同士にペアワークをさせたり、音読させたり、が厳禁になっています。
でもコミュニケーションを旨とした教科書が文科省を通ってきている現在使用のものなので、不都合極まりなく、、、そしてテストも読む書くは評価できても、話す聞くは、全くお手上げです。授業で触っていませんから。。。
ようやく、それでも、少しはアクティブラーニング(これも文科省の謳い文句です)らしき問題をでっちあげ(誠実には作っています)やれやれ、と帰路に就くべく、保健室の前を通りました。養護教諭の先生が出てきて、私に向かって、「先生、遅くまで本当にお疲れさまです。この時節ですから、くれぐれもお気をつけられて!何しろ高齢者がかかるのが一番重くなるのですから。先生、正直申し上げて、ほんと、気になります。」とご丁寧な気遣いのお琴がをくださいました。そうかあ、校長も私より年下だものね、例外を除けば、一番私が高齢者かあ・・・心の声です。私の。
翌日木曜日は、4時過ぎ、テストの印刷に出校しました。帰る頃は薄暗くなっていて、階段をおりていると、上がってきたのが、また保健室の先生、「こんな暗いところ、足元危ないですよ」と慌てて階段室の照明をつけてくださいました。「お気をつけて、ちょっとしたことでも骨折につながります」と連続にいたわっていただきました。

有事の病は、特に高齢者は重篤化につながるとのことで、いろいろお触れがでているようです。

今まで記したことは、高齢・・・の前座で、このあとが、悩ましい気がかりなこと。

それは、約2週間後に、知己の友が遠くから訪ねてきてくれることにあります。降ってわいたような話でした。
2泊3日で、ぽこさん方面に旅にまいります。お会いできたら嬉しいな、というメールがまいりました。
今までにも数回、来てくれて、陋屋に泊まっていただいたことも、温泉のあるホテルに私も泊まって過ごしたことも、いろいろ楽しいことは尽きない相手です。
今回は、陋屋近くのホテルに泊まって、ゆるゆるとした計画に従って、ここのあたりをあちこち歩く、とのこと。
ちょうど、勤務先が学校行事で、私がフリーな時間がまとまってあり、公共交通機関の乏しい当地の足として私の車の便を提供しましょ、ということになっています。あと、夕食の2回と。必要に応じてランチは一回になるでしょうか。
問題は、彼女が普通に電車でくること、関西方面の人です。
御酒の目利きでもある彼女、日本海の魚とくれば、きっと、当地の美味しいsakeは、楽しみにしてくるんだろうね。。。
いろいろ考えていくと、もちろん、十二分の注意を払っての共通の時間を持ちますが、やはり、迎える側としては、怖いものもある。

いっそ、今回は見合わせて、もう少し事態が好転してから、にしない?とさりげなく提起した方がいいのでは
いやいや、私の考えすぎかも。こんな田舎で、まず、どこに行っても心配ないのだから、彼女さえ道中気をつけてきてくれれば、すべては杞憂に終わるというもの そんな考えももちろんあります。

この2,3日内には、自分の気持ちにけりをつけたいと思っていますが。。。

コメントをお寄せいただいたブログ友さんに背中を押されて、ついに、
今夜、やっと、彼女に当地への旅は、もう少し遅らせて、世の中が落ち着いてからにしてほしい、とメールで伝えました。
快諾してもらえました。

今夜は安堵してベッドに入ります。
画像を交換して貼ります。
私の部屋の壁にあるムスコ中3の時のアクリル板に彫ったった小品です。
音楽と花が溢れんばかりの家に育ち、そのような彼の絵の対象です。
あまり、目をこらして見たことはなかったのですが、今夜、ふと目に留まりました。
みんな、元気で、楽しく合えればいい・・・・・
今度来訪を見合わせてくれた友人にも、息子夫婦にも、その他何人かの会いたい人に、きっと、そう遠からず会える日もくるでしょう。
それを夢見て、床に就きます。
寒さが募ります。みなさま、お大切に。

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富貴草やら吉祥草やら足元の草に見入る

2020-11-21 13:41:41 | 日記
この拙ブログを見ていたら、今日は、富貴草の記事が複数の方に読まれていたのに気づきました。なんと、一年半くらい前の記事です。
昨年夏の富貴草が今はどうなっているか、いくら思い出そうにもイメージがわいてこなくて、とりあえず、庭におりたちました。

元気に繁茂しています。青緑の若い花々をたくさんつけていましt。今朝は、お寺さまの月忌参りの日ですが、お花屋さんに行かずに、富貴草を一枝、あとはツワブキと吉祥草を摘んでお仏壇の中の金色の花瓶に入れました。
吉祥草は、葉っぱ蘭の葉とほぼ同じで、長く真みどりできっちり判別できます。

つくばいに左側から迫っていますね。花は見えるでしょうか。
ここにも吉祥草が

ちょっと近づいてみますと、石の淵では、それに寄りかかってか、しっかり直立して咲いています。


吉祥草は、35年前、ご縁があって、見ず知らずだった高校生を放課後から終列車の時刻23時まで2年10か月預かったことがあり、彼のおかあさまから、「いいことがあると花がつきますから、我慢してずっと植えておいてください」と一束根っこをつけていただいたものです。
郡部のチョー優等生がひとり、進学校に入学してきて、勉強の仕方に悩んだ末、家庭内では心配する母や祖母に暴力をふるう、学校では優等生の顔、でよほど煮詰まっていたのでしょうか。拙宅に放課後よって数時間、予習を中心に2歳の息子と遊んでくれたりして過ごしたのがだんだん気持ちをほぐらせることになったのか、学校生活も無理なくなってきて、でも卒業まで下校後はわが家で過ごし、勉強して自宅に帰ることを続けました。英語は毎日みていたので、学校でもトップクラスに常駐、国立大学にも合格してくれました。その後は地方の電力会社に奉職して、今でも時折顔を見せてくれます。奥さん同行のときも。
吉祥草は、10年以上たって、息子が同じ高校に入った年に咲きました。
地下茎で増えますので、葉っぱは見事に増えましたが、花は小さくて、ひっそり声もなくいつの間にか咲いては、枯れていくをずっと少しずつ繰り返しています。
自宅に植えたのを陋屋にも株分けしました。
今日とりました写真は陋屋のものです。


上の写真は、自宅玄関前の 定家かずらですが、これも陋屋に少しふやしてみようか、と邪念が生じては、家人に止められます。それでなくても陋屋は以前に比べるとどんどん、わけもわからぬ草木がふえてきていて、見苦しい、と。

それら雑多なものがこの季節、こんなに層をなして落ち葉と化し、後ろの紅石が、まるで焼き芋のように見えてきさえします。左側のまっすぐな木は、かりんです。上の方にはっぱをつけ、今は落ちているんだっけ。。。

モチノキの幹にこんな穴があって、先日まで別の植物が花をつけて居座っていました。
そうそう、申し忘れましたが、私もすでに十数人、恐らくもっとたくさんの方に、吉祥草や、富貴草を株分けしてきました。
吉祥草は、必ず、あの言葉、「いいことがあったら咲きますから、ずっと咲いてね、咲いてね、と声をかけていいことを待っていてね。」を忘れずに申し伝えます。
35年前のあの時の彼のおかあさま、必死の思いで私にある朝会いにこられました。夢のお告げで(怪しさいっぱいです、笑)私のことを知り、早速出かけてまいりました,と仰って。多分、そのころしていた教育産業の名だけのコンサルタント?アドバイザー?から、私の名前を知って、その会社に私情報を聞かれたのだと思います。個人情報がめっぽう、重要な今日では考えられない平和な時代でした。
私は日々、赤ん坊から幼児へと転身するわが子に向き合い、高校生相手の会話も成立できたかどうか全く恥ずかしいばかりです。彼から、息子は、サッカーも、自転車乗りも、その前の三輪車も、教わった 私どもも彼には大恩があります。
いいことがあったら咲く、と彼のおかあさまは、ご自身にも言い聞かせての呪文だったのでしょう。それは、おやごころ という名の思いです。

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水琴窟

2020-11-18 00:39:39 | 日記
ヤフーニュースでこの期に及んでも見てしまうのが、大相撲の結果やコメントなど。
辛辣だけど、つい見入るのが、北の富士コラム。
休場者についてお灸を据えたあとは、もう今場所には無関係とばかりに、一言一句話題にならないのは、この際大人しく、受け入れるしかない。
ヤフーの記事には、広告がつきもので、それがアップされないと、肝心の画面がでてこない。
ふと、その広告に目が行った。
なんと、「水琴窟」とある。
よくよく見るとヤフーオークションの広告。「水琴窟」8万円余りで できるの?

よくよくよく見直すと、
「水琴窟」は、お抹茶碗の名前だった。ネズミ志野とある。
加藤土代久】最上位作 鼠志野茶碗 銘「水琴窟」 加藤豊久 共箱 保証

今、オークションのページを開いたら、89,000の価格にまでなっていた。
ネズミ志野は好きな焼物。89,000円の価格にも驚きはしない。

ただ、私が小躍りするくらい、あっ、安い、もしこの価格でできるなら・・・と目が釘づけになったのは本物の「水琴窟」である。

実は、かつて陋屋の片隅に「水琴窟」があったと聞き知った私は、かねがね。復元したいと願って今日に至っている。
折から、自宅の1階のお手洗い、そこそこハイテクで、ドアを開ければ蓋が開き、用が済めば、水が出て蓋もしまる というもの。ただし、最先端だったのは、買いかえた20年前のことで、老朽化したのか、最近、週一くらいの割合で、出た水が止まらず、ずっと流れていることがある。水道料金が二か月単位だけれど2000円くらい増え始めた。配管業者に診断を仰ぐと部分的な修理は部品がなくて不可、取り換えると40万円弱だそう。
まあしかたがないので、取り換えもやむをえない、と思っていた矢先に「水琴窟」に出会った。トイレは二階にもあるし(35年間一度も故障なし、割合きれいでもある)階下のトイレも最後に水が止まるのを確かめて、もし、流れっぱなしなら処置の方法があるのでずっとこのままでも・・・・・・

そして、庭に「水琴窟」を復元しよう!!!
まだ、植木屋さんとか配管業者とかに相談はしていないけれど、おそらく、トイレ工事の金額では済まないだろう、と覚悟。
でも楽しいじゃない!
あの美しい「水琴窟」の風鈴のような琴のような調べを毎日、居ながらにして聞けたら・・・

ここから、「私の一生のお願い」劇が始まった所以である。
今のところ、私のこの思い付きに、わが家の金庫番は、まんざらでもないようだけど・・・

いずれ事の成り行きをまた別の機会に記したいと思う。
年をまたがないと、結論は出ないようにも思うけれど、この際じっくり、ゆっくり腰を据えて私の思い付きの結末まで、見届けたいものだ。本当に物好きな人間がここにいます!バカは死んでも治らない、の手合いです。
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錦秋

2020-11-13 05:09:04 | 日記


ネットの「錦秋とは」の画像を載せました。
実は、わが陋屋にこんなものが鎮座まします。

あまり趣味がいいとはいえませんが、この季節くらいは、見せびらかします。
といっても、だれかに、ではなく、ネットの上にただおいてみるだけ。どなたかにお見せするつもりはありません。
厚みが相当ある(20センチくらいでしょうか)ケヤキの木を磨いたり、裏には、絵まで入れて衝立、パーテーションまたは、玄関先に、
権力の象徴のように飾られる種類のもの のように私には思われます。
裏側は

陋屋では、殆ど使うことがない奥座敷は、変則的な部屋で、2畳くらいの部分だけ天井が低くその素材も異なっています。残りの8畳くらいが書院づくりの普通の8畳くらいの和室、天井は高いです。畳と同じ高さ、つまりフラットに、床板がある小さな床の間が奥にあります。

2畳部分のところに仏間があって、そこにパーテーションとしてケヤキの「錦秋」を立てています。和室部分には、段通の絨毯を敷いていて、北東ながら、あまり太陽が入ってこない(畳廊下が中庭との間にあるので、直接陽を浴びることがありません)ところ、何とか暖をとることができます。もちろん、すでに、ガスファンヒーターをセットして寒さ対策は万全ですが、そもそも、この部屋は、仏事以外にはあんまり使わないのです。

「時は移る、人は変わる」この言葉を自分の中で何百回も言い聞かせ、やがて行く秋の今、自分の心の中を整理するのに没頭します。
お茶事では、茶壷に新茶を詰めて、それをめでる所作を取り入れる、口切の茶事、の今月です。
お茶の世界では、今月こそが一年のはじまり。初釜こそ、新年になってから行われますが、本来は、お茶はじめは11月です。


数え年6歳で入門した茶道、つかず離れずでここまできましたが、コロナ禍を言い訳に全くお稽古に行かなくなって、一年です。
もう、脱会しようか、とふと、思いついて、確信にかわっています。
自分の小さな茶室もどきの小間で、毎日一服お茶を点てて、それを味わうのでいいのではないか、

小さいながら、水屋もあります。
名残の萩と矢筈薄、あとは、落花こそしましたが、お茶の木を一枝と、、、

枯れつつあるホトトギスの葉っぱが味わい深くて生けています。

お茶の世界では、霜月こそ、正月。
押絵のお正月飾りを出してみました。


ちっちゃなお鏡飾りです。
同じく押絵の羽子板と比べてみましょう。


ああもう冬・・・
次に掛ける掛け軸などに思いを巡らしていると、

百年前に描かれた干し柿の絵です。それが出てきました。
この絵を見ていると、そぞろ心が動きます。
時は移る、人は変わる って誰もそうなのでしょうか。
少なくとも私はそうじゃない。。。けれど、お茶ももう、破門されたら、楽になれる、と横着なことを考えている。

そうそう、

先般大騒ぎしたエスプレッソコーヒーのカプセルです。こうして容器につめていると、いくつか、形がつぶれているのがありました。今更返品とかも思いませんが、自分の不注意を思い知ります。

人は変わらないといけないところが、変われないでそのままで、もっと脱皮、改心したほうがいいところが変われない。。。

こうして一日が始まり、いたずれに時を過ごして一日の終わりを迎える。心が閉塞しているのを頑張って扉をあけるべきなのでしょうか。

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