最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

玉鷲・妙義龍

2021-09-18 19:14:41 | 日記

ヘアーサロンの方々が、私の来店に間が空いたといって、気遣いをしてくださったのには、理由がありました。 九月場所が始まって、私がまたまた鬱々と悶々と大相撲と戦っている、そう思って気配りをくださる優しいヘアーサロンのみなさんなのです。ヘアーカラーの色をだいぶ濃くしました。言い訳ですが、寝たり起きたりの生活感がこの散らかりようによく出ています。悪しからず・・・

あにはからずや、私はといいますと、大相撲、それなりに楽しんで観戦しています。 特に応援していますのは、タイトルにありますように、玉鷲関と妙義龍関です。 それ以外にも貴景勝関も正代関も応援しています。遠藤・豊山など他にもいろいろ。。。

実は時々、幕下や十両の勝負の放映も観戦します。 来年名古屋場所に幕下で戻ってくる朝関のために、心の準備中の私です。

玉鷲も妙義龍もすばらしいお相撲さんです。朝関の台頭以前からずっと敬愛してきました。 荒々しい感じのするモンゴル出身のお相撲さんの中では、玉鷲さんは所作が美しく、静かな大きな器という感じです。そして強いです! 妙義龍さんは、以前から、語り口と運動神経がシャープで好きでした。

入幕後あれよあれよと出世して玉鷲関さんや妙義龍関さんの上位にいることになった朝関でしたが、ある意味、苦労知らずで不用心だったと思います。安易なところがあったり、ハングリースピリットとは程遠かったり。

何人もの人が、失意の私を案じて、相撲協会に、あるいは、部屋の親方さんに手紙を書いたらどうかと助言をくださいました。 朝関のメンタルヘルスのために、協会とか、親方さんが配慮しないと、1年間、ひとりで謹慎しながら孤独に稽古、鍛えるというのがどんなに大変か、と、私ならずとも、少なからぬ私の友人知人が私に申し出てくれました。私も友人たちの言葉にだいぶ心を動かされました。

よくよく考えて、あとは、朝関次第、本気で今を過ごし今を乗り切るつもりなら、それをじっと我慢して待つことにしたい、と思いました。 で、将来土俵に戻ってきたときのために今から、作戦を練って他のお相撲さんの研究をしているつもりです。

今日は義父の祥月命日でした。十七回忌に相当します。人寄せができない当節ですので、月忌参りのお寺さんに特別なお経をお願いもせずに、お供えだけは、気をつけて、お経のあとお帰りの際におてらさまにお渡ししました。

この2,3日体調がはっきりしなかったのが、やっと、しっかりしました。花屋さんにもいかずこうして、庭からの投げ入れそのものですが、今日も無事毎月の行事のひとつを終えられて安堵、そして感謝しております。来週またお参りがありますので、今度はお彼岸のお中日近く、りんどう、キキョウなど秋の花々をお仏壇にも墓前にも供すことができますように、引き続き体力温存に留意したいと思います。

コメント (6)

胸がいっぱいになりました。

2021-09-14 08:24:52 | 日記
おはようございます。
先週の終わりごろ、皮膚科に参りました。ご覧のように大袈裟にも4種のお薬が投薬されました。


先週半ばでしたかに、庭で急ぎ、草や花を摘んだ時、それでも無防備ではなく、虫よけスプレーを全身に噴射して、足元は長靴、両手足は長袖で、十分留意したはずです。

しかし、
首とそれに続く顔には噴射できなかった。。。せめて帽子の下にタオルで顔を覆うべきでした。

首に刺された数か所は痒いのではなく痛いのです。
それと腫れが半端じゃなくて、、
いつもなら4週ごとに行っているヘアーサロンにも行く勇気が出ません。
このサロンでは顔そりもしてくれるので、それがとてもしてもらえそうにない。

で、皮膚科へ、と走ったのでした。
高校時代の化学部で一緒だったのがここのドクター。
胸の入り口も症状があったのですが、それは割愛、見せないで説明のみ。

私が行ったとき、30人以上の患者さんが待っていました。玄関の外のポーチで待つ人もありました。

携帯の電池がすぐ減る状態なのが気になって携帯でヤフーニュースとか愛読ブログを覗くのも遠慮。ぼんやり、待っている人たちのウオッチングをします。
とりわけ、私の目をひいたのが、子連れのおかあさんたち二組でした。

狭い椅子の背中側に、お兄ちゃん(と思われる)が後ろから前におかあさんの背中にしなだれかかって立っている、前のひざには、おかあさんの顔が見えるように抱っこされて弟くんが座っている。
二人連呼しているのが
「ママははる(偽名)くんのママ!!!」と
「ママはふゆ(同上)くんのママ!!!」のコールです。
間のおかあさんは、こどもたちがこれ以上騒がないように、気兼ねをしながら、どちらにも応えています。
膝の小さい方より、後ろの大きい方がちょっとぐずぐずてご機嫌が悪そう。
おかあさんと目が合った私は、(これでもけっこう子供にはなつかれるほうなので)
「いい子ちゃんたちね、こんにちは。ぼくは、おいくつ?」と大きい方に聞いたら間髪いれずに「7歳でーす」と元気なお返事。
そして次に「ぼくちゃんは?」と小さい方に聞くと、二人そろって
「二歳でーす」とさらにバージョンアップのお返事が。
そうかあ、この7歳の子、聞き分けなくおかあさんの背中からママひとりじめコールだけど、5歳年下でもやっぱりまだまだママ一番なんだな、と妙に納得。
二歳ぼうやに、絵本を読ませるママの制止もものともせずに、邪魔する邪魔する・・・
おかあさんも切れずに、対応が面白い。
こんなに愛されるママ、いじらしいほど周囲にも気兼ねしながら7歳ぼうやにも優しい。

そのうち、この親子が呼ばれて実は、外のポーチにもうひとり、すっきり背丈も高いお兄ちゃんも待っていた。9歳だそうです。

そっかあ、ほんの2年前までこの7歳くんは末っ子ぼうやでママの愛を独り占めしていたのね、それが2年前から真ん中のおにいちゃんになって、、、
大きくなってるのに恥ずかしい、と言われながらママにはぴたりとくっついていたいのね、と頷きました。それにしてもおかあさん、暑さにもめげず、一人で三男児を受診に連れてくるとは、母親の慈愛をあらためて感じさせてもらいました。

もう一組は間違いなく2人兄弟。一人は2歳。ひとりは(多分)0歳。
赤ちゃんがおっぱい飲んでいると、お兄ちゃんが「僕にも」「次は僕のおっぱい」と切ない目をおかあさんにむける。
おかあさん、「赤ちゃんにおっぱいあげたらからっぽになってるの。お兄ちゃんは今は触るだけにしてね」とお兄ちゃんの手を自分の胸元に導いておられた。

お兄ちゃん、納得して、弟のだっこひもの上からママになだれかかり、そのうち寝息が聞こえてきたというわけです。

そんな光景がどんなに私の胸に迫るものがあったことか!
男の子三人を育てるおかあさんも、もしかしてその予備軍のおかあさんも、本当にえらいです!
現役おかあさん業は卒業した私のほうが、たくましく愛情深い今日のおかあさんたちから、元気をもらいました。
がんばれ、おかあさん。憶良のうたを一瞬思い出しました。

しろがねも こがねもたまも なにせむに ・・・

調べて載せればいいのですが、今から急ぎ、件のヘアーサロンへ参ります。
日曜日に家人が同じサロンに行ったところ、マスターをはじめ、スタッフが次々と「オクサン、お元気ですか?心配なんです」と言われたそうです。
ちょっと間が空いたから、だけではなくて、別の理由もあるんです。

とりあえず、帰ってきてからまた。


コメント (4)

重陽の節句

2021-09-09 22:44:51 | 日記
2週間ぶりに、陋屋に参りました。
こんなに長い間、この家を放置していたことは、あまりありません。
長雨でどんなに草がのびているか、土間に枯れ葉がたまって醜いさまになっているか、恐々門の戸を開けました。
思ったほど庭木の伸びによる茂みの暗さが感じられずほっとしました。
家の中でまずしたのは、いくつかあるカレンダーを八月から九月に替えること。今月はすでに三分の一終わろうとしているのに、わかっていたとはいえ、だらしなさを認めないわけにはいきません。
花屋さんでお花を求めることなく、やってきてしまったので、各部屋のお花を活け替えるのにも庭の花では種類が限られる。フジバカマが開花直前でまだまだもちそうなので、何本か切ったり、白の秋海棠、やぶらん、みずひきそう、など手あたり次第にはさみを入れた。自宅の熨斗蘭と矢筈薄を切ってこなかったのが悔やまれるけれど、時すでに遅し。
まずは、お仏壇と神さま棚のお花を活けて、気持ちをすっきりさせる。
次は、お仏壇に近い奥座敷。

御不浄の一つだけ、お花を活け替え、ついでに茶室もどきの小間へ。

秋海棠は、葉っぱも丸くて可愛い。

「汗ひやひやと」の掛け軸をおろして、おもいつきで小さな書を掛けた。

水屋は水引草一枝。

前座敷
 ラッキョウ壺という口が狭く下がふくらんでいる備前焼の花器は、花材のないのをカバーしてくれる逸材。
後座敷

もともとあったツルウメモドキを生かして、フジバカマを大サービス(笑)
金魚の掛け軸から、こちらも書を選ぶ。茶掛けサイズ。
重陽の節句を意識するならば、菊の花でもいいけれど、季節感が少しぴんとこない。論語にちなんで「敬和」の二文字の書にした。自宅の床の間に長いこと掛けていたけれど、しまい込んでいて久しぶりに出してみた。しみがひどくなっていた。。。
そこまでに二時間ほど費やした。
最後にようやく気にしていた次の仕事へ。

バイオリンのケースから取り出して、手入れしたいのが二本の弓の馬の毛だ。
少し前に書いたけれど、もともとのが弓の先っぽの毛のつけねのところでばっさり取れて修理に出し、それを機にカーボンボーを求めたのだった。

右が新しいカーボン製の弓。左が毛も付け直し修理から戻った弓

木製で茶色の弓が今回修理したもの

黒いのがカーボン製。新しい。少し重くて弾きづらい。慣れるしかないのでしょう。
50グラム木製のより重かった。

楽器工房から戻ったのはもう1週間以上になるのに、ずっと、ケースにいれたままにしていた。どうにも楽器を弾く気持ちにならなかった。
やっと今夕、楽器の手入れだけ終えて、今やっている曲を一回だけさらってみることにした。が、途中で腕が重くて続けて弾くことができなかった。一日休むと二日後退するといわれるのがお稽古につきものの警句である。
それでいくと何十日分退化しているけれど、明日から少しずつ一歩ずつ、取り組んでいこう。十六分音符をきちんと粒を揃えて弾くには毎日百回そのフレーズだけを練習するしかない。
ようやく環境も整えたので、いざ船をこぎいでな、である!











コメント (6)

足の衰えは、抗えないし、侮れない。

2021-09-06 16:26:54 | 日記
朝から天気予報は、何度も、羽織るものをお持ちください、長袖がいいですね、と警告を発している。
東京を中心に東日本がそうなのか、当地では、長袖は、朝晩のみ。それより、雷雨がしばしばやってきて、その度に洗濯を取り込むかどうか、思案どころとなる。上空の天気がかなり不安定なのだろう。

当県では、公立の高校が12日まで夏休みが延期となり、8月31日症候群(笑)は、私にとっても2週間先延ばし。それもあと1週間を切った。ちょうど来週の今日、直立歩行ができるか、直立のまま1時間もつかどうか、怪しいものだ。そろそろウォーミングアップしないと悲惨なことになりかねない。。。
そんな不安を背負って、今日はやっとこさ、重い身体をえいやっとばかりに持ち上げて、6週ぶりの職場に向かった。いつのことかもう記憶にないのだけど、すでに少しでも歩くこと は 少なくともこの夏に入る前からもう念頭になかった。かつては、それでも、職場まで歩くことくらいを自分に課していたのに情けないことの上ない。マスクで暑さの中歩くことの恐怖に固まってしまっている。
移動手段はマイカーだ。それも最後にハンドルを握ったのは1週前くらいかしら?
万歩計は1週間分を足しても恐らく1000歩くらいか。。。(家の中での移動を入れてもきっと)

とにかく今日は意を決して外出に踏み切った。先週の木・金・そして今日のいずれかに顔を出します、と職場に答えていたのでしかたがない。先週はとてもその気になれなかった。
8時55分に家を出て到着は9時5分。出れば(やりかかれば)何とかなるものだ。
タブレットのアカウントについてや、オンライン授業への準備など、いよいよ、私のような員数外の者にまで、時局の波が押し寄せてきているのを実感した。

いくつかの雑用を終えて帰宅は11時頃。
つくづく思い入ったことがある。
人間、歩かないとダメになる。身体もだけど、頭が腐る。
よく、たとえ若い人でも怪我などで2週間寝込むとリハビリが必要なくらい足が萎え、衰えてしまうといわれる。まさにこの私もそれに近いものがあった。
少し歩くだけで、息切れが激しく、(コロナにかかるとこれよりもっと酷いのだろうな)と妄想。
立ったままでいると、足元が不安になり、眩暈が来そうな恐怖も生じた。
今日のところは、教壇に立つような仕事始めではなかったので、かなり手加減ができたけど、それにしてもこんなに体力が落ちているなんて!

帰宅したとき、夏の間殆ど目にすることもなかった自宅の前あたり、に目をやった。思った以上に荒れ放題だ。気づくとずいぶんみすぼらしいのだけど、百日紅の赤が可愛く目立っている。夏も終わるのに見てあげることもなかったなあ・・・

門の手前には矢筈薄がだいぶしなだれてきている。

門の戸を開けたら眼にととびこんできた赤が、
萩が咲き出している。
ふと気になって、いつものあのあたりに目をやると、
そこには亡き母の生きていたしるし(生まれ変わりと私は信じている)の熨斗蘭が今年も咲き始めていた。

蚊に数か所刺されながらも、何とかハサミを入れて家に入ったらすぐに、亡き人たちの写真の場所へ。熨斗蘭を投げ入れて手を合わせる。

玄関には、水引草と矢筈薄を入れた。

長いこと、自宅庭にも足を入れないまるで生きるしかばねだったこの夏の私。

まもなくこの赤松をはじめとしてこの荒れた庭の剪定に来てくれる植木屋さんに、今年は除草も頼もうと思う。

花屋さんに行って家中の花を活け替えたい、と思ってもなかなかみこしがあがらなかった。思えば、いつも庭から摘んでは間に合わせてきたのだった。
秋の七草も陋屋の繁茂しているフジバカマを入れると、確か全部揃うはず。向こうの家ももう10日以上行ってはいない。今年は苦手の鬼百合も開花を見ていない。中庭はどうなっていることか。。。
雨が多かったのもあるけれど、自分のきもちが動かないために身体も動かなかっただけだ。
話題はもう少しあるのだけど、陋屋の庭も明日にでも見てきてから続きを書くこととする。

コメント (4)