最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

🎄にはもう食べ尽くしていること必至

2022-11-22 00:47:21 | 日記
それが、今日の主役のパネトーネ。期待していたマジパンはありませんでした。
先週末には、かつて閉店の憂き目にあったデパートで、サチライトショップや、日本酒の名酒など、
一階でちょっとした人集めをしていました。
私がかつて週に4回は買い物をしていたベーカリードンクも小さい出店で参加。
開店していた4日のうち、3日は買い物に行きました。
シュトレーンを買えば、長持ちするのは分かっていたものの、あの甘さについ、体のことを考えて断念。代わりに買ったのがこれです。甘さはこれだってなかなか危ないのかも・・・

今のところ、まだ開封していませんがきっと、🎄どころか、今月中にも完食しそうな不吉なしかし、妥当な予感がいたします。
食べることばかりに関心がいくなんて、どうにかしたい性癖。
ちょっとあたりを見回しました。
最近続けて話題にしているこの部屋、居間ですが、わが家の通称は「時計の間」です。百年以上、柱時計が掛かっていたから、らしいです。今掛かっているのは電波時計です。気温や湿度も表示があります。
この部屋は、四方が建具が入っています。
北側は、外に向かって、出入りできない窓が二つあります。明治のすりガラスが壊れずに入っています。
南側は大きな襖戸二枚が隣の後ろ座敷とパーテーションになっています。
東側は、4枚襖戸。隣が仏間。西側が4枚襖戸。隣はキッチンです。つまり四方が開口部があって、落ち着かないはずですが、それが何だか落ち着いちゃうのが不思議。


向こう側がキッチン。

お寺さまもここにお座りになります。向こう側に仏間。私のジャケットがひっかけてありますけど。今日はこのツイードのジャケットは暑かったでした(笑)


大きな襖二枚で隣の後ろ座敷と仕切られています。
何とも落ち着かない部屋でしょう?
おまけにこうして、私の仕事上持ち歩くバッグが無造作に放ってあります(恥)


いくら、何の変哲もない凡庸な日々を送っているから、といっても、あまりにも安直すぎる話題でした。と言っても反省もしないで、やはり、ここは、送信するしかないのかしら。

先程、日付が変わって、今日は11月22日。いい夫婦の日だそうです。
相手の健康に不都合が生じたとき、どこまで、手をかけられるか、自分に課せられている。
いつまでも、あてにできないのが、親とお金とはいうけれど、配偶者の力(物事の処理能力と体力)もこの先の劣化は、覚悟しないと。
自分自体がどんどん甲斐性なしになっていくのがわかる故に。

ミュージシャンの宇崎竜童が後期高齢者に入ってのコメントで、生まれ変わっても同じ人と一緒になりたい、と仰っていた。阿木燿子さん、才気あふれんばかりのすてきな奥さまだから、というより、本当にお互いに好きなのでしょうね。。。他人事ながら、いい話だと思いました。

47年目に入った結婚生活、いい夫婦の判定は、特にしたくもなければ、されたくもないけれど、このまま有限で続く共存生活なのだから、日々心安らかで、温かいほほえみを交わす間柄でありたい、それだけを強く願います。
嫁入り道具のひとつとして、カリモクコロニアルシリーズのソファセットを持ってきて、今に至ります。もうひとつ、ソファベッドも揃っていて、それは今、土蔵の味噌部屋に置いて、私の昼寝用に、そしていつでも、現実逃避できるスペース用に、重宝しています。
ソファの足など傷は多々あるものの、いまだに現役の働きをしてくれている家具一式、ふだんは、何気なく座っていますが、ちょっと感慨深いものがありますね。。。
と、書いている場所は、自宅のカリモクソファの上、重くて場所も取るこの家具がどうやら私は相当思い入れがあるようだ、と夜中に思わず、笑ったところです。
冗長な文の最後に、ちょっとだけ自慢。上の画像のソファに、3枚年代物の小さいお座布団が雑に並んでいるのがあるでしょう。これは、百年近く前に、家人の大伯父さまが、旧制中学時代着ていた久留米絣を、大丈夫なところだけをうまくつないで、実母が再生させてくれた自慢の品。どこにも売られていないいわば、更生品ですが、味があって大好きです。よく見ますと細かく縫い合わせてあるので、人前で使えるものではないのかもしれませんが、自信を持って毎日使っているのです。
こんなささやかな満足も実は、活きる力の一部になっているようにも思います。あらためて、おかあさん、ありがとう、ですね。

名残のホトトギスがまだまだ先初めのもあります。花材はかわりませんが、水を替えて、活け替えました。亡き母は、終生、朝は起きたらすぐに、お花の活け替えから、の人でした。。。

私も母同様、京都の六角堂でも学んだ伝統の華道(お免状だけはそこそこ持っています)をいやいや続けること20年以上でしたが、その後、お稽古はやめて、自己流投げ入れ自然風に徹底しました。花好きはかわりません。お花が水揚げが悪いと掃除していない以上に落ち着きません。得手不得手を全く意に介せず、ただ、季節のものを家の中にも置きたいだけです。

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寿老人その2

2022-11-18 12:37:54 | 日記







カーネーションを入れた前座敷。
他のは重複があるかもしれませんが、容量不足で投稿できなかった(特に、小さい神社)のを添付して送っておきます。お見苦しい投稿ですが、疲れました💦汗

もっと記していたのですが、反映されていませんでした。
途中で、北朝鮮の不穏な動きの報道があったりしながらも、次の話題も避けられない私。

今日の相撲は、3時ごろ、朝之山さんが、十両の土俵に立ちます。
朝之山さんばかりでなく、みんなみんな、何かと戦っている。
そんな同士の頑張りを祈念して、いつも、ここでは心をむなしくして、手を合わせます。
それが、上の画像の神さま棚。この部屋もガラス戸ではなく、障子戸ひとつで、庭と境になっているために、なんと、手を伸ばすと届くくらいのところに榊の木まであります。
ここに来るたびに、お仏壇への御燈明とお線香。そして神さまへのお水と榊を欠かしません。
必ず、心をこめて、がんばるみなさんのためにも祈っています。

こんな思いが届くといいなあ。

障子戸を開けて撮った榊の木の下の部分、なんて風情のない説明を加えて。。。
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寿老人

2022-11-18 10:42:58 | 日記
今朝は、月忌参りにお見えになるお寺さまを待って、落ち葉掃きから始まりました。
今週初めには、暖かかった日中が、一転、にわかにかき曇り、夜には雷警報、あられが落ちました。
今朝は10℃以下とはいえ、午後には20℃近くに上がるらしいです。
が、この陋屋では、気温は、公式予報の3℃はいつも低いので、お寺さまお迎えの30分前には到着して、まずは、ガスヒーターにスイッチオン。(エアコン暖房は3月まで冬眠?)
そのあとで、お仏壇を開けて蝋燭をともす、そしてお仏壇にお線香。前後座敷のお香は、庭掃除の前に焚きしめます。(近年、嗅覚が衰えて、匂いに鈍感になりつつあるので、お香を濃く焚き染めることになっています。。。悲し)
T-falでお湯を沸かしておくと、お経の終わるころには程よく湯ざましできて、すぐに急須にお湯を入れられます、と、ちゃっかりな、お勝手の私です。
お寺さまは、実は、私の実兄の竹馬の友、幼稚園から高校まで同じで、お互いに結婚式にも出る間柄。両親を見送る際には、お寺が真宗での大谷派、本願寺派の違いが実家とはありますが、お世話になりました。そして、私は嫁いで以来先々代の供養に始まり、お寺さま係なので、ずっと助けていただきました。
お経のあとの、粗茶を供すのは、仏間でもなく、奥座敷、前後座敷でもなく、仏間の襖つながりの小さい居間です。何故か、親しい方は迷わず、わが家の最小(最狭)の部屋に入ってこられます。テレビもあるし、いろいろ家具がごちゃごちゃあるので余計狭いのに。多分、カリモクソファ(46歳になりました)の座り心地がいいから?和室に正座も胡坐も辛いお年頃です。




エアコンとガスヒーターの送風が、生花には酷なので、この小さい部屋には、お花は活けないようにしています。通常は、小さい鉢植えなど。シクラメンかポインセチアまでの間に、と、なでしこを求めてきましたが、花屋さんの話ではこれはカタカナ名の花で、私の好きななでしこではないようです。まあなでしこには似ていますね、とのことでした。

さて、今日はお寺さまの接待のあとは、しばらくここにとどまり、先日思い出した「寿老人」を出そうともくろんできました。
後座敷に、黄色い花(つわぶきは元気ですが、それではなくて)が欲しくて、花屋さんで、オンシジウムを迷わず求めましたが、あまりいい状態でないから売れません、との良心的な反応。しかたがないので、そんなに好きでもないグロリオサにしました。本当はオンシジウムとカーネーションのつもりだったのに。。。



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寿老人は、七福神のひとつだそうです。
私が鹿追老とネーミングしていたように、鹿をやさしい目で追っています、かなりの長老のようです。元気に長生きを願うのは、いつの時代にも共通ですね。この像は、たぶん、先々代の何かの祝いに贈呈されたものでしょう。先々代は、北陸地方随一の鼓の奏者でした。私が嫁いだときには、すでに五階建ての鉄筋ビルでした(先々代は、明治半ばの生まれ)が、先々代の建てた大正時代の建物は、中二階に薬剤室のある、吹き抜けのおしゃれなものだったそうです。謡の師匠もしていたので、商店街のどこまでも、朗々とした調べが届いたとか。。。

順不同に画像をお届けします。

この家は、北側部分(外から家が見える)は、障子戸、網戸、ガラス戸(アルミサッシュ)が入っていますが、外側に接しない(庭などが境)ところは、浴室以外はすべて、ガラス戸が入っていません。障子戸のままか、杉の戸(雨戸)が入っています。ですから、障子戸を開けるとそこに庭が見える、という感じです。防犯上問題があるのでは、とも言われますが、最後尾は土蔵ですし、南側は、開口部の小さな障子戸+杉戸の外は木塀で、塀のあちら側はお隣の建物が迫っていますから入れる余地がありませんね。
昔の人の知恵はなかなかのものです。風通しよく、治安もいいです。

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たぶん、自分のことでしたら、こんなにカッカしませんが、

2022-11-12 18:35:05 | 日記
そして、次の日には、忘れて記憶の欠片も残らないはずです。

それが、3日目の今日もまだ忘れないでいます。ただし、もうカッカはしていません。

金曜日のお昼ごろだったでしょうか。
家人が、かかってきた電話に出ていました。
「3時ですか?それまでに行くのはちょっと無理かも。わかりました、で、担当のあなたのお名前は?」

家人が通常使用している銀行からだったそうです。もっとも、初めて連絡をもらった何とか支店から。
少し大げさに言えば、この銀行は、家人の、といいますより、我が家のメインバンク。地銀ですが、この辺では最大大手です。
結婚した時すでに、銀振でお給料は支払われており、退職金も、そして、最近では年金や税金、もうありませんが、以前には、貸していたマンションなどの小さな家賃、等々、我が家の全てを任せている金融機関です。

電話があったのは、45年以上関わりのある支店(準本店)からではなく、最近の各支店を統合するための新しい支店からです。新幹線駅のすぐそばにあります。
「こちらのミスで、××支店から当店に振り込む相手を間違えて、あなた(家人)の通帳に振込入金しました。つきましては、ハンコを持って、3時までに当店にいらしてください」という内容だったそうです。
家人は、まあ誠実な人なので、3時までにはわざわざ出向いて行って(車で10分程度しか離れていませんが、めんどくさいのは本音です)むこうのいうとおりの簡単な手続きをしてきたそうです。
「それは、大変恐縮されていたでしょ?そこの店長自ら、平身低頭でお見送りしてくれたでしょ?」と、私が好奇心たっぷりに聞きましたら「ぜーんぜん、あっ、どうもくらいだったよ」
「なんて失礼な。あっちのミスのために貴重な時間を割いて出向いたのに、プロ意識なし!頭にくるぅ!!!」
家人は、「自分が担当者の名前を失念して、淡々と手続したからかなぁ」とのんびり人のいいことを言っていました。

私は、遠きはるか昔のことを思い出しました。同じその地銀の私の口座にちょっとしたお金(2万円か3万円くらい?)が、県教委かどこかから入ってくるはずが、全く入金なしなので、確かめましたら、送り主は確かにちゃんと振り込みましたとのこと。
結局、銀行側のミスで、私ではない別の人の口座に入金されていたのがわかったのが、数か月後でした。私の照会に対しては、「間違いありません」と豪語した銀行側でした。
私は世間知らずもあって、自分が軽んじられた心地がして、そのときにその銀行の私名義の口座を解約し、以来、無関係の関係です。
人はみな、ミスはあるものです。
銀行さんだって、すべて自動処理ではなくて、人がぽちっと押してする動作もあるでしょう。そのときにどれくらい相手に納得されるように謝れるか、大切なことは今も昔も変わりません。

ところで、今日はとてもいいお天気でした。インディアンサマー、小春日和でした。
どこにも出かけませんでしたが、こんなにあったかいからもしかして?と我が家の庭に出てみると

白椿(露月)です。陋屋から挿し木したものです。



ついでに腰をかがえめていろいろ接写しました。

植木屋さんにほぼ伐採してもらったはずが、名残のようにこうして実をつけているむらさきしきぶ。


紫から白い花へと変化する吉祥草。


万両は実を結ぶのが遅いようです。


石製の親子カエルの向こうに真っ直ぐに伸びているのが橘で、百両でしたっけ?もう実が色もつけそう。
撮影はしませんでした(あまりの繁茂のひどさに)十両と呼ばれるやぶこうじも実はまだつけていません。
と、断言しそうになってよく見ますと、右奥に実をつけてはっぱもつややかなヤブコウジが見えました。赤松の木の
周り中がこのヤブコウジでおおわれています。
先日来のツワブキも、ヤブコウジも私の大好きな植物。私はやっぱり、ひっそり、静かに生きるのが共感するのですね(自分で言う?)

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石蕗の花#2

2022-11-08 12:14:52 | 日記
今日も出迎えてくれました。


若い植木屋さんは、山野草などいわゆるお茶花は不得手とみえて、庭中に繁茂していた吉祥草の類などみな、抜いていかれました。


中庭の草むらから移植。ほんの2株ほど。

その中庭では、紫のホトトギスと吉祥草が、真っ盛りです。



恵みの雨のようなにわか雨に、しとどに濡れた今日の庭。
幸せです。命のある草木も、私も。

花屋さんで求めた花でなく、この地味な古い空間である陋屋の庭で手折った花や枝をいつものように投げ入れました。






ずっと掛け軸箪笥の中で眠っていたこの日本画を掛けてみました。



椿の花も見えますから、猫って冬の季語なのかしら。
陋屋の椿は、どれどれまさか、つぼみなんて…ともう一度庭下駄を履いて外へ。

椿はつぼみこそ固いですが、いくつもつけています。お正月には咲くでしょう。露月です。

空を仰ぎみると、マユミの実をたくさんつけた枝が目に入りました。

そしてさらにもっと視野を広めると、平屋建てのこじんまりしたこの陋屋の真後ろには、こうして堂々たるマンションがそびえています。唯一二階建てになっているのは、マンションのごく近くに小さい窓の見える内蔵だけです(笑)
こんなにのんびり、家の内外を見ることは、本当に久しぶりです。

マンションは、100戸以上の戸数があるそうですが、築年数は4年?くらい。我が家である陋屋は、明治7年築、2022ー1875=147歳でしょうか。。。
吹けば飛ぶようなこじんまりした陋屋がこうして生き延びてきたことを慮ると、私も何とかやれそうな、、、なんてむしのいいことを思うのでした。
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