最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

てきない

2021-03-27 19:44:36 | 日記
大相撲春場所もいよいよ明日は千秋楽。
弱い大関陣とこっぴどく、叩かれながらもその大関たちの頑張り、若隆景や翔猿など若手の台頭など、それなりに、コロナ禍でテレビの前にいる時間の多くなった視聴者を楽しませてくれています。
私の朝さま(こんな表現、抵抗はあるのですが、朝乃山そのものも嫌、朝ちゃん、朝くんではちょっと軽すぎますし、、、でためらいながらも、朝さまです)も前半不調のスタートで取りざたされ(曰く、同部屋に関取がいない関係から、稽古量が足りない、切磋琢磨が感じられない、など、事あるたびに北の富士氏に罵倒を浴び、、、これでは心も折れるのでは、と余計な心配もしたものです)日を追うごとに本来の持ち味も発揮できるようになり、今日の先程までは、優勝候補に挙げられました。
今日の最後の取り組みは、まるで天敵のようなあの照ノ富士でした。

で、朝さまを応援し続けたこの14日間で、明日、最後の取り組みに白星を重ねるように応援側も頑張ります。

冒頭の「てきない」ですが、方言です。
いったいどこの言葉?とネット検索しましたら、福井、石川(特に能登地方)、富山、岐阜(飛騨地方)、あと、東北地方にも、本州の西寄りのはじっこあたりにもあるようです。

意味がそれぞれ異なるようです。

私の母は、一緒にお風呂に入っていると「ぽこちゃん、てきないの?」としばしば尋ねました。「うん」と返事した時には、私の唇は真っ青になっていた、と、母がよく言いました。
てきない、というのは、しんどい(これも方言でしょうか)のもう少し辛い状態を意味します。私は、結構負けず嫌いといいますか、弱音を吐くのを潔しとしないので、中学、高校と苦手な遠距離走も決してさぼりませんでした。
1000m走など、5分を超すワーストタイムでしかし、意識はしっかりある状態で完走。更衣室に戻って着替えをしようとしても、身体が思うように動かなくて、のろのろ時間をかけて、やっとセーラー服に着替えたものです。教室に戻るともう次の授業でした。先生が、「くすのき(私の旧姓です)、てきないんじゃないのか、真っ青だぞ」と声をかけてくれるのが余計なお世話で、恥ずかしくて「いえ、大丈夫です」と着席して、何とか30分後には平常に戻ったものです。今の世の中だと考えられない(笑)
母のよく使った「てきない」、そして先生が声かけてくれた「てきない」どちらも私を案じる心配そうな言葉でした。
久しぶりに若い頃の「てきない」という語感を思い出しもしました。

朝さまのせいではないのですが、相撲も最後の数番前にさしかかると、心臓バクバク、緊張と恐怖と祈りと熱情とが混濁しながら入りまじり、何とも言えない身体の状態になります。まさに「てきない」のです。
数日前に起きようとしましたら、胃が猛烈に痛み、これは何としたこと、とありとあらゆる原因を思い浮かべました。
最初は何か悪いものを食べたのでは?からはじまり、いろいろと。
これは、胃がんになったのかも、とこわごわ、検査に・・・は、私にはあり得ません。胃カメラは半年以内検査しているし、、、
3日間胃の痛みと気持ち悪さとで、食欲なし。水分補給に努めて、それでも大相撲は最後の一時間は観戦しました。ちょうど朝さまが好調なときでしたので、それがよかったのか、だんだん復調しました。
月一のハートクリニックの受診の折に、何か変わったことは?と聞かれ、先生のご専門ではないですが、胃がすごく痛くて治ったところです、と正直に。
ドクターは、私の報告に顔色をかえて、あれこれ聞かれました。そのあとの検査などで、実は胃の痛みは心臓、今回も狭心症の発作が出たのだとわかりました。
今までに4回狭心症の発作がありました。25年前くらい、40代のはじめの最初のときは、1年、治療に通院しました。ニトログリセリンのお世話になったことが二度あります。3年以上ニトロはペンダントの中にいつもありました。
その後回復していると思い込んでいましたら、数年前に再発作、軽かったので、胸に張り付けるシールのような薬でやがて治りました。今はニトロも処方されていません。しばらくは、そのシールを処方してもらって、いつも携帯していましたが、値段が異常に高くて、数枚持っているだけにしました。
が、今度の胃痛が、狭心症の前兆だと知り、不養生は慎もうとあらためて警鐘を聞いた思いです。シールも処方してもらい、運転免許証のケースに入れています。

朝さまの晴れ舞台を応援、観戦していて何かがあったら、それこそ、朝さまに申し訳ありません。元気に毎場所応援できること、これを一つの目安に自分なりに軽い運動(距離をのばさないウオーキングなど)を心がけ、美しいもの(季節の移り変わりを目にすることで目も心も癒されます)との出会い、快い調べを耳にする、など、基本に戻って健やかな日々を自らが作っていこうと思います。

今月に入ってほぼ蟄居。桜の開花もまだこの目では見ておりません。
月曜日に、久々のバイオリンのレッスンに伺う折に、移動の車窓から眺めてみましょう。それが、「てきない」ことにならないための第一歩です。


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チェロ弾きでチェロも作った中学生

2021-03-16 00:35:49 | 日記
タイトルのまま、ぐぐってみました。
そのまま貼り付けますとhttps://news.yahoo.co.jp/articles/20ff81dd7632b9b4c2dbbef2b6e3b6255b97e887


今回登場した“博士ちゃん”は、浅川遊(あさかわ・ゆう)くん14歳。 クラシック好きの両親のもとで育った彼は、わずか3歳のときにチェロが大好きになり、その演奏の才能を開花。 昨年2020年、14歳で初めてトップレベルの大会「第30回日本クラシック音楽コンクール」に出場し、中学校の部で全国ベスト8に入った。2021/02/27放映のテレ朝のある番組から引用しています。

それに飽き足らず、元々工作が大好きだった遊くんは、「自分で作ったチェロが弾けたら夢のようだ」という思いを抱き、弦楽器職人の斎藤さんに弟子入り。2020年3月からチェロ製作を開始したところ、たったの半年で完成させた。師匠の斎藤さんは「チェロを自分で作って弾く人は、まずいない。中学生でチェロを作った人は世界的にもいないはず…」と、遊くんの努力と功績を称える。

■葉加瀬太郎、忖度なしでプロとして鑑定

こだわりのチェロを作り上げた遊くんの心に芽生えたのは、一流の演奏家に自分の作った楽器の音色を聞いてもらいたいという願望。自分で作ったチェロはプロの世界でも通用するものなのか、一流奏者に厳しい目で審査してほしいという。

「忖度ナシで意見を聞いてみたい」という遊くんの願いをかなえるべく、忙しい仕事の合間を縫ってオファーを受けたのが、世界で活躍するバイオリニスト・葉加瀬。葉加瀬は「チェロを作りたくなるところまでいくのは、かなりスペシャルだよね」と、若い情熱に興味津々。

「14歳だからっていうのはなしで、ちゃんと使える楽器なのかどうか、バイオリニストとして一緒に弾きたくなる音なのかどうかというところで鑑定する」と、“プロとして見る”ことを約束する。

遊くんと対面し、彼がこだわり抜いた自作のチェロを鑑定し始めた葉加瀬はじっくり細部をチェックしていくが、表面に塗られたニスの仕上げを確かめていた葉加瀬に、遊くんは驚くべき秘話を明かす。

それはイチから楽器を自作した博士ちゃんだからこそ体感できた新事実で、聞いた葉加瀬も「すっごー!!」と驚きを隠せない。

さらに、音色を聴いてもらうべく遊くんが自作のチェロを弾きはじめると、葉加瀬のスイッチが入り、魂のレッスンへと移行。遊くんの演奏が、葉加瀬のアドバイスで鮮やかに変化していく。

そんな遊くんに葉加瀬は「面白い男だ!」と賛辞を送る。そして最後に、彼の作ったチェロを葉加瀬が忖度なしでジャッジする。
     *     *     *     *     *
以上、ぐぐった結果をそのまま載せただけですが、以下は私の素朴な疑問や意見です。
弦楽器、お琴とか三味線とか二胡とか胡弓とかは別として、オーケストラを構成するときに演奏される弦楽器、バイオリン、ビオラ、チェロ、ハープなどは、およそヨーロッパが生誕地なのではないでしょうか。
私の狭い世界で知り得る地名のひとつに、イタリア・クレモナがあります。
サラリーマンの家人が何とか捻出してムスコのために買ったフルサイズのバイオリン、八分の一の最初の楽器から四分の一、ハーフ、四分の三、と買い換えて5つ目、それが、イタリア・クレモナの若きバイオリン製作者の作品でした。
普通この楽器は古ければ古い方がいい、というイメージが持たれています。ムスコが4歳から14年間師事した師匠は、新しい楽器は弾くことで、楽器の値打ちがうんと出てくるのよ、と敢えて若い楽器をすすめてくださった。ご自身はストラディヴァリをお持ちですが(笑)
この師匠は、ムスコに代わって、不肖ぽこの現在の師匠でもあります。12歳でクレモナの工房名入りの新進気鋭の製作者のバイオリンの所有者になったムスコですが、大学のオーケストラでそれほど熱心な活動もしないまま、所有歴の25年のうち、ここ10年以上はたまに楽器ケースの蓋をあけて、チューニングしたり、遊び半分に自己流ツィゴネルワイゼンを奏でる(?)程度。それも推測の域を出ませんが。
そして上記のチェロ弾きそして製作者という天才少年の話をテレビで知った時、まず思ったのが、いったいどんな木で制作されたのかしら???という率直な疑問でした。鈴木バイオリンというすごい音楽家とその楽器が国産であるのは、以前から知っていて、その時は、岐阜でしたか山梨でしたかの針葉樹林の木を伐採、枯らして、作製、という話をかすかに記憶しています。

おそらく楽器製作用に植えられ、育てられている木がこの日本の中にしっかりあるのでは、と思うのです。楽器の都市、浜松では主としてYAMAHAが、そして創業地でおそらくまだ鈴木も、生産しているはずです。
クリスマスツリーを森の中から切り出してきて、家庭に飾るといわれる(いわれた?)ドイツで、確かクリスマスツリーにも似た名前の木を楽器製作に植える という逸話を聞いたような、それとも幻想だったか。。。チェロもバイオリンもそうらしいですが、何回ものニス塗りが音にものを言わせるらしいです。
日本では、女の子誕生と同時に自分の山に桐の木を植えて、お嫁入りタンスの準備をした素封家がいますよね。それどころか、自分の家用の材木も自分の山の杉の木で、という豪族も。

話が脱線しましたが、
ちなみに、私の楽器は、ムスコの桁違いの値段で、私が買えるくらいでしたが、オーストリア製です。フレンチボーですが、私のボー(弓)5本分がムスコの1本分くらいの値段でしたでしょうか(笑)
ほんとうに、親ばかだったと思います。私の父は、私のために会津桐のお琴を求めてくれました。歌舞音曲は女子のたしなみ、とばかり、不器用な私に筝曲、日舞と多年にわたってしこんでくれました。親ばか二代です。

弘法筆を選ぶ、の世界です。
先日、狭い通路の壁にちょっと楽器ケースが触れただけで予想以上に音程がくるってしまい、どんなに直してもなかなかうまく調弦できません。
その間、ほとんど練習できずに明日はレッスンです。
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護美箱

2021-03-12 00:32:52 | 日記
  いつも地味な話題ばかりです。
  とりわけ、今日は、話題にもならないくらいどうでもいいことを取り上げます。

  私の仕事は、1年ごとの契約なので、今月は令和2年度の年度末になります。
まだ大学生の余韻が十分にある数学の先生が、学年末考査のタイトルに「令和3年度」と記されていたので、ついお節介ぶりを発揮して「あら、今は令和2年度になるのよ。」と、何気なく助言したつもりでしたが、彼は「今は令和3年ですよお」と明るく笑ってそのまま提出、案の定(笑)教務課から再提出を求められたそうです。
  特に希望したつもりはないのに、もう30年近く、この世界で息をしてきました。お役所仕事を余儀なくされてきたともいえます。現場は、それぞれの裁量に任せられているので、まあそれなりに、人間的な場所であったからここまで続けられたとも言えます。
  習い性で今年度最後の授業を終えたあと、この一年(通算五年になりますが)使わせてもらった講師室の掃除をしました。くだんの数学の先生、もう一人とっても威厳のある国語の先生、に声をかけるのがためらわれ、自分の私物の整理とささっと部屋全体の掃除、ごみ箱の中身を一掃すること、だけに作業を限定して半時間もかけずに終えました。
 ごみ箱は、45ℓ入るペールなので、捨てずに詰める一方ですとかなりたくさんたまっていました。いまさらですが、分別もして、学校全体のごみ集積場(たぶん、専門業者が毎日収集にきているはず)へ、運びました。本来なら、不用紙として、職員室のリサイクルの場所に置きに行くべきでしたが、、、
 自分で納得してそれで、職員室に返却するCDやCDRを置きに寄ったついでに、何人かの先生に挨拶して職場をあとにしました。
 歩いて公園を通り抜けよう、椿がいろいろ咲き出しているだろう、桜は?と足取り軽く帰路につき、コートのポケットに手をやって、そこにレシートがあったので、ごみ箱を・・・と探してみました。
ありません、どこにも、公園を出たところに「当市は、ゴミを各自持ち帰る市の条例で、ゴミ箱を置いていません」と看板がありました。
そうそう、駅の中にもゴミ箱はなかったっけ。。。
職場であんなにごみを出してきたのが恥じらわれました。

  ふと思い出したドイツの街並み。といっても、ほんの半日程度、フランクフルトとミュンヘンの両市に滞在した程度でしたが、どこにもゴミ箱がなかった、それでもゴミ一つ落ちていない美しい街並み、道路沿い を思い出しました。
環境の先駆者といわれるドイツ、14年くらい前のことですけど、すでにゴミについてはしっかり実践がされていたのでした。

  わが市もドイツ並みになりつつあるのか~~、と考えながら家路について、先ほどのレシートを居間のごみ箱に入れようとしてふと目についた年季の入ったゴミ箱です。


1976年結婚して1か月くらいのとき、市内のインテリア専門店で買い求めたゴミ箱です。
もう45年も使い続けてきたわけですね。
和紙でいい色合いの縞模様が気に入って1500円くらい奮発(笑)して買い求めました。場所こそ違えど居間に置いてきたので、ウエットなものは、せいぜいミカンの皮くらいで、あとは紙くず専門のごみ箱です。
もうこの円柱の上の円周部分は、和紙のあともなく、下地が出ています。
新しいのを買う、目いっぱいおしゃれなのを、と私が張り切っていると、家人が修理するから、と、こちらでは有名な八尾和紙を購入する手はずでいるようです。

何なんでしょう。。。
家の中のあちこちにあるごみ箱は、どれもちっとも汚れていません
高山のお土産に買って帰りました。木製です

嫁入り道具のひとつです。根来塗、45歳ですが新品同然です
ついでに、
これも45歳、使いもしないのに鎌倉彫の針箱、もう使用していませんが、お対の鎌倉彫の鏡台も持ってきました。
何気ない普通に和風のです
こんなちりめん細工ののも部屋の隅にじっといました。

一つ例外があるとしたら、キッチンの生ごみ用ですね。
お恥ずかしいです、だいぶ汚れています。写りが悪いので目立ちませんが(笑)

毎週火曜日と金曜日に生ごみの収集がありますが、分別に気合を入れているので、割合少ない方です。居間のどうしようもなく汚れ切ったのと、最後にご紹介したキッチンののとが、全体の80%以上を占めていて、他のごみ箱はティッシュやマスクの捨てたのくらいしか入っていません。毎回市のSサイズ、15ℓくらいの袋で十分です。

当面は、気が進みませんが、居間用のをできるだけ早くに完治させるか、それこそごみとしてさようならするか、どちらにしても早めの行動が必要です。

こうして今一度眺めてみますと、ここに載せたので明らかに捨て時ともいえる老骨鞭うっての活躍版は、もちろん最初に二枚も汚れ朽ちた姿を赤裸々にしたもの、もうすぐ45歳です。
そしてそれ以外も若くて30歳、いえ、35歳以上ですね。息子が生まれてから求めたのは、ここに登場していません。当然ながら、ビックリマンキャラクターの缶状が、35歳くらいで一番若いです。
やはり飽きのこない自分の気に入ったものを求めるのが一番です。我が家の45歳のがんばった瀕死のこれのように。
この先どれくらい使えるか分かりませんが、こうして世界に向けて(なんとオーバーな!)その姿をあらわにしたので、ちょっとは多年の酷使をねぎらえたかなあ、とも思うのです。
ご覧くださった方々にはご不快な思いをさせてしまったかもしれませんが、悪しからずお許しのほど。

















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遅ればせながらのひな祭り

2021-03-06 22:16:52 | 日記
いまさらながらですが、友人一人とひな祭りをしました。
11時に彼女が陋屋に登場。持参の桜餅で、私が点てたお薄を一緒にいただきます。

茶室もどきの小間のお花は、桃ならぬ梅、紅梅です。
いい具合に満開です。昨年12月25日購入した300円の一枝です。
それから近所の小さいフレンチレストランへ。フレンチ風きんぴらごぼうが画期的でした。
戻って、2時からは、お雛さまにおやつ献上しました。
菱餅あられです
マシュマロです
千代くるみ、黒豆、いかあられ、を入れました

お雛さまの隣の花は庭に盛りの椿、桃ではありません(笑)
写りが悪いのですが、白梅があまりに美しくて・・・これも12月25日の300円の枝です。

7時までお友達と話して笑って、エスプレッソ、アールグレイ、昆布茶、玉露とおやつ三昧でした。お菓子は、当地のホテルの中にある洋菓子店から買ってきたフルーツケーキとマドレーヌ、ちょっと高級チョコ、お友達からの鶯餅と、桜最中です。
お友達は、定年退職まであと1年、シングルライフを楽しんできましたが、ちょっと伴侶のいる生活も心動かされているみたい、残念ながらまだお相手はいないようですが。
彼女のどこかにきっとあるご縁を祈りながら、家路を急ぐ彼女を見送りました。

行事は季節を先取りするもの、特にお花は、と言い聞かされてきましたが、存外、このように怠惰にそれこそ旧暦に合わせての暦よろしく、のろのろあとを追いかけるようでも、美しい梅に見とれる、という結果オーライの一日を終えました。
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弥生一日

2021-03-01 00:40:34 | 日記
二月は逃げる、4週間しかない、たった2日か3日少ないことで、二月の過ぎる速さを概ねの人が感じられるようです。
私にとって今年の二月如月は、正直なところ、決して短かくはありませんでした。
早く去ってほしい、何事もなく、過ぎて、桃の節句を迎えたいと半分不安な半分切実な祈りの中で過ぎていきました。時ならぬ大雪も私の心を重くして、二月は厄介でした。
迎えた今日、まだ三月一日も半時間を過ぎたところですが、ようやく、迎えられたことに、心より安堵を覚えます。健やかに新しい月を迎える喜びは、格別です。
作日日曜日、やっと桃の節句のしつらえを急遽いたしました。
夕方、家人と陋屋にでかけ、まずは、土蔵から、ひな壇、御殿、お雛様、道具一式を出してもらい、そのあとひな壇(七段)設営と御殿組み立てまで、1時間半働いてもらいました。お湯で手を洗ってもらい、エスプレッソとショートニングとでティータイム。
そのあと私のみ陋屋に残り、ひな壇飾り、二條雛設営、小さいお雛様も。二か所の掛け軸替えも済ませて、2時間かかりました。

後ろ座敷の二條雛です。掛け軸は「早春」というお題の山水画です。冷たそうな青い川水が、春の訪れを告げているようで、私はこの掛け軸がとっても好き。この季節が好き、ということかもしれません。


前座敷の香炉台に小さなお雛様も仲間入り。

茶室もどきの小さい床の間には、押絵の立雛を掛けました。

明日は花やさんで、腕一杯に桃の花を買ってきて、飾ろうと思います。
今のところは、

お正月の名残の松とチューリップ、黒文字などを投げ入れています。もう見飽きました(笑)
もう少しあちこちに、小さいお内裏様を飾りましたが、写メには忍耐力が続かず、記録は残してありません。そもそも各一枚しか撮影しない私はあまり誠意がないですね。折角年一度のお出ましなのに、ごめんなさい。

少しだけ、バイオリンのお稽古もしたところで、家人の迎えで自宅に戻ったのが、8時半を過ぎ、、、
遅い夕食はあり合わせて済ませ、そのあと、自宅の玄関先だけお雛様気分をしつらえました。


陋屋と同じく押絵の立雛です。作者も同じ(義母)ですが、微妙に異なるものですね。着物の色などから、私は自宅玄関にかけたこちらの方が好きです。
カレンダーをめくって、いよいよ弥生スタートです。
いろいろ心惑う壁を感じた4週間を無事過ごし、桃の節句をこのように、穏やかな気持ちで過ごせるのは本当にありがたいことです。
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