最終章だけど、、、

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大相撲のこと

2024-03-11 05:00:13 | 日記
おはようございます。
表題の件について、この場所で話題にすることがめっきり少なくなりました。
とはいえ、無関心のはずはなく、正直に申しますと、心が穏やかでないのはかつてよりもさらに程度を増していると思います。

コロナ暗黒時代(勝手に言っているだけです)とちょうどかぶっている時期でした。そもそも朝乃山不祥事の発端がこの疫病ですから、コロナはにっくき仇敵です。
相撲と無関係に、もうちょっと次元が高いかな、と自分で思うのは、コロナの第二次災害です。コミュニケションの機会が減ることで、ひきこもりが、事実上も気持ちの上でも増幅したことを指しています。
他人との関りをコロナの最初の頃は禁じられて寂しいな、だったのが、いつの間にか、それに慣れると、今さらめんどくさいや、いわゆる不要不急に該当する外出の枠にどさっと入れたら即おしまいです。
一番不幸感が強かった場所は、闘病された入院患者の方々かもしれません。そして、各種施設で日常を過ごされている方たちも。

昨日、コロナ以前以来やっと電話で話したお付き合い35年以上のママ友は、昨年、肩の手術をなさったそうです。お見舞いにほぼ誰も来てくれない1か月の入院中にほぼ鬱になっちゃった、と今はお元気な声でしたが、恐らくさもありなん、との説得力のある体験談でした。ママ友はしばりが緩くて何人、だれか、の規定がありません。なんとなく一年に2,3回は顔を合わせてきたムスコ幼稚園来の保護者集団です。同学年の公式?保護者会としては、「葡萄の会」というのがあって、クリスチャンだった幼稚園の延長にある葡萄のように、という趣旨。きちんとレストランで年に一度会食してきた仲です。葡萄の会のメンバーの中でも特になんとなく、親しい感のある数名の不定のお仲間が濃い方のママ友です。

やっと五年以上ぶりに非公式ママ友が、参集することになりました。
お仲間の一人のご主人がお亡くなりになった(昨日知りました)もう半年くらい前らしいのですが、彼女を慰めるため、というのがひとつ、それとは無関係でしかないのですが、お雛さまの前での女子会ということで、わが陋屋が会場です。まあ以前から駅にも近いわがわび住まいがその場所ではありました。まだ日時も未定ですが、いずれ行われるでしょう。

本題の大相撲です。
昨日大阪場所の初日、あっけなく負けました。
びっくりするほど、安易な負け方でした。

令和五年五月場所・・・やっと幕の内に戻ってきました(29歳)
東前頭十四枚目
朝乃山 広暉
12勝3敗

令和四年七月場所・・・復帰場所でした (28歳)
西三段目二十二枚目
朝乃山 広暉・・・名前を本名に戻しました
7勝0敗
三段目優勝

令和三年五月場所・・・不祥事発覚の場所でした (27歳)
東大関
朝乃山 英樹
7勝5敗3休

令和元年五月場所・・・令和最初の優勝力士でした 平幕優勝でした (25歳)
西前頭八枚目
朝乃山 英樹
12勝3敗
幕内優勝 殊勲賞 敢闘賞


平成二十九年九月場所・・・入幕して最初に10勝したので敢闘賞受賞です(24歳)
東前頭十六枚目
朝乃山 英樹
10勝5敗
敢闘賞

「禊」の2年間、やけを起こさず、土俵に戻ってきただけでも嬉しく、その前途に幸多かれと、
観客数の制限されたコロナ禍の会場に鳴り響く応援の拍手を有難く思ったものでした。
しかし、やはり、この2年間の謹慎は、相撲勘の欠落を生じさせ、闘争精神より修行僧の気持ちが育って、結局、現状維持より低下を下支えすることに通じました。

客観的に見て、自ら撒いた種の重さ大きさをこれからも実感しつつ、幕の内での勝負を少しでも長くできるように精進することになるのでしょうか。

私は応援し続けます。コロナの第二次被災者の実例ともいえるこの関取の行く末を私自身が元気でずっと見守ってまいります。
すでに勝つのが当たり前 の時期は終わりましたので、観戦していても私の弱い心臓を傷めることはないのが、幸いです。



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菜種梅雨でもなさそうだけど

2024-03-05 23:58:49 | 日記
春の長雨が続きます。半端な降りようではありません。
災害情報を知らせる音で慌てて携帯を開いてみますと、豪雨注意報。予期した地震警報ではありません。
各地では、竜巻注意報なども頻発しているとか。

菜種梅雨というのは、多分、三月も後半くらいに続く雨模様を言うと思います。今時分の長雨は何というのかしら。そもそもこの時期は、あんまり降らないのかしら。時ならぬ春の淡雪っていうのはありますが。



雨模様の様子が鮮明には出ていませんが、左端に見える手水鉢(苔むしています)の前の水鉢が洪水になっていました(^_^;)汗

さて、これらの画像はみな、3日の日曜日のもの。
お雛祭りを格別祝うこともしませんでしたが、家人の提案で、いろいろなお菓子を家中のお人形さんの前に飾りました。お供えするっていうのも変なので、飾ったということにします。
自宅と陋屋には、和洋どちらのお人形さんが大勢います。自宅三階はおもちゃ部屋。かつて百人以上在住していたぬいぐるみさんなど、数年前に供養してなきものにしましたので、今はアンティークドールをはじめ、西洋人形が数名です。ヨックモックのお菓子のセットをあげました。その方が似合っているような勝手な判断です。自宅の玄関は、押絵の掛軸と短冊の掛軸と。普通に菱餅を置きました。

以下はいつもの陋屋です。
お雛さまの全容はこちらです。

内裏雛が御殿の中におわします。
今見ますとお菓子がよく見えません。桃の花をはじめ、そこそこ豪勢に活けたお花も見えません。
お花やお菓子の前に撮ってしまったのを選んだのかも。まさか、お雛さまが召し上がったあと、なんてことは、、、(幼き頃は、兄たちにからかわれたものです。あっ、今小さいお口を開けて召し上がっていたよ などと)
御殿周をアップに撮りました。

おなじく、官女さん、お囃子五人組、随身2名、あっ、仕丁のお三方を撮っていません!


ここには、金沢中田屋のきんつばを置きました。


本当に小さいお雛さま、越前竹人形です。金平糖を用意しました。
上の掛軸は「猫」のお題の日本画です。赤い椿も描かれていますが、見えにくいでしょうか。。。

大学の後輩で、大病を患って以来、果敢に病と闘い、家庭人として頑張っている方がいます。
ずっと応援しています。おひとりっ子のお嬢さんがこの四月新一年生。結婚も出産もかなり遅い方だったので、体力的に大変なところもありますが、前向きに一緒に行動しています。
今週、後輩は実母さんを同行され、拙宅にあそびにきてくださいます。
おかあさまは、私より少し年長、私、後輩は50代、とだいぶとうのたった女の子の集まりですが、
少し遅れたひな祭りをいたします。
私の唯一できる手仕事がフランス刺繍なのですけれど、この30年くらい一切手を動かしていませんでした。小学生の保護者として仲間入りする後輩のために、と一念発起してトートバッグに刺繍しました。恥ずかしいので小さくアップしてみます。




長くなりました。雛祭り当日は、唯一のお客さまとして家人を迎え、お赤飯と押しずし、タラの西京漬けを焼き、ハマグリ汁とで簡単に祝いました。
平均年齢70歳のこの夫婦は、スマホでユーチューブから、「ひなまつり」の童謡を取り出して一緒に歌いましたとさ。結婚以来45年余、はじめてのことでした。
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弥生三月

2024-03-02 00:41:15 | 日記
もうすぐ、春彼岸です。

先週初めは、うららか過ぎて、梅見ごろがあっという間に終わるかと近くの公園まで急ぎ、満開の様子を見てきました。

ところがどっこい、それ以降が寒いこと!北風ぴゅーぴゅーとまるで今から厳冬がきそうな数日です。
29日の恩恵を享受して、昨日は七段飾りのお雛さまのひな壇だけ組み立ててもらいました。
そして今日おついたちにやっと、上段の御殿をはじめ、下段の牛車などまで、全て飾り終えました。
お菓子は、金沢諸江屋の加賀鳶もなかです。小ささから選びました。

お雛さまにおいでいただくのに参考資料として次のイラストを参照しました。

写真より各お人形の手足の動きがよくわかって役立ちました。
桃の花と菜の花を買いに行く暇もなく夕暮れを迎えましたので、お雛さまの写真は撮りませんでした。
明日以降ご縁があったら、登場していただくつもりです。ま、そんな元気が私にあったら、ですが。

今朝の陋屋です。
ちょっと視界を上空まであげて、東側の空を屋根と共に入れました。




後ろ座敷の掛軸が明るい春を祝っている感じがして好きです。作者は不染鉄二、大好きな大正時代から昭和の京都画壇の重鎮の一人です。大伯父と画塾がらみで親交があり、こうして百年経ってもそこそこ汚れも気にならない保存状態で、絵心のない私を慰めてくれます。


手術をしないで、ニトロをいつも携帯することで平常生活を続けていけることが判明しました。自分がこんなにたくさんの不整脈を持っているのか、今回初めて知ったほど、自覚もない幸運な♡の弱者です。でも、本当の意味でハートは、いつもみずみずしく、生ある限り楽しいこと探しをしてやまない強気の姿勢を持って最後の最後まで生き抜いていくつもりです。階段は堂々と避けてエレベータを探す、坂道は急な傾斜を避けて遠回りしても緩やかな道を選ぶ、など、加齢を主張して無理はしません。

というわけで、厚かましくも下手な写真も取り入れて近況報告まで。
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