◎ジェイド・タブレット-外典-12-10
◎悟りへの22段のパス⇒タロット・カード-10
◎明星を見る釈迦、空海、日蓮、クリシュナムルティ
有名覚者の悟りシーンには、星が登場することがままある。
釈迦は6年間の苦行を捨てて、ヨーグルト(乳糜)を食べて体力を回復し、菩提樹下でメディテーションに入った。そして、『明星が出た時、釈迦は廓然として大悟し、無上の正真道を得た。』(中国に伝わった最古の仏伝とされる修行本起経)とする。
空海はあらゆる経法の文義を暗記する力を得るために、高知県室戸崎で虚空蔵菩薩求聞持法を修した。すると谷響を惜しまず、明星が来影した。ごうごうたる阿吽(オーム)の響きたる谷響のうちに、明星がやってきた。
日蓮は十二歳で、安房小湊に近い天台宗清澄寺に入り、その年からこの寺の虚空蔵菩薩に願をかけ、「日本第一の智者となし給え」と祈っていたという。一六歳で出家。清澄寺の本尊は虚空蔵菩薩。虚空蔵求聞持法は、虚空蔵マントラの連唱。清澄寺から旭の森に行く途中の切り立った崖の下に小屋があって、これこそ慈覚大師円仁の求聞持修行の地であり、日蓮の法華修行の霊場だという。
『五十五歳の日蓮が、身延から清澄寺の大衆へ書き送った手紙『清澄寺大衆中』の中
にこういう言葉がある。
「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給はりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思(おぼ)し食(め)しけん。明星の如くなる大宝珠を給ひて右の袖にうけとり候し故に、一切経を見候しかば八宗竝に一切経の勝劣粗(ほぼ)是を知りぬ。」(『昭和定本日蓮聖人遺文』H・一一三三頁)』
(名僧列伝 3 念仏者と唱題者/紀野 一義/文芸春秋P210-211から引用)
日蓮は、明星のような大宝珠を得てあらゆる経典の優劣を理解し得た。
最後は20世紀の聖者クリシュナムルティ。
『勧められるままに木の下に行き、私はそこで座禅を組んだ。そのようにしていると、私は自分が肉体を離れ出るのを感じた。私は若葉の下に坐っている自分を見た。私の身体は東を向いていた。私 の前には自分の肉体があり、頭上にはきらきらと輝く美しい「星」が見えた。』
(クリシュナムルティの世界/大野純一P73から引用)
覚醒の確証としての星。それも釈迦からして、太陽でも満月でもなく、なぜか星。これはタロットの図柄の大きな星の方。
また大きな星の周辺には小さな七つの星が配置されている。これは、七つのチャクラ。七つの身体。
キリスト教も万人向けのオーソドックスな宗教なので、チャクラについての言及がある。以下は、ユクテスワの指摘。
『「振り向くと、七つの金の燭台が目についた」(ヨハネの黙示録1:12)
「それらの燭台の中央に、足まで垂れた上着を着、胸に金の帯を締めている人の子のようなものがいた。」(同上1:13)
「それらの右手に七つの星を持ち・・・」(同上1:16)
「あなたがわたしの右の手に見た七つの星と、七つの金の燭台の奥義はこうである。すなわち七つの星は、七つの教会のみ使いであり、七つの燭台は七つの教会である。」(同上1:20)
「右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の真ん中を歩く者が次のように言われる」(同上2:1)』
(聖なる科学/スワミ・スリ・ユクテスワ/森北出版p84から引用)
道教の聖典である太乙金華宗旨にも当然の如く、チャクラへの言及がある。それは悟りの確証の体験の説明の一部として現れる。
『確証の体験の第一段階は、観無量寿経の瞑想法に「太陽は、大いなる水に沈み、立ち並んだ木々が存在する現象として、形をとってくる」とのべられている体験であろう。「太陽が沈む」というのは、混沌(現象があらわれる以前の世界、つまり叡智界)の中に基礎が打ちこまれたことである。これが無極(対立する両極を超えた状態)である。
最高善の状態は、水のように清らかで汚れがない。これかすなわち「太極」(大いなる極)の主宰者である。
「震」(東方)から帝(神)が出現することである。「震」のシンボルは木である。したがって「立ち並んだ木々」のイメージが生まれてくるのである。七重の並木は、身体の七つの穴(あるいは心臓の七つの穴)が光輝くことを意味する。』
(黄金の華の秘密/CGユング/Rウィルヘルム/人文書院P203から引用)
さて七つの身体の基本的な説明は次のとおり、
①第一身体
肉体。 物質。
②第二身体
エーテル体。経絡に相当する。エネルギー・コードの骨格(傘の骨みたいな形)というものに近いと言われる。
気合、意思力、勇気、体力などの根本的源泉。半物質。
③第三身体
アストラル体。幽体と呼ばれる。肉体に相似した形。これ以上は物質次元ではない。
④第四身体
メンタル体。高次の感情と精神活動を司る。透明で光輝いていると言われる。
⑤第五身体
コーザル体。肉体と世界を形作っている最後の個別性。球形の光と見えると言われる。
⑥第六身体
アートマン。個別性即ち我はなくなったが、『在ること』=有が残っている状態。
⑦第七身体
ニルヴァーナ。涅槃。なまえもなく、言葉では説明できない。
七つのチャクラが存在するのはメンタル体までなので、七つのチャクラが世界全体を示すシンボルというわけにはいかない。世界全体を示すには、七つの身体論こそが必要かつ十分なのである。
そして七つの身体があるということを俯瞰できるのは、第七身体ニルヴァーナに到達した者だけということも重要。
カモワン・タロットの17星の絵柄で説明されていない要素は、沐浴。次元を貫いてオームの川は流れるが、そこに沐浴する裸身の太母。沐浴は、西洋錬金術文書にも支那内丹書にもよく出てくるテクニカル・ターム。
ユクテスワは、沐浴とは聖音オームの川の流れで沐浴することで、最終的に神のもとに帰る途中のワン・クッションという説明だが、その意味するところは重い。ユクテスワの説明は「11 力」で示したとおり。