アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

今北洪川の悟り

2024-12-25 03:12:12 | 達磨の片方の草履

◎自我の内部が完全に一となり

 

今北洪川は、明治初期の禅僧。鎌倉円覚寺の管長までやった。彼の悟りとされる体験。

『明治時代の著名な禅僧今北洪川は、もと儒教徒であったが、この体験について次のように述べている。

「ある夜、坐禅に没頭していると、突然全く不思議な状態に陥った。私はあたかも死せるもののようになり、すべては切断されてしまったかのようになった。もはや前もなく後もなかった。自分が見る物も、自分自身も消えはてていた。私が感じた唯一のことは、自我の内部が完全に一となり、上下や周囲の一切のものによって充たされているということであった。無限の光が私の内に輝いていた。しばらくして私は死者の中から甦ったもののごとく我に帰った。

私の見聞き、話すこと、私の動き、私の考えはそれまでとはすっかり変わっていた。私が手で探るように、この世のもろもろの真理を考え、理解し難いことの意味を把握してみようとすると、私にはすべてが了解された。それは、はっきりと、そして現実に、私に姿を現わしたのであった。あまりの喜びに私は思わず両手を高く上げて踊りはじめた。そして、突然私は叫んだ。『百万の経巻も太陽の前のローソクにすぎない。不思議だ、本当に不思議だ。』」――続いて洪川は次の詩を作った。

 

まことに、わたしたちは長らく相会しないでいた、孔夫子よ。

このような世界であなたに会えたことを

私は誰に感謝したらよいだろう。

いやそうではない、ここに私を導き来たったのは私自身である。』

(禅 悟りへの道/愛宮真備/理想社P34-35から引用)

 

さて今北洪川のこの体験とは言えない体験がここで書かれたのがすべてだとすれば、今北洪川は、第七身体、マハパリ・ニルヴァーナに到達したのだろうか。

上掲『自分が見る物も、自分自身も消えはてていた。』は、神と自分が合一した時に起きる、なにもかもなし

さらに上掲『自我の内部が完全に一となり、上下や周囲の一切のものによって充たされている』は、神(有、アートマン)と自分が合一した時に起きる状態で、自分は宇宙のすべてであった、という体験とは言えない体験。彼は個と全体が逆転したのだ。

七つの身体論やダンテス・ダイジの指摘によれば、さらに無底の底に降下する身心脱落があり得るが、それがあったかどうかは、この文ではわからない。

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雪の落ちる様は見飽きぬもの

2024-12-24 07:15:09 | 達磨の片方の草履

◎龐居士が禅客を咎める

 

ここ一週間ほどは、北日本の大雪のニュースが伝えられ、例年の二倍三倍の積雪ということで、私は雪国で育ったから、ことさらに高齢化した各地の除雪の苦労が思い起こされる。

 

というわけで雪の禅語録。薬山、龐居士、雪竇(せっちょう)とも、有力な禅僧。薬山のところには、禅客と呼ばれる老師上堂説法時に質問だけをするけしからん輩がいたようだ。

 

雪竇頌古から

薬山を訪ねた龐居士が辞去した。薬山は十人の禅客に門のところまで見送らせた。

居士は空中に舞う雪を指さして言った、「見事な雪だ、一ひらひらが余計な場所には落ちない(最初からそこに落ちることが決まっていたかのように、きちんきちんと落ちる)。」

折から全禅客という男がいて、「どこに落ちますか。」

居士は一発平手打ちをくらわせた。

全禅客、「居士どの、乱暴は困ります。」

居士、「君はそんなことで禅客だなどというが、閻魔大王の前では通用しないぞ。」

全禅客、「居士どのはどうです。」

居士はもう一つ平手打ちをくらわして言った、「目はあいていても盲同然、口はきけても唖(おし)同然だ。」

 

雪竇(せっちょう)が初めの問いかけに別の見方を示して言った、「俺なら雪の丸(たま)を作ってぶっつけるだけだ。」

 

 

雪の落ちる様は見飽きぬもので、雪見酒の風流がある。

雪竇は、龐居士の見方に同意した。

禅では究極を示すことだけが認められるので、脇道に逸れると一瞬にしてやりこめられる。

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大地平沈-只管打坐と下降

2024-12-23 06:59:50 | 達磨の片方の草履

◎天童如浄の語録から

 

ダンテス・ダイジは、クンダリーニ・ヨーガは上昇、只管打坐は下降と唱える。クンダリーニ・ヨーガの上昇は異論のないところだと思うが、只管打坐の下降は結構論証が大変だ。

 

まず道元の師の天童如浄の清涼寺語録から。天童如浄が弟子たちに説法する。

『法座。

大地平沈し、この座は高く広い。千変万化、功無くして賞を受ける。』

(天童如浄禅師の研究 鏡島 元隆/著 春秋社P151から引用)

 

(大意)

『説法の座に拠っていう。大地は等しく沈んでも、この法座は高く広く巌としている。世界は千変万化しても、この法座は無為の功によって賞を受ける。』

 

大地は等しく沈んで、身心脱落する。そこで無為の功(無用の用)が達成されて、その報酬を得る。

 

さらに清涼寺語録から、

『衆寮を建てて上堂す、喝一喝、大地平沈、徧く黄金を布く。』

(上掲書P183から引用)

 

(大意)

『修行者寮を建てるにちなみ、天童如浄が上堂説法。

喝一喝しながら言うには、

大地は等しく沈んで、身心脱落する。そこに黄金を敷き詰める。』

“大地は等しく沈んで、身心脱落“というのが体験とは言えない体験。そこで有の側第六身体アートマンの状況は、世界が自分と合一したので、これを” 黄金を敷き詰める“と云う。

 

台州瑞巌寺語録から

『法座を指して云く、大地を平沈して、高く虚空に出、機先に坐断して、遊戲神通、須彌燈王、下風に立つ』

(上掲書P191から引用)

 

(大意)

『天童如浄が法座を指していうには、

大地は等しく沈んで、身心脱落する。そこで高く虚空に出る。ここに坐することは、あらゆるものの最古、大本、最先端に出ることであって、神通不可思議(超能力もあり、神秘もあり)の世界に遊戯すること。

8万4千の高さの須弥灯王のことも下に見下ろせる。』

大地は等しく沈んで、身心脱落すれば、世界最古最高の根源に達し、世界全体と合一したのだから須弥灯王も下に見下ろせる。

 

天童景徳寺語録から

『問有り答有り、屎尿狼藉、問無く答無し、雷霆霹靂(びゃくりゃく)、是に於て眉毛慶快し、鼻孔軒昻たり、直に得たり、大地平沈、虚空迸裂することを。』

(上掲書P278から引用)

 

(大意)

『問いに対して答えるのは、大小便をまき散らすようなぶざまなものだ。一方、問うことも答えることもしないのは、激しい雷が急に鳴るような素晴らしいものだ。

ここにおいて、意気軒昂となり、直ちに大地は等しく沈んで、身心脱落し、虚空が引き裂かれる。』

 

このように、修行者向け説法の眼目として、ことさらに繰り返し大地平沈を説くことこそ、只管打坐は下降である証拠だと思う。

 

映画「禅ZEN」(2009年 中村勘太郎、内田有紀、藤原竜也等)で、道元の身心脱落シーンがぐるぐる回って上昇なのは、大いに誤解を招いているのではないか。

なお笹野高史の典座(食事係)は良かった。

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雲水は経を読まず、坐禅もしない

2024-12-20 03:49:02 | 達磨の片方の草履

◎雲水の誰もが仏になるわけではない

 

臨済録から。

『王常侍が、ある日臨済禅師を訪ねた。師と僧堂の前で出会うと、そこでたずねた、「この雲水諸君は、いったいお経を読みますか。」

師、「読まない。」

常侍、「坐禅をしますか。」

師、「しない。」

常侍、「お経も読まず、坐禅もしないとすれば、いったい何をするのですか。」

師、「あいつらをみんな、仏にならせ祖師にならせる。」

常侍、「『黄金の粉は貴いが、眼に入ったら病気になる』といいますが、これはどうです。」

師、「今までそなたは一箇の俗物だとばかり思っていた。」』

 

雲水は経を読まず坐禅もしないというのが、黄金の粉で、雲水だからといって誰もが仏になるわけではない。

高官の王常侍に厳しいところを突かれた。

 

禅堂には、UFO(UAP)も宇宙人もないが、中間段階を認めないその作法でもって究極に至ることはできる。

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真実の道心はむずかしい

2024-12-17 00:01:30 | 達磨の片方の草履

◎臨済録-心心不異

 

2024年12月15日、世界各地にレーダーで捕捉できないUFO群が出現。同日イスラエルのシリア攻撃で、きのこ雲が目撃され核使用を疑われているようだ。世界全面核戦争の予言あるいは警告として、霊界からUFOが出現したのか。

ダンテス・ダイジは、UFOは霊界のものと言っている。

 

「究極を悟ることができずに一生を終えれば、この世でむだ飯を食ったその飯代を請求される。」などとダンテス・ダイジは語っていたものだ。

 

河北省で活躍した禅マスター臨済が弟子たちに同じようなことを語る。

『「修行者たちよ、真実の道心を発(おこ)すことはむずかしく、仏法は幽玄で奥深いものだが、しかしみんながわかることは相当にわかっているのだ。わしは一日じゅう、彼らに説き明かしてやっているが、修行者たちはまったく問題にしてくれぬ。彼らは千べん万べんそれを脚の下にふみつけていながら、心中まっくらでそれを気づかずにいる。

それは一箇のきまった形がなく、しかもはっきりとして、他の力を仮りずにそれ自身で輝いているのだ。修行者たちはそれが信じきれないで、すぐに〔仏とか法とかいう〕名句の上で理解しようとする。よわい五十になんなんとして、ひたすら脇道にそれて、死屍(しかばね)を背負って行き、荷物をになって天下を歩き廻る。そんなことでは、閻魔の庁で草鞋銭を請求される日がきっと来るぞ。

 

諸君、わしが『外には法はない』というと、修行者たちはその真意を理解しないで、すぐに内にあると解して、早速壁によって端坐し、舌は上の顎(あぎと)をささえ、じっとして動かず、これが祖師門下の仏法だと思っておる。大まちがいだ。ほかならぬ君たちが不動清浄の境をそれだと考えるならば、君たちはとりもなおさずあの無明を本心と見誤っていることになる。

古人もいった、『深い深い真暗な穴こそ、実に怖るべきである』と。これがそれである。君たちがもしあの動くものをそれだと考えるなら、すべて草木はみな動くことができるのだから、当然それは道だということになる。では言おう、動くものは風の要素であり、動かぬものは地の要素である。動いても動かなくても、どちらも自性はない。君たちがもし動く所にそれを捉えようとしたら、それは動かぬ所に立つ。もし動かぬ所にそれを捉えようとしたら、それは動く所に立つ。

『ちょうど泉にひそむ魚が波を打って自分で踊るようなものだ。』諸君、動くのと動かぬのとは、二つの境にすぎぬ。実は無依の道人こそが、動くものを働かせ動かぬものを 働かせているのだ。』

(禅の語録 10 臨済録 筑摩書房P115-116から引用)

 

『壁によって端坐し、舌は上の顎(あぎと)をささえ、じっとして動かず』これは、坐禅の姿勢

 

隙間理論でいえば、現象の側が真っ暗な穴。坐禅して、不動清浄の境地は真っ暗な穴なのだ。

隙間理論でいえば、隙間のニルヴァーナの側が道。

  

上掲『それは一箇のきまった形がなく、しかもはっきりとして、他の力を仮りずにそれ自身で輝いているのだ。』。

だから上掲『外には法はない』。これは隙間の側。

 

※無依の道人:大宇宙すべてが自分の所有となっている人。仏人合一。即身成仏。第六身体

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潙山霊祐がいろりの中のおき火を見つける

2024-11-08 03:37:42 | 達磨の片方の草履

◎これはまだ一時の分岐点に過ぎない

 

い山霊祐(いさん・れいゆう。七七一~八五三。潙(い):さんずいに為)禅師は、福建省長渓の生まれ、十五歳で受戒、大小乗の経と律をおさめ、二三歳のとき江西に遊び百丈懐海禅師に参じてその法を嗣いだ。百丈和尚は一見して霊祐の参禅を許したという。

 

い山霊祐は食事係で、百丈和尚のそばに侍立していた。

百丈和尚が霊祐にたずねた。「いろりに火は残っているか」。霊祐はいろりの中を探って言った。「残っていません」。和尚は自ら探り、小さなおき火を見つけると言った。「これは火ではないのか」。

 

霊祐はそれを見て大悟覚醒し、礼拝してその見解を述べると、百丈が言った。

「これはまだ一時の分岐点に過ぎない。経典に、『仏性を見んと欲せば当に時節因縁を観ずべし』、とある。時節が至れば、迷いからたちまち悟るが如く、忘れたものをたちまち思い出すが如し。自己のものを他によって得るのではないとわかる。

故に祖師は云う、『悟った後は、未だ悟っていないのと同じで、心も無くまた法も無い』

ただ虚妄凡聖等(迷いや悟りという区別)の心が無ければ、本来、心と法は自ずから備わっている。おまえは今それがわかった。それをしっかり自ら守り育てよ。

 

※虚妄凡聖:虚妄は凡夫の迷える心。凡聖は凡夫と悟った人(聖人)。虚妄凡聖で、迷いや悟り。

 

い山霊祐のこの悟りは、見性であって、十牛図なら見牛。対応を誤れば、悪の道にも落ちるので、分岐点とする。

だからアドバイスは、それをしっかり自ら守り育てよ、となる。

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原駅の婆が白隠をひっぱたく、から自然法爾-2

2024-11-07 03:15:07 | 達磨の片方の草履

◎自然法爾とは、恣意がなく天命を生きる生き方

 

親鸞の末燈抄から自然法爾の部分の現代語訳を引く。

 『自然法爾(じねんほうに)

 自然法爾事

 

自然というのは、自はおのずからということであり、われわれ人間の計らいではない。然というのは「そうさせられる」ということばである。「そうさせられる」というのは、われわれ人間の計らいではない。如来の御誓いであるから法爾というのである。法爾というのはこの如来の御誓いであるが、「そうさせられる」ことを法爾というのである。

法爾はこの御誓いであったから、およそわれわれ人間の計らいのないのはこの法の徳であるから、「そうさせられる」というのである。人間は無始の古から、「そうさせられる」のであるから、今更はじめて自力の計らいを必要としないものである。そのため義なきを義とすと知るべきであると言われている。

 

自然というのは、もとから「そうさせられる」ということばである。弥陀仏の御誓いは、もとよりわれわれ人間の計らいでなくて、 南無阿弥陀仏とおたのみになり、迎えようと御計らいになったことだから、人間が善だろうとも悪だろうとも思わぬのを、自然と申すのだと聞いている。御誓いの用は無上仏にならせようとお誓いになったことである。無上仏というのは、形も無い。形も無いから自然と言うのである。形があるとしめす時は、無上仏とは言わぬ。形もないはたらきを知らせようとして、はじめて顕れた仏が弥陀仏と言うのだと聞いている。弥陀仏は自然のはたらきを知らせるための手段である。この道理を心得てしまった後には、この自然のことをかれこれ言うてはならないのである。自然をかれこれ言 うことなのでは「義なきを義とする」ということばも、なお計らいのあることである。これは仏の智慧の不思議である。

正嘉二年十二月十四日

愚禿親鸞八十六歳

(丹羽文雄訳)』

(親鸞全集 第2集 現代語訳 書簡 親鸞/講談社P36から引用)

 

自然法爾とは、天意・神意のことで恣意がないこと、あるいは天命を生きる生き方であって、如来の御誓い。

人間は無始の古から、「そうさせられる」とは、本来の自己、父母が生まれる以前の自分を生きるということ。原人、完全人のイメージ。

無上仏というのは形も無いとは、無のサイドであってニルヴァーナ。これに対して形があるのは有のサイドであって、阿弥陀仏。

 よって、「自然」のことをあれこれ言ってはならないというのは、「自然」とは天意・神意のことだからである。

 ここでは、光を見たとか光を発するということは出てこない。有の悟り(アートマン)が阿弥陀仏であって、有すらもない悟り(ニルヴァーナ)が無上仏。

 原駅の婆の悟りは、まずは有(アートマン)の悟り。白隠は、「阿弥陀さまには特別な姿形はない」と有であると示している。これからニルヴァーナに進むに進むには、聖胎長養が必要なのだろう。

 白隠自身が、法華経に宝石だらけの極楽の姿などがあるのを読んで、一旦は法華経を捨てたが、後年になって法華経がリアルであることを知った。「ババは、己身の弥陀にぶちあたり、山河大地、草木叢林が、大光明を放っております。」とはそういうことなのだろうと思う。

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原駅の婆が白隠をひっぱたく、から自然法爾-1

2024-11-06 06:39:33 | 達磨の片方の草履

◎わが身が弥陀であって、山河大地、草木叢林が、大光明を放っている

 

『【三九】原駅の婆

 

原の宿場に、一人の婆さんがいた。たまたま松蔭寺に来て、白隠禅師の説法を聴いた。

「唯心の浄土、己身の弥陀という。我が心がお浄土、我が身が阿弥陀さまということだ。その阿弥陀さまが一たび現われれば、山河大地、草木叢林、いっときに大光明を放つ。もし、そのことを知りたければ、余事を交えず、ひたすらに自分の心に尋ねることだ。「我が心がお浄土であるからには、その浄土には特別の荘厳はない。我がこの身が阿弥陀さまであるからには、阿弥陀さ まには特別な姿形はない」 と」

 

婆さんは、白隠禅師の説法を聴き、

「そんなに難しいことではない」 と思った。

 

家に帰った婆さんは、日夜、寝ても醒めても、「唯心の浄土、己身の弥陀」と、参究工夫した。 ある日、鍋を洗っていた時、ハタとそのことが分かった。婆さんは、鍋を放り出し、急いで松蔭寺に走り、白隠禅師に相見した。

「ババは、己身の弥陀にぶちあたり、山河大地、草木叢林が、大光明を放っております。 不思議なことでございます」

と言うなり、喜びに舞い上がった。 そこで禅師は、

「そなたはそのように言うが、では、便所の糞つぼの中でも、大光明を放っておるか」

と問うた。

すると婆さんは、禅師の前に進み、

「この老漢、まだ悟ってはおらぬわ」

と、平手打ちを食らわした。

 

白隠禅師は、呵呵大笑するだけであった。』

(白隠門下逸話選/禅文化研究所P90-91から引用)

 

この婆さんのすごいところは、まず「我が心がお浄土であって、特別の荘厳はない。我がこの身が阿弥陀さまであって、特別な姿形はない」と聞いて、「そんなに難しいことではない」と思ったこと。いい線行っていたのだ。

 

また「ババは、己身の弥陀にぶちあたり、山河大地、草木叢林が、大光明を放っております。」というのは、自分が宇宙全体である阿弥陀様と一つであることに気づき、世界全体が大光明を放っていることを言っているのだろう。

 ギリシア神話でミダス王が触れるものすべてが黄金になって困ったという話とは全く異なる。

 またこれを読んでほとんどの人が肉体から光を放射するのが悟りだと思うかもしれないが、トイレの便器も光るということは、世界全体が光明ということであって、窮極(阿弥陀、ニルバーナ)から来る波動を無限光明と言うように、比喩の一つ。

 白隠は、阿弥陀仏を材料に「唯心の浄土、己身の弥陀」という観想法をやらせたのだ。

また禅では、光を見たとか光を放ったと言えば、まず魔境として退けられる。

 同じ阿弥陀様ということで、親鸞の自然法爾と比べてみる。

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日面仏月面仏

2024-11-05 03:26:52 | 達磨の片方の草履

◎寿命の長短の選り好みをしない

 

『馬祖禅師が、にわかに病気になって、明朝には亡くなりそうな病勢である。

寺の執事がやってきて、「お加減はどうですか。」と訊いてきた。

馬祖、「日面仏、月面仏(にちめんぶつがちめんぶつ)」』

 (碧巌録第三則)

 

日面仏とは、1800年もの寿命の長命の仏。月面仏とは逆に一日一夜限りの寿命の短命の仏。

寿命が長かろうが短かろうが、そんなことは大した問題ではない。寿命の長短の選り好みをしないとは、生も死も大した違いはないということ。

禅は生の側を極めて死の側を知る、結果的に生の側も死の側も知る。

生も死も大した違いはないと言える立場は、既に大死一番した者だけ。

 

そうした見方を裏付ける問答もある。

『ある日、隠峰が車を押していると、馬祖は、その行く手をさえぎるように脚を伸ばした。

隠峰は言った、「どうか師よ、脚を引いてください!」

「いったん伸ばしたものを」と馬祖は言う、「引っ込めるわけにはいかない!」

「前に進んでいたものが、後ろに戻るわけにもいきません!」と隠峰は言うと、その車を押した。

馬祖の足はひかれて傷を受けた。みなが戻った後、馬祖は法堂に入ると、そこのおのを手に取って言った、「先ほど私の足を傷つけた僧は、前に出なさい!」。

進み出た隠峰は、馬祖の前に立ち、 その一撃を受けようと首を差し出した。

馬祖はおのを置いた。』

(空っぽの鏡・馬祖/Osho/壮神社P343から引用)

隠峰にとっては、召命のようなものだ。

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清浄の行者は涅槃に入らず

2024-11-04 03:20:13 | 達磨の片方の草履

◎極楽も地獄も超えた二重の世界

 

甲斐の快岩古徹は、古月禅師に参じて悟った。その時、大休慧昉と同参であった。二人はおれたちほどの悟りに達したものはあるまいと意気軒昂であった。

 大阪に着いた二人は、淀川を上り、久世郡淀の養源寺に投宿した。その時、宿舎の壁に、〈清浄行者涅槃に入らず、破戒の比丘地獄に堕せず〉の額が掛けてあるのを見たものの、さっぱり意味がつかめなかった。なんとこれは、白隠の作だという。

 

〈清浄行者涅槃に入らず、破戒の比丘地獄に堕せず〉

 

閑蟻争い拽く蜻蜒の翼

新燕並び休む楊柳の枝。

蚕婦籃を携えて菜色多く

村童笋を偸んで疎籬を過ぐ。 

(頌の大意:

 

蟻がとんぼの羽を争って、引っ張り合っている

新たにやって来たつばめが、柳の枝の上に並んで休んでいる

蚕を飼う婦人は、沢山の菜の入ったかごを携え、

村の子供はタケノコを盗んで、垣根の向こうを逃げて行く)

 

〈清浄行者涅槃に入らず、破戒の比丘地獄に堕せず〉では、

善を行い悪を行わない極楽的な清浄な行者でも、地獄をクリアできなければ、涅槃・ニルヴァーナに到達はできない。悪行三昧の破戒の比丘でも、世界全体宇宙全体である有の一部である『破戒の比丘』を演じている自分と仏である自分という二重の世界に生きていれば、それは地獄に落ちず悟りを生きていると言える。

あるいは、覚者の目から見れば、清浄な行者も破戒の比丘も差はないということ。

 道元ならば、魚行って魚に似たり、鳥飛んで鳥の如し、である。

 

だからといって、悪業三昧、破戒無慙に生きるのは、間違っている。誤解なきよう。

 

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蜷川新右衛門の最期

2024-11-03 03:16:14 | 達磨の片方の草履

◎来たらず去らぬ道

 

これは一休咄に出ている話。

蜷川新右衛門は、在家の修行者ながら一休に参禅し、悟りを得ていた。

ほとんど寿命に達して、自宅で臥せっていると、西の空から阿弥陀三尊と二十五菩薩が出現し、近所の人々を驚かせた。これを聞いて蜷川新右衛門は息子に強弓を持って来させて阿弥陀三尊の真ん中に矢を射たところ、阿弥陀三尊と二十五菩薩がぱっと消えて、これは近所の年経たムジナの仕業だったことがわかった。

 

蜷川新右衛門の今生最後の歌

独り来て独り帰るも我なるを

道教えんというぞおかしき

 

一休の返歌

独り来て独り帰るも迷いなり

来たらず去らぬ道を教えん

 

蜷川新右衛門は、個と世界全体の逆転はしていなかったので、絶望的な歌を出したが、

一休は死出の旅路に、来たらず去らぬ道である、仏があることを示した。

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牛過窓櫺

2024-11-02 03:11:39 | 達磨の片方の草履

◎水牛が窓の格子を過ぎたが尻尾が残っている

 

牛過窓櫺(ぎゅうかそうれい)の公案(無門関第三十八則)。

『五祖法演は言った。「例えば水牛が窓の格子を過ぎていくが、頭、角、四本の脚すべて通過し終わったのに、なぜか尻尾だけが通過できない。」』

 

十牛図のとおり、牛は世界全体・宇宙全体。十牛図第六騎牛帰家では、人と牛は合体していないが、合体直前である。この公案では、牛も残っており、見ている自分も残っている。見ている自分こそ尻尾であり、牛人合一の逆転は起こっていない。見ている自分がなくなれば、尻尾も通過できる。

一方第七図では、尻尾は過ぎ去り、牛である仏と人は合一するので、第七忘牛存人であって、人が残っている。仏人合一した悟りにあるが、有が残っているのだ。(第六身体アートマン

有も去るのが、十牛図第八人牛倶忘

 

このようなことは、その体験とは言えない体験をすれば、すぐわかることなのに、なぜことさらに公案につくって、その体験以前に知らしめる必要があったのだろうか。

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虚堂智愚の小悟、大悟

2024-10-30 03:44:14 | 達磨の片方の草履

◎疎山寿塔の公案は曲者

 

虚堂智愚(1185-1269)は、宋末の人。京都紫野の大徳寺は、この人なくしては成立しなかった。

 

虚堂智愚(1185-1269)は16歳で出家。運庵普巌に参禅し、古帆未掛(こはんみか:舟に古くからの帆すらかかっていなかった時はどうか?)の公案をもらい、最初は何を言っても師運庵に罵倒された。

ある日、ものごとに大小の区分はないという見解をもって師に参禅したところ、古人のことを論評していつ終わりがあるかと返され、退散した。

虚堂智愚は、ひどく落ち込んだ。ところが突然、古帆未掛の公案が見極められ、さらに「清浄な行者は涅槃に入らない」という公案をも会得し、他のいくつかの初歩的公案もわかってきたことを自覚したので、翌朝参禅(師に回答を呈示すること)した。運庵師は、彼の顔色が違っていたので、古帆未掛の公案をやめさせ、南泉斬猫(南泉が寺の皆でかわいがっていたペットの子猫を斬る)の公案を与えた。

この公案には、趙州が草履を頭に載せた故事があるが、虚堂が「大地ですら、載せて起こせません。」と答えたところ、師は頭を低めて微笑した(小悟を認めた)。

 

この小悟から半年たったが、心は昔のように騒がしくなることがあった。そこで、疎山寿塔の公案を与えられ、三、四年苦しんだ。

ある日、無心になって、この公案に出てくる羅山禅師が光を放った時のことを納得して、ようやく自在を得て人にごまかされなくなった(大悟と思われる)。この時、以前看ていた公案を見直してみたら、今日の所見と全く異なっていたことから、悟りは言葉で言えるものではないと信知した。

(参照:「悟り体験」を読む (新潮選書)/大竹晋/新潮社P51-54)

 

虚堂智愚は、74歳にして中国の阿育王山の住職であったのだが、1256年(宝祐三年)讒言にあい、僧籍を剥奪されて一か月獄に入った。

出獄直後の1259年、大応国師南浦紹明は、虚堂智愚に出会い、嗣法(悟りを認められた)して帰国。その後大徳寺開祖の宗峰妙超(大燈国師)に悟り(ニルヴァーナ)を伝えた。

 

臨済禅中興の祖白隠も、長野県飯山の正受老人膝下で修行中は、穴ぐら禅坊主と呼ばれ、何か月も白隠を怒鳴りつづけた。ある日托鉢中に他家の門口で、老婆のあっちへ行けという声に気がつかなかった。老婆が箒を持ってきて、白隠の腰をしたたかに叩いた。その途端に、白隠は与えられた南泉遷化の公案(南泉という坊さんの死はどういう意味か?)や疎山寿塔の公案などがはっとわかった。疎山寿塔の公案は白隠の小悟のきっかけになった。

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疎山の寿塔の値段

2024-10-29 03:12:54 | 達磨の片方の草履

◎自分の墓とその費用のことを気にする

 

疎山匡仁(洞山良价禅師の法嗣)は、くる病で背が低く、食べたものをすぐに吐き出す病気を持っていた。

疎山に主事僧が寿塔(生前に建てておく墓)を造り終わった旨を伝えた。

疎山「石屋にいかほど銭を与えたか」と問うた。

僧は、「すべて和尚様次第です。」

疎山、「石屋に三文を与えたらよいか、それとも二文を与えたらよいか、一文を与えたらよいか、言ってみよ!もし言えたら、本当に私のために寿塔を造ったことになる。」

主事憎は、これを聞いて茫然自失して、何も言えなかった。

後にある僧が、大嶺に住庵していた羅山道閑にこのことを告げた。

羅山は、まだ誰も答えていないと聞いて、「お前は帰って疎山に、羅山は次のように言っていたと告げよ。

もし三文を石屋に与えたならば、疎山は生きている限り決して寿塔を得ることはできますまい。

もし二文を与えたならば、疎山は石屋の手伝いをせねばならないだろう。

もし一文を与えたならば、疎山も石屋も眉鬚堕落(言語を弄してみだりに仏法を説くと、その罪で眉やひげが脱け落ちてしまうこと。)することになるだろう。」

 

その僧は、このことを疎山に告げた。疎山は、威儀を正して大嶺を望み、礼拝して嘆じていわく、「この世では、真の禅者はいないと思っていたが、大嶺に古仏がいて、その光がここまで届いた。ちょうど12月に 蓮の花が開いたようだ。」

羅山は、これを聞いて言うには、「もう亀の毛が数メートル伸びてしまったわい。」

 

疎山は、諸々の聖者のあとを追わず、自己の神聖性をも重んじないという厳しい考え方を貫いてきたのだが、晩年になって自分の墓とその費用のことを気にするようになっていた。

最高額の三文払ってもらいたいが、そんなことをすれば、禅者としてはダメだ。

二文ならば適正価格かもしれないが、そんなことを言っているようでは、疎山は石屋の手伝いをせねばならない。

最低額の一文なら、疎山の法身(人によって法身が異なるとも思えないが)の値段としては安すぎる。

つまり三文でも二文でも一文でもだめなのであって、本当に本当に自分が死なねばならない。

羅山は、徹底していない疎山の応答が気にいらず、亀の毛が数メートル伸びたと評しただけだった。

 

出口王仁三郎は、随筆月鏡で「怒声と悲鳴とが魂の長さと幅である以上は、幅の分らぬ人間こそ真の人間であり神の子である。」と唱えた。疎山は、長さと幅を測りに行った。

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南泉が生まれ変わって水牛になる

2024-10-28 03:46:17 | 達磨の片方の草履

◎盗人のとりのこしたる窓の月

 

南泉普願(七四八~八三四)が、病を得て亡くなるとき、第一座の僧の趙州がたずねた。

 

趙州「和尚は有(有の側)を知る人ですが、百年の後(亡くなった後)どこに生まれ変わるのでしょうか。

南泉「山の下の檀家の一頭の水牛となる」

趙州「お示しありがとうございます。」

南泉「昨夜の真夜中、月がおれを迎えに来た。」

 

半生を善を行い続けた南泉にして水牛に転生するしかない。

宗教や信仰の窮極は、永遠の安楽な生活にあると思っている人が多いのかもしれないが、そんな淡い願望を高僧南泉の臨終のやりとりは打ち砕いていく。

 

それでも人は何のために生き、何のために生まれ変わってくるのだろう。

 

盗人のとりのこしたる窓の月

(良寛)

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