アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

タラビッチのクレムナの予言

2024-12-22 03:06:09 | メインストリーム予言と先行モデル

◎瞑想と東方の賢者たち

 

セルビアのミタール・タラビッチ(1899年没)は、読み書きができなかったので、その予言をザハリヘ司祭に記録してもらっていた。

クレムナの予言を注目した理由は、瞑想を評価していることと、東方の賢者たちが終わりの時代をリードするということである。

ところが、『新釈・クレムナの予言/たくきよしみつ』を見たところ、瞑想という言葉は見当たらず、代わりに「自分の心の中に真実を見つけようとすること」みたいな表現がそれに該当するようだった。「自分の心の中に真実を見つけようとすること」で瞑想をイメージする人はほとんどいないので、残念なことだった。

 

東方の賢者たちの教えは、最初受け入れられないが後に受け入れらるようになるということだけ書いてあって、東方の賢者たちが誰で、その教えがどのようなものかどうかは何も言っていない。

また最終戦争の後に至福千年が来るかどうかも言及していない。

ただ全体に神の智慧こそ真実という見方が横溢しているところは評価できる。

 

さて近代西欧数百年の運命を霊眼でスキャンした預言者ノストラダムスが目にしたのは、ヘルメスがダンテス・ダイジとして日本に転生した純粋な黄金のきらめきだった。ダンテス・ダイジの前身は、クリシュナにして、ヘルメスにして、道教にあっては如意第慈。

 

『X-75

 

待望久しい人は二度と

 ヨーロッパに帰って来ないだろう。

偉大なヘルメース神の血をひく一人物がアジアに出現し、

 東方のすべての王のうえに権力を及ぼすだろう。』

 (新釈ノストラダムス/J.C.ド・フォンブリュヌ/講談社P291から引用)

 

さらに

『日の国はメルキュールによってエクリプスを隠す

 第二の空にしか置かれない

 火と金属の神(ヴュルカン)により エルメスは祈らされる

 日の国は純粋なきらめきとブロンドを見るだろう。

(諸世紀四巻29)』(大予言・日本編/五島勉/祥伝社から引用)

※メルキュールは、ヘルメスの別名。

 

上掲『第二の空にしか置かれない』とは、いかにも全面核戦争から逃れられるみたいな雰囲気だが、日本は神国であるがゆえに立替立直しは、世界に先んじて起こるので、ご油断召さるまじ。

 

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ノストラダムスのセザールへの手紙を読む-3

2024-12-09 03:11:19 | メインストリーム予言と先行モデル

◎神の意志は果たされるのである

 

セザールへの手紙の続き。

『天空の、目に見える判断について言うと、私たちは今すべてを終息させる七〇〇〇年代にいるけれども、八〇〇〇年代に近づいてもいるのだ。そのとき、広大な次元にある第八番目の天球をもつ天空となり、そこで、偉大な永遠の神が変革を仕上げ、星座群は自らの運動と、地球を揺るぎない安定したものにする超越的な運動とを再開するだろう。「その運行はいつの世までも続くものではない」――神の意志が果たされないというのはありえないのだから。マホメットの夢想のようなあらゆる自然の理性を超える曖昧な説がどう言おうと、神の意志は果たされるのである。だから、創造主たる神は幾度も、炎を携えた火の使者を仲介として、予知する人にはっきりと示されるはずの未来の出来事を明かす。未来に関する予言の諸々の原因を、私たちの知覚と目に提示してみせるのである。』

(時の旅人ノストラダムス ミシェル・C・トゥシャール ボーダーランド文庫角川春樹事務所P267-268から引用)

 

七〇〇〇年代は、この現代で、七身体と七つの次元の時代。八〇〇〇年代は、至福千年、千年王国のこと。八〇〇〇年代は、第八の天球と同義で、大涅槃のこと。第八の天球を用いるのはグノーシスのヘルメス文書やミトラ教。また8チャクラ説でもあって、これは、アトランティスのアメンティー・タントリズム。

 

ダンテス・ダイジが殊更に8チャクラを言うのは、『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』にあるクンダリーニ・ヨーガの窮極突入プロセスが念頭にあったのだろう。

 

ノストラダムスは、グノーシスやミトラ教の文献を持っていて、かつ自分でも第八の天球を確認したのだろう。文中に迫害を恐れて危険な文書を焼いた記述があるが、それはこうした類の文献だったのだろうと思う。

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ノストラダムスのセザールへの手紙を読む-2

2024-12-08 03:12:04 | メインストリーム予言と先行モデル

◎世界は天地がひっくり返るような変革に近づいている

 

セザールへの手紙の続き。

『なぜなら火星 (戦争)がその世紀 (二〇世紀)を終了させるのだが、その最後の期間の終わり(一九七五―一九九九年)に火星がその世紀を支配するからである。これら異変のいくつかは数年間は宝瓶宮〔一月二一日-二月二〇日〕に、また他のいくつかはさらに長年月にわたり巨蟹宮〔六月二二日―七月二三日〕に集中するだろう。―今、永劫不滅なる神の全能に助けられて私たちは月(共和国)に統轄されていて、月がその周期を完(まっとう)するや、太陽(君主制) に、続いて土星 (黄金時代) (一九九九年以後は宝瓶宮の時代)に統轄されることになろう。

というのは、天の徴にしたがうと、土星の統治が再びめぐって来るからだ。いかように予測しようとも、世界は天地がひっくり返るような変革に近づいているのだから。それは私が今これを認めている現在から一七七年と三ヵ月十一日先(一五五五年に一七七年を加えると一七三二年になり、ノストラダムスが革命思想の父とみなすジャン=ジャック・ルソーがパリへ出た年を指す)までにわたっており、世界は疫病と長い飢饉と戦争と洪水で、現在からあらかじめ定められた期限までの間に、覆い尽くされることだろう。前後、人類は何度にもわたって減少し、ほとんど絶滅してしまうものだから、土地を占有しようとする人もいなくなり、土地はかつて耕やされていたのと同じくらい長期間、耕やされなくなってしまうだろう。 』

(時の旅人ノストラダムス ミシェル・C・トゥシャール ボーダーランド文庫角川春樹事務所P267から引用)

 

今はまだ、戦争が盛んにおこなわれているから火星 (戦争)の時代。

月(共和国)の時代は、民主主義の時代であって、今の時代。

太陽(君主制)の時代は、今からは想像しにくいかもしれないが、世界が一人の帝王を戴く時代。

以上が、人間が世俗世界の王、主催者、統治者となる時代である。

土星 (黄金時代)は、至福千年、千年王国、みろくの代。これ以後は、神人合一した人間が世俗世界の王、主催者、統治者となる時代である。この時代は人類全員が神知る時代だから、もはや世の中に宗教はない。この時代は神主主義の時代とも呼ばれる。

 

上掲『土星の統治が再びめぐって来る』とは、それ以前の黄金の神主主義の時代はアトランティスにもあったことを意識しているのだろう。

 

この本が書かれたのは1555年。1999年の恐怖の大王は時期がずれた。その伝で、現在から一七七年と三ヵ月十一日先を考えるのだろう。

これは、出口王仁三郎が、大本神歌の大変動のある年を、戊午ではなく、戊の、午の春夏秋と書いてあるのと同じ心だろう。

 

ノストラダムスは、世界は疫病と長い飢饉と戦争と洪水の繰り返しで人類はほとんど絶滅するが、若干は残ることを想定している。そういうわけで、ノストラダムスは、人類の一旦全滅後の復活という未来像は採用していないことがわかる。人口はだいぶ減るが、今の人類は存続して、至福千年に入るのだ。

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ノストラダムスのセザールへの手紙を読む-1

2024-12-07 06:50:35 | メインストリーム予言と先行モデル

◎出口王仁三郎曰く、東洋は火で滅び、西洋は水で滅ぶ

 

ノストラダムスは、予言詩集百詩篇の他に、予言を解くカギとして、息子セザールへの手紙とアンリ二世への手紙を残している。息子セザールもアンリ二世も未悟の者だが、セザールへの手紙の方がより後世の冥想修行者向けに書かれているように思う。

王だから悟っているかと言えば、むしろそうではないのが常識。またアンリ二世への手紙には予言イベントは書いてあるが、ほとんど何のことかわからないように書いてある。何のためにそうしているかと言えば、世の終わりに振り返ってみれば、初めてその予言がすべて当たっていたことがわかるように。また世の終わり以前に予言内容がわかるようであれば、必ずキリスト教会に迫害され、焚書されることを避けるため。

 

以下、セザールへの手紙。

『けれども、わが子よ、おまえの認識力からあまりに隔たることのないためにも、多くの大洪水と、水びたしにならないような国はほとんどないくらいの大浸水 (革命)をもたらすはずの世界的な大災害が起こる前に、私が世界を究めてしまったその仕方を、文学者どもが前代未聞なほど大いに喧伝するだろうということを知っておいてほしいと思うのだ。』

(時の旅人ノストラダムス ミシェル・C・トゥシャール ボーダーランド文庫角川春樹事務所P267から引用)

 

上掲『私が世界を究めてしまったその仕方』とは、ある冥想法のこと。その冥想法は世の終わりの前に喧伝すなわち広く伝えられる。

 

出口王仁三郎曰く、東洋は火で滅び、西洋は水で滅ぶ、と。ここでは大洪水と大浸水と二種に分けているが、どちらにせよ西洋は水で滅ぶ。こうしたスピリチュアル文書の作法として大洪水と大浸水という言葉も三つくらいの意味をかけているものだ。

 

『そしてこの大浸水は、歴史と場所を除いて、すべてが死滅するまで続くだろう。―――ゆえに、このような大洪水(革命)の前後、幾らかの国では雨が乏しくなり、天から膨大な 火と焼けただれた石 (砲弾)が降ってきて、残らず焼き尽くされてしまうだろう。そして、これは最後の大災害(一九九九年)の直前に起こるだろう。』

(上掲書P267から引用)

 

この大洪水ですべてが死滅するというのは、イザヤ書型の全人類の滅亡を意味しているのだろうか。引き続き最後の大災害もあるので、それまで生存者はいるということか。

 

出口王仁三郎は、東洋は火で滅び、と言い、上掲『天から膨大な 火と焼けただれた石 (砲弾)が降ってきて、残らず焼き尽くされてしまうだろう』とは、東洋全体に火の雨を降らせるような兵器を言っているのだろうか。出口王仁三郎は、終戦後、東京大空襲などを指し、予言の『火の雨は、こんなちょろこいものではない。』と釘をさしている。

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次の日本の敗戦から至福千年への道

2024-11-26 03:32:25 | メインストリーム予言と先行モデル

◎次の掃除も外国の手によって

 

大正時代の第一次大本事件(大本教に対する大弾圧)は、第二次世界大戦時の日本の運命の先行モデルとして位置づけられた。

昭和10年の第二次大本事件は、第一次大本事件に比べ激烈で徹底したものだったが、日本の将来の運命としてはまだ実現していない。

 

この経緯を踏まえて、出口王仁三郎の終戦直後の予言。

『マッカーサーが日本に進駐してくると王仁三郎はその意義を家の大掃除にたとえて説き明かす。

 

「世界を1軒の家にたとえると、日本は家の中の神床にあたる。ところがその神床が非常に汚れ塵埃がたまっているので掃除せねばならぬが、日本の神床を日本人自身にやらせると、血で血を洗う騒ぎをくり返すばかりでできはせぬ。そこで神は、マ元帥という外国出身の荒男をつれてきて掃除をさせられるのや。

 

ところが神床はもともと神聖な所なので、

掃除をするにしても、絹の切(きれ)でこしらえたハタキとか紙製のきれいなハタキとか使って掃除せねばならぬ性質のものだが、そこは外国出身の荒武者のことだから、竹の荒ボウキを持って神床を掃除するような時もおころう。

神床のゴミをはたくと、次は座敷の掃除が順序じゃな。世界の座敷はどこかというと朝鮮・支那になる。そして掃除は座敷をもって終わるものじゃない。庭先の掃除が必要になってくる。世界の庭先とは、ソ連や米国にあたる」』

(出口なお・王仁三郎の予言・確言/出口 和明/みいづ舎P296-297から引用)

 

第一次大本事件をプロトタイプとした先般の日本の敗戦を目の当たりにして、出口王仁三郎は、『こうならぬとこの神は世に出られぬ』ともらしたという。

 

今後第二次大本事件をプロトタイプとした再度の日本の敗戦が予言されているが、そののち、朝鮮・支那が戦場となり、最後は米ロの掃除が予見されているということ。

 

神様から見た掃除であるから、旧約聖書創世記でソドムの破壊前夜に天使が正しい人の人数を数えに来たようなことが日本でもあるのだろう。その時日本は一定数以上の神知る人の人数を抱えていなければ、来る至福千年(みろくの代)で日本が世界の中心となるのは夢物語。

 

さらに日本の大峠(至福千年前夜のカタストロフィ)では、出口ナオが、助かるべき者が助かるように、三、四月、八、九月に発生するように祈っている。

 

第二次大本事件では、起訴された信者61人のうち、厳しい拘禁生活の結果、昭和20年9月の無罪言い渡し時に存命していたのは、約三分の二の40人であった。『助かるべき者が助かるように』早く無罪が出たのだろうか。

 

今後の第二次大本事件をプロトタイプとした再度の日本の戦争では、前回以上の思想信教の締め付けがあり、またも軍事政権となることが予言されている。また日本が敗戦となるのに、次の時代は日本が世界の中心になるという予言があるのは、一見奇妙だが、神人合一してその仕掛けを読み解く人も続々と出てくるのではないだろうか。

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ダニエル書の予言、日本の世界統一

2024-11-23 03:28:06 | メインストリーム予言と先行モデル

◎日本が諸々の国を打砕き世界を統一する

 

旧約聖書のダニエル書第二章に日本の勃興と世界統一が予言されている。

ネブカドネザル王が巨人の夢をみた。その巨人の像は、首は金で、胸と両腕は銀、その腹と腿とは銅で、その脛は鉄、そして脚と趾とは一部は鉄で一部は泥で出来ていた。そして一個の石が人手を藉(か)りずに山よりけずれ落ち、その巨像の足を撃ったと思うと、たちまち巨像は夏の禾場(うちば)の糠の如く粉砕して風に吹払われ、これを撃った石は大なる山となって全地に充ち拡がった。

ダニエルはこの夢の密意を解いて、その巨像こそ治乱興亡の世界歴史を示すものであって、最後に人手を藉らずしてある国が現はれて、諸々の国を打砕き世界を統一することを予言した。

出口王仁三郎の解説では、金の国バビロン、銀の国ペルシヤ、銅の国ギリシヤと相次いで倒れ、鉄の国ローマもまた北方より侵入した泥の国ゲルマンに滅ぼされ、今や欧州は趾(あし)の如く、鉄と泥との小国に分離して互いに相争い、混沌として統一できない状態に陥っている。

人手を藉らずしてある国とは、人手を藉らず神が建てた国日本のこと。日本は、これらのもろもろの国を打ち破って滅ぼして世界を統一し、永遠に至る。

政治も経済も宗教も道徳もことごとく八咫の鏡に照らされて審かれる日が来たのだ。

そうなるためには、日本人一人一人が神を知り、「神ながらの大道」を歩まねばならない。

 

これは、ユダヤ・キリスト教では、人に打ち捨てられた石が北東に置かれるのだが、それが長い年月の末に、滅びることのない神の神殿の基礎となるという伝承と連動。これは、出口王仁三郎が、長年月北東に監禁されていたもともとこの世の主宰神であった艮の金神を舞台の中心に引き出したのと同義。

以下、出口王仁三郎の原文。

『二六〇〇年の昔バビロンの王ネブカドネザルがある夜巨人の像を夢みた。その像は首は金で、胸と両腕は銀、その腹と腿とは銅で、その脛は鉄、しかして脚と趾とは一部は鉄で一部は泥で出来てゐた。しかして一個の石が人手を藉らずして山より鑿れ落ち、その巨像の足を撃ったと思ふと、たちまち巨像は夏の禾場の糠の如く粉砕して風に吹払はれ、これを撃った石は大なる山となって全地に充ち拡がったといふのである。

 

 この時、神を信ずる青年ダニエルはその夢の密意を解いて、その巨象こそ治乱興亡の世界歴史を示すものであって、最後に人手を藉らずしてある国が現はれて、諸々の国を打砕き世界を統一するものなることを予言したのである。

 

 果たせるかな、金の国バビロン、銀の国ペルシヤ、銅の国ギリシヤに相次いで倒れ、鉄の国ローマもまた北方より侵入したる泥の国ゲルマンに滅ぼされ、今や欧羅巴は趾の如く、鉄と泥との小国に分離して互ひに相争ひ、混沌として帰一する所を知らざる状態に陥ってゐるのである。

 

 かくしてその予言は今日までことごとく的中して来たのであるが、然らばダニエルの言った「この王らの日に、天の神一つの国を建て給はむ、是はいつまでも亡ぶる事なからむ、この国は他の民に帰せず、かへってこの諸々の国を打破りてこれを滅ぼさむ、是は立ちて永遠に至らむ」とある世界統治の大使命を課せられたる国家、即ち人手を藉らずして成りし一個の石は、果してどこの国を指示するものであらうか。

 

 視よ! 今日の欧羅巴はまさに奈落の底に転落せむとするものの最後の踠きである。しかしてかく欧羅巴が滅び行く苦悩に呻吟してゐるその時、桜咲く東方日出の国では、新興満洲国皇帝陛下を御迎へして、国を挙げて感激に浸り、両国の親和契盟はいよいよ鞏固を加へた。これこそ没落欧羅巴と黎明亜細亜の姿を如実に描き出してゐるものでなくして何であらうか。

 

 この際吾々日本人は何物にも囚はれない活眼を開いて世界の形勢を洞察し、吾々の為さねばならぬ使命を天の声に聴くべきである。亡び行く欧羅巴を模倣するものに破綻が来たり、伸び行く日本精神に生きるものに光明の世界が展開する。それは誰にでも解る至極平凡なる真理である。

 

 人手を藉らずして建てられたる国とは、天祖天照大神の開き給ひし神国日本である。しかして人手を藉らずして造られた道とは、人の智をもって築かれた欧米の理論哲学でもなく、人によって説かれた道徳や宗教でもなく、実に天地剖判の時より吾らの魂の中に伝へられたる「神ながらの大道」なのである。しかし世界がかくの如く旧き殻を打破って新たなる生に活きむと悩んでゐる如く、日本もまた欧米模倣の旧殻を脱して新日本文明の建設に苦闘してゐるのである。しかしてもし日本が一日でも早くこの大道に覚醒して国内の立直しを完成したならば、それはただに我が国の為に慶賀すべき所以たるにとどまらず、全人類のこの苦悩を一日でも早く癒す所以であって世界の為に祝福さるべきことである。

 

 だがもしも神から課せられたるこの大使命を日本が怠るやうなことがあったならば、功罪共にその責の重大なるをもとより覚悟しておかねばならぬ。

 皇道の大精神に叛くものは、あだかも夏の禾場の糠の如く風に吹き払はれる。それは国の外と内とを問はない。政治も経済も宗教も道徳もことごとく八咫の鏡に照らされて審かれる日が来たのである。そしてダニエルの予言が、いよいよ神国日本の飛躍によって完成される時が来たのである。』

(惟神の道/ダニエルの予言と神国日本/出口王仁三郎から引用)

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笹目秀和の事上磨錬

2024-09-08 06:02:31 | メインストリーム予言と先行モデル

◎日本人ヘイトと日本人逆差別は亡国への道

 

笹目秀和が、仕事に打ち込むことで開ける、すなわち事上磨錬について語っている。

笹目秀和は、終戦時民間人でありながら、兵士でもないのに不当にもソ連に11年も抑留され、シベリアで炭鉱掘りや薪割りをやらされ。最後まで共産主義思想へ転向しなかったので、11年目の昭和32年まで帰国ができなかったらしい。

 

笹目秀和が、サーヤさまの山本護衛官に語る。

『どんな仕事であっても、それになりきり、打ち込むことだね。そうすると宇宙にみなぎっている霊気、先天の炁(き)がどっと流入してくる。ヨガでは、先天の炁(気)のことをプラーナと呼んでいるのではないかな。

山本君の護衛の仕事は楽ではないけれども、己を捨て、こだわりを捨てて無心に打ち込むことだ。そこから自然と楽しみが生まれてくる。わしが、炭鉱掘りや薪割りを楽しんだようにね。

サーヤさまはまだ学生だから、日々の修行と心得て無心にひたすらに学業に打ち込むことだね』

(日本のカルマを背負った男 「笹目秀和」と二人の神仙/宮崎貞行/ヒカルランド P244-245から引用)

 

ある仕事に無心に打ち込むとプラーナが流入してくる。神に入るというやつだ。プラーナは、半物質なのでそれが入って来ると活性化、元気になるということだが、人によっては、それ以上のものを感得する場合がある。

例えば、妙好人という念仏の達人の中には、元気になって、すべてが南無阿弥陀仏である世界をも通過して、それ以上の境地に進む者がいることである。

 

笹目秀和は、二人の神仙に命じられ、日本のカルマを享け北東アジアに2か国の建国を命じされたが、白頭山のリョ神仙の予言どおり建国に失敗し、それが1945年の日本の敗戦につながって行く。

 

とかく笹目秀和については、太陽や月の精気を食むなどの超能力が使えることで色眼鏡で見られがちだが、笹目秀和だけが、日本のカルマを背負った特別な人間ではなく、個々の日本人一人一人が日本のカルマを背負っているのである。

 

最近日本の大学院では、院生の9割が中国人だという。日本の大学の教授陣も十年もすればほとんど中国人になるのだろう。

40年前経済学のゼミの半数以上がマルクス主義経済学だと聞いて驚いたものだが、それは敗戦時に大学から放逐されなかったのが左翼系の教員だった結果なのだろうと知ったのはずっと後年のことだった。

 

中国人院生(留学生)は月に15万円だかの生活費が日本国から支給され、日本人院生にはそれはないと来れば自ずと院生の9割が中国人になろうと言うもの。日本人ヘイト、日本人逆差別も極まれり。

日本は、このように思想学問の世界でも中国の侵略を許しており、将来日本政府の専門家会議のメンバーもほとんどが中国国防動員法に支配された反日思想の中国人教授になるという悪夢も近いのだろう。

 

こういう日本のふがいない状況を出口王仁三郎は、第二次大戦時の日本に比してこんにゃくと評している。神一厘の仕組みがあるからなどと安心していては、反日国家の華流、韓流にどんどんやられ、チベットのように気がついたら亡国になっていましたなどということになりかねない。

 

日本人ヘイトと日本人逆差別は、亡国への道。

 

チベットも亡国の何十年前から、高僧は、チベットが中国の植民地になることを幻視していたことを、チベットものを読むと時々見つけることができる。

 

台湾有事に際し、中国はいわば自動的に敵国に変わるので、相応の体制が必要のはずだが、そういう気配もないのが、将来の日本人の苦難を増幅させる。

政治家、政府、マスコミの責任は、大きい。NHKラジオ国際放送で電波ジャックした中国人の氏名がいまだに公開されないのも奇怪である。そこまで口を出される日本国政府のふがいなさ。

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日本のカルマ

2024-09-05 03:11:34 | メインストリーム予言と先行モデル

◎天地公事

 

『日本のカルマを背負った男 「笹目秀和」と二人の神仙/宮崎貞行/ヒカルランド』に天地公事のことが書いてある。天地公事とは、世界の運命は大筋は神様が決めているが、人間の行動状況を見て、節目節目で大きな転換点すなわち天変地異や戦争などが神様の決定で起こることをいう。

 

天地公事という言葉自体は、出口王仁三郎と同時代の朝鮮の神人姜甑山の言行録には頻出していた。

 

出口王仁三郎は、信者を交えた座談会では、話題がしばしば政治や戦争の行方に及んだ場合、決まって『人間が様々に議論しても詮無い、神様がお定めになることである。』というようなことを言って、あまり積極的に語らなかったものだ。天地公事は、半ばは人間の行為の結果であるが、将来の方針を決めるのは神様なのだろう。

現実の出来事は、先に霊界において決定していて、後に現界に現実化するもの。

 

日本の将来のメイン・シナリオは、古事記に出ているとおり。今後は仲哀天皇から山幸彦のあたりが現実化してくるのだろうか。

笹目秀和は、日本のカルマを背負った男だが、いわば天皇陛下も総理大臣も日の丸を背負ったオリンピック選手も、そして一人一人の日本人も日本のカルマを背負っている。

『日本のカルマを背負った男 「笹目秀和」と二人の神仙/宮崎貞行/ヒカルランド』を改めて読み返してみたが、前半は笹目秀和の大著神仙の寵児のダイジェストではなく、これまで書かれていなかったことが半分くらい含まれている。宮崎貞行氏が本人から聞き書きしたのだろうか。その点で貴重である。

印象に残ったのは、『共産社会の行き着く先は、貧困の平等化とモラルの欠如である』という言葉。モラルとは、夫婦の貞操、親孝行、勤労のモラル(一生懸命に働かない)ということ。

さらに、仏露の人民裁判や中国の文化大革命でも見られたように、親子、肉親、親友であってもわが身可愛さで吊し上げ、人間相互の信頼や愛を破壊し孤立孤独に追い込むことで、共産主義洗脳を思想だけではなく情動からも強化しているということ。

 

1990年代にソ連崩壊があって、共産主義国の拡大はほぼ見られなくなったが、かえってリベラリズムとITの発展により貧困の平等化とモラルの欠如は世界的に拡大してしまった。並行して、人間相互の信頼や愛や家庭を破壊し孤立孤独に追い込む工作は、不法移民による民族破壊、宗教破壊、夫婦別姓化もあいまって、更に広汎に行われているのが現状である。

 

ますますスマホから手を放して冥想しなければならない時代である。

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古代モンゴルと新モンゴル

2024-08-29 06:25:03 | メインストリーム予言と先行モデル

◎出口王仁三郎のモンゴル行き

 

出口王仁三郎のモンゴル特別視は、彼の独特のモンゴル観、アジア観、素盞嗚(スサノオ)観なくして理解し難い。およそこの150年程度の歴史でモンゴルを理解しても出口王仁三郎のモンゴル脱出のことや笹目秀和のモンゴル人脈への献身の理由などはわからなかったのである。

 まして、「評伝 出口王仁三郎/村上 重良/ 三省堂」に出口王仁三郎のモンゴル行と軍部のつながりの経緯が詳しいといっても、ご神業としてのモンゴル行の意義は測り知れなかった。

 

以下の二つの文を見れば、出口王仁三郎は、大峠での地殻変動後のアジア全域を見て、その上でモンゴルがやがて世界の中心になることを幻視していたのだろうと思う。小は日本のモンゴルへの西遷ということも暗示しているが、誰もが神を知り、神を生きる時代に、地球の神業の中心がそれまでの日本からモンゴルに移ることについてなにほどの感慨はあるだろうが、それは大きな問題ではないのだろう。その時すでにみろくの世、至福千年は実現しているのだから。

 

『亜細亜大陸と素尊の御職掌

 

神典に云ふ葦原の国とは、スエズ運河以東の亜細亜大陸を云ふのである。ゆゑにその神典の意味から云ひ、また太古の歴史から云へば日本国である。三韓のことを「根の堅洲国」とも云ふ。新羅、高麗、百済、ミマナ等のことであるが、これには今の蒙古あたりは全部包含されて居たのである。

 また出雲の国に出雲朝廷と云ふものがあつて、凡てを統治されて居つたのである。

 

一体この亜細亜即ち葦原は伊邪那美尊様が領有されて居たのであつて、黄泉国と云ふのは、印度、支那、トルキスタン、大平洋中の「ム」国等の全部を総称して居た。それが伊邪那美尊様がかくれ給うたのち素盞嗚尊様が継承されたのであつたので、その後は亜細亜は素盞嗚尊様の知し召し給ふ国となつたのである。素盞嗚と云ふ言霊は、世界と云ふ意味にもなる。また武勇の意味もあり、大海原といふ意義もある如く、その御神名が既に御職掌を表はして居る。それで素盞嗚尊様の御神業は亜細亜の大陸にある。

 

併しながら日の本の国が立派に確立されなくてはいけない。自分が蒙古に入つたのも、また紅卍字会と握手したのも、皆意義のあることで、大神業の今後にあることを思ふべきである。

 『昭和』の雑誌に次のやうな歌を出して置いた。充分考へて見るべきである。

 

 亜細亜とは葦原の意義あし原は

  我が日の本の国名なりけり

 満蒙支那神代の日本の領土なり

  とり返すべき時いたりつつ

 大蒙古は昔の日本の領地なり

  回復するは今人の義務

 時は今我が国民は建国の

  皇謨により活動すべき秋

 和光同塵政策をとりし我が国は

  旗幟を鮮明にすべき時なり』

(玉鏡/出口王仁三郎から引用)

 

さらに

『特に我日本は神代に於ては渤海湾からゴビの沙漠より新彊まで海が続き、日本海が殆ど瀬戸内海の如きもので、小舟で交通が出来たのである。それがために日本が全アジアを支配してゐたのであり、又蒙古の大中心にまで大きな海が入りこんでをつたので気候が暖和であり、今日の如く寒冷荒涼の地ではなかつた。その時分には非常に此のアジア方面を扼して了つてゐたから、他の国からアジア(アジアとは葦原の国のことで、日本を意味す)をどうすることも出来なかつたが、現在では日本海の島々が沈没して、僅に壱岐、対馬、佐渡の核心だけが残り、津軽海峡を距てて四方環海の国なつて了つたのである。それがために交通が出来なくなり、年処を経るに従つてアジアの統一が出来なくなり、言語風俗等も変つて了つて、蒙古や支那のことは分らなくなつて了つたのである。』

(出口王仁三郎全集 第5巻 言霊解・其他/国防と国民の覚悟/出口王仁三郎から引用)

 

出口王仁三郎の蒙古行は、軍部の支援による単なるパフォーマンスと見ると誤る。新時代、至福千年へ向けての型出し神業だったのである。一行は、一旦死んで生還したが、その後出口王仁三郎は、生きているのか死んでいるのか自分でもわからないことがあったというのは意味深長である。神を知るというのは、そういうことも含めてなのだろう。

 

また世界全体の武装解除、天皇陛下が世界のトップになるということも、これらと相前後することになるのだろうと思う。

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666の獣とは

2024-08-18 06:10:28 | メインストリーム予言と先行モデル

◎ミロク様に抵抗する者

 

新約聖書のヨハネの黙示録に666の獣というのが出てくる。これについて、出口王仁三郎は、ミロク様に抵抗する者のことだと述べている。

人が神に向かって開くのがミロクの世。人が神に向かって開くとは、人間が大逆転、倒立、改心して神を知ること。

 ミロク様に抵抗する者とは、本当は神様などないと思っている者。

 宗教が滅びるとは、万人が神という体験とはいえない体験をした場合、宗教不用となるが、そのことではなくて、実質無神論がはびこり、宗教の真理を知る者がほとんどいなくなることを宗教が滅びると云う。

 弥勒とは、釈迦後継としての未来仏弥勒菩薩のことであり、マイトレーヤという未来神のことであり、イエス再臨であり、ダンテス・ダイジ史観で言えば、アトランティス末期から予定されていた現代における万人が神知る時代のことを総称してミロクあるいはマイトレーヤと呼んでいるように思う。

 

ペザント夫人らが、クリシュナムルティにマイトレーヤの霊を乗せようとしてかえって彼は身心脱落を説くようになったのは、歴史の綾である。

 

以下出口王仁三郎の随筆から。

 

『六百六十六の獣

 

バイブルに六百六十六の獣と云ふ言葉があるが、それは三六様に抵抗すると云ふ事である。○○○○の如きがそれである。もし其通りになつたならば宗教は滅びる。宗教が滅ぶれば反乱が起る。六といふ字は神と人とが開くと云ふ字なので、即ち、ゝはカミ、一はヒト、八は開くと云ふ事である。』

(水鏡_六百六十六の獣/出口王仁三郎から引用)

※ゝはカミとは、ス字本義のス字のこと。

 

 

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日本の運命と占い全般が当たらなくなっていることについて

2024-07-26 06:50:39 | メインストリーム予言と先行モデル

◎出口王仁三郎予言など

 

フリーメーソンの第一階級の儀式における言葉に『あらゆる荘厳な、もしくは壮麗な建物の建立の際には、この建物の北東の隅に、第一の、基盤となる要石を置く慣わしとなっている。』

(封印のイエス/クリストファー・ナイト/学研P71から引用)

 

更に、新約の福音書には、家造りらの捨てた石のことが見える。

『家造りらの捨てた石が

隅のかしら石になった。

これは主がなされたことで、

わたしたちの目には不思議に見える』。

(マタイによる福音書21-42)

 

つまりユダヤ・キリスト教では、人に打ち捨てられた石が北東に置かれるのだが、それが長い年月の末に、滅びることのない神の神殿の基礎となるという伝承があるのだ。

 

これは、大本教で北東のトイレに落ちていた艮の金神が、現代に至って地球の主宰神である国之常立神として復活するモチーフと似ている。

 

世界の北東とは日本のこと。

世界に先立って、日本が立替立直し。

 

古神道家がこのヴィジョンを見るのは当然だが、フリーメーソンやキリスト教徒も同じビジョンを見ている。

これは、世界の北東の辺境だった日本が世界の中心になるという予言である。

 

わたしの見るところ、アトランティス滅亡直後にはユーラシア全域の支配者だった素戔嗚尊が、次第に領地を減らし段々と東側だけになり、最後は朝鮮半島と日本だけになり、さらに現在のように日本だけが支配下になった姿が、東北に押し込められた北東のトイレに落ちていた艮(うしとら)の金神。

 

やがて核戦争や天変地異などの世界の大峠後に、人間の智恵だけではどうにもならないと西側が気づく時が来て、日本の天皇陛下を世界のトップに押し上げる。

これがユダヤの『滅びることのない神の神殿の基礎となる』にして、大本教の『北東のトイレに落ちていた艮の金神が、現代に至って地球の主宰神である国之常立神として復活する』ということ。

 

このモチーフは、ユダヤ・キリスト教と大本教の専売特許かと思いきや、北東は暗剣殺で凶であるという基軸に変換されて、世の中の占術、卜占万般(星占い、数秘術、四柱推命、算命学、宿曜、九星気学、紫微斗数、タロット、ルーン、易、おみくじ、手相、人相、風水、姓名判断など)に共通の基本となっている。

 

なるほど過去数千年にわたって北東は暗剣殺で凶だったが、いまや北東が大吉になる時節が近づいている。これが千年王国、至福千年、みろくの世。よってこれまでの占術、卜占万般は当たらなくなり始めているということ。

 

ただし日本の天皇陛下が世界の中心、トップになるには、ご高承のとおり国連憲章第五十三条、第百七条の旧敵国条項がなくならなければならない。

ところが、中ロは言わずもがなで、アメリカまでも最終的に日本を奪ってしまおうという悪意があることは、出口王仁三郎予言に明らかである。

『ろこく斗(ばか)りか亜米利加迄が、末に日本を奪る企画。金と便利に任しつつ。』

(いろは歌/出口王仁三郎)

 

出口王仁三郎は、日本の最後を予言する一方で、世界の中心が西遷し、モンゴルに移ることも、自ら行った入蒙の冒険で、予言モデルを現実化させている。

 

世の中の占いが当たらなくなりつつあるのと、日本の運命は連動しているのだ。

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人間の進化とアトランティス-3

2024-07-23 03:02:44 | メインストリーム予言と先行モデル

◎人類史上最大の大輪の花が咲く時代へ

 

ダンテス・ダイジによれば、レムリア人は意欲人、アトランティス人は感情人、現代人は知性人。そして知情意を完備した姿が人間の完成形である。

 

現代文明はメディテーションとしての冥想のめの字もない文明だが、アトランティス文明でも冥想は意識せられていたし、アトランティス文明に先行したレムリア文明においても生活の中に冥想は息づいていた(ダンテス・ダイジ/戯れに冥想を)。現代の近代西欧文明とはまことに冥想砂漠であって、文明の精華である神の息吹がほとんど感じられない文明となり果てた。

 

OSHOバグワンは、人間の水平方向の発達は既に停止し、これからは、垂直に進化するだけだと云う。

『進化は水平に働くが、方法や技法や宗教は垂直に働く。

 

人間の体は停止した―――すでにある一点に達した。終点だ。もはやこの先、何の成長もない。水平的には、進化は停止した。そして今、垂直的な進化が始まる。今現在、あなたがどこにいようと、あなたは垂直に飛躍するしかない。』(ヴィギャンバイラブタントラ8存在と一つに/OSHOバグワン/市民出版社P68-69から引用)

 

過去1万2千年は、

肉体については、悟りに脳が耐えられるように進化してきた。

知性については、知性が発達して、知性自体の行き詰まりによって覚醒することができるように知性が発達してきた。

以上2点がOSHOバグワンの言う肉体の水平方向の進化であって、メインイベントである覚醒を待つだけのステージに至ったのが現代人。

 

また過去5千年は、これは、マヤ歴がスタートしてからの5千年のことだが、また近代西欧文明のスタートから現代における結実までの5千年。生った実は一旦は地に落ちて芽吹くのを待たねばならない。

これは、三位一体と称しながら実質太母なき二位一体のキリスト教主導の近代西欧文明のこと。

この間は、トース型の教祖が万般を指導する組織宗教隆盛の時代であって、いわば水平の悟りが主導の時代。ダンテス型の、組織によらず個々人が悟りを目指していくスタイル、すなわちいわば密教的な垂直の悟りの方向は、蔭に隠されて延命されてきたのであって、主流ではなかった。

神にコンタクトする方法は、この他にチャネリング、神下ろし、シャーマニズム、霊言という方法もあるが、最高神=大神が降りてきて何か素晴らしいことを託宣しても降りてこられた本人は、託宣の中味を知らない上に、最終的な神人合一のためには、さらに一段の修行をせねばならないということがある。

シャーマニズムは、デルフォイの神託や古神道、道教など太古から世界的に行われてきた冥想手法だが、窮極に到達するためには別の冥想法が必要となるという弱点がある。またそれ以前に、本人の浄化が進まないまま神を降ろすと、ろくな神が降りてこないという問題点もある。出口王仁三郎は、数千人に対し神下ろし実験を行い、チャネリング・神下ろしの限界を実地に確認している。

 

こうして現代人におすすめの冥想法は、禅とクンダリーニ・ヨーガとなる。

 

だが、『(人類がもし破滅しないで済めば、禅が最後の宗教になり、人類が破滅するなら、その直前にクンダリーニ・ヨーガが栄える。/ダンテス・ダイジ)』

ということもあり、ある程度垂直の道での覚者が出て行かないと、至福千年のスタートは潤いの少ないものになってしまう。

 

クリシュナムルティは、只管打坐であって、水平の道。OSHOバグワンは、クンダリーニ・ヨーギでありながら、様々な冥想法を呈示しながらも最後は禅宣言したので、水平の道。

ダンテス・ダイジは、垂直の道も『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』で示したと言える。

 

中国古代の秦を倒して漢を開いた劉邦の軍師が張良だが、張良が秘伝の兵法書を得た経緯が、垂直の道。張良の兵法書を得るまでのプロセスと13年後に師の黄石に再会するまでが、道教修行(垂直の道)のカリキュラムだったと思う。

 

なお西欧の垂直の道は西洋錬金術。最初の錬金術師としてゾシモスやマリア・プロフェティサが出たのが3世紀。マリア・プロフェティサは、ユダヤ人でユダヤ教から出たのだろう。ユダヤ教は垂直の道。心理学者ユングは、ゾシモスの文書を冥想法に関するものと見ており、マリア・プロフェティサの片言『一は二となり、二は三となり、第三のものから第四のものとして全一なるものの生じ来るなり』も垂直の道の冥想に関するものなのだろうと思う。黄金変成とは、神人合一のことである。

 

アメンティは古代アトランティスの中央官庁兼最高神殿のこと。アメンティは、政教一致のアトランティスの神の宮であり、その最奥殿にトースを中心とする12人の超人あるいはリーダー達がいた。彼らは組織的宗教を体現していた。そしてもうひとりダンテス・ダイジは13番目の超人としていた。アトランティス時代には、トースとダンテスで水平の道と垂直の道をカバーしていたわけだが、現代はダンテス側が表に出る時代であって、密教系もある程度開示される時代なのだろう。

そうでないと悲しみも、叫びも、痛みもない時代にはならないと思う。

アトランティス時代には、アトランティス地方しか開花しなかったが、今度は世界全域が開花する時代。それが、人類史上最大の大輪の花が咲く時代ということ。

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人間の進化とアトランティス-2

2024-07-22 06:24:01 | メインストリーム予言と先行モデル

◎肉体の変遷あるいは肉体のなかった頃

 

ダンテス・ダイジは、過去の人類について、レムリア人種、アトランティス人種、現代西洋人種(肌の色は問わない)と古い順に三区分する。アトランティス人種ですら8万年前とかに遡れるのだから、レムリア人種はさらに10万年以前の人種なのだろう。

肉体も、レムリア人種、アトランティス人種、現代西洋人種共通で、現代のように肉体、エーテル体、アストラル体などの七つの身体を備えていたとは思えないところがある。曰く、現代人は粗雑だと漠然と言われるが、ひょっとすれば、レムリア人種、アトランティス人は現代人のような肉体を備えていなかった可能性がある(エーテル体以上ベースあるいはアストラル体以上ベース)。

 

その傍証として、ダンテス・ダイジの前世において、彼は半人半馬のケンタウロス族だったこと。またエドガー・ケーシーのリーディングで、アトランティス沈没前後の時代には、臓器移植以上の肉体的手術が盛んに行われていたらしいこと。そしてダンテス・ダイジが、アトランティス時代のことを思い出していた際につぶやいた「この濃密な大気」という言葉。これは、すなわち現代人は肉体で肺呼吸しているが、アトランティス時代には、「この濃密な大気」を呼吸していた、えら呼吸とは言わないまでも、別種というべき肉体だった可能性の示唆だと思っている。

 

これは思いつきだが、ダンテス・ダイジが、近代西欧文明の初めと見るエジプトの紀元前3120年やマヤ暦の最初の日の紀元前3114年という時期は、大気の組成が現代同様になって人間の肉体もそれに合わせて変化を完了した時期だったかもしれない。

 

現代では、肉体から始まる七つの身体が常識だが、レムリア、アトランティスでは、それが別のX個の身体でやっていたのが人間の容れものだったのかもしれない。日本にも『先代旧事本紀大成経』というその辺に気づいたかもしれないオカルト本もある(

1.神武天皇の御姿
身の丈、一丈五寸、身の太さは一囲(かこい)五寸、頭に二本の角を生やし、三寸、目は猶お雪の如く、尻に素(シロ)の龍尾あり、その長さ6咫4寸、尾の背に72の大鱗あり。115歳で皇太子になった。

ということで、ほとんど尻尾つきミノタウロス状態であるが、こうした異形の天皇は、この後に続く、第二代綏靖天皇、第七代孝霊天皇、第十代崇神天皇も異形の記録があるそうだ。

2.神功皇后の御姿
容貌美しく、目には二つの瞳があり、乳房には9つの穴があり、力は建物の柱を揺るがすほどであった。云々。

参照:「先代旧事本紀大成経/後藤隆/徳間書店」)。

 

このようにアトランティスからの民族移動だけでなく、七つの身体セットも変動し、肺の呼吸機能も今のようでなかった可能性を排除できないわけである。

さらに言葉がどんどん変わり、それを記述した文献も千年単位では完全に失われるということであれば、レムリア以降の超古代史は、俯瞰も叙述も甚だ困難である。

そこを「レムリア人種は、意欲人間、アトランテス人種は、感情人間、現代西洋人種は、知性人間と特色を充て、現代西洋人種とは、地理上の西洋・東洋を意味するのではなく、紀元前3120年以後の人類全体のことである。」と見たダンテス・ダイジの眼は恐るべきものだったと思う。

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人間の進化とアトランティス-1

2024-07-21 06:51:36 | メインストリーム予言と先行モデル

◎言葉の変遷と文書の散逸、核による人類自殺体制

 

アトランティス情報の出典といえば、プラトンのティマイオスとエドガー・ケイシーがトランス状態で入った多数の幻視の数々。この二つだけでは雲をつかむような話であるが、これになにがしかの人間の進化に関するヒントを与えてくれるのがダンテス・ダイジ。

 

それを聞く前提になるのは、言葉は時代の変遷によって、すべて変わってしまうということ。せいぜい150年前の明治の初めの北村透谷の文ですら読みこなすのは結構大変であるように、言葉は全く変わってしまう。

 

そして失われた書物がその価値の如何にかかわらず、多数発生すること。佚書、佚文は数多く、春秋戦国時代には当たり前に読まれていた古典も伝わっていないものが多い。仏教文典は、中国における仏教の衰退とともに失われて行き、20世紀敦煌で多数の仏教古文献が発見されたのや、ナグハマディ文書の発掘は、歴史の奇跡である。そういう例外的な発見がなければ、古代文書は言葉の変遷とともにだんだん読まれなくなり、最後は失われていく。

 

そういった視点で言えば、ダンテス・ダイジは、エジプトのピラミッドからアトランティスの叡智を集めた真エメラルド・タブレットが発見されることを予言しているのだが、それがどんな言語で書かれてあって、だれがどのように解読するのか非常に興味があるところである。

シャンポリオンが、ロゼッタストーンでもってヒエログリフを解読したように解読するとは思えない。出口王仁三郎が、かなくぎ流の大本神諭を解読したように解読されるのではないか。

 

ダンテス・ダイジ史観では、人間の進化という視点で言えば、1万2千年前のアトランティス滅亡時にアトランティス文明の精華を持ったグループが、エジプト、ギリシア、スペイン、北欧、中米、日本などに避難して行き、各地で、21世紀の大変動・人間進化の時代に役立つ、神話、古伝承などを創設した。それが、各国神話や旧約聖書の古い部分、古事記などとして残っている。今実際にそれが活用されるべき時代である。

 

物質文明で言えば、この物質文明優先の神の影の薄い中有的時代のそもそもの初まりは、紀元前3120年のエジプトで決定されていた。その時代はエジプトで最初の統一王朝が成立したかどうかという時期。紀元前3120年に文献的、考古学的な根拠などないが、マヤ暦の最初の日が、紀元前3114年の8月13日と近く、この時期に何か地球的な変動があった可能性がある。

 

そして、そこから5千年かけて大陸間弾道弾(水爆)を搭載した潜水艦が世界の海底に多数配置され、いつでも世界滅亡できる体制になって50年ほどになった。

 

アトランティスでは、ツーオイ石と呼ばれるもので、世界中のエネルギーを供給していたが、それを悪用・誤用したことでアトランティスは沈没した。ツーオイ石は、いまでもフロリダ沖の魔の三角地帯で時空を歪ませている原因となっているらしい。

 

このようにアトランティス滅亡前夜と同様に、人類はいつでも自殺できるレベルまでに、物質エネルギーを発展させたが、そのこと自体は、人間の進化と本質的にはあまり関係はない。

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いかにネガティブ予言に対処するか

2024-03-16 06:04:12 | メインストリーム予言と先行モデル

◎予言と覚醒

 

元日というめでたい日に起きた能登地震で、神様には何でもありなのかと改めて感じている人の多い昨今、南海トラフ地震、ネオ関東大震災も心配に思う人も少なくないだろう。

ネガティブ予言は世の中に多いが、その当たる予言を知ったところで、自分や家族が無事に生き残れるかどうかは、神のみぞ知る。

昔からネガティブ予言は、一般に最も聞きたくない情報である。ネガティブ予言でなくとも、第二次世界大戦末期に、大日本帝国軍の戦況が思わしくない時に、なぜか最後まで現地(満州やサイパンなど)に残った人は現地に財産があった人が多かったなどとという話を聞けば、なるほどと思うところがあるものだ。津波は生活も財産も生命も奪うからこそ、失うものの多い人ほど大地震や敵国からのミサイル・空襲などのネガティブ予言は聞きたくないものだと思う。

 

ネガティブ予言を聞いた時にとる代表的な態度は、

  • 防災グッズを買う、避難場所・避難経路を確認する。
  • 大地震などネガティブ予言が実現しないように祈る。

などが代表的なものだと思う。

それ以外に、そもそもネガティブ予言が起こる原因であるところのこの世の地獄的有様をいささかなりとも改善するために、少なくとも自分だけは、悪いことをしないで善いことをすること、というのもある。

 

さて1980年頃、ダンテス・ダイジは、日本の大地震はどこで起きるかという質問に対し、どこで起きるか決まっていないと答えた。その後日本は、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、能登地震などに見舞われており、確かに日本のほとんどの地域で起こる可能性があることを見越した発言だったように思う。

ダンテス・ダイジは、さらに極ジャンプなどにも触れて、人間の進化すなわち至福千年(みろくの世)の実現とそうした地球規模の地殻変動は、必ずしも同時には起こらないとも示唆した。つまりたとえ世の中のすべての人が善いことだけをして悪いことをしない人になろうが、なるまいが、それと関係なく地球規模の大地殻変動は起こり得ると言っているわけである。

地球規模の大地殻変動とは、滄海変じて桑田となる(桑畑が大海と変じ、逆に大海が干上がって桑畑となる)とか、地表が何千フィートも一瞬にして上昇する(『亀岡は海抜2千尺になる。音もなくすっと上がるのである。』新月の光(下)P181から引用/出口王仁三郎予言)というようなこと。

 

このダンテス・ダイジの示唆で当惑したのは、日本の終わりが世界の終わりなのかどうかわからないこと。そして

日本の終わりは、日本人全体の覚醒とは同期しないと言っているのだろうかということ。同様に世界の終わりは、世界人類全体の覚醒とは同期しないと言っているのだろうかということだった。

すなわち、新月の光には、日本最後の時が書いてある。それは、『東京で仕組をするが(駿河)美濃尾張』ということで、東京で世界制覇計画を立てることが原因で発生するとある。ところが日本最後の時が、地球全体の旧時代の終わりかどうかもわからないのだ。

 

心配な人のために出口王仁三郎予言を2件上げる。

『〇大祓

大祓になったら大変なことになる。屋根の上にあるものは下に降りられぬ時が来る。

(昭和十九年四月九日)』

(新月の光(下)P146から引用)

 

『○最後の時

最後の時は人を助ける必要はない。親子でも神様から助けるものと助けぬものと定まっているのだから、そんなことをしたら神様の邪魔になる。自分だけ逃げたらよいのや。』

(新月の光(下)P145から引用)

出口王仁三郎は、政治の動向や外交、戦争の行く末について、人間同士で談義することは好まず、ひたすら神様の思し召しによるという態度であった。

ダンテス・ダイジも自分が生き残ろうが亡くなろうが、そんなことは自分の知ったことではない(神様の思し召しによる)という姿勢で揺るがなかった。

 

最近は、能登地震、千葉の群発地震で人心が揺れることが多いが、コスパ、タイパ、メリデメを離れ、一体自分は何のために生きているかを冥想により見つめることもよいのではないかと思う。

ネガティブ予言を知ることも、自分を覗き込むための一つのきっかけなのだ。

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