アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

考えられないほど素適で想像することもできないほど邪悪な

2025-02-01 07:17:28 | ダンテス・ダイジの風光

◎サッパリわからん(老子狂言)

 

サッパリわからん

 

おれは、死のトリックを見抜いたぞ!

 

死は、闇でも光でもなかった・・・

悟りでも迷いでもなかった・・・

死は、生でも死でもなかった・・・

快楽でも苦痛でもなかった・・・

ニルヴァーナでもマーヤーでもなかった・・・

 

死は死ではなかった。

それは、

考えられないほど素適で、

想像することもできないほど邪悪な、

時のない久遠の戯れだった。

 

おれは、すべてを見抜いたぞ!

 

けれども、

おれは、

何が何だかサッパリわかりはしない・・・

 

ああ、

おれが、おれになった刹那よ!

 

我もなく映し世もなく何もかも

夢の中なる夢の戯れ

我もなく映し世もなく何もかも

神の中なる神のあらわれ

我もなく映し世もなく何もかも

なにもかもなしなにもかもなし

 

サッパリわからん!』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

 

これは言葉で表現することができない第七身体ニルヴァーナとすべてのすべてである第六身体アートマンを語る歌。『サッパリわからん!』という題と裏腹に、悟りの実感に切り込んでいる凄みがある。

以下【】内は上掲詩から引用。

【死は、闇でも光でもなかった・・・】

:死は天国も地獄も超える

 

【悟りでも迷いでもなかった・・・

死は、生でも死でもなかった・・・】

:言葉で表現することができない第七身体ニルヴァーナを指す。

 

【ニルヴァーナでもマーヤーでもなかった・・・】

:言葉で表現することができない第七身体ニルヴァーナを指す。ニルヴァーナあってのマーヤー、マーヤーあってのニルヴァーナ

 

【死は死ではなかった。

それは、

考えられないほど素適で、

想像することもできないほど邪悪な、

時のない久遠の戯れだった。】

:言詮不及の第七身体ニルヴァーナの実感。

 

【映し世】:霊界が映ってきて現実になるので、この世は映し世。

 

【我もなく映し世もなく何もかも

夢の中なる夢の戯れ

我もなく映し世もなく何もかも

神の中なる神のあらわれ

我もなく映し世もなく何もかも

なにもかもなしなにもかもなし】

:これは、大本教出身の生長の家の創始者の谷口雅春の三神歌。ダンテス・ダイジの冥想道手帳でも採用されている。

 

【我もなく映し世もなく何もかも

夢の中なる夢の戯れ】

:室町時代から戦国時代にかけての武将木戸孝範の作(下野国足利庄木戸郷を本拠とし、代々関東管領の重臣。)

 

言葉にできないから【サッパリわからん!】なのだが、この詩で悟りの実感の想像がつくであろう貴重な詩。

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周天とクンダリーニ・ヨーガの違い-2

2025-02-01 03:13:13 | 覚醒のアーキテクチャー

黄金の華は、賢者の石

 

黄金の華は、賢者の石であり、アムリタ(甘露)である。

 

古代インドで、インドラ神は、クリシュナの要請に応じて、アムリタを多量の尿として、ウッタンカ仙人に与えようとした。ところがこの尿を、ウッタンカ仙人は、怒って飲まなかった。ウッタンカ仙人は、まだ準備ができていなかったのだ。

黄金の華を得るためには、最高度の知性と明晰さ、そして完全な受容性と静謐さが必要となる。

 

黄金の華の秘密の続き。

(ゴシック体は、経典本文)

『タオは女性指向ではない。タオはその両方――それらの統合だ。巡らせるのは男性的なエネルギーであり、一点にとどめておくのは女性的なエネルギーだ。行為を通して無為に到り、受動性にたどり着く。努力を通して無努力を達成する。

 

この根本原理を実践する際には、他の技法を探し求める必要はない。ただ汝の思考をそれに集中させればよいだけだ。思考を集束させることによって、人は飛翔することができ、天上に生まれる。黄金の華とは生命の仙薬のことだ。

 

これがあらゆる不死なるものの奥義だ。西洋の錬金術師たちが「賢者の石」と呼んでいたものはこれだ。これはインドでは「アムリタ」―霊薬、甘露-と呼ばれている。『黄金の華の秘密」は錬金術の論書であり、体内化学を錬金術に変容させ、卑金属を黄金に変容させる秘法をあなたに授ける。今現在のあなたは卑金属にすぎない。が、あなたはその秘法を内に秘めている。もしその秘法が成し遂げられたら、あなたは黄金に変容する。黄金は不滅だ。

 

黄金の華とは生命の仙薬のことだ。効き目は実に確かだが、ひじょうにとらえがたいので、最高度の知性と明晰さ、そして完全な受容性と静謐さが必要とされる。この最高度の知性と理解力をもたない者は、道を見いだすことがない。この受容性と静謐さをもたない者は、それをしっかり保つことができない。

 

二つのことが求められている。

第一に、人は知性と明晰さを必要とする。これらのことは気にかけなくてもいい。自分に知性がなかったらどうしようなどと考えはじめたりしないこと。人はみな知性をそなえて生まれてくる。知性とは内在する資質だ―誰もが息をしながら生まれてくるように、人はみな知性をそなえて生まれてくる。

聡明な人もいれば聡明でない人もいるという考えは完全に間違っている。

(中略)

 

いいかね、人はみな知性をそなえて生まれてくるのであって、ただひとりの例外もない。あなたは自分自身の知性を――それがどこにあるかを見つけ出すだけでいい。ひとたび自分自身の知性を見いだしたら、あなたは明晰になる。

 

人々は明晰さを欠いたままで生きている。それは彼らが間違った自己観念を抱いて生きているからだ。誰かが先生が、校長が、大学教授が「おまえは知性的ではない」とあなたに言った。だが、彼らの基準はあくまで択一的なものであり、その基準をすべての人に当てはめることはできない。大学はまだ普遍的なものにはなっていない。あらゆる種類の知性を許容しているわけではない。知性があらゆる形で顕現するのを認めているわけではない。

ひとたび自分自身の知性を受け容れて、その知性に敬意を表しはじめたら、あなたは明晰になり、問題は何もなくなる。

 

(中略)

 

みずからの知性を受け容れたら、自分自身を受け容れたら、あなたは明晰に、このうえもなく明晰になる。雲はすべて晴れる。

 

そして第二に、あなたには受容性と静謐さが必要だということ。知性と明晰さは男性的な精神の一部だ。受容性と静謐さは女性的な精神の一部だ。吸収することができるのは女性だけであり、だからこそ女性は妊娠する――子宮をもっている。

 

これら二つのことが同時に必要とされている。知性が欠けていたら、あなたは何を言われているのか理解することができない、師が何を分かち与えてくれているのか理解することができない。そして女性的でなかったら、あなたはそれを吸収することができない、それを子宮に宿すことができない。その両方が必要とされている。要点を見抜くために、あなたは知性的でなければならない、このうえもなく知性的でなければならない。そしてそれを内側で保つために、あなたはこのうえもなく受容的でなければいけない。そうすれば、それはあなたの一部になることができる。

 

これはたんなる下地だ。徐々に徐々に、私たちは光を巡らせる具体的な手法へと入ってゆく。注意深く聴きなさい、知性を働かせながら聴きなさい。それを吸収するがいい。それはあなたの生涯における最大の体験のひとつにもなりうるだろう。』

(黄金の華の秘密/OSHO/メルクマールP40-43から引用)

 

なぜこのようなことが重要とされるかがわからないかもしれないが、後にわかることだろう。

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