撮り散らかし鉄の記憶

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南海 汐見橋(2025.1.27) 復元塗装 2231F 各停 岸里玉出行き/汐見橋行き

2025年02月16日 00時04分21秒 | 南海・泉北高速
1/27に南海高野線(通称汐見橋線) 汐見橋駅で復元塗装の2230系を撮りました。
1枚目は、汐見橋駅を出発する復元塗装のモハ2281(旧モハ22012)の各停 岸里玉出行きです。



2枚目は、汐見橋駅で停車中に撮ったモハ2281の車内の「東急車輌 昭和45年 大阪」と明記された製造銘板です。



3枚目は後追いですが、汐見橋駅を出発して芦原町駅に向かうモハ2231(モハ22011)です。



4枚目は、汐見橋駅に向かうモハ2231の各停 汐見橋行きです。
約25分後に岸里玉出駅で折り返してきた上りが、渡り線を進む光景です。



5枚目は、汐見橋駅に到着したモハ2281です。



6枚目は、モハ2281の車番と「製造年 昭和45年」だけが表記された製造銘板です。
形式はモハ、自重は瓲だけが表記され、検査年月は記載されていませんが、塗装で書かれていたのが復元塗装の際に塗りつぶされたのかもしれません。



7枚目は、モハ2231の車番と「大阪 東急車輌 昭和45年」と表記された製造銘板です。



2200系は1969~72年に登場した22000系から改造されて登場した形式です。
2231Fは1970(昭和45)年に登場した旧22011Fから改造されています。
東急車輌製造は東急系列の車両メーカーでしたが、2012年に鉄道関連事業はJR東日本に譲渡されて、現在は総合車両製作所となっています。
現在では京急 金沢文庫~金沢八景駅間の西側に見えるので関東のメーカーとの印象が強いですが、1970(昭和45)年まではJR西日本 阪和線の鳳駅付近にも大阪工場でも鉄道車両を製造していました。
大阪工場は元々は帝國車輛工業という鉄道車両メーカーでしたが、1968(昭和43)年に東急車輌製造と合併していました。
南海では1954(昭和29)年に南海初のカルダン駆動車11001系をはじめ、デラックスズームカー20000系、丸ズーム20000系、南海線7000系などが帝國車輛工業、東急車輌製造 大阪工場で製造されていましたが、最後に製造されたのが22000系と思われます。
東急車輌の製造銘板は今でも多く見ることができると思いますが、東急車輌 大阪の製造銘板を付けた現役車両は数少ないと思われます。


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