最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

苦手な人との付き合い方

2020-09-30 01:08:43 | 日記
私は薄情者です。
一見いい人に見えるらしいのは、まあほぼにこにこしているから。
ところが、ひとたび心の内を覗いてみると、どす黒く、悪意に満ち満ちているのです。
家人に言わせると、私は外面(そとづら)が極めてよくて、その分、内面(うちづら)は最悪、さもありなん、外でにこにこしているのは、そうしているほうが、楽だし、トラブルが起きないから。
そもそも、他人と関わることは十二分に注意を払って避けています。
相手が話したいことを聞くふりをして、実は、あまり気合を入れて聞こうとしません。
他人のことにほぼ無関心、腹を立てるほどの関りをもたないので、喧嘩もまずありません。
したがって友達も少ないけれど、それもあまり苦になりません。
そもそも自分には、あるいは自分と同格の事象には、関心というかそれなりのこだわりがあるので、他人のことに気を留める余裕がありません。配偶者といえども、健康くらいには気配りするけれど、人格やら行動やらには、私のことでないから、あんまり気になりません。

そんな私が、タイトルのような話題をここに記そうとは!
実は、この件で昨日、食事時に、あらましを家人に話して、意見を求めたのです。
するとどうでしょう。私が私ならば、家人も家人です。
私の不愉快な心持に関心がなく、ざっと話を聞いたら、一分後、もうそんな話は口にしない方がいいよ、いやな話だから。あなたのお得意のやり方で、忘れるのみ!所詮他人のことじゃない、と。

あーーーそうですか。家にまで持ち帰った私のこの話、それくらいで片付けてくれるのね。
私は一言、そうね、いつもの私のいつものやり方、もうわーすーれーまーす!!!
でこの話が終わった次第です。

昨夜はそれで終わり、今朝起きた時に、その一件を忘れている・・・はずでした。
が、最初に頭に浮かんだのが、あの時のあのお方の憎々しい顔でした。

あのお方とは、職場の講師室の同輩です。
教科は違います。私は今の職場は今年が5年目、彼は2年目。でも昨年一年間曜日や担当時間の違いのおかげで、一度もお話せずにすみました。
今は週に一日、というより半日ですね、ご一緒しています。
金沢のあるお寺のご住職を兼業されています。大変威圧感もあります。
私はいつも敬意を払って天候のことやらごく軽い話をほんの数分させていただいています。
昨日もそうだったのですが、突然彼が怒り出し、憎々しい表情で、
「私と話をしたければもう少し早く来て、話してください。私は今から授業なので暇がありません」と仰いました。
私はその方が講師室の鍵を持っていってしまわないように、時間をみはからって、到着するようにしています。私が話をしたくなくて、ジャストインタイムに到着したら、すでに施錠してあり、私は、ここだと思う教室まで走って鍵を借りようとしましたが、見つからず、事務室でマスターキーを借りて講師室を開けてもらって、何とか教材やCDレコーダーをだして授業に間に合わせたことが2度あります。

そんな経緯もあるので、到着時には細心の注意を払って、なおかつ話題ももちろんでしゃばらないように、偉大な先生のお気に入りの話題に合わせます。
が、昨日はいきなり、怒りをあらわにされ、何とも憎々しい表情をされたので、こちらがびっくり、どきどきして、ちょうど私の仕事が終わっていたので、ではお先に失礼します、とあやまるでもなく、走り逃げたのでした。
きっととてもお疲れだったのでしょうね、と今はどうでもよくなり、忘れる方向で再度決まりです。

CHIKUSYO, BAKAMON など罵詈雑言を思いっきりここで言わせていただきます。
あくまで独り言です(笑)

先生稼業をしている人は、あんまり人に注意されることがないので、その分、大人になり切れない(生徒より質が悪いこともある)。職業による分析はいかにも危険ですし、十二分に愛すべき、信頼できる、そして敬愛もできる多くの方々とも知り合うことができました。
もう現職でもないので、今更こんなへんてこな雰囲気を味わわないといけないのか、とちょっとへこみました。別の日は、ムスコよりずっと若いまだまだ大学生の雰囲気の講師の先生とご一緒しますが、むこうが、何か質問されるとそれに答える、あとは、こんにちは、と、お疲れさまでした、だけのふれあいです。それが普通です。

あまり活字が多いので、せめて何か画像なりとも・・・と急遽真夜中の玄関ホールで撮影したのをくっつけて、と。そしてこの一件は終わりにします。

見えにくいでしょうけれど、鹿の絵です。そういえば、寿老人の像を陋屋に出さないと。
老人の傍らに鹿がいますので、思いだしました。鹿の季節なのですね。。。

花ナスを見ると木になっている柿を思います。あとはピンクの秋海棠とか、赤い水引草、花材が足りなくて柳の枝まで入れています。
すかっと、お花でも買って活け替えたい気分です。ききょうや、りんどう、パンパースを明日は買いに行きましょう。私には私の楽しみがあるんだった。。。
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香を焚く

2020-09-29 00:34:26 | 日記
この月曜日は、久しぶりに、心身の軽い週の始まりの日でした。

このブログに訪れてくださる方には、すでに、ばれているとおもいますが、
私は、大相撲の観戦が大好き。そして、心底応援している関取がいます。

秋場所が、コロナ禍にもかかわらず、今回も無事千秋楽を迎えました。
場所前に、ある部屋が完全ロック状態になる不運もありました。多数の休場力士がいたものの、コロナの感染者がじわじわと広まることなく、九月場所が終わり、もう秋。

場所中、実は、身の置き所もないほどに、辛かったです。
思いがけなく初日からの三連敗。このまま立ち直れないのでは、と真剣に案じました。
その後、大関は気持ちを立て直し、何とか二けた勝利で今場所を切り抜けました。
世間は、まもなく登場する新大関の優勝までの活躍に沸いていますが、その中で、話題になるとすると、らしくない負け方、優勝できない大関の責任、など。
でも、いいことにしましょう。
怪我無く終えることができました。同じ部屋に幕内力士がいなくて万全の稽古ができない不安、それもまあ言い訳として、このあと、出稽古も2週間だけ許されるそうですから、それを500%くらい生かして次につなげてほしい、と。

ブロ友さんに、とっても為になるご提言をいただきました。
お香でも焚いて心静かに応援なされば、と。
静かな湖面をじっと見て、ただただ武運長久を祈る、朝ドラ「エール」の戦時下の戦場へ発つ人の惜別の歌のようですが、
私はブロ友さんの助言に従い、お香を焚き、けむりをたゆませ、バクバクする心臓を鎮めて、ひたすら無の境地に自分を置くようにしました。
確かに効果がありました。
落ち着いて、無事のみを祈念して15日目の取組まで見守ることができました。

新しい週を迎えて、空は高く、冷気さえ帯びた朝の空気はさえざえとしていました。
お香をすすめてくださってほんとうにありがとうございました。
今後も自分を鎮静化するのに、不可欠です。幸いお香も香炉も香合もいろいろ持ち合わせています。香道は一切、未知の世界です。
ただほんのり、やわらかい香りと空気の中に身を置くのに、好きなように好きなだけ、でいいかと満足しています。


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シングルマザー

2020-09-27 02:15:15 | 日記
シングルマザーをインターネットで検索してみました。以下がその引用です。

 法的な婚姻関係になく子供を生んだ女性(未婚の母),あるいは離婚や別居して子供を養育している母親。婚姻内の男女間に子供が生まれることを嫡出といい,未婚の母から生まれた子供は民法では,嫡出でない子(非嫡出子)と呼ばれる。否定的な語感が強く差別的であるいう理由で,近年は婚外子ということばが使われることが多い。日本の出生総数に占める非嫡出子の割合は 1.9%で,スウェーデンの 56.0%などと比べ,きわめて少ない(『平成17年版国民生活白書』内閣府,2005年)。しかし,婚姻届は出さないが事実上の婚姻関係にある事実婚を選択するカップルが増えていることなどから,増加傾向にある。

統計の数字もだいぶ古いので、あるいは、ここ日本でも従来からの定期の母子家庭ではなく、婚外子、事実婚の割合が相当増加しているかもしれません。調べるともう少し正確な数字を載せることができそうですが、今後の課題とします。

さて本日いきなり、こんなタイトルで書きだそうとしているきっかけを記しましょう。

親しくしてくれる職場の家庭科の先生が、私に手作りマスクを10枚くらいくださって、使用の感想を聞かせてほしい、と仰り、有難く使用しては感想をお知らせしました。彼女が今夜メールをよこしてこられ、「老人ホームではマスクは使用しないというのは本当ですか?老人ホーム情報があればおきかせください」とのことでした。

私の知人のひとり(友人に近いです)に、現在、特養ホームのデイサービス部門で、パートながら正規雇用で働く人がいます。
お名前を失念するほどしばらくぶりで、ケータイの電話帳をあ行から検索してやっとたどりつきました。3か月間話していませんでした。
マスク事情を伺うと、もちろんスタッフは全員装用、施設利用者も原則着用義務あり、ただし、認知症の状態が悪くなると、なかなか指導が徹底しにくい とのことで納得。家庭科の先生にもその旨お伝えしました。どうやら、今年は、校内の文化祭がなくなり、生徒の活動の発揮場所がなくなったので、老人施設に手作りマスクを贈る企てをされている模様でした。

ま、そんなことは全く無関係の関係、余談にすぎません。
話を先ほどのデイサービスの介護職をしている友人に戻します。
今日の電話の要件はすぐに終わって、久しぶりの近況報告をいただきました。
「じーさんが、もう本当に手がかかって、こちらも極限状態なの。今夜は数日間のショートステイに行ったから久しぶりの天国だけど」とM子ちゃん(私より一回り程若い。50代半ば)
「お父さん、だいぶ悪いの?あのお世話してくださる方は元気なの?」と私。
「いえ、そもそもその人が入院したことから、ばたばたが始まってのよ・・・」とM子ちゃん。

こんな会話今どきどこでも話題になる特別な事でもなんでもないですよね。

ところが、ひとつ、ここでことを複雑にしているのが、M子ちゃんの両輪が結婚されていないことなのです。

M子ちゃんもそのお兄さんも二人とも高校生あたりのときに、非嫡出子から嫡出子になっている、いわゆる正式に父親に認知されています。
今から60年くらい前に、高校卒業後、洋裁とかお琴か花嫁修業中の普通の家の女の子がいけめんにナンパされ、結婚できるものとそれ相応の付き合いをして妊娠、男が妻帯者だったのに、どんな理由からか二重生活が続き、第二子であるM子ちゃんも生まれた。どうやら、M子ちゃんの祖父母にあたる人が娘と孫を不憫に思い、援助を惜しまなかったようです。
本妻に一人いる娘ともM子ちゃんは、本妻の葬儀で会ったし、その子供にも会ったこともあるといいます。本妻が亡くなるずっと前にM子ちゃんの両親は別れており、それ以前に両親とM子ちゃんとお兄さんが住んでいた家もずっと空き家状態。もともと母親名義だったその家がいつの間にか父親名義になっているのも不思議だけど、売れる物件でもないので父親逝去の際には遺産放棄してしまいたい、とのこと。
M子ちゃんの父親にあたるとんでもない不埒男は、M子ちゃんの母親と別れてもいつも身の回りを世話してくれる女性はいたようです。現在はおじいさんになって95歳とか、でも70歳くらいの彼女?がいて一緒に暮らしている。その彼女が入院してしまって、いきなり、ムスメであるM子ちゃんに父親(おじいさん)の世話がまわってきた。M子ちゃんのお母さんは、昨年他界。M子ちゃんのお兄さん一家と同居していたので、お兄さんが喪主になって無事葬儀も終わった。納骨は、M子ちゃんの祖父母、つまりお母さんの実家のお墓へ。父親に万一があると、父親の先祖代々の墓に父親は入り、M子ちゃんのお兄さんがそこを守り、ゆくゆくはその人も・・・らしい。
M子ちゃんに私の好奇心から、ある時臆面もなく尋ねたことがありました。
「おとうさんとあなたたち兄妹の姓が同じで、おかあさんだけ違うなんて変則的なおうちで、自分がどうして?とか思わなかったの?不潔だとか感じなかった?」
ずいぶん失礼なことを聞いてしまった私ですが、彼女はたくましく、生きてきたので、私の非常識な質問にも動ぜずに答えてくれました。
「私の周囲には、その当時まだお妾さんとか、母子家庭とかけっこうあったのよ。私なんか、父親がほぼいつも家にいるだけでもごくふつーと思っていたわ。」
なるほど、M子ちゃんが短大の栄養学科だったかを卒業するとき、父親も卒業式に出たし、彼女の結婚式にも父親として10数年ぶりに彼女の母親の隣に座って涙していたそうです。

彼女自身は、三人のお子さまにも恵まれ、自分のような不自然な家庭生活だけは、避けたいと思いながら、不具合な結婚生活を20年以上続け、3年くらい前に離婚、再婚して1年くらいになります。前夫と未婚の娘のいる前夫の家にちょくちょく家事をしにもいっているそうです。昨年のおかあさんの葬儀には、前夫も現夫も同席していたとか。。。

まあM子ちゃん自身の生き方はこの時代、特記すべきことは何もありませんが、彼女の育った時代(昭和40年~昭和の終わりごろまで)にシングルマザーしていたM子ちゃんのおかあさん、どんな思いで、どんな夢や目標をもって生きておられたのでしょう。M子ちゃんが中学の時くらいにはすでに父親と母親は別れていた(離婚ではなくて、別離)ので、わたしと母は市営住宅に二人で住んでいたこともあった、ともM子ちゃんは言っていた。
そして、私はこのことをM子ちゃんに聞くまで忘れていたのか、本当に知らなかったのか、M子ちゃんのおかあさんは、その別離の少し前から10数年、私の嫁ぎ先で奥の仕事、つまり、炊事を中心に家事をするお手伝いさんをしていたそうです。
あんまり頻繁に義両親のところへは訪ねなかったけれど、そういえば、いつも奥がにぎやかで、私が入り込む隙間はなかった あの感覚を思い出しました。

今夜、M子ちゃんの仰った言葉、
「配偶者は、もともと他人で、離婚したら、はいそれまでよ、だけどね、
親は選べないし、捨てることもできないのよ。お兄ちゃんはお母さんの世話、
私はあのじーさんの世話、ってことにいつのころからかなっていた」

でも私はよく知っています。彼女のおかあさんのご存命中は、M子ちゃんはいつも時間をやりくりして、おかあさんを病院へ、買い物へ、温泉へ、外食に誘ったり、とおかあさん孝行のお嬢さんでした。
今、再婚相手の方と心を通わす過程を築いています。もちろん、三人のお子さまとの交流は以前と変わらず行われています。
口に出しては、仰らないけれど、シングルマザーは自分も、娘もなりたくない、させたくない、説明のいる環境はもうたくさん!との思いは一入のようです。

十六夜(いざよい)~立待月(たちまちづき)~居待月(いまちづき)~寝待月(ねまちづき)~更待月(ふけまちづき)と満月の十五夜以降も呼称のように楽しめるこの中秋の名月
今年は十月一日あたりらしいですね。
秋の七草のうち、フジバカマとススキと萩はすでに咲き始めています。萩は夏の初めにも咲いていましたが、二度咲きしてくれました。
女郎花その他は、花屋さんで求めるほかに、秋海棠、水引草、赤く色づいたマユミの実等も籠に入れたいと思います。空模様だけが案じられます。




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お寺さまのお話から・・・憂き世の実態

2020-09-21 18:57:16 | 日記
今日も月忌参りの話題です。
前回は、1時間待っておいでになりました。
今日は油断したのか、陋屋に到着したら、すでにお寺さまのお車が門の前にあり、
運転席のお寺さまに、さんざん、恐縮の言葉や、お詫びの所作をして開錠しました。

お寺さまは、我が家のあとは何とか公民館へいらっしゃるそうで、そのために早めに出てこられたようです。公民館では、敬老の日のお祝いの席(コロナのための自粛はないのか?)で、まず、物故者のためのお経から始まるらしく、その任務をお願いされたとのこと。
すぐにお暇します、ということでしたが、一応お出ししたコーヒーを美味しい、一息つくことができました、と飲み干していただけました。そして、そう短くもない世間話も。
お寺さまにはお嬢さんがいらして、すでに嫁がれ、お子さまもいらっしゃいます。中学の国語の先生をなさっているそうですが、ほぼ土日休みなく、この4連休もやっと一日のお休み。残りは、部活動の指導とか、家庭訪問とか、試合とかで、その度に実家であるお寺にお子さまを預けにいらっしゃるそうです。
今日はやっと終日休みだから、家族三人で、どこかへ行くのかと思ったら、疲れがとれなくて、ゆっくり寝たい、と肝心のムスメが動かないがですちゃ・・・孫が可哀想で・・・

そしてお寺さまにな最近結婚された「若はん」と呼ばれるご子息がいらして、今はIT関連の会社員、お寺とは別のマンション住まいです。可愛い赤ちゃん連れて、琵琶湖の近くのホテルで一家三人3泊バケーション。N証券会社にお勤めのお嫁さんは、3年間育児休業中。休業が明けても時短で仕事ができるから、保育園に預けて仕事を続けます、とのことだそうです。
もし、お孫さんが具合が悪いときは、また預かるから、とお寺さまが言うと、「その時はお世話になります」とにっこり。
きっちり、週休2日だし、残業手当も出るお嫁ちゃんに比べて、娘の奉職先では朝の7時に学校へ出向き、夜は9時くらいまで仕事で帰れない(公務員の残業手当はない)、で、つくづく、ムスメが案じられる、というお話。中学の先生の大変なのは、あちこちから聞きます。
お寺さまも人の親。お嬢さんのことはこれまでも案じておられ、お孫さんに夕ご飯を食べさせ、お風呂にも入れて協力されていました。
民間企業にお勤めのお嫁さんの状況を知るにつけ、急に心配が増しているようです。

さて、今日は午後に、勤務先の3年の男子生徒が陋屋に訪問しにきました。
音大志願のために、進路は学校が関われない特殊な環境。東京の器楽の先生と声楽の先生についていて、月1,2回は上京、レッスンを受けていたのがこの半年、コロナ禍のためにここでも状況が思うに任せません。リモートレッスンも受けたものの、いまいち、、、などたまに校内で会うと顔を曇らせていました。
急転直下で、特別枠の指定校推薦で、私学の音大の出願が叶い、私も他事ながらほっとしていたところです。
今日は午前中、部活動(3年であっても音楽部の定演が年末にあるので)で、だれか午後も練習していくかと思っていたら自分一人になった、で、ぽこ先生のところへ行ってもいい?との連絡が入りました。
私のところへは楽器持参でしたので、生演奏をいくつか聞かせてくれました。受験の課題曲もとっても素敵に仕上がっていて、、、
私のバイオリンと合奏したり、お茶にしたり、で楽しい2時間を過ごしました。
陋屋のあとは、近くの市民ホールで、別のアンサンブルの練習だと、手をふって出ていきました。
彼の話の中で、一つ記憶に残ったのが、「今日は学校は本当に生徒は僕一人、先生は日直の人一人だった」です。
生徒数900名近く、職員数が100人近くの大規模校で、先生も生徒もきちんと祝日をとっているのです。部活動もだいぶ以前の様子に戻ったとはいえ、それでも休日は部活はなし、ふだんも6時までの限定付きです。

午前に聞いたお寺さまのお話の中身を思い出し、何とかならないのだろうか、よそのこども(中学生)の世話をしていてご自分のお子さまとの時間を食いつぶすなんて!と虚しくなりました。
お寺さまの力ない最後のセリフ、「なんたって、親さんがたいへんながですちゃ。モンスターペアレントは、すぐ委員会に電話して、まくしたてるし、SNSでもうるさいらしいとか」でした。

生徒さんも中学の方が高校より生きにくい、それは、思春期のるつぼの渦中にいるものの宿命ともいえますが、何か、忙殺される事情があるのでしょうか。。。

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いとこ煮

2020-09-20 18:39:51 | 日記
食の匠が教える伝統レシピ
【南砺市】いとこ煮
ジャンル野菜料理 調理方法煮る
浄土真宗の報恩講料理の一つで、根菜類と小豆の煮物。それぞれの材料には意味があり、小豆は親鸞聖人の好物、ごぼうは杖、油揚げは袈裟、里芋は布教先の農家の軒下で枕にした石を連想したもの。名前は材料同士がいとこ関係のようだから。


材料 4人分
大根200g 人参100g さといも150g ごぼう 100g コンニャク1/2枚 油揚げ1/2枚
小豆 乾物で1カップ(150g)(煮小豆で2カップ) 水5カップ
A(調味料) しょうゆ大さじ2 塩小さじ1
作り方
1 小豆は柔らかく煮る。
2 油揚げとコンニャクは湯通しし、さいの目に切る。
3 大根・人参・さといも・ごぼうは皮をむき、さいの目に切る。ごぼうはさいの目に切った後、水にさらしアクを抜く。
4 鍋に野菜や油揚げ・コンニャク・分量の水を加え、柔らかく煮る。
5 野菜等が柔らかくなったら、小豆とAを加える。

ブログ友のMadonnaさまの情報から、福井の大野というところの里芋が美味だとのこと、早速取り寄せようと思っていたら、同じくブログ友greenさまは、たまたま、現在福井県民であられる関係から、この里芋に絶大なおすすめをいただきました。
ご両人にあらてめて謝意を申し上げたいです。ありがとうございました。

美味しいものについては、どんなことも、そんなにめんどくさく感じない私の性が恥ずかしいです。

そして、
里芋をふんだんに入れる料理、しかもこの地方の、と思い、やっとこどっこい、遠い記憶から上記のいとこ煮の姿が露になりました。
実は私がこれを実際口にしたのは、ほかでもありません。福井にちがいありません。祖母の実家が福井県の真ん中あたりの浄土真宗のお寺でした。母と祖母(金沢在住)と私の女子三代そろって、報恩講に詣でました。私は就学前だったと思います。
その時だされた、「いとこ煮」の美味しかったこと。

ほうきんの実も美味しくて一瓶お土産にもらってきたのを何故か覚えています。
そして、私が「いとこ煮」がとても好きなのをねらって、母は冬の間週に一度くらいはこれを作ってくれました。母のは出来上がったころに葛、または、カタクリを入れて、いわゆるアンカケに仕上げるのです。それがまたおいしくて、今でも思い出されます。

大野から里芋を取り寄せた暁には、味噌シチューの変形バージョンとして薄味のおしょうゆ味で仕上げて最後にあんかけにしてみようとはりきっています。

今日は万葉の昔からあり、そこで大伴家持がうたったという二上山の麓にある小さなカフェでランチとコーヒーを友人と共にしてきました。
オーナーシェフはその周りのたんぼや畑で有機農法でお米や季節の野菜を作っているそうです。コーヒーは違いますが、ランチやスイーツの材料に使われているのがそれら、もろ産直ものです。1週間前に刈ったばかりのコシヒカリが小さい袋に入れて売られてもいました。
帰りに3個だけ残っていた小豆のおはぎもゲットでき、自宅2階の遺影の前にお供え。

私は、生まれて初めて、カボチャや、ナスの実際に作られている畑を見たのと、東づくりの農家の姿もとても新鮮で、久しぶりにだいぶ興奮しました。

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