最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

嬉しかったこと

2021-04-29 15:02:47 | 日記
雨の「昭和の日」になりました。

昨日は、9時~15時は仕事でした。
帰路、ぽつぽつ小さい雨が落ちてきて、折り畳み傘を開ける前に、
一度も入ったことのないソフトクリームカフェに入りました。
迷わず抹茶ソフトを注文しましたが、変においしくなかったのが残念。
でも疲れが少しとれて、そこからは、コートのフードだけで何とか陋屋着。
味噌部屋にあるソファベッドに誘惑を覚えましたが、居間の小ぶりソファで小休止。
でも半時間くらいは眠っていたかも。。。
その30分が元気のもと、なのですね。
目が覚めてすぐに、ヴァイオリンをケースから取り出しました。
今練習中の曲をユーチューブから検索して一緒に弾きます(アンサンブル感覚です)
残念なことに、e線の音程が狂っているので、少し上げていると、なんと、弦を切らしてしまいました。
今の楽器は、弦の取り換えがきつくて、自分では無理なのです。
次のレッスンまで待たないといけません。それまでは練習も無理。

夕刻自宅に戻った段階では、ちっとも面白いことがなかったのですが・・・

その後嬉しいことがありました。
といっても私自身にいいことがあったのではなくて、気持ちだけ(笑)
京都のお茶屋さんに頼んでいたものが届きました。
京都七条にあるその老舗茶店に電話注文したのが二日前。
その時電話に出てくれたのが女性で、初めての声でした。
最近若主人と結婚した若奥さまです。
HPで知っていました。外国出身の方だと。HPは中国語と英語が従来の日本語のみとは異なっていたのです。
老舗の若主人に嫁いできて、謙虚に頑張っているのが少しだけたどたどしい(その分丁寧)日本語の対話からよくわかりました。
会話の中で、「そのお煎茶100グラム入りは3つ束ねて、不祝儀の熨斗をつけてくださいませんか」と私が頼みますと、
「供物」で黄白の熨斗でよろしいですか?とよくわかって対応いただきました。
その上、「包装紙が少し色が薄いのがあるのですが、それでお包みしましょうか?」とも聞いてくださいました。
何と奥ゆかしい対応でしょう。
創業400年?だったかで、古儀茶道、西本願寺の御用達のお店のこれからを担われることに私は何ら不安を覚えませんでした。
真面目で上品な若主人のお顔を思い出し、きっと彼が夢中になった女性なのでしょうね、と妙に確信していました。

最近、家人は、ここの煎茶を「甘い」と言って所望します。
亡き母が昔からのお茶屋さん亡き後お家元御用達先の関係で、京都のここにずっとお世話になって30年くらいの顧客だったはず。母存命中は、母からお茶をもらっていましたが、その後私が直接注文するようになってもうそろそろ20年です。
「美好園」といいます。有名ではないですが、頑張っています。
届いた品から

今月はお釈迦様のお誕生日にちなんで甘茶も2袋入れてありました。
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美術館にお招きいただき、

2021-04-25 19:26:01 | 日記
せっかくのお誘いに感謝して、市立美術館に出向きました。こちらです。


今回は、「ほっこり展」と名付けられた特別展が目当てでした。
実は、招待状が家人の父(明治32年生まれ、平成12年逝去)宛に届いたのは会期も始まってだいぶ経ったある日のことでした。生きていれば110歳を越えている故人宛の封書が届く前に、ひっそりとポストの底にあったのは、郵便局からのはがきでした。受取人が現在陋屋に在住か否かを問う旨のはがきです。早速電話連絡し、代わりに受け取りに出向きますと伝えました。受取人が本人でないために、送付するのを受け取っていただきたい、とのことでした。
一日ほどして届いたその封書、父の懐かしい名前宛てでした。
今回の展覧会に、以前(父存命中)に美術館に寄贈されたものが出展されているのでご覧いただきたい、という趣旨の文書と入場券、パンフレットが同封されていました。
恐らく、日本画家だった大伯父(昭和26年没)の日本画のようです。当地の国宝寺院、瑞龍寺、いくつかの学校、市役所などに没後に寄付されたり、家人の母(父より先に逝去)の供養にと、この美術館に何点か父が寄贈したと聞いていました。
今陋屋に残っている何点かの掛け軸、屏風などもこの大伯父の残した作品です。
京都画壇の一人であった大伯父の絵といえば、花鳥風月路線です。今日の美術展で見たのはいつも見慣れている絵とは趣が違うなあ、と迷わず、帰路には陋屋に寄りました。
この時期にはこの絵、とほぼ決めていますので、ここに載せるのもはじめてではないでしょう。
後座敷にかかっていた掛け軸は、牡丹です。

花を中心にアップしますと

前座敷は鴛鴦です。


今掛かっている絵は、どこか他所に展示するのにお貸しした記憶はありませんが、別の季節の数点や屏風は、県立美術館や福光美術館など貸し出したことがありました。石崎 光瑤画塾の塾頭だった大伯父は、石崎 光瑤とセットで作品の展示がなされたことが多いようです。丁寧な梱包をしていただき、お返しいただくときは展覧会の図録などいただきましたので、思い出になります。画家は例外なく貧乏なので、作品は人手に渡り、こうしてわずかしか地元には残っていないのは遺憾です。

小間(茶室に使っています)の小さい床の間には、やはり大伯父のかわせみの色紙がかかっていました。

が、季節がもう過ぎているので、今回はかえます。
母の作の押絵、もちろんテーマは

あんまりかわいいので男の子をアップしてみます。

押絵のふくらみがお分かりになりました?

なっとうさんが愛の対象の一つに挙げられた松の木も撮影しました。かなりの老木で、3,4年前に思い切って丈をつめてもらったのですが、巨木でカメラに収まりません。門の中ほどに見えるでしょうか。

始まりの部分です(笑)

外からエイヤーとボタンを押しましたが、

今年の松は元気がいいです。たくさんの新芽、新葉が出ています。通常秋になると百個以上の松ぼっくりが落ちて、クリスマスのオーナメントにほしい、と仰る方に拾ってもらいます(笑)

あまり、まとまりのない羅列に次ぐ羅列でしたが、少しは気持ちを外に向けたつもりの日曜日でした。小さなことでも自分が動いたことは大切です。






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アニバサリー🎊フレンチの午後

2021-04-23 16:21:46 | 日記
4月23日、結婚記念日。息子夫婦のです。
今年は11回目でした。
それぞれの誕生日祝とお年玉は、金一封と共におめでとうの言葉は欠かしたことがありません。
結婚記念日については、二人で祝うものだと敢えて、こちらからはノーサインできました。
生息子夫婦に会った最後が、2020年1月2日。もう少しで1年4ヶ月会わない日が過ぎます。
(一億二千万人の同胞が堪え難きを忍び、頑張っています。今日は先程、緊急事態宣言が発令された、とか)

今年は、こんなご時世下、そおっと暮らしていますし、情けないことにずいぶん飼いならされた感もいたします。「おうちにいよう」は、我慢せずとも励行できます。外食に恐る恐るでかけて、声高に話す人と会ったが最後、しまった!と踵を返して帰ることしか考えません。

今日は、珍しく行動的。
偶然、息子夫婦が挙式した式場が、フレンチランチとパン屋さんの営業をし始めたという情報を得ました。興味を覚えて、どうせでしたら、アニバサリーその日に予約しましょう、と実行に移したのが一昨日。ソーシャルディスタンスの故、客数を制限しているのか、電話口でだいぶ待たされて、結果予約を入れることができました。

若い二人がこの式場に決めた理由の一つが、150年前の英国国教会が、移築されてそこにあること、フレンチが本格的に楽しめること、の二つだったと思います。雰囲気がとてもよかった結婚式と披露宴になりました。こちらはお金は出すが、口は出さないという親側の態度でしたから、だいぶ贅沢な選択はできたのではないかと思います。一人っ子の親としては、一度っきりの大切な晴れの日ですので、悔いのないように、と、惜しまずサポートしたのでしょうね。。。

結婚式の翌日でしたか翌々日でしたかに、支払いに訪れたその日から11年、一度も入ったことのない場所に懐かしさとちょっとした感動とを覚えて今日の予約の時間、その場所に立ちました。

更に足を進めますと、内部へ導かれます。

受付には時節柄アルコールが(笑)

この階段に見覚えがありました

控室への通路だったように思います

このあたりで式を終えた花嫁と写真を撮りましt。

個人的な感慨に耽るのはこの辺にして、レストランに入ります。かつての披露宴の部屋でした。

テーブルごとに異なるアレンジメントの花が美しいのは今日の日も同じです。
せっかくのフレンチですが、写真の撮り忘れや、お料理の説明の記憶がすぐに消えて、



これがメインディッシュでした
真鯛のポワレ、キャベツソース仕立て?だったかしら

今となるとお料理だったかデザートだったかよく覚えていません


かつては、50名の親族(親、おじおば、いとこなどに限定)の入った披露宴会場は今日は4,5組の客で締め切るようでした。私たちのようにだいぶくたびれかけた年配の夫婦が3組、4人の高齢ご婦人の集いは私たちが入る大分前かららしく、私たちが出るときもまだ終わっていませんでした、これがなんともかしましくて、、、閉口させられました。
息子夫婦は、別に京都市内でも後日、友人や職場関連,夫婦で入っていた市民楽団のメンバーさんたちなど、
知人をお招きしての披露宴をしております。

レストランをあとにして、式場のドアをあけると、不用心にも開きました(笑)

正面のステンドグラスはうまく撮れていません。
ただ、題名は忘れましたが、調べは今も思い出される讃美歌を一心にうたったのをふと思い出しました。フルートとオルガンの生演奏を伴奏に。

実際に今どき、結婚式の祝宴をされようとしている方々には、決して生易しい挙行ではないのでしょうね。

私の次兄が、自分の長男にどうしてもピアノの演奏の贈り物をさせてやりたい、と数回しつこく打診してきましたが、愚息が「私たち新郎新婦がご列席のみなさまに感謝の演奏をさせてもらいます。いとこさんに贈り物の演奏をいただいたら、自分たちの演奏が貧相で見劣りしてしまうので、この際、お気持ちだけいただきたく、、、」と上手に断ってくれました。新郎新婦の演奏は、ウエディングドレスのピアノ伴奏による新郎のバイオリン「愛の挨拶」でした。あの時、いわゆる走馬灯の如く、ムスコ誕生のその日からの親の喜びをかみしめたものです。そして、いよいよ親の手を離れる切なさと覚悟も同時に。

などなど思いがあっちこっちと吹き飛ぶ今日のフレンチランチでした。ずいぶん前のこと、とも思っていましたが、切なさは、昨日の事のように迫ってまいります。
親ばかぽこのどうしようもない醜態ですね。
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モチノキ その2

2021-04-20 06:34:58 | 日記
おはようございます。
今日は、全国的に好天で、気温もぐっと高まるようです。早朝から何度もテレビが伝えてくれます。ガスファンヒーターを点けながら、ちょっと想像できない暖かさ、暑さ、でしょうか。ウールじ地のワンピースをだいぶ薄手へと変える必要があるようです。
ブログ友さんからのご指摘で可愛いモチノキの大きさをお示しするのに、不肖ぽこの肉付きのいい手を入れて撮影しました。これです。小さい花が可愛いこと。私の手と比しても(笑)


今年のツバキは気づくと開花から落下が早かったです。数本ツバキの木がありますが、最後に咲いたのがこれです。中庭というとっても地味な(手入れされていない)いわゆる坪庭にありますが、今年は大雪で三分の一くらいのところで折れてしまいました。それでもちゃんと生き残りました。ユーカリの木は3メートルまで成長していましたが、折れたあとは枯れました。姫沙羅の木も折れましたが、新芽を点け50センチの高さで元気にがんばってくれています。名前も知らぬ生き残りのツバキ、愛おしい。


モチノキの傍らに立ち、遠く高く伸びているのを一枚撮ったつもりが、これは紅葉の老木です(笑)
モチノキの隣に折れ曲がった風情で伸びています。秋には、だいぶばっさり剪定してもらっていますが、ご覧の通り、のびのび育っています。お隣の後ろにそびえる15階建てマンションの階段室とのつぅショットは思いもよりませんでした。



モチノキの撮影のつもりが、しばらくぶりの庭の新緑、萌黄色というのでしょうか、が、あまりにも目に鮮やかで考えもなくいつものように無意識のガラケーカメラのスイッチを押していました。





モチノキには、次のように、下から150センチくらいのところにそこそこの大きさの穴が空いています。リスでも座らせたら可愛いでしょうね。ちょっとした小さい植物が出てきていました。以前はここに小さな石の観音像をお立ちいただいていましたが、冬のこともあるので、今は別場所においでいただいています。



冬になると、土縁の軒先が、両端の丸太柱2本では支えきれないかも、と簡単な仮柱をさしこんでいます。もうとっくの昔に雪のひとかけらもないのに、まだ柱はそのまま。
お雛様も4月半ばにお隠れいただいたわが家のことですから、こんなものか。。。
忘れているのでしょうから、今日のこの暖かい日中にでも柱数本を外して、物置に戻すように家人を促さないと。。。実は、だいぶ積雪が大きくなり、見るに見かねての柱注入でした。如月に入っていたような・・・この分ですと梅雨のころやっと、、、かしら。あきらめています(笑)










この柱、ほんと、邪魔です。やっぱり早々に片付けてもらわないと。これは中門からの撮影ですが、ここからモチノキも見えますね。右側にまっすぐそびえているのがお分かりいただけますか?



今年はこの花だけが開花が遅かった。木瓜ですね。何か所も折れながらそれでも毎年生き残ってくれるのには、頭が下がります。



この季節の贈り物といえば、これ。
到来物が多いので、滅多に買わずに済みますが、昨年今年と知人の竹林は、イノシシ殿のほしいままにされたとかで・・・(笑)
お昼に何か簡単なものを、といつもの近くの八百屋さんに行きまして、かんぴょう巻きと納豆巻きの細巻きをゲット。その折に白筍を見つけました。
てっぺんまで、土の中にいるために先の先までどろだらけです。
中身が柔らかくえぐみがありません。
昆布と一緒に煮てもすぐできる、あく抜きが不要です。皮を取る前の撮影でしたら、全身どろまみれの姿をお見せできましたのに。途中で気づいて最後にパチリ。

おいしく出来上がりました。半分は昨夜に。今朝からまたもうひと鍋作ったところです。


もう30年くらい前のでしょうか、欠かさず見ていたNHKのドラマ「御宿 かわせみ」(村上・沢口共演バージョン)がBSで放映されています。
朝早くには、こうして老年向きの番組があるのですね。
筍の様子を見に時々立つものの、それ以外はこの江戸情緒たっぷりの侍気質、男心、女心たっぷりのドラマ、ちょうどシリーズ最終回でついにこのまま見入りそうです(獏)
のんびり過ごした朝のひととき、昨夜は数時間熟睡できたので、どことなく身も心も軽いです。










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モチノキ

2021-04-17 06:22:16 | 日記
おはようございます♫

5時過ぎには、東に面する窓の遮光カーテン越しに、空が白じむのを認めることができます。

テレビでは、時まさに、日米首脳共同記者会見が放映されてもう30分になっています。バイデン大統領の最初の挨拶に、太陽が笑顔を見せて私が迎える最初の総理を歓迎しています、という言葉がありました。
菅首相が、どれくらい丁々発止に記者団からの質問に答えられるか、身内のように、心配しながら記者会見の進捗状況を見守っています。今、ようやく会見の第一段階が終わりました。私も(私が案じてどうなるものでもないですが)ホッとしました(笑)

先日、やっと早春から春へと掛物を掛け替える作業に、家人を動員しました折、真夜中であったのにもかかわらず、家人に庭に連れ出されました。懐中電灯持参の用意周到ぶりでした(笑)
私に見せたかったのは、モチノキの白い小さい花の開花でした。
とても大樹ですので、3メートルくらいまでは、幹しか見られず、葉っぱ、まして花までは、おめもじ叶いませんでした。今年は新芽が私の背の届くところにも出ていて見ることができたのです。

こんな可憐な小さい花をつけるなんて、全く知らない世界です。
全体はもっと威圧的に見えます(笑)


モチノキは庭木として植えられる三樹木の一つだそうです。わが家もモチノキを圧倒させる黒松がありますが、これも三樹木の一つでしょう。あともうひとつは何なのでしょうか。
陋屋は、明治七年築の今にも倒れそうな朽ちかけたこじんまりした寓居です。家人の五代前の先祖が侘びさびの世界が好きだった翁らしく、庭づくりもとび石と石灯篭がシンプルに置かれ、大樹が数本、あとは余白を楽しむ・・・方針だったのが、庭師の手入れがいつの時代にも徹底できたわけではないので、たとえば、露月という白椿の種がとんで、そこからまた新しい露月の木が育ち、どんどん庭を狭く暗くしてしまいました。
現在は、とにかくこれ以上何も増やさないように、思い切って剪定を欠かさずしてもらっています。

初めて出会ったモチノキの花がまるで妖精のように可憐で、気持ちがまあるくなり、そのあと自宅に帰った後、自宅の方の床の間の掛物を牡丹にしたり、そうです、端午の節句の兜を出したり、、、の作業を家人に頼む威圧を忘れてしまっていました。

四月も半ばになりますから、すぐにも五月の節句のしつらえが必要です。何とかこの週末に終えられたら・・・と思いつつ。
穏やかな気持ちの明るい週末になりますように。
空模様は、全国的に雨が相当降るようですが、砂塵が少しは落ち着きますかとも思われます。

*****今朝の首相の会見を聞いて、中国がどんなにむきになって反発するか、ちょっと怖いような、、、私が枝葉末節なことを憂えてもどうなるものでもないですが。

緊急事態宣言も時間の問題らしい疫病の再拡大のこと、それにもかかわらず、準備を進めているらしいオリンピックのこと、前途がクリアになりません。
ただただ不要不急の外出を避けて、体調管理につとめること、それしかない1年たっても変わらぬ日々が当分続きそうです。

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