アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

冬の身体バランス練習、シニア向け

2023-12-31 17:32:57 | 天人五衰、ロコモ、フレイル

◎片足立ちバランス改善と転倒防止訓練

椅子からすっと立ち上がれるようになったが、片足立ちバランスは、おけたに整骨院の片足立ち1分youtubeを半年くらいやっているが、効果はない。私は、せいぜい1、2秒です。

また youtube:” 【日替わりトレーニング総集編】立ったまま靴下が履きたい等バランスを良くしたい方に向けた片足立ち向上を目的としたトレーニング集/フラミンゴの介護予防チャンネル
を始めたが、これも効果がない。

そこで、「60代以上のバランスと歩行改善のベスト10練習」(SENIORS OVER 60: BEST 10 EXERCISES TO IMPROVE BALANCE AND WALKING: COMPLETE COURSE/Proprioceptive Rehab by Dr. Doug Weiss DPT)
を発見したので、ご紹介。
これは、前後、左右、上下の転倒防止とバランス改善に特化した10の体操を紹介しているもの。英語ですが、字幕は日本語字幕に変換可能です(設定⇒字幕⇒自動翻訳⇒日本語を選択)。
結構説明が長いので、以下に各エクササイズを要約してみました。

1. 最初はつかまってよい。左前足のかかとが後ろの足のつま先に触れて20秒間立ったまま。これを3回繰り返す。次に左右の足を替える。最後は椅子などにつかまらない。これだけでできるまで数週間かかることもある。


2.正面のいすなどにつかまりながら、両かかとを1,2秒間上げて下す。これを10回やって1分休憩を×3セット。

3.正面のいすなどに両手でつかまりながら、右足で立つ。次にその手を放す。最初は1秒もできないかもしれないが、段々伸ばしていって20秒が目標。20秒を3回連続でできれば卒業。左足も同様。うまくできない理由は、立っている脚に完全に体重を移動できていないからです。
 両手でつかまって完全に片足に体重を乗せるとよい。

4.正面のいすなどに両手でつかまりながら、左に一歩、次に右に一歩サイドステップ。目標は両手を放して右に3回、左に3回。

5. 椅子から手をつかわないで立ち上がる。できない場合は、おしりに枕を1個か2個当てて座面を高くしてやる。目標は10回立ち上がって1分休憩のセットを3回。

6.片手で椅子につかまりながら、綱渡りのように、前足のかかとが後ろ足のつま先に触れるように前方に3,4歩歩いて反転を3回。慣れてきたら手を放してこれを行う。

7.後ろ向きに三歩あるいてUターンして後ろ向きに三歩。これを3回繰り返す。慣れたら手を放してやる。

8.両側につかまれるものを用意して、片手で椅子につかまりながら、高さ15cmほどの踏み台を片足ずつ足指でタップする。左右各20回が目標。慣れたら手を放してやる。

9. 片手で椅子につかまりながら15cmほどの棒をまたぎ越し、戻る。左右各足で10往復ずつ。慣れたら手を放し前後20回が目標。

10.椅子につかまりながらゆっくりと高さ10cm踏み台を後ろ向きに降り昇る。右足で降り、右足から昇る。これを10回。左足で降り、左足から昇る。これを10回。慣れたら手を放す。だんだん踏み台の高さも挙げて18センチ高が目標。

 

最後に全体の進め方のコツをしゃべっています。

1.1日2回全メニューを行い、2か月で完成を目指します。全然できないメニューがあってもかまわず全メニューをやっていく。

2.エクササイズを行うときは、バランスを維持するのに苦労すればするほど、バランスが良くなるということを心に留めておいてください。

3.バランスとは、何が起こっても体の中で重心を維持する能力です。重心を体の中心から遠ざけるほどバランスが良くなります。

4.バランスを維持するのに苦労すればするほど、バランスが良くなります。

5.これをプログラムのようなものだと考えてください。片足で立つためのプログラム、後ろに歩くためのプログラム、横にステップするプログラムのようなものです。これらのことを練習していない場合、プログラムは錆び付いてしまいます。

自分でも片手に重い荷物を持った場合、バランスがしっかりしていることがあるが、それは例外的なケースであって、カラ手で歩行時にバランスをしっかりとるには、筋トレでもヨーガでもストレッチでもなくこのような練習がいるのだろうと思う。
当面これにチャレンジしたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イエス・キリスト-2-悪魔

2023-12-31 03:19:18 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-14

◎青春期の垂直の道-14

◎荒野で悪魔に試される

 

イエスは、イエスは御霊によって荒野に導かれ、断食中に悪魔に出会った。これについてダンテス・ダイジは、「天国的な方向に向かおうとする努力をしている人に悪魔は必ず現れる」と言っている。

見神・見仏・見性を経た真摯な冥想修行者、あるいは善男善女の生き方は、必ず善いことをして悪いことをしないであって、それは天国に向かう生き方である。

 

そういう清らかな人が、なぜ悪魔に出会わなければいけないのか?

 

これは私にとって、長らく謎だったが、天国だけを生きることは目指すべきものだが、「それがピークに達すれば、地獄的なものもあるのだ、あるものはあるという現実に向き合わねばならない」ということを言っているのだと思う。

 

事実既に悟った者の生き方は、常に諸悪莫作衆善奉行(善いことをする、悪いことはしない)なのだ。たとえば修道院で何か月か天国的な生き方を継続すれば、まもなく神を見ることができるが、それだけでは、混乱と汚辱の世間に放り出された時におろおろするだけで通用しない。高さをクリアしたとしても、深さは別物なのだ。その辺が悪魔出現の理由なのだろうと思う。

 

荒野の40日。

『4:1さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。 4:2そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。

4:3すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。

 4:4イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。

4:5それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて

4:6言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。

『神はあなたのために御使たちにお命じになると、

あなたの足が石に打ちつけられないように、

彼らはあなたを手でささえるであろう』

と書いてありますから」。

4:7イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。

4:8次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて

4:9言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。

4:10するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。』

(口語訳新約聖書(1954年版) 【マルコによる福音書】から引用)

 

イエスの悪魔への対応ぶりと、

 

『11:14さて、イエスが悪霊を追い出しておられた。それは、おしの霊であった。悪霊が出て行くと、おしが物を言うようになったので、群衆は不思議に思った。

11:15その中のある人々が、「彼は悪霊のかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言い、

11:16またほかの人々は、イエスを試みようとして、天からのしるしを求めた。 11:17しかしイエスは、彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ国が内部で分裂すれば自滅してしまい、また家が分れ争えば倒れてしまう。

11:18そこでサタンも内部で分裂すれば、その国はどうして立ち行けよう。あなたがたはわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出していると言うが、

11:19もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。

11:20しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。』

(口語訳新約聖書(1954年版) 【ルカによる福音書】から引用)

 

さらに

『10:17七十二人が喜んで帰ってきて言った、「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」。

10:18彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。 10:19わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。 10:20しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。』

(口語訳新約聖書(1954年版) 【ルカによる福音書】から引用)

 

この時点で、イエスは既に悪魔と遭遇している。悪魔祓いと病人の癒しが悪魔対応の最前線になっている。信者たちが上手に悪魔対応できることが主眼ではなく、あくまで神を知ることがメインであって、霊能力発現は神知ることにに付随したものであるという雰囲気がうかがえる。

 

【参考】

ダンテス・ダイジの初期の説法から

『「サタンていうのは、天国を大切に守ろうとしている人にだけ現れる。たとえば、イエス・キリストがさ、荒野で自分を本当に高めようとしたときにさ、高めるっていう方向があるときにサタンは現れるわけ。それから釈迦が成道しようとしてさ、成道するっていうのは、天国的な方向に向かおうとする努力なんだ。そしてそれは絶対に必要なことなんだ、人間にとって。より素敵なものに向かうっていうのは。

 

そしてその方向に向かってるとき、突然サタンが現れるわけ。それも、釈迦のサタンていうのは、いかにも釈迦っていう人をよく表していてさ、奴の自意識の豊かさっていうのをよく表現してるよ。まだ素朴だよ、キリストのサタンの方が。汝を帝王にする、とか。石をパンに変えてみよ、とか。崖から落ちて飛び降りてみよ、とかさ。その代りにこの世の一切の権力を与えようとかさ、やるじゃない。

 

で、釈迦の場合に現れたものって言ったら、何のことはない、古女房が現れてきてさ(笑い)、ヤスダラっていうのが女房で、子供がラーフラか。ラーフラを抱きながら、その女房が現れるわけよ。』

(ダンテス・ダイジ1978年の東京是政での説法から)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イエス・キリスト-1-イエスと垂直の道

2023-12-30 03:05:55 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-13

◎青春期の垂直の道-13

 

歴史上の有名人で、超能力、霊能力を使いまくり、なおかつ我がために利己的にそれを用いなかった代表的人物といえば、イエス・キリストである。彼こそが垂直の道の代表的人物と言えるが、あいにく大悟が人生の最後の十字架上で起こったので、神人合一から生還してその希有な体験を世間に伝えるということはなかった。だがそのパフォーマンスは、超能力でパンを増やしたり、ワインを増量したり、水の上を渡ったり、悪霊祓いをしたりと典型的な広義のクンダリーニ・ヨーガ系の修行者のパフォーマンスであって、傍目にも超能力の使い過ぎを心配されるほどだった。

そのような一介の貧しい大工でありながらのスーパーマンは、官憲と民衆に反感を買いがちなものだから、不幸にも磔刑に遭って憤死した。

 

なお脱身ということで言えば、彼が脱身から神人合一したかどうかを霊視した者はいない。ただし、後の公会議でイエスは神の子認定され、父と聖霊と神の子という三位一体の教義の重要なピースであることが認知されたという経緯はある。

要するに、イエスは、垂直の道の行者として活躍したが、磔刑後は、イエスの信者たちは、奇蹟・超能力を認めるという垂直の道の部分を残しつつ、マントラ、観想法などどちらかという水平の道の行法メインの宗教を組み上げた。

イエスが活躍した時代には、垂直の道は、グノーシス、エッセネ派、ユダヤ教にも残されていたが、イエスの信者たちがカトリックとして水平の道メインとなるにつれて、そうした垂直の道は、潜航していくことになった。

 

ここでは、カトリックに残された垂直の道の例として、七チャクラの例を挙げる。

『「振り向くと、七つの金の燭台が目についた」(ヨハネの黙示録1:12)

「それらの燭台の中央に、足まで垂れた上着を着、胸に金の帯を締めている人の子のようなものがいた。」(同上1:13)

「それらの右手に七つの星を持ち・・・」(同上1:16)

「あなたがわたしの右の手に見た七つの星と、七つの金の燭台の奥義はこうである。すなわち七つの星は、七つの教会のみ使いであり、七つの燭台は七つの教会である。」(同上1:20)

「右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の真ん中を歩く者が次のように言われる」(同上2:1)』

(聖なる科学/スワミ・スリ・ユクテスワ/森北出版p84から引用)

スワミ・スリ・ユクテスワは、これについて、「右手の七つの星」とは、神に至る正しい道筋にある聖霊の光であると言っているので、窮極の属性を有するメンタル体チャクラのことであると思う。

また七つの金の燭台は、尾てい骨のムラダーラ・チャクラから頭頂のサハスラーラ・チャクラまでの肉体に相応する位置の七つのチャクラのことであり、自我意識(人の子)はこの七つの中枢を通って神に向かって上昇していくと説明している。

 

聖者が迫害された類似例として、OSHOバグワンがアメリカ官憲に拘束され、世界中で村八分にあったり、戦前の古神道家出口王仁三郎(彼も超能力使いまくりだった)が、二度にわたり計8年ほど牢獄に入った例がある。聖者は本物であればあるほど、そのような仕打ちに遭いがちなのだ。

なおOSHOバグワンは、サイババみたいに物を増やしたり出したりする霊能力、超能力を見せなかったが、出会った人物に関する情報収集ではそれを日常的に使用していた。おまけにその言説のほとんどは、分析的なクンダリーニ・ヨーガ行者のそれだった。

 

またイエスは、青年期の冥想修行の様子が伝えられていないので、インドで修行したという説まである。だが出身母体とされるエッセネ派に然るべき正師がいれば、わざわざインドまで赴く必要はなかっただろう。あるいは、むしろ村の一人の大工として地味に働いて家族(弟4人妹2人?)を養ってきた期間が長く、それは聖者の伝記としてはふさわしくなかったのでカットされてしまったのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前世記憶-4(マイケル・クライトン)

2023-12-29 03:43:24 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-13

◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-2-超能力系-3-前世記憶-4(マイケル・クライトン)

 

(f)マイクル・クライトン(ハーバード大卒の医学博士。小説家としてジュラシック・パークなどを著す。)は、瞑想テープによって変性意識状態になり、もう一つの生涯の感覚がイメージとして来るのを待つと、ローマ時代の剣闘士の生涯のイメージが出てきた。このローマ時代の生涯のイメージは、マイクルにとっては、全然前世記憶なんかではなく、真面目にラテン語を勉強すれば誰でも作れるイメージに過ぎないと見ていた。

マイクルは、過去のローマ時代のある人格に気持ちが目茶入っていったとしてもそれは、自分の前世かどうかわからないとした。それについて、前世ではない他の説明もできるのだ。

(参考:インナー・トラヴェルズ 上・下/マイクル・クライトン/早川書房)

マイクル・クライトンは、浮かび上がった前世記憶とされるビジョンについて、冷静な判断をしているように思う。

 

前世記憶と言えば、個人Aが何千年間に何回転生しても個人Aとして転生するように何となく考えるものだが、転生後は、個人A`になったり個人Bになったり(蝶になる:荘周胡蝶の夢)、消えてなくなったり(紀元0年の世界人口は約2億人だったと考えられているのが、今は約80億人に増えている。その増えた魂はどこから転生してきたのだろうか。)しているのではないだろうか。

霊の世界は、1+1が必ずしも2ではなく、100になったり、0になったりする世界なのだろう。それを前提にダンテス・ダイジは、前世記憶は個人の記憶からも遡れるし、ダイレクトにアカシックレコードからも知ることができるなどと言っているのだろう。おまけに既述の霊界での過去現在未来の法則からは、過去世自体もどんどん変貌しつつあるとくれば、とてもではないが、常識的社会人の想像できる世界ではないように思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霊肉脱離

2023-12-28 06:36:29 | 浅い霊感から神人合一まで

◎善霊の場合は頭から脱け出す

 

以下は肉体死に際しての出口王仁三郎による説明。肉体死のほとんどでは、大悟覚醒には至らないが、垂直の道の修行者は、心得ておくべき知識だろう。

『靈肉脱離

霊肉脱離の状態は善霊の場合は頭から脱け出し次に胴体、手足と順次に脱け出して霊体を形づくり全部脱離した時、すっくと立ち上る。その時現在までの肉体に相対してそれを見守りつつとすこしも怪しまぬ、他を見るやうな態度になつて居る。悪霊の場合には足から一番に脱離を初め、胴、手、頭と順々に離れて来て最後に頭が分離するや否や霊体はするするとすべって奈落の底に墜ちて行くのである。』

(月鏡/出口王仁三郎P132-134から引用)

 

善霊の場合というのは、天国・極楽行きの場合を想定しているが、大悟覚醒(大神)に向けて発出する場合のヒントも含まれている。それが『頭から脱け出し』の部分。サハスラーラから出るということである。

この文では、離脱して自分の肉体を見ると書いてあるが、ダンテス・ダイジの『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』では、そういうシーンは描かれていないものの、OSHOバグワンの最初の肉体離脱体験をはじめ、アストラル・トリップものでそういう描写を見ることはままある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前世記憶-3(未来透視実験)

2023-12-28 03:41:33 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-12

◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-2-超能力系-3-前世記憶-3(未来透視実験)

 

(e) サンフランシスコのヘレン・ウォンバックは、退行催眠で過去世に遡れるように、29年間をかけ約2500人もの人々に、未来を退行催眠で見ることにチャレンジさせた。この未来透視実験はアメリカとフランスで行われた。

この結果、ほとんど全員が地球の人口が激減していることを確認した。指定された様々な未来の時代に自分は肉体として存在しさえしていなかったと語る者も多かった。

『それに加え、被験者は、それぞれが異なった未来と関連している四つの分類に見事に分かれたのである。

一つのグループは、ほとんどの人間が宇宙ステーションに住み、銀色っぽい服を着て、人工食品を食べているという、よろこびも感じられぬ味気ない未来を語った。

もうひとつのグループ「ニューエイジ派」は、今よりもずっと幸せな、自然環境の中でのより自然な生活を報告し、そこでは人々が互いに調和のとれた生き方をして、何かを学ぶため、そして霊的な進化のための生活が営まれていた。

第三のタイプ、「ハイテク都会派」は、人々が地下都市あるいはドームや巨大な泡のような屋根でおおわれた都会に住んでいる殺伐とした機械的未来を語った。

第四のタイプは、大災害を生き延びた人々で、地球規模のなんらかの災害(おそらく核戦争だろう)に襲われた後の世界に生きている。このグループの人達は、都市の廃墟から、洞窟、あるいは孤立した農場まで様々な形態の住居に住んでおり、手縫いの簡単な服(毛皮製が多い)を着て、食べ物の多くを狩猟に頼っていた。』

(ホログラフィック・ユニヴァース/マイケル・タルボット/春秋社P305-306から引用)

 

この話は、個人Aの輪廻転生がずっと個人Aとして繰り返されるのがほぼ前提で、仏説のように動物、無生物には輪廻転生しないらしい。また被験者には、輪廻転生を認めないキリスト教信者も含まれているだろうから輪廻転生があるということでよいのだろうか。

また四種の生活環境は、現代人の想像するような生活形態ばかりだが、例えば、室町時代の人間が、現代の飛行機に乗ったり、海底トンネルを列車で通ったり、家電に囲まれた生活を想像することすらできないだろうことを考えると、眉唾物の印象はある。

翻って、現代人の想念としての『現実』というものが、五感に加え、マスコミ、口コミ、スマホ、ネット、教育、政治洗脳、宗教洗脳、商業洗脳などで仮に構成されたものに過ぎないということの反証でもある。すなわち過去世遡及時の過去世も、未来の現実も、今の現実感の延長線上のビジョンしか浮かんでいないということである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前世記憶-2(過去世を遡上)

2023-12-27 03:40:11 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-11

◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-2-超能力系-3-前世記憶-2(過去世を遡上)

      

(d)トロント大学医学部のジョエル・ホイットン博士は、退行催眠によって自分の前世の記憶らしいものを思いだす実験を30人ほどに対し行った。

過去世をどんどん遡っていき、ある段階の過去世(原始人の前世)まで退行すると、そこからは、一つの前世が他の前世と区別がつかなくなる。

そして被験者全員が魂には男女の性別がないとし、彼らの多くは少なくとも一度は今の性とは違う性として生きた経験があると語る。

またまた彼らを、生と生の中間領域に退行させた。そこは光に満ちたエリアで、我々が知るような意味での時間も空間も存在しせず、次の人生を計画させるため、つまり将来発生する人生上の重要な出来事の概略を本人に決めさせるために存在すると、被験者たちは語る。

    (参考:ホログラフィック・ユニヴァース/マイケル・タルボット/春秋社)

 

この例は、各人が中有まで行ったようだが、性の区別がなくなる微細身レベルというのはあるものであって、そこで見たのが単に今の自分の微細身であって、過去世だとは言い切れないところはある。またチベット密教の記述によれば、中有とはいわば微細身もない状態(意成身)とも考えられるから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前世記憶-1(本山博、ダンテス・ダイジなど)

2023-12-26 03:29:55 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-10

◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-2-超能力系-2-前世記憶-1(本山博、ダンテス・ダイジなど)

 

(2)前世記憶

(a)前提

まず大悟覚醒せず霊界にいる人間の時間感覚と、大悟覚醒して世界全体と合一した場合の時間感覚は全く異なる。

次に 現実世界の人間の時間感覚は、現世はリアル、過去世の人生と未来世の人生はドリームである。

      

(b) ダンテス・ダイジの前世記憶

ダンテス・ダイジは記憶へのアクセス方法は、個人の記憶を遡る方法とアカシックレコードに直接アクセスする方法があり、後者の方が速いという。

 

(c) 本山博の前世記憶

現代の医学では、脳と関連なしにはいかなる意識も経験も成立しえないという唯物論的医学が支配している。

本山博は、個人のカルマの種子と記憶(経験)が貯蔵されているところは、肉体の脳だけでなくメンタル体(カラーナ)にもアストラル体にもあると言っている。

これを踏まえると、自分の思い込みでない過去世のことも語れる人がいるが、こうした人は、メンタル体ないしはアストラル体に保管された過去世記憶を脳の意識野に映写せしめそれを描写するものであろう。ところが今生以前の情報とは肉体以前の情報であるから脳由来の情報ではない。よって過去世情報の場合は、脳は単なる映写スクリーンの機能しか果たしていないということになる。

一方で脳は、その生で誕生以来の出来事を記憶として(本山博は退行催眠でそこまで遡行できる可能性をいう)、またその時の肉体や心理の情報をも保持しているものだから、その点では単なるスクリーン以上の機能をも果たしている。

脳の意識野は、現世と過去世双方の情報、および肉体由来の情報とスピリチュアル・ボディ由来の情報が行き交う「関」のようなものである。

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

予言、予知

2023-12-25 03:31:42 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-09

◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-2-超能力系-2-予言、予知

 

(1)予言、予知

ESP、サイ、予知夢など人間には五感を越えた能力があり、近親者に係る夢知らせなどは身近なものである。

    こうした超能力の類は、一般人でも起こり得る。その頻繁な事例は、クンダリーニ・ヨーギだけに特異なものでなく、只管打坐で悟りを開いた人にでも見られるものであって、只管打坐者クリシュナムルティが時おり見せる霊能力はその一例である。超能力、あるいは神通力というものは、古い書物を紐解くまでもなく、覚者の開悟に随伴して起こる能力であって、それ以上気にしたり追及したりするものではないと思う。

また超能力者、霊能力者の時間認識は特異なものなので、『予知とは未来を創りだすこと』(マクモニーグル)という原則に沿って、予言、予知が行われる。ダンテス・ダイジは、予言した瞬間に予言内容はズレると語っているが、それはマクモニーグルと同じことを言っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

超能力についての概説

2023-12-24 03:09:38 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-08

◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-2-超能力系-1-超能力についての概説

 

ここで、超常現象とオカルトを機能面から「超能力系」「霊能力系」「カルマ」「超古代史と宇宙人」の4区分に分けて述べてみる。これらは悟りと関係ないので、本来詳述する必要のないものだが、巷説では幽霊が見える人の比率は、50年前は1割と言われていたものが、最近の若者では、ゲームのやり過ぎや一部の薬剤の影響のせいか25%にまで上昇している説(霊体の臍に穴が開いている)まであるそうなので、垂直の道の印象をつかんでもらうためには有用かもしれないと考えて書き起こすもの。

 

1.超能力系

超能力とは、天眼通、天耳通、他心通、宿命通、神足通などのこと。

超能力を、自分の欲のために用いるのか、悟りを開いた人のように超能力を他人のためにのみ用いるのかは、真っ先に問われる事柄である。垂直の道を究めた人の生きる姿は後者である。

 

第六身体アートマンは、世界のすべてのすべてであり、過去現在未来が一体になった時間と空間のすべてである。

これにアクセスして予言などをした場合、第六身体のことをアカシックレコードと呼ぶこともある。

また例えば、神が許し給えば、その超能力である惑星を破壊することも可能だが、それでこの世的なものに未練を残さず納得できるかどうかはわからないのではないか。超能力とはそういうもの。この世的なものに未練が残っていれば悟りはない。

その一方で超能力はカルマに制約されるし、微細身レベルでは微細身レベル特有の法則、ルールがあるもので、それに沿った形でしか超能力は行使できない。

また、先に身に余る財産、権力、栄誉を受ければ、後にそれに見合う善根を積まねばならないという法則もある(功過格)。

一方聖者は、その超能力を天機天命に則ってしか行使できないし、我欲で用いることはない。いわんや一般人が、競馬や株や相場の予想に超能力を用いるなどは天則違反であり、それらは後の反作用を恐れぬ所業である。

そもそも人は生れ落ちる時に一生分の食い扶持は背負って出てきている。病人は食べなくなったら終わりが近いなどとも言う。神仏はリッチかどうかを高く評価しているわけではないので、その食い扶持を先に手にするか後で手にするかだけの違い、という見方もできる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

覚者や超能力者、霊能力者の時間認識

2023-12-23 03:57:26 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-12

◎青春期の垂直の道-12

◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-1-概説-4-覚者や超能力者、霊能力者の時間認識

 

覚者や超能力者、霊能力者の時間認識が、普通の人間と違っていることは、まず基本的に認識しておくべきだろう。

第六身体アートマンと合体経験のある覚者であれば、過去現在未来が一体化した世界に生きていることは想像できる。

ところが悟っていない人でも、霊界にあっては、霊界特有の時間認識の世界で生活しているようなのだ。

それは、以下の事で推測される。

 

アメリカの透視者マクモニーグルは、過去、現在、未来は、それぞれ蜘蛛の巣のように密接につながり、一カ所を引けば他の部分がたわむという柔構造をしているとする。『過去とは、つねに現在に合わせて体色を変えるカメレオンのようなものだ。人の目をあざむき、事実でないことを絶対の真実と思わせる。』

(未来を透視する/ジョー・マクモニーグル/ソフトバンク・クリエイティブP269から引用)

 

さらに、出口王仁三郎が語る、霊眼に映った出来事が現実化するメカニズムは次のようなものである。なおこの文章では、神界幽界をまとめて霊界とよんでいるように読める。

 

『ここで自分は神界幽界の現界に対する関係をちょっと述べておこうと思う。

 

神界と幽界は、時間空間を超越して、少しも時間的の観念はない。それゆえ霊界において目撃したことが、二三日後に現界に現れることもあれば、十年後に現れることもあり、数百年後に現れることもある。また数百年数千年前の太古を見せられることもある。

その見ゆる有様は、過去、現在、未来が一度に鏡にかけたごとく見ゆるものであって、

あたかも過去、現在、未来の区別なきが如くにして、しかもその区別が歴然推断され得るのである。

霊界より観れば、時空、明暗、上下、大小、広狭等すべて区別なく、皆一様平列的に霊眼に映じてくる。』(霊界物語第一巻)

 

つまり、予知あるいは予言した瞬間に、その内容に合わせて現在も過去も変貌してしまうのだが、その様子を『あたかも過去、現在、未来の区別なきがごとく』と言っているのだろう。

マクモニーグルは、『予知とは未来を創りだすこと』(未来を透視する/ジョー・マクモニーグル/ソフトバンク・クリエイティブP285から引用)とまで言っている。

 

超能力者、霊能力者の時間認識がこのように変わっていたとしても、それは悟りとは何の関係もない。コロンブスのように大西洋の果ての西の端の恐ろしい滝の向こうに広がる世界を発見したとしても、それは、究極、ニルヴァーナ、神仏とは何の関係もないのだ。人間の救いとは何の関係もないのだ。

また後で『前世記憶』の項目もあるので、それも参照されたい。

※超常現象・オカルトの個別項目は、冥想修行に関係ないので、ジェイド・タブレット外典カテゴリーに載せます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リンカーンは三度死ぬ

2023-12-22 19:48:11 | 究極というものの可能性neo

◎リンカーンの二度の臨死と業績

(2018-02-17)

 

臨死体験のほとんどは、ハズレ体験と思われるが,まれに精神変容の機会となるケースがある。

 

アメリカ大統領リンカーンは5歳の時に雨で増水した小川で溺れたが、年上の友達が岸に引っ張り上げて、一生懸命背中を叩いてくれたので、水を吐いてのたうちまわって意識を取り戻した。

リンカーンは、これ以後知識を渇望し、あらゆる本を手当たり次第に読むようになったという。

その5年後、リンカーンは荷馬車に乗っていて、馬に急げと命令した時に頭を蹴られ、一晩中生死の境をさまよった。後年自らその時のことについて振り返って、その時自分は馬に蹴られて死んでいたとコメントした。

(出所:臨死体験未来の記憶 精神世界への新たなる光 フィリス・アトウォーター/[著] 原書房P288-289)

 

リンカーンの最大の業績は奴隷解放宣言。それからわずか150年でアメリカには黒人大統領が誕生するまでになった。

移民の心理として一旗揚げたいというのは、移民国家アメリカでは抜きがたいものであり、そのポジティブな理想がアメリカン・ドリームである。

逆にそれを基盤にネガティブな制度も起こるが、それが黒人奴隷制度。

一旗揚げるというのは社会的に他に優越したいということであり、社会的弱者の権益を制限して、ある種族や階級階層が制度的にメリットを享受する例は枚挙に暇がない。インドのカースト制度、現代中国の都市と農村住民の厳しい戸籍移転制限や少数民族圧迫、日本の江戸時代の士農工商などなど。

こうした広汎な既得権益を逆転させるのは、一つの革命であるが、一人の風変わりな人間が独力で成し遂げるのは容易ではない。

それは、チベット密教の開祖パドマサンバヴァがチベット土着の宗教勢力を駆逐したり、空海が密教を天皇家に入れたり、役行者が、日本のスピリチュアル・シーンに修験道を開いたりした事績と似ている。

米国大統領といえども、こうした大事業を成し遂げるには、神仏の主導がないとできるものではないが、リンカーンは2度の臨死体験で、そのサポートを得ていたのだろうと思われる。

 

人は臨死体験によって大悟することは稀だが、大悟できる人間は、ある程度準備ができていないとそういうことは起きない。

その準備こそが日々の冥想である。

リンカーンの冥想習慣の有無はわからないが、二度の臨死体験をきっかけに彼が大善行である奴隷解放に進んだことは事実であり、そのモウメンタムを与えてくれたのが臨死体験であったろうことは想像できる。

臨死からの生還は困難であり、生還しても肉体的に問題をかかえることが多い。それらをひっくるめて生還し、無私なる大業を成し遂げたところに、リンカーンが一人の人間としても偉大とされる理由がある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

超常現象、オカルトは冥想修行の邪魔

2023-12-22 03:27:15 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-11

◎青春期の垂直の道-11

◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-1-概説-3-超常現象、オカルトは冥想修行の邪魔

 

現代は霊を含む超常現象を迷信と片付けがちだが、自分の無意識全体を迷信のようなものと片付けることで、無意識という闇に直面することを忌避している。これぞ光偏重のアポロン型文明の特徴である。いわばその反作用として出ているのが、超能力への過剰な期待や、霊能力者への異常な歓迎ぶり、占いへの傾倒であって、これは、超能力者や霊能力者を中心に据えたカルトの隆盛等としてよく見かけることができる。戦後日本の新興宗教は、霊がかりと現世利益全盛。権威づけとして霊能力、超能力をもてはやす。

超能力や霊能力は、現世利益の早道と思われがちだが、決してそうではない。というのは、その基層である変性意識(トランス)を利用して何かをしようとする以上は、そのコントロールに熟達していない限り、変性意識の嵐に翻弄されることになるからである。変性意識という無意識(死の世界)の膨大なエネルギーは、コントロールが効かなくなれば、統合失調症になったり、廃人となったり死の危険もある。変性意識は取扱いが難しいという点では原発のようなところがある。

占いも含めて、超能力開発や霊能力開発というのは、常にそういった危険と背中合わせになっているものだから、悟りを既に得た正師の指導が必須のものである。
そのことを踏まえて、垂直の道では、高級神霊などを観想したりするカリキュラムがあったり、霊能力、超能力を結果として用いることがあるが、修行の途中でそれにこだわると自滅すると言う。

さて七つの身体論から超常現象、オカルト(超能力、霊能力、占い)を説明するということは、究極、ニルヴァーナ、大日如来、神、仏の立場を踏まえて、本来空であって実体のない超常現象、オカルトを説明することである。
上述の事情を踏まえると、本来超常現象は白でも黒でもないが、もとより悟りとは関係なく、むしろ悟りを求める冥想修行においては、魔境などと分類され邪魔になるだけである。魔訶止観でも魔境は分類され避けるべきものとして挙げられている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

超常現象・オカルトにこだわらない

2023-12-21 03:09:17 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-10

◎青春期の垂直の道-10

◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-1-概説-2-超常現象・オカルトにこだわらない

 

もう一つの大きな問題点は、超能力、霊能力、高級神霊は、一種の人生のチート技のようにも見えるが、そういうインセンティブを目の前に見せて、人間を惹きつけ金を使わせたり、宗教に入信させたりする動機になることである。これも、無意識=死の世界の操作の一種である。
こうしたものは、一度魅入られると、依存度が高く、脱却するのが厄介な代物でもあるのだ。

ダンテス・ダイジは、超能力、霊能力、高級神霊について、冥想修行においては、そういうことが発生するかもしれないがそれにこだわらないことを旨とし、実質的にほとんど説明しなかった。
その理由は、少しでもその法則や規則を説明すれば、それをとっかかりに応用、悪用する手合いがいくらでも出てくるものだからではないだろうか。

だが、その一方で、占星術や気学など微細身レベルすなわち霊界における様々なメカニズムがあることは否定しなかった。しかしながら、そういう法則の利用は、大悟してから後の話であるというのが一貫した姿勢だった。
また道教の笹目秀和(大本教のご神体を崑崙山に返還した人物)も高山で身体を温める秘印である坎離印は、後に彼がソ連の水牢を堪えぬいた鍵だったが、そのマントラも印も明かすことはなかった。

こうした、スピリチュアルなテクニック、メカニズムに関する秘密主義の所以は、神を知らない人間の超能力、霊能力利用は、結局ダークサイドに堕ちる(闇落ち)ものだからである。

またダンテス・ダイジが、特に強調していたのは、人類全体が神知る人間に進化しようとしている現在、そうした霊界科学的な法則は、従来は精確に稼働していたが、最近は外れ始めているのではないかということ。

その一例としては、例えば暗剣殺。
ユダヤ教・キリスト教における「北東の隅に最初は役に立たない石を置く」は古い言われだが、出口王仁三郎によって北東の艮(うしとら)の金神は実はメジャー神だったのが強調されはじめたことに現れている。
つまり北東は、これまで暗剣殺であって忌み嫌われていたが、じつは最高にポジティブな新時代はそこから出てくるのだということであって、時代はまさにそのように変わりつつあるのだということ。
このように暗剣殺は方位学の基本中の基本だが、人類進化のタイミングを迎え、その根本の意味が逆転している。伝統的方位学は賞味期限切れなのだ。

占いについては、その占術固有のテクノロジーに加え、占術をきっかけに世界をのぞき込むという作法が加わっている。
西洋占星術ホロスコ-プは方位学とは逆に、古代にあった深遠なノウハウが半分以上喪失されたテクノロジー。まず基本は、PCの天体暦で惑星の位置を算出することでなく、日々実際に惑星の位置を観測することから始まる。
現実の事象は、霊界レベルに先に出現し、後に現実化するのだが、惑星-ホロスコープは、その辺縁に位置するシンボル。
同年同月同日同時刻同地域に生まれた二人の人物が全く同じ人生を歩むわけではないからである。先に自分の内面を含む全世界があってそれを象徴したものとしてホロスコープがあると見なければ、将来の人生など読めないのではないか。
よってホロスコープは、自分の内面と自分の過去と将来をのぞき込むきっかけに過ぎないのだ。
昨今のホロスコープは、冥王星が惑星からはずれたり、計算上の細かい惑星が増えたりと、判断を迷わす要素が多くなった。
それでも、ダンテス・ダイジは、太陽の位置、月の位置、アセンダントが基本の解釈の柱であると教えてくれた。だからホロスコープも全く使えないメソッドというわけではない。

冥想修行者にとっては、現実生活は二の次とはいっても日々食べていかなければならないので、そのためにホロスコープを使うという事はあり得るが、そこそこにということ。

また易やタロットの方は、西洋占星術よりもダイレクトに「自分をのぞき込むきっかけ」という性質が強い。象、八卦やタロットカードを解釈するということは、占い者自身がトランスに入り、世界を映す鏡のようになり、霊界微細身レベルを覗き込むということである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

超能力、霊能力、高級神霊

2023-12-20 03:07:48 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-09

◎青春期の垂直の道-9

◎無意識と死の側-5-超常現象・オカルト-1-概説-1-超能力、霊能力、高級神霊

 

超常現象・オカルト・占いは、その成因から見ると、おおまかには超能力、霊能力、高級神霊と考えることができる。

超能力、霊能力、高級神霊については、夢、願望、祈りなど身近な浅い深層心理から発する場合もあるので誰にとっても身近であり、ともすれば理不尽な目に遭ってみじめで情けない自分にとって、最後の助けであることもままある。

このように、超能力、霊能力、高級神霊は、人によっては非常に切実なものではあるが、それで最終的な人間の救済に行きつけるかどうかは別の問題である。

超能力、霊能力、高級神霊は、五感、潜在意識、微細身(エーテル体、アストラル体、メンタル体など)が複雑に入り組んでいるので、単純な一本道の説明はできない。

21世紀初頭のスピリチュアルの大きな問題の一つは、こうした霊がかり・神がかり系への世間一般の関心の高さを、相変わらず完全には払拭できていないという点である。

というのは、霊がかり・神がかり系への世間一般の関心の高さというのは、一般にはホラ-・オカルト映画や漫画の隆盛に反映されているが、その関心は主として漫才・お笑いに対する関心と同レベルの好奇心や一時的な感情の癒しであって、その関心が純粋な求道に転向していく例はほとんどないだろうからである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする