アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

日本の運命と占い全般が当たらなくなっていることについて

2024-07-26 06:50:39 | メインストリーム予言と先行モデル

◎出口王仁三郎予言など

 

フリーメーソンの第一階級の儀式における言葉に『あらゆる荘厳な、もしくは壮麗な建物の建立の際には、この建物の北東の隅に、第一の、基盤となる要石を置く慣わしとなっている。』

(封印のイエス/クリストファー・ナイト/学研P71から引用)

 

更に、新約の福音書には、家造りらの捨てた石のことが見える。

『家造りらの捨てた石が

隅のかしら石になった。

これは主がなされたことで、

わたしたちの目には不思議に見える』。

(マタイによる福音書21-42)

 

つまりユダヤ・キリスト教では、人に打ち捨てられた石が北東に置かれるのだが、それが長い年月の末に、滅びることのない神の神殿の基礎となるという伝承があるのだ。

 

これは、大本教で北東のトイレに落ちていた艮の金神が、現代に至って地球の主宰神である国之常立神として復活するモチーフと似ている。

 

世界の北東とは日本のこと。

世界に先立って、日本が立替立直し。

 

古神道家がこのヴィジョンを見るのは当然だが、フリーメーソンやキリスト教徒も同じビジョンを見ている。

これは、世界の北東の辺境だった日本が世界の中心になるという予言である。

 

わたしの見るところ、アトランティス滅亡直後にはユーラシア全域の支配者だった素戔嗚尊が、次第に領地を減らし段々と東側だけになり、最後は朝鮮半島と日本だけになり、さらに現在のように日本だけが支配下になった姿が、東北に押し込められた北東のトイレに落ちていた艮(うしとら)の金神。

 

やがて核戦争や天変地異などの世界の大峠後に、人間の智恵だけではどうにもならないと西側が気づく時が来て、日本の天皇陛下を世界のトップに押し上げる。

これがユダヤの『滅びることのない神の神殿の基礎となる』にして、大本教の『北東のトイレに落ちていた艮の金神が、現代に至って地球の主宰神である国之常立神として復活する』ということ。

 

このモチーフは、ユダヤ・キリスト教と大本教の専売特許かと思いきや、北東は暗剣殺で凶であるという基軸に変換されて、世の中の占術、卜占万般(星占い、数秘術、四柱推命、算命学、宿曜、九星気学、紫微斗数、タロット、ルーン、易、おみくじ、手相、人相、風水、姓名判断など)に共通の基本となっている。

 

なるほど過去数千年にわたって北東は暗剣殺で凶だったが、いまや北東が大吉になる時節が近づいている。これが千年王国、至福千年、みろくの世。よってこれまでの占術、卜占万般は当たらなくなり始めているということ。

 

ただし日本の天皇陛下が世界の中心、トップになるには、ご高承のとおり国連憲章第五十三条、第百七条の旧敵国条項がなくならなければならない。

ところが、中ロは言わずもがなで、アメリカまでも最終的に日本を奪ってしまおうという悪意があることは、出口王仁三郎予言に明らかである。

『ろこく斗(ばか)りか亜米利加迄が、末に日本を奪る企画。金と便利に任しつつ。』

(いろは歌/出口王仁三郎)

 

出口王仁三郎は、日本の最後を予言する一方で、世界の中心が西遷し、モンゴルに移ることも、自ら行った入蒙の冒険で、予言モデルを現実化させている。

 

世の中の占いが当たらなくなりつつあるのと、日本の運命は連動しているのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間の進化とアトランティス-3

2024-07-23 03:02:44 | メインストリーム予言と先行モデル

◎人類史上最大の大輪の花が咲く時代へ

 

ダンテス・ダイジによれば、レムリア人は意欲人、アトランティス人は感情人、現代人は知性人。そして知情意を完備した姿が人間の完成形である。

 

現代文明はメディテーションとしての冥想のめの字もない文明だが、アトランティス文明でも冥想は意識せられていたし、アトランティス文明に先行したレムリア文明においても生活の中に冥想は息づいていた(ダンテス・ダイジ/戯れに冥想を)。現代の近代西欧文明とはまことに冥想砂漠であって、文明の精華である神の息吹がほとんど感じられない文明となり果てた。

 

OSHOバグワンは、人間の水平方向の発達は既に停止し、これからは、垂直に進化するだけだと云う。

『進化は水平に働くが、方法や技法や宗教は垂直に働く。

 

人間の体は停止した―――すでにある一点に達した。終点だ。もはやこの先、何の成長もない。水平的には、進化は停止した。そして今、垂直的な進化が始まる。今現在、あなたがどこにいようと、あなたは垂直に飛躍するしかない。』(ヴィギャンバイラブタントラ8存在と一つに/OSHOバグワン/市民出版社P68-69から引用)

 

過去1万2千年は、

肉体については、悟りに脳が耐えられるように進化してきた。

知性については、知性が発達して、知性自体の行き詰まりによって覚醒することができるように知性が発達してきた。

以上2点がOSHOバグワンの言う肉体の水平方向の進化であって、メインイベントである覚醒を待つだけのステージに至ったのが現代人。

 

また過去5千年は、これは、マヤ歴がスタートしてからの5千年のことだが、また近代西欧文明のスタートから現代における結実までの5千年。生った実は一旦は地に落ちて芽吹くのを待たねばならない。

これは、三位一体と称しながら実質太母なき二位一体のキリスト教主導の近代西欧文明のこと。

この間は、トース型の教祖が万般を指導する組織宗教隆盛の時代であって、いわば水平の悟りが主導の時代。ダンテス型の、組織によらず個々人が悟りを目指していくスタイル、すなわちいわば密教的な垂直の悟りの方向は、蔭に隠されて延命されてきたのであって、主流ではなかった。

神にコンタクトする方法は、この他にチャネリング、神下ろし、シャーマニズム、霊言という方法もあるが、最高神=大神が降りてきて何か素晴らしいことを託宣しても降りてこられた本人は、託宣の中味を知らない上に、最終的な神人合一のためには、さらに一段の修行をせねばならないということがある。

シャーマニズムは、デルフォイの神託や古神道、道教など太古から世界的に行われてきた冥想手法だが、窮極に到達するためには別の冥想法が必要となるという弱点がある。またそれ以前に、本人の浄化が進まないまま神を降ろすと、ろくな神が降りてこないという問題点もある。出口王仁三郎は、数千人に対し神下ろし実験を行い、チャネリング・神下ろしの限界を実地に確認している。

 

こうして現代人におすすめの冥想法は、禅とクンダリーニ・ヨーガとなる。

 

だが、『(人類がもし破滅しないで済めば、禅が最後の宗教になり、人類が破滅するなら、その直前にクンダリーニ・ヨーガが栄える。/ダンテス・ダイジ)』

ということもあり、ある程度垂直の道での覚者が出て行かないと、至福千年のスタートは潤いの少ないものになってしまう。

 

クリシュナムルティは、只管打坐であって、水平の道。OSHOバグワンは、クンダリーニ・ヨーギでありながら、様々な冥想法を呈示しながらも最後は禅宣言したので、水平の道。

ダンテス・ダイジは、垂直の道も『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』で示したと言える。

 

中国古代の秦を倒して漢を開いた劉邦の軍師が張良だが、張良が秘伝の兵法書を得た経緯が、垂直の道。張良の兵法書を得るまでのプロセスと13年後に師の黄石に再会するまでが、道教修行(垂直の道)のカリキュラムだったと思う。

 

なお西欧の垂直の道は西洋錬金術。最初の錬金術師としてゾシモスやマリア・プロフェティサが出たのが3世紀。マリア・プロフェティサは、ユダヤ人でユダヤ教から出たのだろう。ユダヤ教は垂直の道。心理学者ユングは、ゾシモスの文書を冥想法に関するものと見ており、マリア・プロフェティサの片言『一は二となり、二は三となり、第三のものから第四のものとして全一なるものの生じ来るなり』も垂直の道の冥想に関するものなのだろうと思う。黄金変成とは、神人合一のことである。

 

アメンティは古代アトランティスの中央官庁兼最高神殿のこと。アメンティは、政教一致のアトランティスの神の宮であり、その最奥殿にトースを中心とする12人の超人あるいはリーダー達がいた。彼らは組織的宗教を体現していた。そしてもうひとりダンテス・ダイジは13番目の超人としていた。アトランティス時代には、トースとダンテスで水平の道と垂直の道をカバーしていたわけだが、現代はダンテス側が表に出る時代であって、密教系もある程度開示される時代なのだろう。

そうでないと悲しみも、叫びも、痛みもない時代にはならないと思う。

アトランティス時代には、アトランティス地方しか開花しなかったが、今度は世界全域が開花する時代。それが、人類史上最大の大輪の花が咲く時代ということ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間の進化とアトランティス-2

2024-07-22 06:24:01 | メインストリーム予言と先行モデル

◎肉体の変遷あるいは肉体のなかった頃

 

ダンテス・ダイジは、過去の人類について、レムリア人種、アトランティス人種、現代西洋人種(肌の色は問わない)と古い順に三区分する。アトランティス人種ですら8万年前とかに遡れるのだから、レムリア人種はさらに10万年以前の人種なのだろう。

肉体も、レムリア人種、アトランティス人種、現代西洋人種共通で、現代のように肉体、エーテル体、アストラル体などの七つの身体を備えていたとは思えないところがある。曰く、現代人は粗雑だと漠然と言われるが、ひょっとすれば、レムリア人種、アトランティス人は現代人のような肉体を備えていなかった可能性がある(エーテル体以上ベースあるいはアストラル体以上ベース)。

 

その傍証として、ダンテス・ダイジの前世において、彼は半人半馬のケンタウロス族だったこと。またエドガー・ケーシーのリーディングで、アトランティス沈没前後の時代には、臓器移植以上の肉体的手術が盛んに行われていたらしいこと。そしてダンテス・ダイジが、アトランティス時代のことを思い出していた際につぶやいた「この濃密な大気」という言葉。これは、すなわち現代人は肉体で肺呼吸しているが、アトランティス時代には、「この濃密な大気」を呼吸していた、えら呼吸とは言わないまでも、別種というべき肉体だった可能性の示唆だと思っている。

 

これは思いつきだが、ダンテス・ダイジが、近代西欧文明の初めと見るエジプトの紀元前3120年やマヤ暦の最初の日の紀元前3114年という時期は、大気の組成が現代同様になって人間の肉体もそれに合わせて変化を完了した時期だったかもしれない。

 

現代では、肉体から始まる七つの身体が常識だが、レムリア、アトランティスでは、それが別のX個の身体でやっていたのが人間の容れものだったのかもしれない。日本にも『先代旧事本紀大成経』というその辺に気づいたかもしれないオカルト本もある(

1.神武天皇の御姿
身の丈、一丈五寸、身の太さは一囲(かこい)五寸、頭に二本の角を生やし、三寸、目は猶お雪の如く、尻に素(シロ)の龍尾あり、その長さ6咫4寸、尾の背に72の大鱗あり。115歳で皇太子になった。

ということで、ほとんど尻尾つきミノタウロス状態であるが、こうした異形の天皇は、この後に続く、第二代綏靖天皇、第七代孝霊天皇、第十代崇神天皇も異形の記録があるそうだ。

2.神功皇后の御姿
容貌美しく、目には二つの瞳があり、乳房には9つの穴があり、力は建物の柱を揺るがすほどであった。云々。

参照:「先代旧事本紀大成経/後藤隆/徳間書店」)。

 

このようにアトランティスからの民族移動だけでなく、七つの身体セットも変動し、肺の呼吸機能も今のようでなかった可能性を排除できないわけである。

さらに言葉がどんどん変わり、それを記述した文献も千年単位では完全に失われるということであれば、レムリア以降の超古代史は、俯瞰も叙述も甚だ困難である。

そこを「レムリア人種は、意欲人間、アトランテス人種は、感情人間、現代西洋人種は、知性人間と特色を充て、現代西洋人種とは、地理上の西洋・東洋を意味するのではなく、紀元前3120年以後の人類全体のことである。」と見たダンテス・ダイジの眼は恐るべきものだったと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間の進化とアトランティス-1

2024-07-21 06:51:36 | メインストリーム予言と先行モデル

◎言葉の変遷と文書の散逸、核による人類自殺体制

 

アトランティス情報の出典といえば、プラトンのティマイオスとエドガー・ケイシーがトランス状態で入った多数の幻視の数々。この二つだけでは雲をつかむような話であるが、これになにがしかの人間の進化に関するヒントを与えてくれるのがダンテス・ダイジ。

 

それを聞く前提になるのは、言葉は時代の変遷によって、すべて変わってしまうということ。せいぜい150年前の明治の初めの北村透谷の文ですら読みこなすのは結構大変であるように、言葉は全く変わってしまう。

 

そして失われた書物がその価値の如何にかかわらず、多数発生すること。佚書、佚文は数多く、春秋戦国時代には当たり前に読まれていた古典も伝わっていないものが多い。仏教文典は、中国における仏教の衰退とともに失われて行き、20世紀敦煌で多数の仏教古文献が発見されたのや、ナグハマディ文書の発掘は、歴史の奇跡である。そういう例外的な発見がなければ、古代文書は言葉の変遷とともにだんだん読まれなくなり、最後は失われていく。

 

そういった視点で言えば、ダンテス・ダイジは、エジプトのピラミッドからアトランティスの叡智を集めた真エメラルド・タブレットが発見されることを予言しているのだが、それがどんな言語で書かれてあって、だれがどのように解読するのか非常に興味があるところである。

シャンポリオンが、ロゼッタストーンでもってヒエログリフを解読したように解読するとは思えない。出口王仁三郎が、かなくぎ流の大本神諭を解読したように解読されるのではないか。

 

ダンテス・ダイジ史観では、人間の進化という視点で言えば、1万2千年前のアトランティス滅亡時にアトランティス文明の精華を持ったグループが、エジプト、ギリシア、スペイン、北欧、中米、日本などに避難して行き、各地で、21世紀の大変動・人間進化の時代に役立つ、神話、古伝承などを創設した。それが、各国神話や旧約聖書の古い部分、古事記などとして残っている。今実際にそれが活用されるべき時代である。

 

物質文明で言えば、この物質文明優先の神の影の薄い中有的時代のそもそもの初まりは、紀元前3120年のエジプトで決定されていた。その時代はエジプトで最初の統一王朝が成立したかどうかという時期。紀元前3120年に文献的、考古学的な根拠などないが、マヤ暦の最初の日が、紀元前3114年の8月13日と近く、この時期に何か地球的な変動があった可能性がある。

 

そして、そこから5千年かけて大陸間弾道弾(水爆)を搭載した潜水艦が世界の海底に多数配置され、いつでも世界滅亡できる体制になって50年ほどになった。

 

アトランティスでは、ツーオイ石と呼ばれるもので、世界中のエネルギーを供給していたが、それを悪用・誤用したことでアトランティスは沈没した。ツーオイ石は、いまでもフロリダ沖の魔の三角地帯で時空を歪ませている原因となっているらしい。

 

このようにアトランティス滅亡前夜と同様に、人類はいつでも自殺できるレベルまでに、物質エネルギーを発展させたが、そのこと自体は、人間の進化と本質的にはあまり関係はない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いかにネガティブ予言に対処するか

2024-03-16 06:04:12 | メインストリーム予言と先行モデル

◎予言と覚醒

 

元日というめでたい日に起きた能登地震で、神様には何でもありなのかと改めて感じている人の多い昨今、南海トラフ地震、ネオ関東大震災も心配に思う人も少なくないだろう。

ネガティブ予言は世の中に多いが、その当たる予言を知ったところで、自分や家族が無事に生き残れるかどうかは、神のみぞ知る。

昔からネガティブ予言は、一般に最も聞きたくない情報である。ネガティブ予言でなくとも、第二次世界大戦末期に、大日本帝国軍の戦況が思わしくない時に、なぜか最後まで現地(満州やサイパンなど)に残った人は現地に財産があった人が多かったなどとという話を聞けば、なるほどと思うところがあるものだ。津波は生活も財産も生命も奪うからこそ、失うものの多い人ほど大地震や敵国からのミサイル・空襲などのネガティブ予言は聞きたくないものだと思う。

 

ネガティブ予言を聞いた時にとる代表的な態度は、

  • 防災グッズを買う、避難場所・避難経路を確認する。
  • 大地震などネガティブ予言が実現しないように祈る。

などが代表的なものだと思う。

それ以外に、そもそもネガティブ予言が起こる原因であるところのこの世の地獄的有様をいささかなりとも改善するために、少なくとも自分だけは、悪いことをしないで善いことをすること、というのもある。

 

さて1980年頃、ダンテス・ダイジは、日本の大地震はどこで起きるかという質問に対し、どこで起きるか決まっていないと答えた。その後日本は、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、能登地震などに見舞われており、確かに日本のほとんどの地域で起こる可能性があることを見越した発言だったように思う。

ダンテス・ダイジは、さらに極ジャンプなどにも触れて、人間の進化すなわち至福千年(みろくの世)の実現とそうした地球規模の地殻変動は、必ずしも同時には起こらないとも示唆した。つまりたとえ世の中のすべての人が善いことだけをして悪いことをしない人になろうが、なるまいが、それと関係なく地球規模の大地殻変動は起こり得ると言っているわけである。

地球規模の大地殻変動とは、滄海変じて桑田となる(桑畑が大海と変じ、逆に大海が干上がって桑畑となる)とか、地表が何千フィートも一瞬にして上昇する(『亀岡は海抜2千尺になる。音もなくすっと上がるのである。』新月の光(下)P181から引用/出口王仁三郎予言)というようなこと。

 

このダンテス・ダイジの示唆で当惑したのは、日本の終わりが世界の終わりなのかどうかわからないこと。そして

日本の終わりは、日本人全体の覚醒とは同期しないと言っているのだろうかということ。同様に世界の終わりは、世界人類全体の覚醒とは同期しないと言っているのだろうかということだった。

すなわち、新月の光には、日本最後の時が書いてある。それは、『東京で仕組をするが(駿河)美濃尾張』ということで、東京で世界制覇計画を立てることが原因で発生するとある。ところが日本最後の時が、地球全体の旧時代の終わりかどうかもわからないのだ。

 

心配な人のために出口王仁三郎予言を2件上げる。

『〇大祓

大祓になったら大変なことになる。屋根の上にあるものは下に降りられぬ時が来る。

(昭和十九年四月九日)』

(新月の光(下)P146から引用)

 

『○最後の時

最後の時は人を助ける必要はない。親子でも神様から助けるものと助けぬものと定まっているのだから、そんなことをしたら神様の邪魔になる。自分だけ逃げたらよいのや。』

(新月の光(下)P145から引用)

出口王仁三郎は、政治の動向や外交、戦争の行く末について、人間同士で談義することは好まず、ひたすら神様の思し召しによるという態度であった。

ダンテス・ダイジも自分が生き残ろうが亡くなろうが、そんなことは自分の知ったことではない(神様の思し召しによる)という姿勢で揺るがなかった。

 

最近は、能登地震、千葉の群発地震で人心が揺れることが多いが、コスパ、タイパ、メリデメを離れ、一体自分は何のために生きているかを冥想により見つめることもよいのではないかと思う。

ネガティブ予言を知ることも、自分を覗き込むための一つのきっかけなのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アトランティス、超古代史と予言

2023-08-24 06:12:29 | メインストリーム予言と先行モデル

アトランティスの叡智が保存された石盤

 

最近は、現代の状況そのものが良きにつけ悪しきにつけ、人類破滅や旧時代の終焉を思わせる様相を呈しており、今こそアトランティスという超古代史と予言に目を向けるべきだと思う。ところが、そうはなっていないのは、スマホやインターネットやTVによる広汎なマインドコントロールと目先の生活のことどもに追われて汲々としている人が多いせいなのかと思う。

 

状況は、中国とロシアが協力して米欧と国連中心の旧秩序を破壊しようとしており、核戦争をも辞さない姿勢。さらにこの夏の酷暑という異常気象。政治面では、

  1. 無秩序な他民族の移民拡大政策による家庭崩壊促進と社会秩序崩壊促進(日本のマスコミ、芸能界、反社、政界への異民族浸透は深刻)
  2. LGBTQによる性別不分明化による家庭崩壊促進と社会秩序崩壊促進と人口削減
  3. 大麻、覚せい剤、フェンタニル等合法非合法の向精神性薬物蔓延による社会的不適応者増加による社会秩序崩壊促進と治安の悪化促進
  4. CO2排出削減運動に最大の排出国の中国とアメリカが実態面でほとんど成果を上げていないという欺瞞による地球温暖化促進。
  5. これは特にアメリカで顕著だが、約千ドル以下の窃盗を軽犯罪化し、社会秩序崩壊促進と労働意欲の削減誘導がスタート。

 

他にコロナとそのワクチンを挙げる人もいるのだろう。いずれも人類の未来を考えると暗澹とさせられる現実の趨勢である。

 

閑話休題、アトランティスの話。

アトランティスと言えば、古代ギリシアのプラトンのティマイオスに並外れて年老いたアレクサンドリアの神官の談話として挙がっているのが嚆矢。これは、超古代史の驚異としてだけ伝えられて来たのだが、20世紀になってエドガー・ケーシーのリーディングで、沈没したアトランティス大陸の伝承の他に、将来のアトランティスの叡智の再発見が予言として出てきているのが新機軸だった。

エドガー・ケーシーによれば、ギザのピラミッドは、アトランティスの技師の設計になるものである由。さらにアトランティスの叡智は、ギザのピラミッドに近い場所に、アトランティスの叡智が保存された石盤として存在して、それが新時代の始まり、至福千年の始まりに発見されて、千年王国を大きく賑わすことになるらしい。

 

ダンテス・ダイジが、酒飲み話の中で感心しているのが、その石盤はさる方法で発見されることになるのだが、その時代にその特殊な方法で発見されることを1万2千年前に予期して、その場所に石盤を保存したアトランティスのエンジニアの極めて精密な予見と緻密な設計である。古代の遺物の発見は通常は発掘だが、予見されている発見方法は、発掘ではない。

エドガー・ケーシー予言は、アメリカの大陸変動や日本沈没、地軸移動などの予言の方が注目されがちだが、実はそちらの方も重要なのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三分か三厘か

2023-05-11 05:25:44 | メインストリーム予言と先行モデル

◎信者と信者以外の差

 

世界の人口が30%になるか3%になるかでは大分違う。30%なのか3%なのかは、出口王仁三郎からこう聞いたとの話がバラバラにあり、議論のあるところである。

それについて参考になる文を見つけた。

 

王仁が立つ時

 

王仁が立つ時は、髪が全部一本も残らず白髪になった時で、玉の御声がかかった時に、百人の言霊軍を組織するのである。(第二次大本事件の)被告人の中で、二、三人は駄目だけれど。そうして百日間練習して、 大台ヶ原や伊吹山などへ出かけるのである。厳の御霊の命(めい)天照大神の御命令が玉の御声で、そしたら地球を団子にしようと、三角にしようと、瑞霊のよいように焼くことも出来る。神権を発動させるのである。まだ百人は定まっていないけれど・・・・。

 

今年の生誕祭(出口聖師)から、『瑞能神歌』の「天の鳥舟天を蔽ひ東の空に舞ひ狂ひここに二段目幕があく」のである。

「三段いよいよ開く時、三千余年の昔より、国の御祖の選まれし、身魂集る大本の、神に仕へし神人が、御祖の神の給ひたる、日本心を振り起し、厳の雄猛び踏み猛び、厳の身魂を元帥に、瑞の身魂を指揮官」にして言霊を発射するのである。

 

世界の人民は三分になるが、大本信者は三厘になるのである。それは信者以外はただ拝むだけで助かるのであるが、信者は何十年も厳の御魂、瑞の御魂の教育を受けていながら、・・・・・・だからである。

 (昭和十八年二月四日)』

(新月の光(下巻)/木庭次守/八幡書店P45から引用)

 

※二段目は、あまりにも悲惨なので詳述されていない。

※瑞霊:出口王仁三郎のこと。

※「信者以外はただ拝むだけで助かる」:何が助かるのかは考えてみる必要があるのではないか。

 

この引用文では、三分と三厘が並んでいるのでわかりやすい。だがどちらにしてもあまり聞きたくはない話だろうと思う。

 

また『王仁が立つ時』とは、出口王仁三郎の死後、霊界で彼が立つということなのだろう。現実の出来事は霊界で先に実現して後、この現実世界に実現する。

 

なおダンテス・ダイジは1/3説を採る。ババジ予言も似ているところがある。

 

また肉体の死は悟りに連動しない。つまり肉体が死んでも全員が悟りを開けるわけではない。肉体死は、重要な大悟覚醒のタイミングだが、その際全員が悟りを開けるわけではない。これは、大量死シーンのクリティカル・イシュー。

 

人は自らの力で髪の毛一本白くも黒くもできない。

生前の冥想修行が大切である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

予言と先行モデル

2023-02-21 06:49:42 | メインストリーム予言と先行モデル

◎日々の冥想と生き方

 

欧州における第三次世界大戦勃発の噂もさることながら、東アジアにおける戦争勃発の噂もSNS上でバンバン見かけるようになった。

 

そして来週には、毎年気になる3、4月。木の芽時は花粉症でなくとも体調の不調をかこつことが多いが、この冬は厳冬であって強風が特徴の冬だった。

 

イエスの一生を観想法で追体験するというのは、十字架上で大悟したイエスの一生という雛型をわが身に写すという先行予言のまねびである。

 

さて予言には、口述、文章だけの予言と自らの人生ドラマや一国全体、教団全体を先行モデルとして予言とする「雛型予言」というのがある。

 

一国全体を先行モデルとしての予言の典型例は日本であって、日本が世界に先行してみろくの世を実現するというもの。これは、いうまでもないが、毎日漫然と過ごしていた日本人が特定のある日が来ると全員が神を知っている人々になっているという漫画チックな未来ではない。その日以前に日々の冥想修行と、日常生活における「善いことをする、悪いことしない」というライフ・スタイルは、必要なものだ。

 

日本に生まれるというのは、そういう責務を負ってきたということで、神様から離れて特に恵まれた閑日月を長年過ごした人については、神様の側からの風当たりはあるのではないか。

 

日本は先の大戦で神洲不滅のスローガンの下で、世界で初めて原爆を落とされ、白村江の戦以来の敗戦国となった。この敗戦はもう一度あることを教団ごと雛型予言(教団を日本の雛型とみる)したのが、昭和十年の第二次大本教弾圧事件。次の敗戦では、また軍人内閣になることまで予見されている。それは、昭和神聖会の軍事教練で先行モデル出しをしたのだろう。

 

出口王仁三郎の関連した雛型予言はもう一つあって、モンゴルへの西遷である。

 

大正13年出口王仁三郎は、蒙古入りし、蒙古の地で御神業を4か月間にわたり展開。最後は同行していた植芝盛平と一緒に張作霖配下によって銃殺されかかるところまで行く。

この間、出口王仁三郎が、王文泰やダライラマ(弥勒下生達頼喇嘛(みろくげしょうだらいらま))、と名乗ったのは調子に乗り過ぎだったようにも見える。

さらに昭和10年第二次大本事件前夜、出口王仁三郎の密命を受け、笹目秀和氏が大本の御神体を崑崙に返還しにいったのは、まさにこのルートであった。その出発の際に日本民族のモンゴル西遷があることもほのめかされている。

 

その後出口王仁三郎は、モンゴルでの苦難の虜囚生活の影響か、生涯体調不良(肝炎?)に悩み、共に銃殺寸前まで行った合気道開祖植芝盛平も終生肝炎に苦しんだ由。

 

なおモンゴル西遷篇は、生き残った日本人達向けの話であろうことは想像される。

 

ネットでは、とかく日本人の生存率だけが注目されるが、自分が生きるか死ぬかというのは、自分で何とかできることではない。自分では髪の毛一本白くも黒くもできない。その延長線上に自分の生存可能性があるのであって、最大の関心事は、自分が神を知って(悟りを開いて)、それをもって生きていけるかどうかということにあるはずだと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立替と立直しは一緒

2023-01-18 06:19:11 | メインストリーム予言と先行モデル

◎自我が死んで甦る

 

出口王仁三郎から。

『立替と立直しは一緒や。立替せねば、立直しはできぬ。

(昭和二十一年六月十五日)』

(新月の光 下巻/木庭次守/八幡書店P367から引用)

 

これは、まず自分が死ななければ、自分が覚醒することはないということ。新時代は、覚醒した人、悟りを開いた人だけの時代となるからには、多くの人が自我が死んで甦るという体験とは言えない体験を経ないと実現しない。

 

とかく、至福千年とかみろくの世の実現に向けた立替と立直しと言えば、とかく、自分は今のままで、自分が死んで更生するという精神の絶対的極限状況のないままで悟りを開かないまま、生活の外的インフラや環境が大破壊され、その後何年もかかって復旧することばかりイメージする場合が多いものだ。

 

だから大難を小難にすることを祈るなどということが言われる。

 

自分個人の立替立直しとは、自分が死に、自分が世界全体に飲み込まれ、世界全体が自分になるという夢にも思わぬ逆転状況のことだから、これを大難と言うか小難というかは、あまり意味のないことのようにも思われる。これは人間の側の都合をあまり考えてくれず、人情の薄い見方かもしれないが、神様のなされようは往々にしてそういうことがある。

 

出口王仁三郎の時代は、この覚醒を『改心』と呼んでいたが、その意味は悪人が善人に変わるくらいの意味にしか思われなかったのだろう。だが、この切羽詰まった時代には、旧時代から新時代をどう移行させるかは、既に神様の方で決めているのだろうが、その大変動を自分が生き残るかどうかは、自分が世界全体であれば、自分にとって大きな問題ではなく、神様の思し召しにおまかせするということになるのではないかと思う。

 

よって日々の冥想が大切になる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平和ぼけと悲惨の同居

2022-10-23 06:21:48 | メインストリーム予言と先行モデル

◎ふつうの観光客の行けないところ

 

これは、モロッコの話。

『福永

盲女がいちばん女性としての純粋さ、美しさを発揮 するという考え方は、中国の広東にありますね。六祖慧能の郷里です。広東では少し容色のすぐれている女性は、小さいときに目をつぶすわけですね。そして盲妹というのに仕立てる。

 

古田

そうですか。それに関連があるかもしれませんね。 入矢

ええ。かもしれませんねえ。

 福永

われわれ男性の側からいっても、女房がめくらであったらどんなに美しく純粋であろうかという気もときどきしま すが(笑)。

 

 入矢

いまの話で、ちょっと余談になりますけども、昨年聞いた話で、中身はひどい話です。アフリカ航路に乗り組んでいる船員の話です。たぶんモロッコだと思いますが、はっきりとは港の名前はおっしゃらなかった。そこへ碇泊して、なじみのモロッコ人に案内されて、ふつうの観光客の行けないところへお連れするといわれて、入り組んだ奥のほうの酒場に行き、お酒をごちそうになっていい機嫌になって日本の民謡をその人が歌いだしたら、四人の一見して日本の女性が、しかも全部めくらで、奥のほうから現われて、懐しい日本の歌を聞いたと身の上を明かしたそうですが、ある女子短期大学の学生四人で旅行している間にさらわれて、そういうところに・・・・。

 

古田

いきなりめくらにされたんでしょう・・・・?

入矢

ええ、いきなりまず目を・・・・それは逃亡を防ぐ意味と、いま福永さんがおっしゃった意味と両方あるわけです。 無残な話です。』

(日本の禅語録 2  道元の別冊付録の「鼎談 日本禅と中国禅」(福永光司、古田紹欽、入谷義高)P7から引用)

 

これは、一休の愛妾の盲目の森女から発展した話題。

海外にいるとこうした話題は耳にすることがあるもの。女性が世界を闊歩する時代になって、女性マッチョ・ヒロインが映画でもどんどん登場しているが、

女性を社会的に平等と見ているのは先進国だけである。例えば中国の中央政治局常務委員会には女性はいない。

 

発展途上国では、一皮むけば女性への蔑視、残虐が広がっており、日本人女性が、そういう場面に巻き込まれることはあるものだということは、このモロッコの話のように密かに伝わることがあるが、裏が取れないのでマスコミには出ない。

弱者、女性への蔑視、残虐は、先進国では、まだまし。

 

万人が悟りを開く時代が言われて久しいが、それは先進国においての話であって、発展途上国では、そうとは言えまい。まず人は自己実現をある程度成し遂げて後、ようやく道を求める気運になるものだからだ。男女とも同等に働くことが認められ、平和に老いていくことがある程度保障される社会でなければ、日々冥想して人生の不条理と理不尽を越えていくという社会慣習はできてこないのではないか。

 

また全国家が先進国になるわけではないから、世界70億の万民が同時に覚醒するかと言えばそうではないのだと思う。

 

2022年10月22日に開かれた中国共産党大会の閉幕式で、習近平総書記の隣で最前列に座っていた胡錦濤前総書記が突然強制退席させられたらしい異例の一幕があった。

権力闘争が激しい国家の隣に世界でも異例の平和ぼけ国家がある。香港の次は台湾、その次は日本と言われている。平和平和と唱えてばかりいて亡国となったチベットの先例もある。

 

仮に日本がそういうシーンを迎えるのであれば、それを幻視する人も続々と出てくるのではないか。そしてそれは自分でも感じとれるはずでもある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする