◎サッパリわからん(老子狂言)
『サッパリわからん
おれは、死のトリックを見抜いたぞ!
死は、闇でも光でもなかった・・・
悟りでも迷いでもなかった・・・
死は、生でも死でもなかった・・・
快楽でも苦痛でもなかった・・・
ニルヴァーナでもマーヤーでもなかった・・・
死は死ではなかった。
それは、
考えられないほど素適で、
想像することもできないほど邪悪な、
時のない久遠の戯れだった。
おれは、すべてを見抜いたぞ!
けれども、
おれは、
何が何だかサッパリわかりはしない・・・
ああ、
おれが、おれになった刹那よ!
我もなく映し世もなく何もかも
夢の中なる夢の戯れ
我もなく映し世もなく何もかも
神の中なる神のあらわれ
我もなく映し世もなく何もかも
なにもかもなしなにもかもなし
サッパリわからん!』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)
これは言葉で表現することができない第七身体ニルヴァーナとすべてのすべてである第六身体アートマンを語る歌。『サッパリわからん!』という題と裏腹に、悟りの実感に切り込んでいる凄みがある。
以下【】内は上掲詩から引用。
【死は、闇でも光でもなかった・・・】
:死は天国も地獄も超える。
【悟りでも迷いでもなかった・・・
死は、生でも死でもなかった・・・】
:言葉で表現することができない第七身体ニルヴァーナを指す。
【ニルヴァーナでもマーヤーでもなかった・・・】
:言葉で表現することができない第七身体ニルヴァーナを指す。ニルヴァーナあってのマーヤー、マーヤーあってのニルヴァーナ。
【死は死ではなかった。
それは、
考えられないほど素適で、
想像することもできないほど邪悪な、
時のない久遠の戯れだった。】
:言詮不及の第七身体ニルヴァーナの実感。
【映し世】:霊界が映ってきて現実になるので、この世は映し世。
【我もなく映し世もなく何もかも
夢の中なる夢の戯れ
我もなく映し世もなく何もかも
神の中なる神のあらわれ
我もなく映し世もなく何もかも
なにもかもなしなにもかもなし】
:これは、大本教出身の生長の家の創始者の谷口雅春の三神歌。ダンテス・ダイジの冥想道手帳でも採用されている。
【我もなく映し世もなく何もかも
夢の中なる夢の戯れ】
:室町時代から戦国時代にかけての武将木戸孝範の作(下野国足利庄木戸郷を本拠とし、代々関東管領の重臣。)
言葉にできないから【サッパリわからん!】なのだが、この詩で悟りの実感の想像がつくであろう貴重な詩。