おはようございます。
表題の件について、この場所で話題にすることがめっきり少なくなりました。
とはいえ、無関心のはずはなく、正直に申しますと、心が穏やかでないのはかつてよりもさらに程度を増していると思います。
コロナ暗黒時代(勝手に言っているだけです)とちょうどかぶっている時期でした。そもそも朝乃山不祥事の発端がこの疫病ですから、コロナはにっくき仇敵です。
相撲と無関係に、もうちょっと次元が高いかな、と自分で思うのは、コロナの第二次災害です。コミュニケションの機会が減ることで、ひきこもりが、事実上も気持ちの上でも増幅したことを指しています。
他人との関りをコロナの最初の頃は禁じられて寂しいな、だったのが、いつの間にか、それに慣れると、今さらめんどくさいや、いわゆる不要不急に該当する外出の枠にどさっと入れたら即おしまいです。
一番不幸感が強かった場所は、闘病された入院患者の方々かもしれません。そして、各種施設で日常を過ごされている方たちも。
昨日、コロナ以前以来やっと電話で話したお付き合い35年以上のママ友は、昨年、肩の手術をなさったそうです。お見舞いにほぼ誰も来てくれない1か月の入院中にほぼ鬱になっちゃった、と今はお元気な声でしたが、恐らくさもありなん、との説得力のある体験談でした。ママ友はしばりが緩くて何人、だれか、の規定がありません。なんとなく一年に2,3回は顔を合わせてきたムスコ幼稚園来の保護者集団です。同学年の公式?保護者会としては、「葡萄の会」というのがあって、クリスチャンだった幼稚園の延長にある葡萄のように、という趣旨。きちんとレストランで年に一度会食してきた仲です。葡萄の会のメンバーの中でも特になんとなく、親しい感のある数名の不定のお仲間が濃い方のママ友です。
やっと五年以上ぶりに非公式ママ友が、参集することになりました。
お仲間の一人のご主人がお亡くなりになった(昨日知りました)もう半年くらい前らしいのですが、彼女を慰めるため、というのがひとつ、それとは無関係でしかないのですが、お雛さまの前での女子会ということで、わが陋屋が会場です。まあ以前から駅にも近いわがわび住まいがその場所ではありました。まだ日時も未定ですが、いずれ行われるでしょう。
本題の大相撲です。
昨日大阪場所の初日、あっけなく負けました。
びっくりするほど、安易な負け方でした。
令和五年五月場所・・・やっと幕の内に戻ってきました(29歳)
東前頭十四枚目
朝乃山 広暉
12勝3敗
令和四年七月場所・・・復帰場所でした (28歳)
西三段目二十二枚目
朝乃山 広暉・・・名前を本名に戻しました
7勝0敗
三段目優勝
令和三年五月場所・・・不祥事発覚の場所でした (27歳)
東大関
朝乃山 英樹
7勝5敗3休
令和元年五月場所・・・令和最初の優勝力士でした 平幕優勝でした (25歳)
西前頭八枚目
朝乃山 英樹
12勝3敗
幕内優勝 殊勲賞 敢闘賞
平成二十九年九月場所・・・入幕して最初に10勝したので敢闘賞受賞です(24歳)
東前頭十六枚目
朝乃山 英樹
10勝5敗
敢闘賞
「禊」の2年間、やけを起こさず、土俵に戻ってきただけでも嬉しく、その前途に幸多かれと、
観客数の制限されたコロナ禍の会場に鳴り響く応援の拍手を有難く思ったものでした。
しかし、やはり、この2年間の謹慎は、相撲勘の欠落を生じさせ、闘争精神より修行僧の気持ちが育って、結局、現状維持より低下を下支えすることに通じました。
客観的に見て、自ら撒いた種の重さ大きさをこれからも実感しつつ、幕の内での勝負を少しでも長くできるように精進することになるのでしょうか。
私は応援し続けます。コロナの第二次被災者の実例ともいえるこの関取の行く末を私自身が元気でずっと見守ってまいります。
すでに勝つのが当たり前 の時期は終わりましたので、観戦していても私の弱い心臓を傷めることはないのが、幸いです。
表題の件について、この場所で話題にすることがめっきり少なくなりました。
とはいえ、無関心のはずはなく、正直に申しますと、心が穏やかでないのはかつてよりもさらに程度を増していると思います。
コロナ暗黒時代(勝手に言っているだけです)とちょうどかぶっている時期でした。そもそも朝乃山不祥事の発端がこの疫病ですから、コロナはにっくき仇敵です。
相撲と無関係に、もうちょっと次元が高いかな、と自分で思うのは、コロナの第二次災害です。コミュニケションの機会が減ることで、ひきこもりが、事実上も気持ちの上でも増幅したことを指しています。
他人との関りをコロナの最初の頃は禁じられて寂しいな、だったのが、いつの間にか、それに慣れると、今さらめんどくさいや、いわゆる不要不急に該当する外出の枠にどさっと入れたら即おしまいです。
一番不幸感が強かった場所は、闘病された入院患者の方々かもしれません。そして、各種施設で日常を過ごされている方たちも。
昨日、コロナ以前以来やっと電話で話したお付き合い35年以上のママ友は、昨年、肩の手術をなさったそうです。お見舞いにほぼ誰も来てくれない1か月の入院中にほぼ鬱になっちゃった、と今はお元気な声でしたが、恐らくさもありなん、との説得力のある体験談でした。ママ友はしばりが緩くて何人、だれか、の規定がありません。なんとなく一年に2,3回は顔を合わせてきたムスコ幼稚園来の保護者集団です。同学年の公式?保護者会としては、「葡萄の会」というのがあって、クリスチャンだった幼稚園の延長にある葡萄のように、という趣旨。きちんとレストランで年に一度会食してきた仲です。葡萄の会のメンバーの中でも特になんとなく、親しい感のある数名の不定のお仲間が濃い方のママ友です。
やっと五年以上ぶりに非公式ママ友が、参集することになりました。
お仲間の一人のご主人がお亡くなりになった(昨日知りました)もう半年くらい前らしいのですが、彼女を慰めるため、というのがひとつ、それとは無関係でしかないのですが、お雛さまの前での女子会ということで、わが陋屋が会場です。まあ以前から駅にも近いわがわび住まいがその場所ではありました。まだ日時も未定ですが、いずれ行われるでしょう。
本題の大相撲です。
昨日大阪場所の初日、あっけなく負けました。
びっくりするほど、安易な負け方でした。
令和五年五月場所・・・やっと幕の内に戻ってきました(29歳)
東前頭十四枚目
朝乃山 広暉
12勝3敗
令和四年七月場所・・・復帰場所でした (28歳)
西三段目二十二枚目
朝乃山 広暉・・・名前を本名に戻しました
7勝0敗
三段目優勝
令和三年五月場所・・・不祥事発覚の場所でした (27歳)
東大関
朝乃山 英樹
7勝5敗3休
令和元年五月場所・・・令和最初の優勝力士でした 平幕優勝でした (25歳)
西前頭八枚目
朝乃山 英樹
12勝3敗
幕内優勝 殊勲賞 敢闘賞
平成二十九年九月場所・・・入幕して最初に10勝したので敢闘賞受賞です(24歳)
東前頭十六枚目
朝乃山 英樹
10勝5敗
敢闘賞
「禊」の2年間、やけを起こさず、土俵に戻ってきただけでも嬉しく、その前途に幸多かれと、
観客数の制限されたコロナ禍の会場に鳴り響く応援の拍手を有難く思ったものでした。
しかし、やはり、この2年間の謹慎は、相撲勘の欠落を生じさせ、闘争精神より修行僧の気持ちが育って、結局、現状維持より低下を下支えすることに通じました。
客観的に見て、自ら撒いた種の重さ大きさをこれからも実感しつつ、幕の内での勝負を少しでも長くできるように精進することになるのでしょうか。
私は応援し続けます。コロナの第二次被災者の実例ともいえるこの関取の行く末を私自身が元気でずっと見守ってまいります。
すでに勝つのが当たり前 の時期は終わりましたので、観戦していても私の弱い心臓を傷めることはないのが、幸いです。