◎あらゆる幽霊を凝視せよ
ある人は水子霊だと云い、ある人は狐だといい、ある人は○代前に亡くなった先祖の霊だと言い、ある人は邪悪なバイブレーションだと言い、ある人は単なる曇ったエネルギーのまとまったものだと言う。
こうしたものの正体の見分け方を、メキシコのヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファン・マトゥスが説明する。
『これからは不思議な亡霊の姿を前にしたら、気持ちをしっかり保って、断固たる態度で凝視するがよい。相手が非有機的存在であれば、それに対するお前の解釈は枯れ葉のように舞い落ちるだろう。もう何も起こらなければ、それはお前の臆病な心が生んだくだらん幻影にすぎん。そもそもそれはお前の心ですらないのだ。』
(無限の本質/カルロス・カスタネダ/二見書房から引用)
非有機的存在とは、霊的存在や、アストラル的生物のこと。
実際にカルロス・カスタネダが、自分のことを盟友であると自称する二人の非有機的存在を見つめて見た。
『私は容貌を記憶しようとふたりをまじまじと見つめたが、彼らの容貌は刻々と変化した。見つめる私の気分によって変貌するようだった。
そこには思考はいっさい介在していなかった。何もかもが本能的感覚によって導かれていた。長々と見つめるうちに、彼らの容貌が完全にぬぐい去られて、ついに私の前にあるのは、二つの震動する輝く塊だけになった。
それら輝く塊には境界がなかった。内部に凝集力があって自らを維持しているように見えた。ときどき平べったくなったと思うと、また垂直方向に伸びて、人間の身長の高さになる。』
(無限の本質/カルロス・カスタネダ/二見書房から引用)
ドン・ファン・マトゥスは、あらゆるものには、減ずることのできない残留物があり、それがエネルギーだとする。そしてカスタネダは、このセッションで、非有機的存在、霊をその本質へ変容させ、自意識を持つ非人格的エネルギーへと変えることに成功し、その本来の姿を見た。
ドン・ファン・マトゥスはまた、単なる自分の心理的な思いこみがそんなイメージを作りだしそれを現実の生き物と認識するケースと、他人であるアストラル的生物に出会うケースがあるが、アストラル的生物のエネルギーを直接見ることが人間、つまり呪師であるクンダリーニ・ヨーギにとっては、最重要事項であると評価する。
クンダリーニ・ヨーギは、「意識の暗い海」と呼ぶ死の世界で様々なエネルギー体と出会うが、カスタネダの見えた状態が通俗的霊能力者の卒業というべきものなのだと思う。
ドン・ファン・マトゥスによれば、この世には600種類以上の世界があり、それぞれの世界と世界への間を移動する場合は時間が非連続となる。これが三千世界の実情なのだろう。
慣れていない世界で旅をするのは、孤独と無力感に襲われがちなもので、人の自惚れなど木っ端みじんに打ち砕かれる。我々も病的なほど自己中心的だし、霊なるアストラル的生物も病的なほど自己中心的だからだ。
そうした冷厳な世界の中で、戦士であるクンダリーニ・ヨーギは、絶望に陥ったり、発狂したりせずに、勇敢さ、力強さ、謹厳さを失わずに戦い続けられるのは、自分が「無限」(神、宇宙意識、イーグル)とつながっていることを充分に知っているからなのだと思う。