夜更かしをして、テレビに見入りました。タイトルは記憶にありませんが、Stradivariusメシアを巡る興味深い内容でした。
北イタリアに、クレモナという小さい市?町?があります。
かのStradivarius、ストラディバリウスの生誕地でもあり、名器ストラディバリが数々創作されたことで世界的に有名な地名にもなっています。ストラディバリ生誕300年を祝って、イギリスオックスフォードの博物館にあるストラディバリ メシアを生まれ故郷であるクレモナにお里帰りさせた話題に乗じて、日本からバイオリンの製作者として第一人者の中澤宗幸氏が54年ぶりにメシアに会いに博物館にご子息を同行されて訪れられたシーンを食い入るように見ました。中澤氏は、葉加瀬太郎氏の愛器のドクターとしても知られています。
日本から、訪れた80歳の齢も過ぎたバイオリンの修復家でさえも、名器「メシア」に触れることは許されず、代わりに、「メシア」のおさまっているガラス棚の前に椅子が運ばれ、心行くまで見ていってください、との配慮がなされました。「メシア」はこの300年近く、演奏されることがほぼなく、名器の象徴として後光を放って鎮座しているようです。このストラディバリの博物館の中のどのバイオリンも、たとえ、英国のプリンセスが弾きたい、と申し出られても弾いていただくことはできないそうです。
ピアノにしても家庭の片隅に置かれているだけで弾かれないのは、どんどん劣化を増幅することになる、と聞いています。
確かに古ければ古いほど価値のあるのがバイオリンとはいえ、見るだけでいいものでもないでしょう。弾いて自分の懐に抱いてどんどんいい音が生まれるものではないかと、素人以下の私でさえ思うところです。
ムスコの楽器は、このクレモナの若手の楽器製作者の手によるものであり、紹介してくださった恩師(今の私の師匠でもあります)はこれから弾いて弾いて弾いて、この楽器と共に成長するのよ、と当時11歳だったムスコにお諭しくださいました。それから30年の月日を経てどんなふうに進化しているか、話題にもしていませんが、期待しないでそれでも話題にしてみようと思います。
さて、今日は、亡き母の祥月命日でした。たくさんの菊や、矢筈薄を墓前におはぎと共にお供えしました。運転の労を快く引き受けてくれ、一緒に心行くまでお墓の前で過ごしてくれた家人に感謝しました。帰路、立ち寄るつもりの中華料理屋さんが、準備中の看板で、思いついて30年ぶりくらいに、その当時よく職場で出前をとっていたお店を探し当ててたどり着きました。
そのお店の2階のお座敷で学年部会の宴会や、公務分掌のお疲れさま会などしたことはあっても、1階のお店に入ったのははじめてです。
どんなものがそのお店の売りだったのかも忘れ切っていてメニューからキノコたっぷりあんかけチャーハンを私は頼みました。ヒットしました!
つらつら思い出すと、このお店の近くに(私の当時の職場の近くでもあります)高校の同級生がクリニックを開業していて、私も私の両親もお世話になっていました。両親は受診の帰りにこのお店でお昼を済ませたことを何度か私に話していたのを思い出しました。
もうこの世では、「ここにきていたのね、どの席に座って何を食べたの?」と聞くこともできませんが、何となく辺りを見ては両親の面影を探す私でした。
帰宅してふと目にしたのが庭の入口に今年もひっそりと咲いている熨斗蘭でした。
北イタリアに、クレモナという小さい市?町?があります。
かのStradivarius、ストラディバリウスの生誕地でもあり、名器ストラディバリが数々創作されたことで世界的に有名な地名にもなっています。ストラディバリ生誕300年を祝って、イギリスオックスフォードの博物館にあるストラディバリ メシアを生まれ故郷であるクレモナにお里帰りさせた話題に乗じて、日本からバイオリンの製作者として第一人者の中澤宗幸氏が54年ぶりにメシアに会いに博物館にご子息を同行されて訪れられたシーンを食い入るように見ました。中澤氏は、葉加瀬太郎氏の愛器のドクターとしても知られています。
日本から、訪れた80歳の齢も過ぎたバイオリンの修復家でさえも、名器「メシア」に触れることは許されず、代わりに、「メシア」のおさまっているガラス棚の前に椅子が運ばれ、心行くまで見ていってください、との配慮がなされました。「メシア」はこの300年近く、演奏されることがほぼなく、名器の象徴として後光を放って鎮座しているようです。このストラディバリの博物館の中のどのバイオリンも、たとえ、英国のプリンセスが弾きたい、と申し出られても弾いていただくことはできないそうです。
ピアノにしても家庭の片隅に置かれているだけで弾かれないのは、どんどん劣化を増幅することになる、と聞いています。
確かに古ければ古いほど価値のあるのがバイオリンとはいえ、見るだけでいいものでもないでしょう。弾いて自分の懐に抱いてどんどんいい音が生まれるものではないかと、素人以下の私でさえ思うところです。
ムスコの楽器は、このクレモナの若手の楽器製作者の手によるものであり、紹介してくださった恩師(今の私の師匠でもあります)はこれから弾いて弾いて弾いて、この楽器と共に成長するのよ、と当時11歳だったムスコにお諭しくださいました。それから30年の月日を経てどんなふうに進化しているか、話題にもしていませんが、期待しないでそれでも話題にしてみようと思います。
さて、今日は、亡き母の祥月命日でした。たくさんの菊や、矢筈薄を墓前におはぎと共にお供えしました。運転の労を快く引き受けてくれ、一緒に心行くまでお墓の前で過ごしてくれた家人に感謝しました。帰路、立ち寄るつもりの中華料理屋さんが、準備中の看板で、思いついて30年ぶりくらいに、その当時よく職場で出前をとっていたお店を探し当ててたどり着きました。
そのお店の2階のお座敷で学年部会の宴会や、公務分掌のお疲れさま会などしたことはあっても、1階のお店に入ったのははじめてです。
どんなものがそのお店の売りだったのかも忘れ切っていてメニューからキノコたっぷりあんかけチャーハンを私は頼みました。ヒットしました!
つらつら思い出すと、このお店の近くに(私の当時の職場の近くでもあります)高校の同級生がクリニックを開業していて、私も私の両親もお世話になっていました。両親は受診の帰りにこのお店でお昼を済ませたことを何度か私に話していたのを思い出しました。
もうこの世では、「ここにきていたのね、どの席に座って何を食べたの?」と聞くこともできませんが、何となく辺りを見ては両親の面影を探す私でした。
帰宅してふと目にしたのが庭の入口に今年もひっそりと咲いている熨斗蘭でした。