最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

昨年綴っていた同じ思い

2019-09-26 01:07:22 | 日記
こんばんは。
先ほど久しぶりにブログへ投稿して、それくらいのことで、
どっぷり疲れて今まで寝ていました。
微熱も咳もたまに感じる息苦しさというか、胸の重みも
全くなくなっているのに、些細なことで疲れを覚えるなんてちょっと情けない。

思い立って、二年だけ続けて書いていたヤフーブログの過去の記録を開けてみました。
ありました。
「九月十七日」というタイトルで確かにございました。
ヤフーブログはいつか、藻屑と化すそうなので、そのまま拙文(本文)とお寄せいただいたコメントをコピーしました。

タイトル 九月十七日

荒れるにまかせている自宅の小さい庭におりたちました。

赤松の植わっている築山のあたりは、ヤブコウジやら吉祥草やらぎぼうしが繁茂していていずれも花や実をつける時期以外ははっぱばかりです。

そんな中に、朽ちかかった竹垣の合間から見えたのが、熨斗蘭の気高い純白の花々でした。

思わず息をのみました。

十五年前の同じ日に、初めてこの花が我が家のこの場所で花をつけました。

その前夜10時半ごろ、実母が息をひきとりました。末期がんでした。緩和病棟で、時々のモルヒネ治療だけ、の70日間でした。

真夜中に実家に戻って、父、長兄たち、次兄たちが大騒ぎをしていろいろ準備にとりかかる中、あ、父と私は終始黙していましたが、とりあえず自宅に私が戻ったのが翌日17日午前6時頃でした。

そしてそこに植えてから10年以上一度も花をつけたことがなかった熨斗蘭がひっそり花をつけたのを見つけたのがその朝でした。

母は70代の終わりごろ終焉を迎えましたが、まだ元気だった60代半ばに拙宅の庭にこの花を根っこをつけて持ち込んで植えていってくれたのです。

もう咲かないのか、と思っていたのに、母が病気との闘い破れて逝ったその翌朝に、草むらの間から花を見せてくれました。

「おかあさん!」とその花に向かって呼びかけていました。

朝露に濡れながら、小一時間ほどしとど涕の私を、母はどこかで見ていたでしょうか。







同じ年の9月15日の夜のことです。

母が急に私に今からお話するね~~とベッドから私の手を探しました。

10分ほどあるいは5分ほどでしょうか、母の話がリアル過ぎて、私は何一つ言葉を発することができませんでした。頷くだけでした。

「よく、人は亡くなったあともあの世から下界の人を見守るっていうけれど、おかあさんをはじめ、あの世に行くとね、ハスの上の露になるの、そこには、地上でいわれる生活も何もなく痛みも苦しみも欲も得もない永遠のただの露、それを眠る、というのよ。私は正直、ぽこちゃんを残してそこに行くのは辛い、ぽこちゃんのことだけがこの世の未練だけど、きっと、ぽこちゃんのことだから、何とか歯を食いしばっておかあさんのいない時間を乗り越えて生きていけると思う。そのときに、これからのぽこちゃんをお母さんが見守っている、なんて思う必要がないわ。もしそうなら、いつも見られていて窮屈でしかたないでしょ。本当におかあさんはもうこの世のことから解き放されて行ってしまうから、それだけは覚えていてね」




熨斗蘭の白い気高いひっそりとした佇まいが母を偲ばせて、母がそこにいるように思えました。




それから数年間毎年熨斗蘭は咲いてくれました。

そしてここ数年、ちっとも咲かなくなっていたのが、今朝、何輪も花をつけているのを見ました。母の写真の前に一輪活けました。




私のごくごく個人的な繰り言ですが、

母の通夜は、9月18日に(こう言っては不遜ですが)盛大にとりおこなわれました。疲れと悲しみとでそこにいるのもやっとだった私ですが、通夜振舞いの宴席の一人としていたところ、知らせがありました。

義父が逝去、母の病室の真上の部屋へ2週間前に救急搬送されてきていたのです。なんと母の二日後、通夜も、葬儀も、同じセレモニーホールの同じ部屋で、おまけに火葬の場所も20幾つもあるのに全く同じところでした。

義父の葬儀の喪主の妻としての立場が優先され、母を心から見送ることができなかったのが心残りです。




昨日は母の命日、そして明日は義父の命日。

そんなに信心深い家風でもない嫁ぎ先ですが、毎月の命日は義父のも義母のもお寺さまのお参りをしていただいています。

対応は私です。お花やお供えを準備して、お寺さまをお迎えして、お参りする、そして終わったら、お寺さまを茶菓でねぎらい、お布施をお出ししてお見送り。

これだけのことですが、自宅ではなく、陋屋の方にお仏壇を置いているために、出向くのが結構一仕事です。

バチアタリのうっかり発言ですね。

実家のお仏壇やら仏像(庭にあります)に父逝去以来一度しかお参りできたことがない私には、義両親没後のこの懇ろな(もちろん、法事や報恩講も丁寧です)扱いが、時々さみしい。

大福のすきだった父、お抹茶が何より好きだった母、せめて仏前にお供えしたい、叶わぬ願いを毎月毎月心の中で憂えています。

実家は空き家、遠くにいる次兄からは合いかぎをもらっていないから、入ることができません。一年に一度くらい後ろ庭が見える場所から仏像を拝むことはあります。




心の中に生き続ける母は、あちらからはもう私のことは見ていないそうですが、熨斗蘭一つで母恋し・・・になるのは、だれもとめられません。




https://www.ootk.net/cgi/shikihtml/shiki_806.htm




ネットからうまく反映されるといいですが。






.

コメント(7)





先輩!
親というのありがたいものですね。
いま一度家族の繋がりについて考えることが必要と思いました

2018/9/17(月) 午後 6:13疲労困憊オヤジ
.



熨斗蘭を検索させていただきました。
うちの庭にもあるお花で驚きました。名前は知りませんでした。鳥がタネを運んだらしくいつの間にか花を咲かせていました。
ぽこさんがそのお花をお母様だと思われるお気持ちはよく分かります。
私も母がいた施設で頂き、母の亡くなった年に初めて咲いた月下美人を特別な気持ちで大切にしていますから。

以前にも書いておられましたが、次兄様のことおつらいですね。私も同じ兄2人で、今のところはつかず離れずでいます。男兄弟というのはどういう訳か、いろいろとあるお宅が多いようですが。
それよりもご実家に入れないなんて、失礼ながらあまりにも理不尽で哀しいことですね。
家に入れるようにお願いも出来ないのでしょうか?
関係のない私が口を出す失礼をお許し下さいね。
でも、このままでは・・・・・・。
こちらは見ないと仰るお母様ですが、私はご覧になっておられる気がするのですが。

2018/9/17(月) 午後 8:15[ madonna ]


顔アイコン

こんにちは。熨斗蘭のことを知らずに、先ほど検索してみました。すずらんのような可憐な白色、繊細で優しいお花。ぽこさんのお母様もこのような雰囲気の方だったのかしらと想像していました。お亡くなりになった日に初めて花が咲いたとのこと、なんだか不思議な符合に胸がつまりました。人は亡くなったらどこへ行くのか。別の世界がある、ないは人それぞれの考えだと思いますが、その人の「想い」はその人の体温が残るようにずっとこの世にとどまるような気がしています。

2018/9/18(火) 午後 2:56green_green




> 疲労困憊オヤジさん
確か、疲労困憊オヤジさんには、パワフルなおかあさまが、ご健在なのですよね。先日の敬老の日なんて、特にお祝いなどなさらなかったのでは?それでいい、それがいいのです。おかあさまのパワーに存分に応えてあげてくださいね。

2018/9/18(火) 午後 5:58[ ぽこ ]



> madonnaさん
私の心に寄り添って、いえ、すぐおそばにマドンナさまを感じさえするコメントをありがとうございます。
熨斗欄は、マドンナさまのお庭にも咲いていましたか?野に咲く地味な花ですから、この季節うっかりすると気づかずに花をめでることもなくもないです。
母は見ているのでしょうか。
マドンナさまにそう仰っていただくと、そのようにも思えてきます。
不甲斐ない私のこの生くる姿・・・母は喜んでくれるどころか、やきもきしていることでしょう。それこそ、手でも足でも出して手助けしたいのを我慢して。。。
母のいない空爆とした心の穴を一方では、心の軽さに無理やり転じている私なのかもしれません。
そうでなければ、兄たちと一戦も二戦交えてでも、どうしても法事などの仏事を挙行する方向にもっていっているでしょう。
次兄にも宣戦布告して、お仏壇くらいお参りさせてよ、ともいえるはず。狡猾なのは、私なのかもしれません。

2018/9/18(火) 午後 6:11[ ぽこ ]




> green_greenさん
いつも暖かいお気持ちをありがとうございます。
お若いgreen_greenさんに、すっかり甘えさせていただいています。
縁あって出会ったこの世のつながり、命をつないだものもあれば、こうして電脳箱の中での言葉の往来もあります。
真摯に私の言葉を受け止めてくださるgreen_greenさんは、熨斗蘭もさっそくお調べくださったのですね。
この季節、ヤブランといって紫の粒々の野生の蘭もそこここに見られます。
亡き母は、名もなき草花を喜ぶ人でもありました。
その名もグリーンな、green_greenさんと紡ぐ嬉しい人間関係を母はきっとどこかで人知れず喜んでいるのは確かだと思います。

2018/9/18(火) 午後 6:27[ ぽこ ]




霊は 自由に世界を巡っている様な気がします、お母様はポコさんの所へもきっと来ておられます、 合掌

2018/9/19(水) 午後 0:06[ RIN ]


ネットの漠とした空間の中でも、こうして私はみなさまのおかげで、生かされています。

今までも、これからも戴くご厚情に心いっぱいに感謝して、今一度「熨斗蘭」をここにとどめました。
コメント (4)

熨斗蘭 2019/9/25

2019-09-25 18:41:39 | 日記
台風の影響もあったので、またもや熱帯性の暑さもあったり、夜などは、20℃を切る日もあったり、と文字通りめくるめくこの季節の変わり目時です。



昨年は20本くらいは花をつけましたが、今年は数本のみでした。
ちょっとご覧になりにくいかもしれません。
白い花が遠慮気味に咲いています。熨斗蘭です。

実家から根っこつきの株を一株もらってきたのが、ずっと花を咲かせませんでした。
もうかれこれ十数年前のある朝、そこにひっそり、一輪はじめて咲きました。
母の告別式の朝でした。
思わず、その花を抱き寄せて「おかあさん!」と声を絞りだしました。
以来、毎年お彼岸のころ、母の命日ころに咲いてくれます。

今年はひれかつをお三時にお出しした青年植木屋さんの来てくれた日にはまだ咲いていませんでした。
少ししてこざっぱりした庭に下り立った時、その姿を見せてくれました。

台風の前に剪定が終わっていたので、今日久々に庭に出ても落ち葉は思ったほどありませんでした。

小さな戸を開けて、こじんまりした我が家の庭が見渡せます。



数日間、風邪をこじらせてしまって、病院にあずけられていました。
自宅にいては、世話(食事です)をする人がいないから、ということです。
寝るばかりで、思った以上に回復しました。

母のお墓参りも行けませんでしたが、きっと、母も父もどこかで見守ってくれたおかげの元気なのでしょう。病院食が美味しいなんて、私もだいぶ、鍛錬されたようです。

またブログ更新に励みます!
コメント (6)

外食よりずっと美味しいとおだてられ

2019-09-11 23:16:54 | 日記
ついこの前の日曜日、私にしては珍しい同業者の友人が、訪れました。
彼女は、陋屋近く(徒歩2分)にある小さな家庭的フレンチレストランの大ファンなのです。ほぼ頼むものも決まっていて違うのは冬か夏かだけ。
コースによってお値段は違いますが、1300円のは人気があります。いつもお客でいっぱいなので、予約をします。私も彼女も1800円のコース。頼んだことはありませんが、2500円はステーキ何だろうと思います。
彼女と以外にも相手をかえて、しょっちゅうそのお店を利用している私は、まあ、あんまりそんな顔をした覚えはないですが、常連さん?のひとりかもしれません。
その日も1時から入り、2時までゆっくりランチを楽しみました。ランチの最後の客だったということもあって、会計をしながら、ちょっと雑談、今夜の食事を予約できる?とオーナーシェフに聞いてみたら、今夜は所用でクローズします、ごめんなさい!でした。柄にもなくしつこく、では明日月曜日は?と思い切って重ねて聞いたら、もちろん、営業します、お待ち申し上げます。とのこと。
翌日の月曜日、出不精の家人に朝から警告を入れた。夕食はあそこで(で通じます)だから、出る準備をしてね、7時に予約したの、と。

あんまり気乗りしない家人だが、アッシー君(古!)のお役目は嫌がりません。自宅から陋屋案で歩いて10分、クルマで5分、お酒を飲みながら食べる習慣がないので、運転手付きでのお食事だ。

Aコース 2500円
*本日の軽い一皿

*サーモンのソテー サラダ仕立てor 鶏もも肉の香草焼き

*本日のスープ

*メイン(下記より一品お選びください)
 ・真鯛のポワレ 白ワインソース
・豚ヒレ肉ミラノ風カツレツ
・鶏モモ肉 トマト仕込み
・国産牛ロースステーキ(+500円)

*パン or ライス

*デザート

*食後のお飲み物

Bコース 3500円
*本日の軽い一皿

*サーモンのソテーサラダ仕立て or 鶏モモ肉の香草焼き

*本日のスープ

*ナスとミートソースのパスタ

*メイン(下記より一品お選びください)
 ・真鯛のポワレ 白ワインソース
・イベリコ豚ロースのグリル オニオンソース
・和牛ホホ肉の赤ワイン煮込み
・国産牛ロースステーキ(+500円)

*パン or ライス

*デザート

*食後のお飲み物

Cコース 5500円


*本日の軽い一皿

*エビとサーモンの春巻き

*ホタテの香草焼き

*本日のスープ

*本日の魚料理

*国産牛ロースステーキ

*パン or ライス

*デザート

*食後のお飲み物


それ以外に何というネーミングか知らないけれど1800円のコースもある。
通常は私たちは、3500円コースから互いの好みでメインでぃしゅを選ぶ。
ムスコ夫婦と一緒の時は全員5500円コース。
シェフが出迎えてくれて、いつかの中国人高校生の話になった。
2メートルくらい背がありましたね、と今でも驚いた風情。あのときも5500円コースにしたが、足りなくて、追加の牛肉が品切れで何か他のものをアラカルトに出してもらったんだった。
今回は、私はAコース。サーモンのソテーサラダ仕立て 真鯛のポワレ 白ワインソース
を選んだ。
家人はBコース。サーモンのソテーサラダ仕立て ・イベリコ豚ロースのグリル オニオンソースにした。ナスとミートソースのパスタがとってもお気に入り。このコースにしかついていない(笑)

ゆっくり夕食を楽しんだはずだけど、ワインなどたしなまないから、帰宅してもまだ8時半だった。後片付けもなく、何だかとっても得した気分。

さて、本日のこと。
私は午後仕事に出る前に自宅で昼食を済ました。
そして学校から帰宅したら4時。そのころにやっと昼食(野菜カレーを作っておいた)を食べ始めた家人。
当然夕食時刻が私のおなか状態とは違い、ずいぶん遅くなる。
ゼリーを食べたり、バナナセーキを作ったりして空腹をごまかした。
途中でいつものあの植木屋青年から家人に連絡が入ったらしい。
明日〇〇くん、剪定にくるって。
それを聞いて、そうだ、私は今度ヒレカツをおやつに用意するわ、と春の作業の時言っていたんだった!
お昼のカレーをあたためなおし、ハムエッグとお漬物を加えるだけ、の夕食準備が急に活気づいた。
家人は本当にヒレカツファン。私はそんなに好きでもないが、この夏貧血&低血圧に豚肉がいいと主治医にもすすめられ、何と週に二度はこのメニューに取り組んだ。
家人がスーパーから帰ったのが10時。ひれ肉は100グラム400円くらいで、いつも500グラムくらい買う。(二回に分けて食べます)今日は3割引きになっていたそう。
今夜食べる分を300グラムくらいとは別に残り200グラムも一度に揚げた。
食事を終えたのは10時45分。そのあとNHKのヒストリーで北条氏の話を見ながらお茶にしたから間違いない。
家人いわく、私の手際よさ、そしてこのからりと揚がったのをすぐ食べる幸せよ!とほめまくりです。




どこで外食するより幸せ!と家人にほめられるのが面映ゆい。
私のこのヒレカツの立役者はひとえに、小豆島の井上さんのオリーブオイルのおかげ。800グラムの缶を5回で空にして使います。そして、温度を200度近くに保ってくれるガスコンロ、フランスの塩とあらじお(温度を見るのに使います)とレフィルをびんに詰め替えずにそのまま使っている黒コショウ、
何よりキッチンの温度を23℃にまで冷やしてくれる強力エアコンがあってこそ。

最も原始的な料理です。
でも昨日の血液検査では、貧血も正常値にかなり近づいていました!!!
コメント (10)

前の記事に付加しようと思ったものの

2019-09-08 19:16:30 | 日記


これがあるのも我が家の実情です。
先ほどは抹香くさいお話でしたが、なんと、実は、神社仏閣なんでもござれの、迷える子羊のぽこ家。

そういえば、もともとの墓地(予約の)の隅に欅の木の根っこが侵入しないかと、かなり基礎コンを厚めに塗ってもらったのですが、
別のはじっこには、そこそこ大きめの榊の木も植わっていた。
墓地でもそうなんだから、
悩める衆生の行く先がぬかるみだらけでももっともなこと!

キッチンにこんなカレンダーが。


末筆になりましたが、
台風の進路の影響を受けられる関東、甲信越のみなさまには、
どうぞ、何事もありませぬように。

それこそ、御仏にいくらお願いしても、理超えてへだてなく  なのですが。
コメント (4)

例の事件について、ネット検索はしていません。

2019-09-07 01:55:19 | 日記
時間、日にちが経つと、大事件と受け止めていたはずのことも、
重要性を失ってくる。
もしかしたら、頭が弱くなり、記憶力というより、感受性が鈍くなっているのかもしれない。
恥ずかしながら、あくまできれいごととして自分の言動を振り返ってみると、
あんまり、執着心がない、楽天的、許せる(自分については、相当甘い、そして他人のこともあまり怒りとか憎悪を増幅させたくない、できるだけ穏便にことを澄まして、争い事は避けたい)と、いかにも善人然ととらえている。

嫌なことは忘れることで済ませてきた。
それは真の解決ではないのだけれど、にせの解決法としては効力がある。
にせであっても、それで煩悶が消えるのなら、十分だとも思う。

またまたオーバーな思わせぶりな語調で書き始めてしまった。

タイトルに示したように、世間でこんな事件にどう対応しているのかは、ネット検索までする気になれなかった。きっと他にもこんなことは起こり得るのだろう。日常茶飯事ではないのだけれど。。。

お盆は当地では旧盆なので8月中旬の、とある日、帰省中のムスコ夫婦も同行して墓参にでかけた。少し遠隔地なので、あまり足しげく行けない私の実両親の墓地は、前日から逗留した温泉から割合近かったので、ますぞこへ。日頃の不行跡を両親に詫びてその割には、さっさと、墓参行事を済ませたのを覚えている。

高速を使って第二は私の嫁ぎ先の先祖伝来の墓参。檀家をたくさん持つ大きなお寺、真宗だ。私が嫁してからの仏事は、義父の葬儀、四十九日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌 義母は葬儀、四十九日、一周忌、三回忌とこの本寺のご住職さまとそれに君臨?する小寺からも2名、そして毎月二回義両親のそれぞれの月忌参りをお願いしているお寺(これも相当由緒正しいお寺)のお住職さまと最低4人多い時で6人お坊さまをお呼びしてきた。
お寺と特に親しいお付き合いをしているわけではない。

第三は市内に戻って もうひとつのご先祖の眠るお墓へのお参り。地元の名刹である。
そこに私たちは、30年くらい前に墓地を確保した。墓地は不動産ではないので、永代使用料とかなんとかという名目でお借り というか、居座らさせてもらうわけだ。
その時は、土地神話のまかり通る時代のせいもあったのか、自分たちが求めたマイホームの5坪分くらいの対価で求めることができた。実際の広さはその半分くらい?
大きな古い欅の木が墓地の区画のすぐそばに迫っていたので、お寺との合意で一部欅の根っこを切ってもらった。そして、お墓はいずれ第二のところから遷墓するつもりで、とりあえず、コンクリートの基礎うちを業者に頼んだ。
自分たちの墓地はお墓は建っていないけれど、お盆、お彼岸と先祖の墓参の折りに欠かさず、確認しに立ち寄ってきたのだった。

今年のこのお盆で基礎うちしてあるその場所に、全く知らない人が新しくお墓を建立しているのを発見!

お寺はお盆のかきいれどき?で忙しくされていた。
名刹でもあり観光寺でもあるので、ご住職さまをつかまえるのに難儀したが、お寺の事務局の方も尽力くださり、何とか会見が叶った。
先代のご住職さまのときに、契約?というのも不謹慎だが、約束したので、どうやら、今のご住職様への引継ぎができていなかったようだ。
先代が入滅されてもう数年だから猶更、風化してしまってもいたのだろう。

場所をかえて、墓地は確保してくださるという。基礎うちもお寺の方でしてくださるとも。
あとは、石屋さんとの打ち合わせを、ということで、数日前の事件の日を迎えた。

もっともそこまでにも、折角求めた自分たちのそれこそ終の棲家と決めたところが、急に何の前触れもなく突然かわってしまったことへの心の整理?も時間はかかった。
私はもうしかたないし、と諦めが早かったけれど。。。

思いがけなくも、石屋さんとは第二の場所。現在の墓のあるところでお話した。
遷墓というのは、今までのお墓を閉じて土にかえし、新たに別の場所でお墓を建立、その期間のお骨の預かりや、諸手続きは石屋さんがしてくれる、そう理解していた。そして、それが数年後か、あるいはもっとあとか、、、とも。

事態が急変したのは、石屋さんの「この国産の墓石がすばらしいので、これを移動して今度のところ(第三の場所)へ建立しましょう。」の一声だった。
どうやらすぐにでも工事を始めることになりそう。。。

見積もりはもちろん、いただくことにしたものの、これからこそが私たちの未知の分野で、悩みの種は尽きなくなるのかも。

経過報告が長すぎて大事件の臨場感を伝える筆力があえなく消えた。
また続きはそのうち、具体的すぎない程度に報告したい。

ひとつだけ、特記しておきたいのは、お盆の日、事件が発覚した後、お寺の事務室で、ご住職さまとの面談の折りの参加者の顔ぶれ。

私は何も意見もなく、暑いし、疲れていて、参加は遠慮したかった。が、家人の要請でしかたなく同行。
ムスコは積極的だった。断捨離好きの合理的なあの人が、だ。お寺さんにこちらの情報を渡すときに、私はムスコです、私の連絡先も付記しときましょう、と積極的に住所やeメイルアドレスなど記していた。ちょっと思うところがあった(笑)
お嫁ちゃんは、私は疲れたから帰っています、と自分たちのクルマを運転して帰っていった。私たち夫婦とムスコが帰宅したら、ちゃんと家じゅう涼しくしておいてくれ、座敷のど真ん中で眠りこけていたので、お寺での顛末を話したのはその夜のことだった(笑)
コメント (12)