大相撲春場所もいよいよ明日は千秋楽。
弱い大関陣とこっぴどく、叩かれながらもその大関たちの頑張り、若隆景や翔猿など若手の台頭など、それなりに、コロナ禍でテレビの前にいる時間の多くなった視聴者を楽しませてくれています。
私の朝さま(こんな表現、抵抗はあるのですが、朝乃山そのものも嫌、朝ちゃん、朝くんではちょっと軽すぎますし、、、でためらいながらも、朝さまです)も前半不調のスタートで取りざたされ(曰く、同部屋に関取がいない関係から、稽古量が足りない、切磋琢磨が感じられない、など、事あるたびに北の富士氏に罵倒を浴び、、、これでは心も折れるのでは、と余計な心配もしたものです)日を追うごとに本来の持ち味も発揮できるようになり、今日の先程までは、優勝候補に挙げられました。
今日の最後の取り組みは、まるで天敵のようなあの照ノ富士でした。
で、朝さまを応援し続けたこの14日間で、明日、最後の取り組みに白星を重ねるように応援側も頑張ります。
冒頭の「てきない」ですが、方言です。
いったいどこの言葉?とネット検索しましたら、福井、石川(特に能登地方)、富山、岐阜(飛騨地方)、あと、東北地方にも、本州の西寄りのはじっこあたりにもあるようです。
意味がそれぞれ異なるようです。
私の母は、一緒にお風呂に入っていると「ぽこちゃん、てきないの?」としばしば尋ねました。「うん」と返事した時には、私の唇は真っ青になっていた、と、母がよく言いました。
てきない、というのは、しんどい(これも方言でしょうか)のもう少し辛い状態を意味します。私は、結構負けず嫌いといいますか、弱音を吐くのを潔しとしないので、中学、高校と苦手な遠距離走も決してさぼりませんでした。
1000m走など、5分を超すワーストタイムでしかし、意識はしっかりある状態で完走。更衣室に戻って着替えをしようとしても、身体が思うように動かなくて、のろのろ時間をかけて、やっとセーラー服に着替えたものです。教室に戻るともう次の授業でした。先生が、「くすのき(私の旧姓です)、てきないんじゃないのか、真っ青だぞ」と声をかけてくれるのが余計なお世話で、恥ずかしくて「いえ、大丈夫です」と着席して、何とか30分後には平常に戻ったものです。今の世の中だと考えられない(笑)
母のよく使った「てきない」、そして先生が声かけてくれた「てきない」どちらも私を案じる心配そうな言葉でした。
久しぶりに若い頃の「てきない」という語感を思い出しもしました。
朝さまのせいではないのですが、相撲も最後の数番前にさしかかると、心臓バクバク、緊張と恐怖と祈りと熱情とが混濁しながら入りまじり、何とも言えない身体の状態になります。まさに「てきない」のです。
数日前に起きようとしましたら、胃が猛烈に痛み、これは何としたこと、とありとあらゆる原因を思い浮かべました。
最初は何か悪いものを食べたのでは?からはじまり、いろいろと。
これは、胃がんになったのかも、とこわごわ、検査に・・・は、私にはあり得ません。胃カメラは半年以内検査しているし、、、
3日間胃の痛みと気持ち悪さとで、食欲なし。水分補給に努めて、それでも大相撲は最後の一時間は観戦しました。ちょうど朝さまが好調なときでしたので、それがよかったのか、だんだん復調しました。
月一のハートクリニックの受診の折に、何か変わったことは?と聞かれ、先生のご専門ではないですが、胃がすごく痛くて治ったところです、と正直に。
ドクターは、私の報告に顔色をかえて、あれこれ聞かれました。そのあとの検査などで、実は胃の痛みは心臓、今回も狭心症の発作が出たのだとわかりました。
今までに4回狭心症の発作がありました。25年前くらい、40代のはじめの最初のときは、1年、治療に通院しました。ニトログリセリンのお世話になったことが二度あります。3年以上ニトロはペンダントの中にいつもありました。
その後回復していると思い込んでいましたら、数年前に再発作、軽かったので、胸に張り付けるシールのような薬でやがて治りました。今はニトロも処方されていません。しばらくは、そのシールを処方してもらって、いつも携帯していましたが、値段が異常に高くて、数枚持っているだけにしました。
が、今度の胃痛が、狭心症の前兆だと知り、不養生は慎もうとあらためて警鐘を聞いた思いです。シールも処方してもらい、運転免許証のケースに入れています。
朝さまの晴れ舞台を応援、観戦していて何かがあったら、それこそ、朝さまに申し訳ありません。元気に毎場所応援できること、これを一つの目安に自分なりに軽い運動(距離をのばさないウオーキングなど)を心がけ、美しいもの(季節の移り変わりを目にすることで目も心も癒されます)との出会い、快い調べを耳にする、など、基本に戻って健やかな日々を自らが作っていこうと思います。
今月に入ってほぼ蟄居。桜の開花もまだこの目では見ておりません。
月曜日に、久々のバイオリンのレッスンに伺う折に、移動の車窓から眺めてみましょう。それが、「てきない」ことにならないための第一歩です。
弱い大関陣とこっぴどく、叩かれながらもその大関たちの頑張り、若隆景や翔猿など若手の台頭など、それなりに、コロナ禍でテレビの前にいる時間の多くなった視聴者を楽しませてくれています。
私の朝さま(こんな表現、抵抗はあるのですが、朝乃山そのものも嫌、朝ちゃん、朝くんではちょっと軽すぎますし、、、でためらいながらも、朝さまです)も前半不調のスタートで取りざたされ(曰く、同部屋に関取がいない関係から、稽古量が足りない、切磋琢磨が感じられない、など、事あるたびに北の富士氏に罵倒を浴び、、、これでは心も折れるのでは、と余計な心配もしたものです)日を追うごとに本来の持ち味も発揮できるようになり、今日の先程までは、優勝候補に挙げられました。
今日の最後の取り組みは、まるで天敵のようなあの照ノ富士でした。
で、朝さまを応援し続けたこの14日間で、明日、最後の取り組みに白星を重ねるように応援側も頑張ります。
冒頭の「てきない」ですが、方言です。
いったいどこの言葉?とネット検索しましたら、福井、石川(特に能登地方)、富山、岐阜(飛騨地方)、あと、東北地方にも、本州の西寄りのはじっこあたりにもあるようです。
意味がそれぞれ異なるようです。
私の母は、一緒にお風呂に入っていると「ぽこちゃん、てきないの?」としばしば尋ねました。「うん」と返事した時には、私の唇は真っ青になっていた、と、母がよく言いました。
てきない、というのは、しんどい(これも方言でしょうか)のもう少し辛い状態を意味します。私は、結構負けず嫌いといいますか、弱音を吐くのを潔しとしないので、中学、高校と苦手な遠距離走も決してさぼりませんでした。
1000m走など、5分を超すワーストタイムでしかし、意識はしっかりある状態で完走。更衣室に戻って着替えをしようとしても、身体が思うように動かなくて、のろのろ時間をかけて、やっとセーラー服に着替えたものです。教室に戻るともう次の授業でした。先生が、「くすのき(私の旧姓です)、てきないんじゃないのか、真っ青だぞ」と声をかけてくれるのが余計なお世話で、恥ずかしくて「いえ、大丈夫です」と着席して、何とか30分後には平常に戻ったものです。今の世の中だと考えられない(笑)
母のよく使った「てきない」、そして先生が声かけてくれた「てきない」どちらも私を案じる心配そうな言葉でした。
久しぶりに若い頃の「てきない」という語感を思い出しもしました。
朝さまのせいではないのですが、相撲も最後の数番前にさしかかると、心臓バクバク、緊張と恐怖と祈りと熱情とが混濁しながら入りまじり、何とも言えない身体の状態になります。まさに「てきない」のです。
数日前に起きようとしましたら、胃が猛烈に痛み、これは何としたこと、とありとあらゆる原因を思い浮かべました。
最初は何か悪いものを食べたのでは?からはじまり、いろいろと。
これは、胃がんになったのかも、とこわごわ、検査に・・・は、私にはあり得ません。胃カメラは半年以内検査しているし、、、
3日間胃の痛みと気持ち悪さとで、食欲なし。水分補給に努めて、それでも大相撲は最後の一時間は観戦しました。ちょうど朝さまが好調なときでしたので、それがよかったのか、だんだん復調しました。
月一のハートクリニックの受診の折に、何か変わったことは?と聞かれ、先生のご専門ではないですが、胃がすごく痛くて治ったところです、と正直に。
ドクターは、私の報告に顔色をかえて、あれこれ聞かれました。そのあとの検査などで、実は胃の痛みは心臓、今回も狭心症の発作が出たのだとわかりました。
今までに4回狭心症の発作がありました。25年前くらい、40代のはじめの最初のときは、1年、治療に通院しました。ニトログリセリンのお世話になったことが二度あります。3年以上ニトロはペンダントの中にいつもありました。
その後回復していると思い込んでいましたら、数年前に再発作、軽かったので、胸に張り付けるシールのような薬でやがて治りました。今はニトロも処方されていません。しばらくは、そのシールを処方してもらって、いつも携帯していましたが、値段が異常に高くて、数枚持っているだけにしました。
が、今度の胃痛が、狭心症の前兆だと知り、不養生は慎もうとあらためて警鐘を聞いた思いです。シールも処方してもらい、運転免許証のケースに入れています。
朝さまの晴れ舞台を応援、観戦していて何かがあったら、それこそ、朝さまに申し訳ありません。元気に毎場所応援できること、これを一つの目安に自分なりに軽い運動(距離をのばさないウオーキングなど)を心がけ、美しいもの(季節の移り変わりを目にすることで目も心も癒されます)との出会い、快い調べを耳にする、など、基本に戻って健やかな日々を自らが作っていこうと思います。
今月に入ってほぼ蟄居。桜の開花もまだこの目では見ておりません。
月曜日に、久々のバイオリンのレッスンに伺う折に、移動の車窓から眺めてみましょう。それが、「てきない」ことにならないための第一歩です。