アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

全人類が滅亡之境に至ったが

2025-01-07 03:25:03 | メインストリーム予言と先行モデル

◎どう手段しても全部を救うことが難しい

 

朝鮮の神人姜甑山が、東洋と西洋は甚大なパンデミック被害の結果、ようやくバランスが取れるようになるとする。だが、そのパンデミックは、先般の新型コロナの比ではない致死性の高いものであるという。

やがて病劫は避ける間もない洪水の様にやって来るので、彼は弟子たちに武道・戦闘ではなく、医学を学ぶことを勧めている。

 

姜甑山は、全人類(天下蒼生)が滅亡之境に到りつつあると言われていても、誰も少しも悟ることができず、この末世に目先のことに没頭するばかりなので、どうして哀惜しないで居られようかと、慨嘆している。

 

今後のパンデミックでは、寝ていても死に、食事中でも死に、往来する途中で死んでも弔うものが無く、死体を三ツ刃の鋤で引っぱり出す暇もなく、履物をまともに履くことさえ出来なくなって、茫然自失となるという。

 

このパンデミック描写は、天理教のそれに似たところがある。パンデミックは、小三災の飢病戦の一つであって、別にさらに大規模な大三災の風水火がある。姜甑山は朝鮮人にとっては、病すなわちパンデミックが問題だと見ていたのだろう。

このあたりは、出口王仁三郎とは視点が異なる部分がある。

 

『三二、

東洋と西洋を競争させて、傾いた局面を調整しようと思うが、余りにも両者に違ひがあり、張り合わせが困難なので、兵(病)で両者を平等にしようと思う。

* 朝鮮語では兵も病も同じ(ビヨン)と表現する

 

三三、

囲碁も上手な方が勝つものである。人の知らない事を学んでおくが良い。今、たとえ張良諸葛のような人が沢山出ても、予測の出来ない時代が来た。先天開闢以来、水旱刀の劫災が絶え間なく世上を襲ったが、まだ病劫はそれ程でもなかった。今後、病劫が全世界を掩い、人類を全滅せんばかりに蔓延すれば、生き残る方法がなくなるから、すべての奇事妙法を捨てて、医統を知っておけ。私が天地公事を掌管して以来、この地の様々な災害を退けたが、ただ病劫だけは手つけずにおいた。今、汝等に医統を伝えるので、手の届かない珍貴な薬品よりも、むしろ純粋な心で医統を知っておけ。 やがて病劫は避ける間もない洪水の様にやって来るだろう。

 

三四、

この後、怪病が蔓延する時、寝ていても死に、食中でも死に、往来する途中でも死んで弔うものが無く、三ツ刃の鋤で引っぱり出す暇もなく、履物をまともに履くことさえ出来なく茫然自失となるであろう。

 

三五、

時俗に婦女子達が本気で逆らえば急殺を受けて死ぬと言うが、これを急殺病と言うのである。昼夜不眠不休で、わらじ三足ずつ減らして歩き死体を踏み越えて尚病者を助けようとせかれる時は、私を信ぜよと云えば拒むものはないであろう。市場や集会であろうと何処でも、私を信じてよくなると思えば、その人達は知らなくても徳はその人達の上にあるものである。

 

三六、

大抵、人は何も知らないのがむしろ好都合である。未来の出来事が判る者は、蒼生のことを考える時に悲痛にならざるを得ない。今、天下蒼生が滅亡之境に到りつつあると言っても誰も少しも悟り得ず、この末世に尚没頭するばかりなので、どうして哀惜しないで居られようか。

 

三七、

ある日壁に向って横になられ、ふと大きく悲しまれ、言われるに、全人類が滅亡之境に至ったが、どう手段しても全部を救うことが難しいので、なんで悲しまないで居られようかと言われて感泣なされた。 』

(回天の聖者/姜甑山先生顕彰会 P284-285から引用)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古事記でも人類生き残りは、三分の一

2025-01-02 03:48:49 | メインストリーム予言と先行モデル

◎古事記黄泉平坂の戦いの内容は現実化する

 

古事記で伊邪那岐命は、最終戦争・大峠である黄泉平坂の戦いの最後に、伊邪那岐命は、巨大な岩で道をふさぎ、岩を挟んで伊耶那美命は、一日千人取り殺すと言い、伊邪那岐命は、一日千五百人産むと言った。

ここは文字通り読むのではなく、全体で千五百人いるところ、その三分の二の千人が殺され、三分の一の五百人が生き残ると、シンボリックに読むのだろう。このように古事記でも、最終カタストロフィにおける人類生存率は三分の一と予言されている。

古事記は予言の書と言われ、出口王仁三郎は、終わりの時代に、上つ巻の内容はすべて現実化すると予言している。

 

人類の生き残りが三分の一ということを説くのは、ダンテス・ダイジ、ブルガリアの予言者ベラ・コチェフスカ、出口王仁三郎、そして古事記とあるが、ババジ予言は更に数字が厳しい。

 

出口王仁三郎の三分の一予言の出典は、大本神諭などで何回も出てくる。

以下引用文では、三分の一どころか二分だとも言っている。特に神国日本には、神国であるがゆえに厳しい。

『今の世界の人民は人生の本義を知らぬから、衣食住の物慾斗りに迷ふて、自分から肝心の人格を殺して居るものが七分あるから、艮の金神が明治二十五年から、世界の人民は今に三分に成ると申して置いたが、此の神の申た通り、今の人民は人民としての資格が亡びて了ふて、誠の生命人格を保つものは、世界中平均して二分も面倒いぞよ。』

(雑誌神霊界 大正8年3月15日号 神諭から引用)

 

2025年は、地震や天変地異、核戦争などの懸念をする人もいるが、大難を小難に変えるのは、自分が日々冥想して神仏を知ることである。

いつ災難が襲うか事前に知って、自分だけ助かろうというのでは、如何なものか。非常持ち出し袋の準備も大事だが、まず善を行い悪を行わず、冥想が大事。

 

今年一年を占ってタロットカードを引いてみた。審判と隠者。神意・天意と冥想ということか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

預言者ベラ・コチェフスカ(Vera Kochovska)死から生き返る

2024-12-29 03:45:14 | メインストリーム予言と先行モデル

◎命の川を一人で渡る

 

ベラ・コチェフスカは、生後まもなく親に捨てられ孤児院で育った。最初からネガティブな生い立ちを選んで生まれてきたわけである。12歳の時にトラックにはねられ臨死状態になった。2か月間昏睡状態が続いたが生還した。

ベラは、その時白髪を肩まで伸ばした赤いマントの長身の男性に出会い、「命の川を一人で渡りなさい」と言われた。命の川はごうごうと炎が燃え盛り、炎の中で666という数字と999という数字が燃えていた。

ベラは髪の毛のように細い糸の上を歩いて渡り切った。

その後、亡くなった父に出会い、天使に導かれて戻ってきた。

 

死の側から生の側に戻ってきたわけだが、たいていの人は三途の川を渡った程度の記憶しかなくほとんど無意識である。

これに対しベラは、髪の毛のように細い糸の上を渡り、炎の中で666という数字と999という数字が燃えているのを目撃し、その分意識清明である。

ただしチベット死者の書のような8段階の死のプロセスを見るほどの精密さではない。

 

六六六は弥勒。チベット死者の書の原初の光は666か。

9とは数の終極、尽すという意味で、完全無欠。999は、その意味が三重に強化される。

逆に大本神諭では、「九百九十九人と一人との辛棒」というように、悪人九百九十九人と善人一人のこの世という表現で多用される。999は未悟のサイド。

 

印象としては、999は有・現象の側で、666は無・神(ニルヴァーナ)の側。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベラ・コチェフスカ(Vera Kochovska)の予言

2024-12-27 03:19:52 | メインストリーム予言と先行モデル

◎人類の人口が三分の一になる

 

ブルガリアの予言者ベラ・コチェフスカは、人類の人口が三分の一になると予言している。

それは、突然起こるようだ。人類が三分の一になる予言は、出口王仁三郎やダンテス・ダイジと同じ。

 

出口王仁三郎は、その後みろくの世が来ることを予言しているが、ベラ・コチェフスカはどのような時代が来るかは見切れていないようだ。

『ベラ・コチェフスカの大予言 / 宮﨑 貞行/ヒカルランド』という本はベラ・コチェフスカの話題が三分の一程度で、他はそれ以外の話題であったので、やや食い足りなかった。

マリア様の力で病気を治し、予言もするが、神人合一の話はない。つまり霊能力者は最後まで自分を捨てないといわれるが、まさしく自分を捨てて神様と一つになるなどということはできないのだろう。彼女は、魔除けの金の十字架は手放してマドモアゼル愛さんにプレゼントしたが、自分を手放すことはできなかったのだろう。

 

よって今生は最終転生ではなく、もう一度山形県に転生してくるらしい。

 

ベラ・コチェフスカは、盛んに日本が世界の精神的リーダーになると言っていたが、敗戦国条項がしっかり残っている現在では容易ではない。

夢想的かもしれないが、全面核戦争の末に世界全体が武装解除となり現国連がなくなるような非常事態でも来ない限り、それはないのではないか。

パックス・アメリカーナという核武装国共同の脅しによるまずまず平和なこの時代に、敗戦国日本が世界の精神的リーダーになることは決してないのだ。

そうなるための道は、自分の心と行動を変えること。それは、冥想により自分が大悟覚醒することしかない。信じられないかもしれないが、自分が変われば世界も変わる。

他人を損させて自分は儲けようとか考えているのでは、その道は遠い。ところが、資金運用、資産運用の根本思想は、そういうものだから、状況はなかなか困難である。国と社会を挙げて資金運用をさせようという動きの、ほとんど地獄的社会だが、それでも日々の冥想を。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タラビッチのクレムナの予言

2024-12-22 03:06:09 | メインストリーム予言と先行モデル

◎瞑想と東方の賢者たち

 

セルビアのミタール・タラビッチ(1899年没)は、読み書きができなかったので、その予言をザハリヘ司祭に記録してもらっていた。

クレムナの予言を注目した理由は、瞑想を評価していることと、東方の賢者たちが終わりの時代をリードするということである。

ところが、『新釈・クレムナの予言/たくきよしみつ』を見たところ、瞑想という言葉は見当たらず、代わりに「自分の心の中に真実を見つけようとすること」みたいな表現がそれに該当するようだった。「自分の心の中に真実を見つけようとすること」で瞑想をイメージする人はほとんどいないので、残念なことだった。

 

東方の賢者たちの教えは、最初受け入れられないが後に受け入れらるようになるということだけ書いてあって、東方の賢者たちが誰で、その教えがどのようなものかどうかは何も言っていない。

また最終戦争の後に至福千年が来るかどうかも言及していない。

ただ全体に神の智慧こそ真実という見方が横溢しているところは評価できる。

 

さて近代西欧数百年の運命を霊眼でスキャンした預言者ノストラダムスが目にしたのは、ヘルメスがダンテス・ダイジとして日本に転生した純粋な黄金のきらめきだった。ダンテス・ダイジの前身は、クリシュナにして、ヘルメスにして、道教にあっては如意第慈。

 

『X-75

 

待望久しい人は二度と

 ヨーロッパに帰って来ないだろう。

偉大なヘルメース神の血をひく一人物がアジアに出現し、

 東方のすべての王のうえに権力を及ぼすだろう。』

 (新釈ノストラダムス/J.C.ド・フォンブリュヌ/講談社P291から引用)

 

さらに

『日の国はメルキュールによってエクリプスを隠す

 第二の空にしか置かれない

 火と金属の神(ヴュルカン)により エルメスは祈らされる

 日の国は純粋なきらめきとブロンドを見るだろう。

(諸世紀四巻29)』(大予言・日本編/五島勉/祥伝社から引用)

※メルキュールは、ヘルメスの別名。

 

上掲『第二の空にしか置かれない』とは、いかにも全面核戦争から逃れられるみたいな雰囲気だが、日本は神国であるがゆえに立替立直しは、世界に先んじて起こるので、ご油断召さるまじ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノストラダムスのセザールへの手紙を読む-3

2024-12-09 03:11:19 | メインストリーム予言と先行モデル

◎神の意志は果たされるのである

 

セザールへの手紙の続き。

『天空の、目に見える判断について言うと、私たちは今すべてを終息させる七〇〇〇年代にいるけれども、八〇〇〇年代に近づいてもいるのだ。そのとき、広大な次元にある第八番目の天球をもつ天空となり、そこで、偉大な永遠の神が変革を仕上げ、星座群は自らの運動と、地球を揺るぎない安定したものにする超越的な運動とを再開するだろう。「その運行はいつの世までも続くものではない」――神の意志が果たされないというのはありえないのだから。マホメットの夢想のようなあらゆる自然の理性を超える曖昧な説がどう言おうと、神の意志は果たされるのである。だから、創造主たる神は幾度も、炎を携えた火の使者を仲介として、予知する人にはっきりと示されるはずの未来の出来事を明かす。未来に関する予言の諸々の原因を、私たちの知覚と目に提示してみせるのである。』

(時の旅人ノストラダムス ミシェル・C・トゥシャール ボーダーランド文庫角川春樹事務所P267-268から引用)

 

七〇〇〇年代は、この現代で、七身体と七つの次元の時代。八〇〇〇年代は、至福千年、千年王国のこと。八〇〇〇年代は、第八の天球と同義で、大涅槃のこと。第八の天球を用いるのはグノーシスのヘルメス文書やミトラ教。また8チャクラ説でもあって、これは、アトランティスのアメンティー・タントリズム。

 

ダンテス・ダイジが殊更に8チャクラを言うのは、『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』にあるクンダリーニ・ヨーガの窮極突入プロセスが念頭にあったのだろう。

 

ノストラダムスは、グノーシスやミトラ教の文献を持っていて、かつ自分でも第八の天球を確認したのだろう。文中に迫害を恐れて危険な文書を焼いた記述があるが、それはこうした類の文献だったのだろうと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノストラダムスのセザールへの手紙を読む-2

2024-12-08 03:12:04 | メインストリーム予言と先行モデル

◎世界は天地がひっくり返るような変革に近づいている

 

セザールへの手紙の続き。

『なぜなら火星 (戦争)がその世紀 (二〇世紀)を終了させるのだが、その最後の期間の終わり(一九七五―一九九九年)に火星がその世紀を支配するからである。これら異変のいくつかは数年間は宝瓶宮〔一月二一日-二月二〇日〕に、また他のいくつかはさらに長年月にわたり巨蟹宮〔六月二二日―七月二三日〕に集中するだろう。―今、永劫不滅なる神の全能に助けられて私たちは月(共和国)に統轄されていて、月がその周期を完(まっとう)するや、太陽(君主制) に、続いて土星 (黄金時代) (一九九九年以後は宝瓶宮の時代)に統轄されることになろう。

というのは、天の徴にしたがうと、土星の統治が再びめぐって来るからだ。いかように予測しようとも、世界は天地がひっくり返るような変革に近づいているのだから。それは私が今これを認めている現在から一七七年と三ヵ月十一日先(一五五五年に一七七年を加えると一七三二年になり、ノストラダムスが革命思想の父とみなすジャン=ジャック・ルソーがパリへ出た年を指す)までにわたっており、世界は疫病と長い飢饉と戦争と洪水で、現在からあらかじめ定められた期限までの間に、覆い尽くされることだろう。前後、人類は何度にもわたって減少し、ほとんど絶滅してしまうものだから、土地を占有しようとする人もいなくなり、土地はかつて耕やされていたのと同じくらい長期間、耕やされなくなってしまうだろう。 』

(時の旅人ノストラダムス ミシェル・C・トゥシャール ボーダーランド文庫角川春樹事務所P267から引用)

 

今はまだ、戦争が盛んにおこなわれているから火星 (戦争)の時代。

月(共和国)の時代は、民主主義の時代であって、今の時代。

太陽(君主制)の時代は、今からは想像しにくいかもしれないが、世界が一人の帝王を戴く時代。

以上が、人間が世俗世界の王、主催者、統治者となる時代である。

土星 (黄金時代)は、至福千年、千年王国、みろくの代。これ以後は、神人合一した人間が世俗世界の王、主催者、統治者となる時代である。この時代は人類全員が神知る時代だから、もはや世の中に宗教はない。この時代は神主主義の時代とも呼ばれる。

 

上掲『土星の統治が再びめぐって来る』とは、それ以前の黄金の神主主義の時代はアトランティスにもあったことを意識しているのだろう。

 

この本が書かれたのは1555年。1999年の恐怖の大王は時期がずれた。その伝で、現在から一七七年と三ヵ月十一日先を考えるのだろう。

これは、出口王仁三郎が、大本神歌の大変動のある年を、戊午ではなく、戊の、午の春夏秋と書いてあるのと同じ心だろう。

 

ノストラダムスは、世界は疫病と長い飢饉と戦争と洪水の繰り返しで人類はほとんど絶滅するが、若干は残ることを想定している。そういうわけで、ノストラダムスは、人類の一旦全滅後の復活という未来像は採用していないことがわかる。人口はだいぶ減るが、今の人類は存続して、至福千年に入るのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノストラダムスのセザールへの手紙を読む-1

2024-12-07 06:50:35 | メインストリーム予言と先行モデル

◎出口王仁三郎曰く、東洋は火で滅び、西洋は水で滅ぶ

 

ノストラダムスは、予言詩集百詩篇の他に、予言を解くカギとして、息子セザールへの手紙とアンリ二世への手紙を残している。息子セザールもアンリ二世も未悟の者だが、セザールへの手紙の方がより後世の冥想修行者向けに書かれているように思う。

王だから悟っているかと言えば、むしろそうではないのが常識。またアンリ二世への手紙には予言イベントは書いてあるが、ほとんど何のことかわからないように書いてある。何のためにそうしているかと言えば、世の終わりに振り返ってみれば、初めてその予言がすべて当たっていたことがわかるように。また世の終わり以前に予言内容がわかるようであれば、必ずキリスト教会に迫害され、焚書されることを避けるため。

 

以下、セザールへの手紙。

『けれども、わが子よ、おまえの認識力からあまりに隔たることのないためにも、多くの大洪水と、水びたしにならないような国はほとんどないくらいの大浸水 (革命)をもたらすはずの世界的な大災害が起こる前に、私が世界を究めてしまったその仕方を、文学者どもが前代未聞なほど大いに喧伝するだろうということを知っておいてほしいと思うのだ。』

(時の旅人ノストラダムス ミシェル・C・トゥシャール ボーダーランド文庫角川春樹事務所P267から引用)

 

上掲『私が世界を究めてしまったその仕方』とは、ある冥想法のこと。その冥想法は世の終わりの前に喧伝すなわち広く伝えられる。

 

出口王仁三郎曰く、東洋は火で滅び、西洋は水で滅ぶ、と。ここでは大洪水と大浸水と二種に分けているが、どちらにせよ西洋は水で滅ぶ。こうしたスピリチュアル文書の作法として大洪水と大浸水という言葉も三つくらいの意味をかけているものだ。

 

『そしてこの大浸水は、歴史と場所を除いて、すべてが死滅するまで続くだろう。―――ゆえに、このような大洪水(革命)の前後、幾らかの国では雨が乏しくなり、天から膨大な 火と焼けただれた石 (砲弾)が降ってきて、残らず焼き尽くされてしまうだろう。そして、これは最後の大災害(一九九九年)の直前に起こるだろう。』

(上掲書P267から引用)

 

この大洪水ですべてが死滅するというのは、イザヤ書型の全人類の滅亡を意味しているのだろうか。引き続き最後の大災害もあるので、それまで生存者はいるということか。

 

出口王仁三郎は、東洋は火で滅び、と言い、上掲『天から膨大な 火と焼けただれた石 (砲弾)が降ってきて、残らず焼き尽くされてしまうだろう』とは、東洋全体に火の雨を降らせるような兵器を言っているのだろうか。出口王仁三郎は、終戦後、東京大空襲などを指し、予言の『火の雨は、こんなちょろこいものではない。』と釘をさしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次の日本の敗戦から至福千年への道

2024-11-26 03:32:25 | メインストリーム予言と先行モデル

◎次の掃除も外国の手によって

 

大正時代の第一次大本事件(大本教に対する大弾圧)は、第二次世界大戦時の日本の運命の先行モデルとして位置づけられた。

昭和10年の第二次大本事件は、第一次大本事件に比べ激烈で徹底したものだったが、日本の将来の運命としてはまだ実現していない。

 

この経緯を踏まえて、出口王仁三郎の終戦直後の予言。

『マッカーサーが日本に進駐してくると王仁三郎はその意義を家の大掃除にたとえて説き明かす。

 

「世界を1軒の家にたとえると、日本は家の中の神床にあたる。ところがその神床が非常に汚れ塵埃がたまっているので掃除せねばならぬが、日本の神床を日本人自身にやらせると、血で血を洗う騒ぎをくり返すばかりでできはせぬ。そこで神は、マ元帥という外国出身の荒男をつれてきて掃除をさせられるのや。

 

ところが神床はもともと神聖な所なので、

掃除をするにしても、絹の切(きれ)でこしらえたハタキとか紙製のきれいなハタキとか使って掃除せねばならぬ性質のものだが、そこは外国出身の荒武者のことだから、竹の荒ボウキを持って神床を掃除するような時もおころう。

神床のゴミをはたくと、次は座敷の掃除が順序じゃな。世界の座敷はどこかというと朝鮮・支那になる。そして掃除は座敷をもって終わるものじゃない。庭先の掃除が必要になってくる。世界の庭先とは、ソ連や米国にあたる」』

(出口なお・王仁三郎の予言・確言/出口 和明/みいづ舎P296-297から引用)

 

第一次大本事件をプロトタイプとした先般の日本の敗戦を目の当たりにして、出口王仁三郎は、『こうならぬとこの神は世に出られぬ』ともらしたという。

 

今後第二次大本事件をプロトタイプとした再度の日本の敗戦が予言されているが、そののち、朝鮮・支那が戦場となり、最後は米ロの掃除が予見されているということ。

 

神様から見た掃除であるから、旧約聖書創世記でソドムの破壊前夜に天使が正しい人の人数を数えに来たようなことが日本でもあるのだろう。その時日本は一定数以上の神知る人の人数を抱えていなければ、来る至福千年(みろくの代)で日本が世界の中心となるのは夢物語。

 

さらに日本の大峠(至福千年前夜のカタストロフィ)では、出口ナオが、助かるべき者が助かるように、三、四月、八、九月に発生するように祈っている。

 

第二次大本事件では、起訴された信者61人のうち、厳しい拘禁生活の結果、昭和20年9月の無罪言い渡し時に存命していたのは、約三分の二の40人であった。『助かるべき者が助かるように』早く無罪が出たのだろうか。

 

今後の第二次大本事件をプロトタイプとした再度の日本の戦争では、前回以上の思想信教の締め付けがあり、またも軍事政権となることが予言されている。また日本が敗戦となるのに、次の時代は日本が世界の中心になるという予言があるのは、一見奇妙だが、神人合一してその仕掛けを読み解く人も続々と出てくるのではないだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダニエル書の予言、日本の世界統一

2024-11-23 03:28:06 | メインストリーム予言と先行モデル

◎日本が諸々の国を打砕き世界を統一する

 

旧約聖書のダニエル書第二章に日本の勃興と世界統一が予言されている。

ネブカドネザル王が巨人の夢をみた。その巨人の像は、首は金で、胸と両腕は銀、その腹と腿とは銅で、その脛は鉄、そして脚と趾とは一部は鉄で一部は泥で出来ていた。そして一個の石が人手を藉(か)りずに山よりけずれ落ち、その巨像の足を撃ったと思うと、たちまち巨像は夏の禾場(うちば)の糠の如く粉砕して風に吹払われ、これを撃った石は大なる山となって全地に充ち拡がった。

ダニエルはこの夢の密意を解いて、その巨像こそ治乱興亡の世界歴史を示すものであって、最後に人手を藉らずしてある国が現はれて、諸々の国を打砕き世界を統一することを予言した。

出口王仁三郎の解説では、金の国バビロン、銀の国ペルシヤ、銅の国ギリシヤと相次いで倒れ、鉄の国ローマもまた北方より侵入した泥の国ゲルマンに滅ぼされ、今や欧州は趾(あし)の如く、鉄と泥との小国に分離して互いに相争い、混沌として統一できない状態に陥っている。

人手を藉らずしてある国とは、人手を藉らず神が建てた国日本のこと。日本は、これらのもろもろの国を打ち破って滅ぼして世界を統一し、永遠に至る。

政治も経済も宗教も道徳もことごとく八咫の鏡に照らされて審かれる日が来たのだ。

そうなるためには、日本人一人一人が神を知り、「神ながらの大道」を歩まねばならない。

 

これは、ユダヤ・キリスト教では、人に打ち捨てられた石が北東に置かれるのだが、それが長い年月の末に、滅びることのない神の神殿の基礎となるという伝承と連動。これは、出口王仁三郎が、長年月北東に監禁されていたもともとこの世の主宰神であった艮の金神を舞台の中心に引き出したのと同義。

以下、出口王仁三郎の原文。

『二六〇〇年の昔バビロンの王ネブカドネザルがある夜巨人の像を夢みた。その像は首は金で、胸と両腕は銀、その腹と腿とは銅で、その脛は鉄、しかして脚と趾とは一部は鉄で一部は泥で出来てゐた。しかして一個の石が人手を藉らずして山より鑿れ落ち、その巨像の足を撃ったと思ふと、たちまち巨像は夏の禾場の糠の如く粉砕して風に吹払はれ、これを撃った石は大なる山となって全地に充ち拡がったといふのである。

 

 この時、神を信ずる青年ダニエルはその夢の密意を解いて、その巨象こそ治乱興亡の世界歴史を示すものであって、最後に人手を藉らずしてある国が現はれて、諸々の国を打砕き世界を統一するものなることを予言したのである。

 

 果たせるかな、金の国バビロン、銀の国ペルシヤ、銅の国ギリシヤに相次いで倒れ、鉄の国ローマもまた北方より侵入したる泥の国ゲルマンに滅ぼされ、今や欧羅巴は趾の如く、鉄と泥との小国に分離して互ひに相争ひ、混沌として帰一する所を知らざる状態に陥ってゐるのである。

 

 かくしてその予言は今日までことごとく的中して来たのであるが、然らばダニエルの言った「この王らの日に、天の神一つの国を建て給はむ、是はいつまでも亡ぶる事なからむ、この国は他の民に帰せず、かへってこの諸々の国を打破りてこれを滅ぼさむ、是は立ちて永遠に至らむ」とある世界統治の大使命を課せられたる国家、即ち人手を藉らずして成りし一個の石は、果してどこの国を指示するものであらうか。

 

 視よ! 今日の欧羅巴はまさに奈落の底に転落せむとするものの最後の踠きである。しかしてかく欧羅巴が滅び行く苦悩に呻吟してゐるその時、桜咲く東方日出の国では、新興満洲国皇帝陛下を御迎へして、国を挙げて感激に浸り、両国の親和契盟はいよいよ鞏固を加へた。これこそ没落欧羅巴と黎明亜細亜の姿を如実に描き出してゐるものでなくして何であらうか。

 

 この際吾々日本人は何物にも囚はれない活眼を開いて世界の形勢を洞察し、吾々の為さねばならぬ使命を天の声に聴くべきである。亡び行く欧羅巴を模倣するものに破綻が来たり、伸び行く日本精神に生きるものに光明の世界が展開する。それは誰にでも解る至極平凡なる真理である。

 

 人手を藉らずして建てられたる国とは、天祖天照大神の開き給ひし神国日本である。しかして人手を藉らずして造られた道とは、人の智をもって築かれた欧米の理論哲学でもなく、人によって説かれた道徳や宗教でもなく、実に天地剖判の時より吾らの魂の中に伝へられたる「神ながらの大道」なのである。しかし世界がかくの如く旧き殻を打破って新たなる生に活きむと悩んでゐる如く、日本もまた欧米模倣の旧殻を脱して新日本文明の建設に苦闘してゐるのである。しかしてもし日本が一日でも早くこの大道に覚醒して国内の立直しを完成したならば、それはただに我が国の為に慶賀すべき所以たるにとどまらず、全人類のこの苦悩を一日でも早く癒す所以であって世界の為に祝福さるべきことである。

 

 だがもしも神から課せられたるこの大使命を日本が怠るやうなことがあったならば、功罪共にその責の重大なるをもとより覚悟しておかねばならぬ。

 皇道の大精神に叛くものは、あだかも夏の禾場の糠の如く風に吹き払はれる。それは国の外と内とを問はない。政治も経済も宗教も道徳もことごとく八咫の鏡に照らされて審かれる日が来たのである。そしてダニエルの予言が、いよいよ神国日本の飛躍によって完成される時が来たのである。』

(惟神の道/ダニエルの予言と神国日本/出口王仁三郎から引用)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笹目秀和の事上磨錬

2024-09-08 06:02:31 | メインストリーム予言と先行モデル

◎日本人ヘイトと日本人逆差別は亡国への道

 

笹目秀和が、仕事に打ち込むことで開ける、すなわち事上磨錬について語っている。

笹目秀和は、終戦時民間人でありながら、兵士でもないのに不当にもソ連に11年も抑留され、シベリアで炭鉱掘りや薪割りをやらされ。最後まで共産主義思想へ転向しなかったので、11年目の昭和32年まで帰国ができなかったらしい。

 

笹目秀和が、サーヤさまの山本護衛官に語る。

『どんな仕事であっても、それになりきり、打ち込むことだね。そうすると宇宙にみなぎっている霊気、先天の炁(き)がどっと流入してくる。ヨガでは、先天の炁(気)のことをプラーナと呼んでいるのではないかな。

山本君の護衛の仕事は楽ではないけれども、己を捨て、こだわりを捨てて無心に打ち込むことだ。そこから自然と楽しみが生まれてくる。わしが、炭鉱掘りや薪割りを楽しんだようにね。

サーヤさまはまだ学生だから、日々の修行と心得て無心にひたすらに学業に打ち込むことだね』

(日本のカルマを背負った男 「笹目秀和」と二人の神仙/宮崎貞行/ヒカルランド P244-245から引用)

 

ある仕事に無心に打ち込むとプラーナが流入してくる。神に入るというやつだ。プラーナは、半物質なのでそれが入って来ると活性化、元気になるということだが、人によっては、それ以上のものを感得する場合がある。

例えば、妙好人という念仏の達人の中には、元気になって、すべてが南無阿弥陀仏である世界をも通過して、それ以上の境地に進む者がいることである。

 

笹目秀和は、二人の神仙に命じられ、日本のカルマを享け北東アジアに2か国の建国を命じされたが、白頭山のリョ神仙の予言どおり建国に失敗し、それが1945年の日本の敗戦につながって行く。

 

とかく笹目秀和については、太陽や月の精気を食むなどの超能力が使えることで色眼鏡で見られがちだが、笹目秀和だけが、日本のカルマを背負った特別な人間ではなく、個々の日本人一人一人が日本のカルマを背負っているのである。

 

最近日本の大学院では、院生の9割が中国人だという。日本の大学の教授陣も十年もすればほとんど中国人になるのだろう。

40年前経済学のゼミの半数以上がマルクス主義経済学だと聞いて驚いたものだが、それは敗戦時に大学から放逐されなかったのが左翼系の教員だった結果なのだろうと知ったのはずっと後年のことだった。

 

中国人院生(留学生)は月に15万円だかの生活費が日本国から支給され、日本人院生にはそれはないと来れば自ずと院生の9割が中国人になろうと言うもの。日本人ヘイト、日本人逆差別も極まれり。

日本は、このように思想学問の世界でも中国の侵略を許しており、将来日本政府の専門家会議のメンバーもほとんどが中国国防動員法に支配された反日思想の中国人教授になるという悪夢も近いのだろう。

 

こういう日本のふがいない状況を出口王仁三郎は、第二次大戦時の日本に比してこんにゃくと評している。神一厘の仕組みがあるからなどと安心していては、反日国家の華流、韓流にどんどんやられ、チベットのように気がついたら亡国になっていましたなどということになりかねない。

 

日本人ヘイトと日本人逆差別は、亡国への道。

 

チベットも亡国の何十年前から、高僧は、チベットが中国の植民地になることを幻視していたことを、チベットものを読むと時々見つけることができる。

 

台湾有事に際し、中国はいわば自動的に敵国に変わるので、相応の体制が必要のはずだが、そういう気配もないのが、将来の日本人の苦難を増幅させる。

政治家、政府、マスコミの責任は、大きい。NHKラジオ国際放送で電波ジャックした中国人の氏名がいまだに公開されないのも奇怪である。そこまで口を出される日本国政府のふがいなさ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本のカルマ

2024-09-05 03:11:34 | メインストリーム予言と先行モデル

◎天地公事

 

『日本のカルマを背負った男 「笹目秀和」と二人の神仙/宮崎貞行/ヒカルランド』に天地公事のことが書いてある。天地公事とは、世界の運命は大筋は神様が決めているが、人間の行動状況を見て、節目節目で大きな転換点すなわち天変地異や戦争などが神様の決定で起こることをいう。

 

天地公事という言葉自体は、出口王仁三郎と同時代の朝鮮の神人姜甑山の言行録には頻出していた。

 

出口王仁三郎は、信者を交えた座談会では、話題がしばしば政治や戦争の行方に及んだ場合、決まって『人間が様々に議論しても詮無い、神様がお定めになることである。』というようなことを言って、あまり積極的に語らなかったものだ。天地公事は、半ばは人間の行為の結果であるが、将来の方針を決めるのは神様なのだろう。

現実の出来事は、先に霊界において決定していて、後に現界に現実化するもの。

 

日本の将来のメイン・シナリオは、古事記に出ているとおり。今後は仲哀天皇から山幸彦のあたりが現実化してくるのだろうか。

笹目秀和は、日本のカルマを背負った男だが、いわば天皇陛下も総理大臣も日の丸を背負ったオリンピック選手も、そして一人一人の日本人も日本のカルマを背負っている。

『日本のカルマを背負った男 「笹目秀和」と二人の神仙/宮崎貞行/ヒカルランド』を改めて読み返してみたが、前半は笹目秀和の大著神仙の寵児のダイジェストではなく、これまで書かれていなかったことが半分くらい含まれている。宮崎貞行氏が本人から聞き書きしたのだろうか。その点で貴重である。

印象に残ったのは、『共産社会の行き着く先は、貧困の平等化とモラルの欠如である』という言葉。モラルとは、夫婦の貞操、親孝行、勤労のモラル(一生懸命に働かない)ということ。

さらに、仏露の人民裁判や中国の文化大革命でも見られたように、親子、肉親、親友であってもわが身可愛さで吊し上げ、人間相互の信頼や愛を破壊し孤立孤独に追い込むことで、共産主義洗脳を思想だけではなく情動からも強化しているということ。

 

1990年代にソ連崩壊があって、共産主義国の拡大はほぼ見られなくなったが、かえってリベラリズムとITの発展により貧困の平等化とモラルの欠如は世界的に拡大してしまった。並行して、人間相互の信頼や愛や家庭を破壊し孤立孤独に追い込む工作は、不法移民による民族破壊、宗教破壊、夫婦別姓化もあいまって、更に広汎に行われているのが現状である。

 

ますますスマホから手を放して冥想しなければならない時代である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古代モンゴルと新モンゴル

2024-08-29 06:25:03 | メインストリーム予言と先行モデル

◎出口王仁三郎のモンゴル行き

 

出口王仁三郎のモンゴル特別視は、彼の独特のモンゴル観、アジア観、素盞嗚(スサノオ)観なくして理解し難い。およそこの150年程度の歴史でモンゴルを理解しても出口王仁三郎のモンゴル脱出のことや笹目秀和のモンゴル人脈への献身の理由などはわからなかったのである。

 まして、「評伝 出口王仁三郎/村上 重良/ 三省堂」に出口王仁三郎のモンゴル行と軍部のつながりの経緯が詳しいといっても、ご神業としてのモンゴル行の意義は測り知れなかった。

 

以下の二つの文を見れば、出口王仁三郎は、大峠での地殻変動後のアジア全域を見て、その上でモンゴルがやがて世界の中心になることを幻視していたのだろうと思う。小は日本のモンゴルへの西遷ということも暗示しているが、誰もが神を知り、神を生きる時代に、地球の神業の中心がそれまでの日本からモンゴルに移ることについてなにほどの感慨はあるだろうが、それは大きな問題ではないのだろう。その時すでにみろくの世、至福千年は実現しているのだから。

 

『亜細亜大陸と素尊の御職掌

 

神典に云ふ葦原の国とは、スエズ運河以東の亜細亜大陸を云ふのである。ゆゑにその神典の意味から云ひ、また太古の歴史から云へば日本国である。三韓のことを「根の堅洲国」とも云ふ。新羅、高麗、百済、ミマナ等のことであるが、これには今の蒙古あたりは全部包含されて居たのである。

 また出雲の国に出雲朝廷と云ふものがあつて、凡てを統治されて居つたのである。

 

一体この亜細亜即ち葦原は伊邪那美尊様が領有されて居たのであつて、黄泉国と云ふのは、印度、支那、トルキスタン、大平洋中の「ム」国等の全部を総称して居た。それが伊邪那美尊様がかくれ給うたのち素盞嗚尊様が継承されたのであつたので、その後は亜細亜は素盞嗚尊様の知し召し給ふ国となつたのである。素盞嗚と云ふ言霊は、世界と云ふ意味にもなる。また武勇の意味もあり、大海原といふ意義もある如く、その御神名が既に御職掌を表はして居る。それで素盞嗚尊様の御神業は亜細亜の大陸にある。

 

併しながら日の本の国が立派に確立されなくてはいけない。自分が蒙古に入つたのも、また紅卍字会と握手したのも、皆意義のあることで、大神業の今後にあることを思ふべきである。

 『昭和』の雑誌に次のやうな歌を出して置いた。充分考へて見るべきである。

 

 亜細亜とは葦原の意義あし原は

  我が日の本の国名なりけり

 満蒙支那神代の日本の領土なり

  とり返すべき時いたりつつ

 大蒙古は昔の日本の領地なり

  回復するは今人の義務

 時は今我が国民は建国の

  皇謨により活動すべき秋

 和光同塵政策をとりし我が国は

  旗幟を鮮明にすべき時なり』

(玉鏡/出口王仁三郎から引用)

 

さらに

『特に我日本は神代に於ては渤海湾からゴビの沙漠より新彊まで海が続き、日本海が殆ど瀬戸内海の如きもので、小舟で交通が出来たのである。それがために日本が全アジアを支配してゐたのであり、又蒙古の大中心にまで大きな海が入りこんでをつたので気候が暖和であり、今日の如く寒冷荒涼の地ではなかつた。その時分には非常に此のアジア方面を扼して了つてゐたから、他の国からアジア(アジアとは葦原の国のことで、日本を意味す)をどうすることも出来なかつたが、現在では日本海の島々が沈没して、僅に壱岐、対馬、佐渡の核心だけが残り、津軽海峡を距てて四方環海の国なつて了つたのである。それがために交通が出来なくなり、年処を経るに従つてアジアの統一が出来なくなり、言語風俗等も変つて了つて、蒙古や支那のことは分らなくなつて了つたのである。』

(出口王仁三郎全集 第5巻 言霊解・其他/国防と国民の覚悟/出口王仁三郎から引用)

 

出口王仁三郎の蒙古行は、軍部の支援による単なるパフォーマンスと見ると誤る。新時代、至福千年へ向けての型出し神業だったのである。一行は、一旦死んで生還したが、その後出口王仁三郎は、生きているのか死んでいるのか自分でもわからないことがあったというのは意味深長である。神を知るというのは、そういうことも含めてなのだろう。

 

また世界全体の武装解除、天皇陛下が世界のトップになるということも、これらと相前後することになるのだろうと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

666の獣とは

2024-08-18 06:10:28 | メインストリーム予言と先行モデル

◎ミロク様に抵抗する者

 

新約聖書のヨハネの黙示録に666の獣というのが出てくる。これについて、出口王仁三郎は、ミロク様に抵抗する者のことだと述べている。

人が神に向かって開くのがミロクの世。人が神に向かって開くとは、人間が大逆転、倒立、改心して神を知ること。

 ミロク様に抵抗する者とは、本当は神様などないと思っている者。

 宗教が滅びるとは、万人が神という体験とはいえない体験をした場合、宗教不用となるが、そのことではなくて、実質無神論がはびこり、宗教の真理を知る者がほとんどいなくなることを宗教が滅びると云う。

 弥勒とは、釈迦後継としての未来仏弥勒菩薩のことであり、マイトレーヤという未来神のことであり、イエス再臨であり、ダンテス・ダイジ史観で言えば、アトランティス末期から予定されていた現代における万人が神知る時代のことを総称してミロクあるいはマイトレーヤと呼んでいるように思う。

 

ペザント夫人らが、クリシュナムルティにマイトレーヤの霊を乗せようとしてかえって彼は身心脱落を説くようになったのは、歴史の綾である。

 

以下出口王仁三郎の随筆から。

 

『六百六十六の獣

 

バイブルに六百六十六の獣と云ふ言葉があるが、それは三六様に抵抗すると云ふ事である。○○○○の如きがそれである。もし其通りになつたならば宗教は滅びる。宗教が滅ぶれば反乱が起る。六といふ字は神と人とが開くと云ふ字なので、即ち、ゝはカミ、一はヒト、八は開くと云ふ事である。』

(水鏡_六百六十六の獣/出口王仁三郎から引用)

※ゝはカミとは、ス字本義のス字のこと。

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の運命と占い全般が当たらなくなっていることについて

2024-07-26 06:50:39 | メインストリーム予言と先行モデル

◎出口王仁三郎予言など

 

フリーメーソンの第一階級の儀式における言葉に『あらゆる荘厳な、もしくは壮麗な建物の建立の際には、この建物の北東の隅に、第一の、基盤となる要石を置く慣わしとなっている。』

(封印のイエス/クリストファー・ナイト/学研P71から引用)

 

更に、新約の福音書には、家造りらの捨てた石のことが見える。

『家造りらの捨てた石が

隅のかしら石になった。

これは主がなされたことで、

わたしたちの目には不思議に見える』。

(マタイによる福音書21-42)

 

つまりユダヤ・キリスト教では、人に打ち捨てられた石が北東に置かれるのだが、それが長い年月の末に、滅びることのない神の神殿の基礎となるという伝承があるのだ。

 

これは、大本教で北東のトイレに落ちていた艮の金神が、現代に至って地球の主宰神である国之常立神として復活するモチーフと似ている。

 

世界の北東とは日本のこと。

世界に先立って、日本が立替立直し。

 

古神道家がこのヴィジョンを見るのは当然だが、フリーメーソンやキリスト教徒も同じビジョンを見ている。

これは、世界の北東の辺境だった日本が世界の中心になるという予言である。

 

わたしの見るところ、アトランティス滅亡直後にはユーラシア全域の支配者だった素戔嗚尊が、次第に領地を減らし段々と東側だけになり、最後は朝鮮半島と日本だけになり、さらに現在のように日本だけが支配下になった姿が、東北に押し込められた北東のトイレに落ちていた艮(うしとら)の金神。

 

やがて核戦争や天変地異などの世界の大峠後に、人間の智恵だけではどうにもならないと西側が気づく時が来て、日本の天皇陛下を世界のトップに押し上げる。

これがユダヤの『滅びることのない神の神殿の基礎となる』にして、大本教の『北東のトイレに落ちていた艮の金神が、現代に至って地球の主宰神である国之常立神として復活する』ということ。

 

このモチーフは、ユダヤ・キリスト教と大本教の専売特許かと思いきや、北東は暗剣殺で凶であるという基軸に変換されて、世の中の占術、卜占万般(星占い、数秘術、四柱推命、算命学、宿曜、九星気学、紫微斗数、タロット、ルーン、易、おみくじ、手相、人相、風水、姓名判断など)に共通の基本となっている。

 

なるほど過去数千年にわたって北東は暗剣殺で凶だったが、いまや北東が大吉になる時節が近づいている。これが千年王国、至福千年、みろくの世。よってこれまでの占術、卜占万般は当たらなくなり始めているということ。

 

ただし日本の天皇陛下が世界の中心、トップになるには、ご高承のとおり国連憲章第五十三条、第百七条の旧敵国条項がなくならなければならない。

ところが、中ロは言わずもがなで、アメリカまでも最終的に日本を奪ってしまおうという悪意があることは、出口王仁三郎予言に明らかである。

『ろこく斗(ばか)りか亜米利加迄が、末に日本を奪る企画。金と便利に任しつつ。』

(いろは歌/出口王仁三郎)

 

出口王仁三郎は、日本の最後を予言する一方で、世界の中心が西遷し、モンゴルに移ることも、自ら行った入蒙の冒険で、予言モデルを現実化させている。

 

世の中の占いが当たらなくなりつつあるのと、日本の運命は連動しているのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする