最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

夢の顛末補足

2019-04-28 03:57:48 | 日記
昭和の日は明日のようです。

やっぱり寝ぼけていたのかな。

今日は普通に日曜日。

いいお天気になりそうです。

窓をいっぱいに開けて、掃除をしたいです。

きっとすぐ、疲れてやる気がしなくなるから、

四分の一くらいまで、と決めておきましょう。

毎日四分の一できたら、四日目には終了・・・のはずです。

ムスコ夫婦が2日に来る、と言っていたそうですから、

何とか間に合うかも。

2日の夜は、若い人にはちょっと敷居の高いお鮨屋さんのお座敷を予約しました。

焼き魚は勧められるままにのどくろにしました。

おふくろの味、なんて我が家には存在しない そう決めています。

ムスコが喜んで食べたもの・・・って思いだせないですもの。

そうそうお布団だけは干しておかないと。

かび臭いから、ホテルにする、と言われても反論できません。
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夢の顛末

2019-04-28 03:35:26 | 日記
目が覚めました。
寝入ってからまだ1時間は経っていないはずなのに、
眠りが深かったのか、目覚めたときは、夢うつつ。。。

目が覚めたというより、起こされました。
私の泣き声が悲し過ぎて、よほど悲しい夢をみているのだろう、と
家人が私をおこしました。

声をあげて泣くなんて、まず、実生活ではないこと。
映画や歌に感動して目頭が熱くなることはすくなくないけれど、
日常では、涙は出しません。

目覚めてどんな夢だったのだろう、とストーリーを思い出そうとしました。
以前には、夢の中だけどようやく母に会えた喜びで泣き出したら、その時にも
家人に起こされ、「どうして起こしたのよお?折角お母さんに会えていたのに」と
文句たらたら垂れたそうです。

今夜は誰にどんなシチュエーションで何をしたのか、されたのか、辛い涙かうれし涙かも、
全く判然としません。

夢の顛末・・・・・

もう一度眠ったら続きをみれる なんて無理でしょうね。

私は早起き鳥でもないですが、朝は7時には「誠意ある洗顔」をする習慣があり、
寝床に執着することがありません。

毎晩、12時までには床に就こうと努めています。
実際には、1時から2時くらいになり、眠りにつけるのはそのまた1時間か2時間後。
身体によくないのはわかっているものの、
まあ年をとるってこんなことかな、そうでした、少し不眠気味はずっと若い頃からの
悪習慣でした、と今更付け加えるのもナンセンス。

寝ないで朝を迎える恐怖がいつもあります。

真っ暗なうちに眠りたい、とただそれだけ。
と、電脳箱をあけるのは得策ではないですね(笑)

涙で濡れた頬も乾きました。
お白湯をいただいて、まっすぐベッドに戻って、目をつむりましょう。


十連休の二日目は、「昭和の日」というネーミングの祝日です。
それがもう始まって4時間、眠ることの方が生産的なのに、勿体ない時の過ごし方をしてしまいました。

とにかく、ベッドにまいります。
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友の病気

2019-04-26 03:05:33 | 日記
数少ない友の病気が気になって、
いつもの悪い癖・・・眠れないはマックス状態です。

友は逆に私を案じて、「後悔と自虐は習慣になるからやめましょう」と
いつも口をすっぱくして言ってくれる。

いつかもこのブログ上に書いたのだけど、
私は友人が少ない。そしてその少なさがちょうどいい塩梅ときている。

私を慕って訪れてくれる人は少なくない←これは見栄を張って言っている(笑)
私がでかけてまで会いたい友人は、全く少ない。

物心ついた時から、私は乳母日傘というのか、外に出ることが稀だった。
幼い頃の友人は、皆無。
せいぜい先日偶然再会した高校時代の友人が最古参といえる。

今少ないが友と言える人は、十分齢を重ねたあと、何かのご縁で導かれ、
ずっと続いている珠玉の、といっていい友です。

一緒にお茶しよう、というほど互いの居住地は近くないので、
近況報告は、主として電話。メールは短文で非常連絡手段。

友は、病を抱えている。
どちらも容易に治る病ではない。進行が免れない。
二人とも、驚くほど、生きることを楽しんでいる。
身体に迫り来る不自由さを気にしないようにして、
一人は、ついこの前まで企業で働く人だった。
旅とお酒と人間の好きな人なので、
痛さと付き合って、上手に動きまわってきた。
日本海の幸と温泉と、そして私を叱咤しに、
隔年ほどに私を訪ねてきてくれたが、最近は、
健康な私が、出かけたついでにターミナル駅で会う がそれも間遠に。

もう一人の人とも もっともっと話したり、共通の時を過ごして、
老境の青春を謳歌したい
とそう思うけれど、本人の身体の具合が今は一番関心事。
当人は、いわゆるオールマイティの人だから、
あちこちで、あてにされる、何か引き受けたらパーフェクトに
やりこなす 身体の不具合と向き合いながら、幹事長みたいな役割を
華麗にやりのけられることを 私には見えなくても手に取るようにわかっているつもり。
そして、何よりもそれを願っている。

ずっとずっと、私はこの人たちにお世話になるばかりだった。
お返しできること・・・それを考えても考えても わからない。

祈ることだけ。
日々が身体の条件の許す範囲内で、明るく楽しく望ましい時間であることを。

人一倍タフで私を叱り飛ばしてくれていたこの人たちは、気持ちの上では今も変わらない。

実際のところ、そう思い続けるのでいいのではないか、、、と書いているうちに思えてきた。
何も変わってはいないのだ。
私には、大切な人たち、が、いてくれる。
以前のように気楽に次はいつ会おうか、ともちかけられないけれど、
あの人だったら、どう答えてくれるだろう、どんな考えを示してくれるだろう、
そう心の中で思っていることはきっと無限に可能だ。
ただ、ただ、病気の進行が少しでもゆっくりで、不具合が大きくならないことを、
そして医学がもっともっと身近に効力を発揮してくれることを願う。

気楽に
「またきたよ~~」とこれから先も何十回も来てくれるだろう、と決め込んでいた陋屋に
友を迎えることは、あまり期待できないかもしれないけれど、
友を思って そこに友を迎えるつもりで ありあわせの材料で花を活けた。


「病を得た友の今後の活躍を願う」それが私の生きる道、エンドレスの応援を送ろう、と思ったらやっと眠れそうな気がしてきた。


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思いがけない邂逅

2019-04-23 22:32:22 | 日記
今日のお昼は、だいぶ前に約束していたママ友3人と、陋屋近くの小さいフレンチレストランでだった。
実は、この1週間に同じこのレストランでランチが三度。
前菜は、ビュフェスタイルで、野菜を素材にしたシェフ手作りのアペタイザーがカウンターに並ぶ。お皿の数で10枚は下らないだろう。最後はスープが保温状態で。

ランチのメインデッシュは、Aランチ(1300円)で6種類くらいあったかしら。
Bランチ(1800円)が2種類、Cランチはステーキで2,000円台後半だったと思う。
ちょうど一週間前に同業の友人ときたときは、彼女も私もBランチで迷わずブィアベースにした。二人とも冬の間ずっとこれにはまっていたので。
今日はブィアベースがなかったので、迷わずAランチから季節の野菜たっぷり(菜の花とか)パスタにしたと思う。
まったく迷わず、最期のデザートの選択も流れ作業で人任せにしていたら、声がかかった。

「ぽこちゃんじゃない?私が分かる?」
背の高いカッコイイ妙齢の女性(換言すると、いい意味で年を重ねた)が満面の笑をたたえて、私に抱きついてきた。
続いて、もうひとり、彼女の連れの女性も。
「わぁ~~ぽこちゃんだぁ!何年ぶりかしらん!夢みたい」
私にしては珍しく、かなり早くに目が覚めた(記憶がたどれた)
「えーーと、旧姓かもしれないけれど、〇田さんと▽▽みちゃんじゃない?」
前者は当市の公僕として女性の先陣を切って活躍した人、退職時には、美術館の館長だったかもしれない。後者は中学の数学の先生で、最期の数年は校長先生を2,3校でした人。

あの同期会以来だよね。
私たちは高校の同期である。

ちょうど30年くらい前、平成元年かその翌年に、母校がインターハイか国体誘致のために、箱物が必要で、500メートルくらい移転新築となった。その時で創立90年だったが、ちょうど母校に奉職している教師が同期に3名いて、同期会(もちろん、普通にホテルの宴会場でやったのだが)の前に最後の雄姿をこの目でみおさめるツアーなるものの旗振りをしてくれた。
卒業後20年ぶりの同期会だった。
私たち三人は、いずれもその時の役員だった。
それが30年前。。。
田舎の旧家に嫁いだはずの▽▽みちゃんは、昨年東京に居をかえたという。
事情は聞かなかったけれど、いい嫁をしながら教師を全うしたはずだから、何か彼女を決心させることがあったのだろう。

ママ友の中に、▽▽ちゃんと小学生の時文通していたと思いだした人がいて、更に話がもりあがった。

ランチが終わった時も互いの高揚感は鎮まらず、6月ごろの再会を約束して別れた。

高校生だったのは、恥ずかしながら半世紀も前のこと。

彼女たちが基本的に変わっていないのに驚くと同時に、変わらない理由は、それは、輝いていること、目に意志が見られること、とすぐに分かった。

私は往時は、フランス人形みたいに高嶺の花だったのよ、とママ友にわざわざ虚言を言ってくれる賢さ。

友人はいない、なんて嘯いていたけれど、今日は彼女らを誇りに思った。

ママ友も十分刺激を受けて、そのあと陋屋でのお喋りはまたまた果てしなく続くのだった。

写真は、今日のママ友のひとりに珍しく自宅でささやなかお祝をした時の写真。
彼女の娘が高校時代を皮切りに自分探しに心の彷徨をしていた数年間。ごくまれに
話を聞いていたのだが、ようやく大学を卒業して私にやっと社会人よ、と報告に来たときの
私のもてなしだった。
彼女が先日、その時撮った写真を添付したメールを送ってくれ、思いだした。
それから10年は経っただろう。二児の母となっているのが嬉しい。
こんなちまちましたセッティングを自宅でしたなんて、私もやるじゃん!

もうだれにもこんなサービスは不可能です。
長いことケーキも焼いていません。

疲れたけれど嬉しい長い一日だった。
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このようにちょっとだけ模様替え

2019-04-22 19:03:01 | 日記
自宅の座敷の長欄間には、


陋屋にまた戻った額です
義父の師匠だった書家の〇〇秋鶴先生作です。



自宅に戻って玄関の垂髪から備前の花入れを下ろして、庭の花を投げ入れました。



何ら生産的なことをしていませんが、どこか、ほっこりうれしい午後でした。
だいぶ埃が舞い落ちましたが、掃除は明日にします(笑)

かび臭い話でまことにすみません。

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