最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

大惨事のその後、何もないですが一応記録に

2023-02-19 17:02:49 | 日記
雨の日曜日ではありますが、だいぶ、暖かかったのは、助かりました。
気温が二桁なのは、春の予感に通じます。

二月も中旬、どころか、あと一週間くらいで、弥生三月になろうとしています。
本来ならば、お雛さまにお出ましいただくのに丁度良い頃合い。
ぐずぐずしているうちに、行動に移さないでいたら、夕刻を迎えています。
おひな様自体は、私でも飾れるのですが、その前の段組みと、一番上の御殿組み立てが私には無理です。
今から七十年近く前の、住宅難と物不足の世相の中、初節句に間に合うように、実父は、一人娘のためにおひな様を求めに奔走したと聞いています。

結婚の時には持参してきませんでしたが、私のムスコが幼稚園くらいの時に、うちにはおひな様こないの?というのを聞くや否や、子煩悩の次に孫煩悩の時代が始まっていた実父は、実家の納戸の奥の奥から持ってきましたとも!
毎年、拙宅の座敷(茶室を兼ねています)の大きい床の間に段を作って飾るのは父の仕事でした。ムスコが帰省していた大学院時代くらいまで続いたと思います。
ムスコにしましたら、僕のおひな様 だったのでしょうね。
ムスコの独立(結婚)の年に父は逝きました。それ以前の数年に加えて、その後も数年間おひな様は、自宅の3階の開かずの間にいました。
何かの機会で、陋屋の蔵におひな様を運んできて、十数年ぶりに陋屋にお目見えの機会を持ちました。
父の代わりに今は夫さんが全てしてくれます。
コロナ以前には、お友達を呼んで、お節句の集いをしておりました。

今年はそろそろお出ましいただこうと思います。
お友達にお声がけは躊躇しているところです。
下の色紙は、義母の押し絵の作品です。40年位前にもらいました。まだ土蔵には、義母の古い行李があり、そこには、古裂がたくさん





その前のケータイ写真データ紛失事件については、パソコン救急車もどきのお店で相談の結果、ショップでの修理をすすめられ、早速行動に移しました。
代替品の同機種のガラケーを今は使用させてもらっています。
修理代の見積もりが1週間くらいでくるそうですが、安心パック(契約時に入っていたはずですが・・)が無効になっているとかで、その値段次第で修理をしてもらうかどうかを決める必要があります。
電話帳のデータのみ保存されたので、残りは残っていません。
自分のケータイではないために、クルマでハンズフリーになっていたのも解除されていて、少し不自由ですが、まあ、あまり外出もしないので、そんなに大したこともありません。

カメラ撮影は今の代替品でできますので、もし保存したければ、メールに添付してでもできないわけではありません。
が、何かしら、心が動かないのですね。何事にも目が、心が輝かない、っていうのか、、、
ケータイの惨事が原因だということは最早ありません。もうすっかり割り切って、なるようになるさ、くらいですが、、、

もうひとつは、春場所の番付発表の案件なのです。
朝乃山の入幕があるかどうか、実はこのことも、先場所の千秋楽の後の2日ほどが悩ましく辛かったのですが、今は、たとえ、十両残留でも、もうひと場所、さらに、稽古を重ねて強くなればいい とだいぶ心を軽くしてはおります。

でもやっぱり煩悩は、こだわり続ける。。。
一難去ってまた一難、でもないですが、大した重要事でもないのに、次々と私の悩みの沼がやってきます。角界の件は、幸せな悩みではありますね。
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忘れぬ先に記録を始めましょう

2023-02-16 18:28:44 | 日記
「大惨事」とタイトルに掲げた事件、携帯保存の写真データ突然の消失事件のことです。
顛末記を書くには、時期尚早なのですが、ここまでの足取りをメモ代わりに記しておきます。

2月5日午後事件勃発←←← 何をオーバーな!!!
最近私のもやもやのもとになっている彼女と、かねてよりの約束のランチを陋屋でしました。そのあとのお喋りの途中に、お墓の話になって、拙宅のも画像に残してあるのを見せる段になり、そこで、保存されていた何百枚の写真データが消えました。何をどうしているうちにそんなことになったか?????
2月6日午後早くに
携帯のショップへでかけました。なぜか、とか、復元とか、どちらも難しいと二人のおねえさんが丁寧に応対してくださいました。
私も納得して、ま、しかたないねぇ、と落ち着きました。
2月8日
携帯を購入した家電量販店のソフトバンク窓口で、再度みてもらいました。
SDカードに保存されていたのだったら、それをPCにとりこんで、保存も可能かも、とのご意見でした。SDカードを取り込むアダプタ?は私のPCを持参しないと分からない、とのことで、そのまま帰宅。
たかがケータイに保存のデータくらいのことで、あたふたするには、健康のことなど他のことの方が優先順位が高かったため、それからしばらくは、この事件への積極的働きかけは特にしませんでした。
2月16日 本日です
たまたま、その前を通ることがあって、いつか何かのことで、お世話になるかもしれないなぁ・・・と記憶にあったPCの救急車と名前のある小さいPC相談店。
行ってきました。
結論から申しあげますと、ケータイは苦手ですけど、と前置きされたあと、私のここまでの経緯を聞いてくださり、SDカードをそこにあるPCで覗いてくださいました。
SDカードは壊れていなくて覗けます、でも全く何のデータも入っていませんね。
とのことが分かりました。

保存先がケータイ本体一択になっているケータイ画面を見ながら、これを本体+SDカードにして、これからまたお使いになる必要がありますね、と仰いました。
そうなんです、私は消えたデータに執着してはいないのですが、今後の保存先をSDカードにしたくて、その設定ができればと思っています。
PC救急隊員のお店の方がその設定は私はできない、とのことで、私とそのお方との話から、結局故障ということで、ソフトバンクに預けること、に決めました。まだ行動はしていませんが、明日にでも必ず!

この救急隊員さんのご親切、有り難かったでした。
お時間も頂戴したので、相談料?を伺ったのですが、「何にもしていませんからいりません」とのこと。
困り果てた私は、途中買っていた自分の家用の林檎をなんと、たった、二個しかないのですが、それをカウンターの上に置いて、せめて、これだけでも召し上がってくださいと申しました。

相変わらず未熟な私の行動かもしれません。嬉しかったんです。一緒に考えてくださり、何とか私の考えを道筋たててくださったことが。

顛末記はいずれまた。そして、故障が受理され、戻ってきたら、この救急隊のお店にお見せする、と約束して日の入りが少し遅くなった夕方の家路を急いだ私でした。
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NHKのテレビ番組から離れがたく、

2023-02-15 01:32:44 | 日記
この時刻になっています。
で、以下はひとりごと。お見辛い、お聞き辛いような拙文が続くのが想定されます。悪しからず、と、読む人も少ないこのブログへの訪問者さまのために伏してお詫びから。

ドラマが続き、間に「イムジン河」というフォークソングのストーリーを辿る番組も。北山修などという何とも懐かしい人の名前も久しぶりに聞きました。リアルタイムでは小学生か中学生の頃の人、フォークブーム、それから反戦歌など学生運動の名残のころ、、、半世紀以上は経っているが、妙に記憶が鮮明です。
今もかなり未熟な方だけど、成人するまで、否、結婚して家庭人になった頃まで、否、もっと長きにわたって、私はいつも不器用で不甲斐ない人間でした。
前回のブログで、さんざん、よそさまのことにケチをつけ、悪態を並べたてました。
翻って、私はどうだったのだろう、と来し方に思いを寄せてみますと、今更ながら気が付いたのは、私は、何か困難に阻まれたら、その困難をあまり他人にお願いせずに、処理してこれたのではないかと思うのです。
幼い時は、両親やら兄やらが代わってくれました。
痛いよぉ~、眠いよぉ~、できないよぉ~と泣かないまでも少し深刻な面持でいれば、救いの手を差し伸べてくれる身内がそこにはいました。
ひょっとすると、苦情を訴える前に気づかれて、救い主にバトンタッチされていたのではないかとまで思われます。
子供時代はそんなもの、まして、末っ子の乳母日傘育ちではごく自然な流れだとも思われます。
学校という厄介な社会に入ってからは、親兄弟が知らない多少の苦難はあって当然ですし、だれしも集団に慣らされるのが教育の大きな目標でもありましょう。
死ぬまで忘れないわ、と小学校高学年頃、悩んだことがありました。不眠症の発症時がその時、と思えるほど、寝つきが悪かったです。
でも今、その悩みが思い出せない。ちょっとした漠然としたことも何一つ思いだせません。
恐らく、悩みの解決に母が登場できはしなかったから、悩みも深刻に感じられたのでしょうけれど、悩みそのものの相談は置いといても、そのためのストレスの吐け口に母との語らいはあったにちがいありません。

前置きばかり長く、趣旨も不鮮明ながら、私がここまで生きてきて、困ったり、投げ出したくなったり、できないことに直面したり、失敗したり、、、
そんな時、いつも誰か(友達や先生や、という他人ではなく)身内がいました。チケットを入手するのにネットを使う世の中ではなかったから楽だった、というより、困ったら、両親や兄、長じては夫やさらにムスコなど身内に相談相手になってもらいました。
仕事上でどうしても開けないような難問が生じたら、夫のアドバイスは、「とにかく、自分の失敗は、上司に報告して、そこから始めよう」で、概ね、そこまでいかなくても、夫の段階で何とかなりました。
いつもいつも家族のいたわりと助言のおかげで、誰かに頼まなくても何とか窮地はしのぐことができました。

そして誰でもそうだと思ってきたのが、私の未熟さをさらに晒すことになります。
世の中には、困ったときに、周囲の他人に相談したり助けを求める人も十分いるのですよね。

前回私の標的にしてしまった彼女もきっと、周囲の人に相談や救いを求めるしかなかったのでしょう。

自分が何かあるたびに、身内の助けで乗り越えてきたことを幸運だったとやっとわかりました。
一人でここまでやってきたわけでは決してありません。

これから体力知力がどんどん衰えていく上に、今は親もとっくに去り、近くにいる家族もいつまでもオールマイティのお助けマンではおれません。

めんどくさい人間関係は、なるべく避けるも、受け入れるとことは受け入れて人との共存を自分に課していかないといけないのですね。
これが、甘やかされて育った私の人生のなれの果て、というものだ、と漸く潔くなれたようです。
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口癖

2023-02-12 11:21:20 | 日記
関東地方に、立春後に、緊張をもたらした雪の便りも、束の間のことでしたね。
全国的に春めいた日曜日のようで、うるわしい限りです。
公園に梅見に行く、なんて思うだけで、現実は、この3日間ほど、ほぼ歩行なし。

それでなくてもちょっと気の重い約束があって、まあ、それは、梅見ファーストと思えば、何とか重い腰も上がりそう。
ケータイの中の写真データはふっとんだものの、その後撮影も、保存もOKですので、約束の梅見の記録はできそうです。

約束している行先は、https://www.bunka-toyama.jp/uchiyama/ 内山邸です。
この時期、種類も数も半端ない梅見が楽しめます。
私はこの豪農のお屋敷が県に寄贈されたあと、お茶会、野点、お花見、梅見、お月見など、十数回はこちらに訪れました。いずれも母と共に。最新でも20年以上前になります。。。
一緒に行くのが母ではない、との哀しみからこの地から遠ざかっていました。

今回ご一緒するのは、最近行動を共にすることが多い友人とです。
以前の職場でそんなに長くはない期間、席を並べました。学年所属が一緒だったときは、何だかめんどくさい人、という印象があって、そんなに親しくもしていなかったのを覚えています。

実は今もちょっとめんどくさい感は否めませんが、そこは、お互いさま、と私の方で先に譲歩している、といいますか、関心をあまり寄せないということで割り切っています。

とにかく積極的で、どこどこのカフェがすてきだから、行ってみない?という具合です。
とっても愛想が悪い私、最近は、「一人で行ったら?そのほうがもっとすてきよ」とにべもなく(笑)

よく人のことを表するのに、「悪い人じゃないのだけどね」という常套句を使いますね。
人間、そうそう、悪い人はいない、と私も思います。一般的に人とは距離を置きますし。
まさに、梅見に行くのを約束させられた今回の友人も決して悪い人ではなく、むしろ親切で行動力のあるふつうにいい人です。
ただふたつ、私が躊躇していることがあります。

ひとつは、音楽会などのチケットを自分でとらずに、その役目を私に押し付けてくること。彼女はスマホ依存症といってもいいほど、ちゃんと電脳世界になじんでいるのに、チケットをスマホでとるのが苦手、と丸投げしてきます。
私はPCで、会場のHPから、あるいは、チケットピアから、とります。クレジットカードでの決算は好みませんが、それ以外の方法(コンビニ決済など)が不慣れなのでしかたありません。
難しいことではないので、もう少し快く、チケット入手を引き受ければいいところ、一番ネックは、人気のあるコンサートは、チケット販売開始時刻にあわせて、かなり緊張してPCの前で待ち受け、即時にゲットする、その拘束感です。
チケット入手と共に消えるのですが、ほんとに、何で私がいつも・・・と不満があります。
予約のシステムを利用できるときは、気になりません。

つい、先日も苦労しました。五月のイベントhttps://www.gargan.jp/、金沢の音楽祭です。このチケット3会場を二人分、取るのに発売初日の朝、PCの前で緊張と拘束感いっぱいで自分の時間を浪費しました。

まあ、そんなに嫌がると、いかにも私が意地悪なのを暴露するだけですね。こんな人と思って、彼女と付き合っていきます。いつも、スマホで取るのに、慣れる方がいいから、今度は、貴女が、と促してはいるのですけれどね、むなしくも。

ところで、もう一つの困ったことは、といいますと、これはもう、私自身の感覚が少し過敏なだけ、と言えるかもしれません。
それは彼女の口癖のこと。

「私って〇〇〇の人じゃないですか」
「~~~じゃないですか」

語尾に「じゃないですか」とつけるのが口癖の彼女には、実は私は顔を下げてたぶん、とっても嫌な顔をして、「やめてくれ~~」と、時の経つのを待っているのです。

私も使っているかもしれませんが、少なくとも頻発はしていない。~~でしょ、とか~~じゃない?とか~~だと思うけど、といろいろバリエーションを加味していると思うんです、私は。

~~じゃないですか、と言われる度に、
「知ったことじゃねえよ、お前さんがどうであろうが、私はしらんぞ」と大声で答えたい気持ちと対峙します。

この表現って、若者文化以上に十分に定着している そんなに礼儀知らずでもないものらしい。
ひたすら嫌に思う私が変なのか・・・

ダブルで嫌悪感いっぱいになる言葉を後に本日はおあとがよろしくないようで(笑)

「ぽこさん、私ってスマホけっこう、使いこなしている人じゃないですか。でもね、コンサートのチケットを取るとなると、何故か、うまくいかないじゃないですか。だから、次のもお願いしますね。手数料の半分を出せばいいじゃないですか。お願いしますね。一緒にいきましょとさそってくださったのは、ぽこさんじゃなかったですか」

ぐぁああああん  軽率だったのは、私、ぽこ じゃないですか!!!
ああ気持ち悪い。
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大惨事

2023-02-06 18:35:05 | 日記
タイトルの「だいさんじ」を漢字変換しましたら、第三次が最初に登場しました。
しばし、この漢字三文字を見ていましたら、「第三次」のほうが、私が最初にうめこむつもりだった大惨事より、望ましいのかも・・・と気持ちが大きく変わりました。

大惨事と申しあげたかった事態は、ガラケー内の写真のデータが全て消失したことです。
どうやら、あわてて、電源を消さずに、SDカードを取り出したのが大失敗でその時点で、SDカード内に保存されていた何百枚のデータが一度にさようなら~~とこの世からお隠れになったようでした。
確かにこの数年もの記録が(あるいは、以前のケータイからの移動保存も含めるともっと多数)一度に喪失した悲しい出来事ではありました。

でも、一方で、命の重さとか、信頼関係のぐらつきとか、などと比べるまでもない些細な不始末です。
先週末は、一連の検査結果が白日のもとに晒される、と言ったらオーバーですが、運命が早鐘を鳴らすかのような結果判明の時がありました。それも決められた日時に知らされずに、二転三転して先延ばしされてすっかり疲れ切ったあとの最後通牒でした。良性線種だけど、癌化しないとも限らないという脅し文句付きでした。が、今のところ、バンザーイだったのは、確かです。

ソフトバンクで、消失したデータの復元が不可能だとわかったのは、確かにがっかりでした。でも、まもなく、命短しの運命だと思い込んでいたガラケーが今のところなくなる予定はないことも知り、こちらは、収穫でした。

七段飾りのまもなく七十歳のお雛さまを飾るのは、奉職先の学年末の成績を無事提出するのを待ってになります。今月半ばでしょうか。雛菓子はもう用意してはあります。

その前に、小ぶりののを飾りました。

アップしたのが↓になります。


さらに、自宅玄関には押絵の立ちびなも。お花も春を意識して。




どこが、大惨事?と自嘲しないといけませんね。
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