最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

たった今、電話がかかりました。

2021-10-30 17:43:58 | 日記
固定電話です。コードレスで小ぶりの電話機のナンバーディスプレイの液晶画面は今では、機能していません。子機だから?親機はファックスつきで隣室にありますが、液晶画面は見えたかも、ただし、ファックス用の用紙を補充していないので、送受信できないです。むしろ、電話機の横のプリンターでコピーを取るのが、その部屋に行く一番の目的。
家の中では都合3台電話機が鎮座していますが、ほぼ、かかってきません。

冒頭の電話は、帰ったばかりの歯医者さんの奥さまからでした。
コートをお忘れではありませんか?との用件です。
フードもついた軽いコートを着て歯医者さんに伺い、終わってお支払いと診療予約しましたら、コートを着ていたことももちろん、持ち帰ることも忘却の彼方に追いやられていました。。。

やはりだいぶ認知症も本物の領域に入ってきているのでは、、、とちょっとだけ動揺しています。

実は、今日はこの認知症について、思うところを書きたいと歯医者さんの椅子の上であれこれ思いを瞑った目の瞼に綴っていたのです。

この認知症はCDR認知症と言われます。
昨日偶然知った病名なんです。

そこに辿り着いた経緯をお話ししましょう。
自宅で頻度高く使用しているPCが最近、またまた絶不調となりました。
動きが遅いのは、私の頭にちょうどあっていてまあ暗黙の了解済みというところです。
最近の不調は、デバイスが認識できないことだとわかりました。
仕事上、教科書本文をタイピングするなんてこと、もうかれこれ10年くらいはいたしません。
かつて、鉄筆を使ってテストを作成して謄写版印刷、そこからコピー機利用のための切り貼り作成の時代へ。
ワープロもそれなりに長かったです。そのあとWindows95の世界制覇?の恩恵を受けて、だいぶアウトプットも楽になりました。もちろん検索など授業の補助教材作成には欠かせません。
そしてこの10年くらいは、CDR(読み込み専門)の台頭で、ほぼタイピングで誤植する不安から解放されて今日に至ります。
CDRは、エクスプローラーからPCのDVDのデバイスを選択して、ディスクを入れたらもう私の何百倍の仕事を請け負ってくれる世界に私は誘われます。

ところが、先日、CDRが読み込めなくなりました。ずっと同じのを使っている(教科書が数年変わらないとそんなことに)と、表面がごみがついたり、物理的に作動に支障となっているのかも、、、と葺いたり、よく見たりして、別のPCで作動させたら動きました。
色々調べた結果、私の現在愛用のPCからこのデバイスがそっくり抜けていました。

復元、回復の手立てをとって、その都度成功、CDRで読み込んだものから仕事もすすめることができました。
が、次の日はまたダウンしているのです。
3日にわたって3回同じ修復をして、その都度回復、仕事もしてもらったこのPCですが、すぐに不調になり同じ現象、デバイスが消失する、の症状を出すのです。

PC自体のヘルプもよく読んだつもりです。
また他の人はどんなふうに、修復されているか、も検索を重ねました。
そこで出会ったのが、
「CDR認知症」という聞きなれない言葉です。
PCを擬人化して、PCの不具合を病名にたとえてその症状や復元法(治療法ともいえましょう)を説明しているのだ、とすっかりその気で、サイトに行きました。

すると、、、
そこは、人さまのれっきとした病気の説明の場所でした。
物覚えが悪くなった、ものぐさになった、など数個の自覚があったあと、本当の認知症の底なし沼に入っていく病気の一切が説明されています。

オーマイゴッド!!!
PCの病気を解決するつもりが、ひょっとして私も?正確には私が?当事者?

悲しくなり、PCの復元作業も手を引くことにして、より新しい別のPCで一連の作業をすることにしました。もう精も根も尽き果てた、そんな感じです。
新しいの、といっても、そうです、Windows11にバージョンアップの時期もそろそろ参りますし、、、もうそれに値する生活はできないかもしれないのに、この頭では。

CDR認知症にでていた症状が最近の私にそっくりそのままで、思わず、うなだれました。

そして歯医者さんでの忘れ物。
その前に、この歯だって、実は数日前に何かを食べていた時、がちり、と(多分差し歯か何か)を誤って噛み切り粒状の歯のくずが出てきました。
自分ではああ、このあたりの穴になっているのがその残骸か、、、と右側の方に鏡を向けて納得、小さい欠落だからすぐには行動しなくてもいいかも。どうせもう使い物にならないくらい砕けているし、と。

昨晩、家人に言われました。「歯、どうしたの?抜けているじゃない」
それもしっかり、左上の真ん中から4番目くらいの目だつところが空いています。
気が付かなかったのが、正直ショックでした。それにみっともありません。
マスクのおかげでだれにも気づかれずに数日経っていたのです。

こんなに不感になって、どうするの!
と落ち込みます。

歯医者さんはいつも手際よく早くに治してくださいますが、今回は、神経がまだ生きているその歯のもとが固くて厄介な工事になるようです。

麻酔が切れるまでの2時間、飲食を慎むように言われてきました。
ここで、グタグタ書いているのが、気晴らしになったのか、もう少しで解禁です。
どうせ、この先そうそう長くもなかろう、と歯をいたわることも怠っていましたが、生涯何とか自分の残り少ない歯で自分の口から美味しく食事ができ、誤嚥もせずにこの人生を全うできたら、こんなに有難いことはありません。
暫くは、歯医者さんにおすがりして真面目に通院します。
奥さまとは高校時代からの友人、ご主人を手伝って、活力のある生活が伺われます。彼女のそのお顔を拝めるのも楽しみにしましょう。そうでなければ、なかなかお会いもできずに時のみ過ぎるのが実情です。
コメント (6)

芭蕉2(訂正版)

2021-10-23 17:31:57 | 日記
芭蕉の木がいわば寒冷地に育っているなんて、本当に不思議だわ、と思いつつ、家人にあの葉っぱの名前知っている?と聞きました。
いとも平然と「バナナの木」いや、「ミニバナナの木」じゃなかったっけ、とのたまうのです。
やはり、芭蕉の木というのもあり得るのかも、、、

どこか事実詐称のにおいもいたします。
根拠はありませんが。

すると
「悪い悪い、実はこの葉っぱの件は我が家の逸話のひとつなんだ」と家人が笑いながら付け加えました。
なぜか、当時、幼かった義母(家人の母です)をからかって、母の大叔父さまが、「この木は、バナナの木だよ。日本には珍しいんだけど、そう、正確にはミニバナナの木というんだ。そのうちきっと小さいバナナがなるから、お利口に待っていてね」とまことしやかに、説明されたそうです。

この大叔父さまは、鹿鳴館にも出入りしたハイカラさんだったとのこと。
そこで、私ははっとしたのです。
「もしかして、インドの机ってその大叔父さまの?」
そうです、我が家(といいますより、家人の家)には、先祖伝来のインドの机なるものがありました。
只の普通の、しかし、ちょっとこぶりのテーブルです。今も土蔵か部屋の片隅に置いてある・・・はず。(律儀にも私は処分しませんでした 笑)

「そうそう、大叔父さまのインド外遊のお土産だそう。でも今となると本当かなぁ・・・」
その辺で、せいぜい東京かどこかで買って土産にしたんじゃないのかな、と家人はつぶやきます。

ところでくだんの芭蕉の木ですが、はらん です。思い当たるところがありました。
亡き義母は、旧制女学校主席卒業の賢い人でしたから、自分で疑問は解き明かすことができました。その部分を私はすっかり忘れていました。
女学校の夏休みの宿題にこの芭蕉の木のことを調べてひとつの物語として提出したのだそうです。
この後日談をすっかり見過ごした私の方がどうかしていましたね。

というわけでお騒がせいたしましたこと、お詫び申しますm(__)m

これを綴っている居間の隣が奥座敷ですが、めったに開けないために忘れていました。
部屋の隅に枕屏風がありまして、

この屏風の奥にありました。

大叔父さまゆかりのインドの机です(獏)

コメント (6)

芭蕉

2021-10-23 12:57:55 | 日記
いえいえ、俳人のあのお方のことを話題にするわけではありません。
大きな葉っぱがむしろ邪魔な気さえする植物の芭蕉、日本版バナナともいわれている、と聞いたことがあります。風情も何もあったものではありません。
しいて言うと、芭蕉布という恐らく芭蕉を染めたり織ったりしたもの、は、そこそこ知られているらしいです。知人に、屋久島の方からもらった手作りの芭蕉布のシャツ(1点で百万円くらいはすると聞きました)を着ている人がいて、知らずに褒めたら、「これ芭蕉布なの。気づいてくれてありがとう!」と喜んでいただきました💦汗 無知の極みでした。

中間考査の代用に、と上からの指示でしかたなく出題、持ち帰った答案をためこんで、いつもの陋屋にやってきた私。(まだマイバッグの中にいます)

この季節ですから、一応、落ち葉を中心に、家の入口までの土間を掃く必要があります。いつもお世話になっている庭師さんですが、初夏のころだったかにアキレスけんを切り、ようやく復帰してこれからが剪定フル出動、、、のその時期に、まさかの他方のアキレスけんをもう一度。普段ならば、とっくにすっきり落とされている庭の木々は、あのやんごとなき時の人がニューヨークから戻られた時のロン毛どころか、ジャングル状のもさもさ、のたとえがぴったりです。

この分では、最悪、年末に剪定と雪つりとを同時にお願いすることになる、、、どころか年内に間に合うのかしら。他の顧客には、我が家よりもっともっと広くて時間のかかるこったお庭の持ち主も少なからずあるでしょうし。。。
まあ、そこいらは、私の心配の範疇でもないでしょう。楽観しときましょう。

ふと目についたのが芭蕉の木でした。いつごろどこからここに根ついたのか、存じませんが、義母から、「日本バナナの木といって、この辺りではあまり育たないのに上手く根ついていて、これ以上増えないといいのだけど、、、少なくとも私が生まれる前からあるはずよ」、と聞きました。大正4年生まれの義母は、この世で80年、あの世ですでに27年、それ以上ここににいる芭蕉の木。
ごくごくまれに思いついてその大きい葉っぱを生け花に使うこともあります。
普段、目にも留めずに通り過ぎる葉っぱの群れになっています。

昨日、BS放送で、京都の町屋坪庭の番組を偶然見ました。
陋屋もいわゆる町屋作りですので、奥行きが長くて、途中(というよりだいぶ奥寄りに)3坪ほどの坪庭があります。
家人の子供時代の記憶によるとイチジクの木が枝もたわわに実をつけていたことくらいしかないそうです。そのイチジクもいつか切られて、ほぼ荒れ果てた日当たりのよくない、そして、誰の目にも止まらない小さい小さい空間です。

ふと、気になって今日はこの坪庭に目を留めました。
京都の坪庭のような洗心(水鉢、または手水鉢ともいいますね)も小さい石灯篭もない、雑草だらけの哀れなさま、、、
寒いので外に降り立たないで、畳廊下から写してみました。
ここに私が植えたユーカリの木がありました。2メートルくらいに伸びて風が吹くたびに建物に倒れるので支柱を庭師さんに立ててもらったら、いつの間にか、枯れて、あとかたありません。
足元にあるのは、夏椿、姫シャラの木。もう紅葉が始まり、葉っぱが落ちています。台風で折れてほぼ地上の30センチ上で生息しています。


坪庭のこちらの側はお風呂場です。この建物も年季が入っています。

フジバカマもそろそろ終焉。楽しませてもらいました。

私の最も好きなキチジョウソウが花をどんどんつけてくれます。「吉祥」の名にちなんで、お知り合いになった方々によければ、と数株ずつお分けしています。あちこちでここの子孫が花をつけているそうです。嬉しい便りをいただきます。


今日はニンジン葉のオリーブオイル炒めをたくさん作りました。
葉っぱの緑を撮影前に切り刻んで画像は、ネットで探しました。


中ぶりの鉢一杯にもならないほどの量が完成したオイル炒めです。
新米コシヒカリの上にのせると鉢の中のニンジン葉が半分ほどになりました(笑)

支離滅裂な本日のひとりごと、、、そろそろ採点に入りましょうか。。。
コメント (4)

罰あたり?

2021-10-16 16:23:12 | 日記

こんにちは。

まずは、この画像をご覧あれ。ドキドキしながら思い切って、ポチっと。

お花に焦点を当てもう一枚性懲りもなく。

以下につ続く(だろう)本日のだらだら記事は、実は昨夜一応、書きに書いてあとは、保存と投稿、の時点で全てネットの藻屑と化して永遠に戻らぬ闇に消えました。。。

だらだらくだらないことを書き連ねただけの読み返しもしたくないような駄文、更に記憶を辿るのもさすがに憚られます。

気を取り直して、今日は全くの白紙に戻って、思い出そうとせずに、思いを綴ろうかとやっとここに戻りました。

まず、昨日消えたかなりの長文2000字は長いだけで自分でもその要旨も意図もわかりかねる駄文。最初に補正してから始めます。

何故、罰あたりかもしれないみほとけさまの居住地の写真をアップしたか、そこから入りましょう。

花瓶は金の重々しい仏花用花器ですが、その中に、私は、投げ入れ専門。花も他の部屋同様今の季節に庭で摘んできたり、花屋さんの隅にある小さい存在感の薄いのを買ってきたものばかり。

普通、例えば、母亡き後5年余り空閨を囲っていた父は、母より10歳年長だったため、すでに齢は90歳に近かったけれど、毎週、花屋さんで仏花を組んでもらって左右二つ一組、真ん中は炊き立てご飯をお供えしていました。しっかりした菊が年中定番。4年目くらいに高齢独居老人の特権?優先的に、かで、要支援1だったかの介護保険の恩恵をいただき、ディサービスは頑なに断ったものの、週二度2時間くらい訪れてくれるヘルパーさんの来訪を楽しみに、その時は、蝋燭屋さんと花屋さんと、まず母のための買い物をしてもらっていたようでした。

そんな心がけのいい父の血を引いているとは思えぬ私の活けた仏花です。月二回の月忌参りの折、ご住職さまからも特に注意を受けたこともないので、私流でいいのかな、それでないと、365日欠かすことなくお花を供えることはできないし、と言い訳三昧で、この義理親家のお仏壇を守ってきました。

ごく自然に、正確に申しますと、無手勝流に、気分次第で投げ入れる、いかにも几帳面でない私の性格そのものを投影しています。

ただいけばな、そのものには忸怩たる思いを近年になって持つようになりました。大人になってからですが、華道池坊に入門、20年以上はいやいや続けていましたが、何だか形式的な約束事が好きになれず、矯める(ためる)といいますが、花材の枝を無理やり曲げたり、時に針金で結んだりする手法が人工的で自然の流れを損なうとずいぶん、生意気なことを感じていました。そこそこ信頼の厚かった茶道華道の師は、私の母で、それもあって、創意工夫の見られない伝統の真似に過ぎない、なんて母にたてつく未熟なわたしでもありました。茶道は6歳から今まで60年ほど門人のままですが、華道は途中でやめました。それでも母はお稽古の前後に拙宅に来ては数か所にお花を活けてくれました。それこそ病魔に倒れる直前まで。

17年前に、母の葬儀は、「献茶式」で行われ、当時の池坊のお家元、池坊専永氏からの献花も見事だったらしいですが、その折の記憶は全く私にはありません。

今悔やまれるのは、正式な(正攻法の)生け花ができないことです。床の間にたとえば、おもとの一種活け、水仙の一種活け、菖蒲とふといの二種活け、など、それぞれに薄端、砂鉢、吊り船、など、専門の花器に活けたらどんなお客に対しても気兼ねなくお招きできますね。それが私にはない。。。

今は居直っていつもの投げ入れ専。

この日の仏花は、なんと、紫色は孔雀草、白は、フジバカマと小さめのスプレー菊少々、矢筈薄の緑、われもこうの茶色、と何とも自由な組み合わせです。

庭で摘んだものも、花屋さんで求めたのもあります。

そして自宅をはじめ、陋屋の各所に活けたあと、お仏壇へ、いわば、残り物が花材・・・そういったことこそ罰あたり感が募りますので、まずは、いつもお仏壇が最初です(笑)

このあと、約1時間半かけて、あちこち活けました。

仏間続きの奥座敷、周辺がごちゃごちゃ片付いていません。私らしく。。。

次は、後座敷。シンプルです。

ついでに、鹿老人を出してきて置きました。掛け軸も替えたかったのですが、断念。

前座敷は、私が好んで使うオンシジウムがメインです。後ろに仏さまにはけちったスプレー菊も。

東西に長い陋屋の東(仏さまのいらっしゃるところ)から順に西へ(家の前方へ)移動します。

自分でも大切にしているあの場所。ご不浄です。

そして水屋。自宅の萩がまだ名残で咲いていました。

もう少しお付き合いくださいませ。まあ飽き飽きされたらスルーでお願いします。かわりばえしない茶室もどきの小間です。

茶室の躙り口から外へ出て中門にも紫式部などほぼ無意識に。

陋屋の千本格子(さまのこ と当地では言われています)ももう140年になり、あちこち、傷だらけです。みっともなく素人仕事で時々補強。接着剤やガムテープは使わないもののそれに近い(-_-;)💦

一か月くらい前のこと。この戸を開けたら、1メートルくらいの蛇がとぐろを巻いていました。驚いてあれからしばらくは、どこを歩くにしてもだいぶ用心深いです。

稲刈り後の田んぼの落穂もなくなったからか、暑いのがおさまったからか、先週くらいからやっと雀ちゃんがもどってきました。この石灯篭と吊り灯篭にカップいっぱいのお米を入れます。

数歩で外の門に来ますが、その前に先日もちょっと口にしていたまゆみの実が。金木星は全て土間に落下して掃くのも面倒でした。

このようにツワブキの黄土色が鮮やかです。数日でこんなにも。

さて長々お目を汚した最後に今日のこちらの地方新聞を載せます。タイムリーな行事です。

明日雨模様らしいですが、できたら、行ってみたいです。駐車場があるかどうかわかりませんので、5年ぶり?くらいに万葉線、ご当地ドラえもんトラムですが、に乗っていきたいです。

     *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

高岡市吉久の昔ながらの町並みの中で芸術の秋を満喫してもらう「さまのこアートinよっさ2021」が16日、始まった。昨年12月に国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に選定された旧街道一帯に絵画や工芸品が並び、来場者は作品を眺めながら散策を楽しんだ。17日まで。

 吉久は江戸時代から加賀藩の年貢米の集散地として栄え、「さまのこ」と呼ばれる千本格子を備えた町家が残る。まちの中心を通る旧街道沿いの4・1ヘクタールが重伝建地区に選定された。

 イベントでは、軒先や車庫など24カ所に、木彫刻や陶芸、日本画、木版画といった多彩な作品を並べた。江戸時代から現代までの吉久の暮らしぶりを描いた絵本の原画も目を引いている。町家や土蔵の内部にも展示があり、訪れた人たちは芸術作品と風情ある建築物に見入っていた。

コメント (9)

ウィズ コロナ 続き

2021-10-10 22:10:01 | 日記

だらだら続けます。

自宅から、前述の紫式部(我が家のは、晩秋20センチくらいのところで切りそろえるのですが、秋口には120センチくらいになりどの枝もたわわに紫の実をつけて名前の楚々とした風情なし)と、矢筈薄、孔雀草、萩など持参しました。陋屋の中庭でこれも繁茂しているフジバカマを数本折り、さらに、ホトトギスも探しましたが目に入らず、代わりにお茶の木’(やぶきた茶)の花が5輪可憐に咲いているのを見つけ、これは手折りませんでした。ツバキ同様すぐにも落花しますから、可愛そうです。全てがお金要らずの寄せ集めの材料でいつものように活けます。

-

花より団子とはよくいったもの。陋屋の近くの八百屋さんで、秋の味覚をどっさり仕入れてきました。何だか突然元気が出た気がします。3日前ですが、マツタケごはんを奮発。お吸い物は、湯葉(乾燥)とほうれん草とこのシイタケと。サトイモは味噌田楽、デザートはシャインマスカットと大盤振る舞い。といっても自分が自分に、ですけどね。ちょっと気が晴れました。私は自分では、考えこんだら闇の内に入り込むタイプと思っているのですが、意外と?おいしいもので、気が変わります。あの散財した日から3日、またまた迷宮入りしてやる気の上に塵が1メートルくらい積もっている感じですが、脱却するのに、明日の夜は久しぶりにこの辺では一番(のはず)のホテルの割烹店で世間でいうところのデイトをしてきましょ。明日は何と、アニバサリー。1976年でしたからなんと45回目ですかぁ・・・

ここのところ亡き母の夢をよく見ます。朝目が覚めると、隣のベッドに母が寝ている錯覚を起こします。寝室は十分に広くてかつては、1メートル離れたところの隣のベッドには連れ合いが寝ていました。いつの間にか、それぞれ寝るのは個室が楽になり、私一人で寝室を占有しています。普段も冷暖房の無駄も気にせず、それぞれ居室は別々です。

お迎えが近いのか、と思うと嬉しい気はしません。母が何か話したいことがあるのか、とも思ってみるのですが、もしかしたら、私の仏心が薄いのを警告したいのか、、、

実家の庭にある親鸞聖人像(等身大の修行のお姿)を放置してある(と推測)のを気にしているのでしょうか。毎朝晩、お仏壇同様、手を合わせ、お水や炊き立てご飯をお供えしていた仏心の厚い母でしたから。。。

陋屋のツワブキを見て、ああまもなくお義父さまの祥月命日だわ、と思ったから、よけいにあの世が気になるのかしら。

義父の亡くなった夜、亡骸に同行して陋屋に帰ったとき、ツワブキの花々が迎えてくれたのをいつも思い出します。

アニバサリーを二人元気で迎えられる、そしてそれなりにお祝いもできることは感謝です。それなのにだいぶ話が後ろ向き方向になりましたね。時々、自分の頭の中が整理不能症になっているとは思うのです。脈絡もなく話が飛ぶ・・・気をつけませんと。できましたら、あと5年、「金婚式」の曲を連れ合いに演奏して聞かせられたら、と、目標らしきものができましたので、それを奉書に書きまして、45年のプレゼント+誓の代わりにしようと思いつきました。ブログするって結構いいことですね、私に道しるべを教えてくれたんですから。

 

コメント (6)