アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

2024年の終わり

2024-12-31 03:45:28 | アヴァターラ神のまにまに

◎準備の一年の終わり

 

例年末には、『〇〇年末の終わり』という記事を上げるが、2023年分は上げていないのに気がついた。ジェイド・タブレット執筆中だったので、それどころではなかったのだろう。

ジェイド・タブレットは、瞑想とか宗教にほとんど知識がない青少年や大人を念頭に、日々の冥想が世界平和と真の幸福をもたらすものだという流れを、簡単に書いてみたもの。構成は、ライフ・ステージ別の窮極に至る道と天国希求以降のポイント。

本編の方は、2024年6月17日に完了。外典の方は、本編に書ききれない分を入れ、同年6月6日に完了。

ジェイド・タブレットのストラクチャー

ジェイド・タブレット外典のストラクチャー

 

 この先入観と抑圧を必要とする時代は、間もなく終わる。

2024年は、最高気温30度以上が6月中旬から4か月続き、いかに健康で正気で暮らすかがテーマになった一年だった。

 

以下は今年の記事で気になったもの達。

 

苦しみですらまんざらでもないのさ

と言わなければいけない時代も過ぎ去ろうとしている。

 

エクソシスト稲生平太郎

彼のように日本各地に悪神を封じ込めた覚者は多数いるはずだが、名も知れず歴史の陰に隠れている。

 

ダンテス・ダイジ、悪魔からの超越を語る

では、とかく善対悪が最終決戦ととらえがちな現代人を戒めている。

 

天国のみを志向して、地獄サイドをなるべく見ないとどうなるか

これは、光偏重の現代文明批判。

 

釈迦-5-最初のニルヴァーナと臨終時のそれの違い-1-見ることと飛び込むこと

マハパリニルヴァーナのことは意外に知られていないが、知っているべきポイントである。

 

OSHOバグワンの父親-2

これは、出口王仁三郎の祖父と並んで考えさえられるところがある。

 

釈迦-1-クンダリーニ・ヨーガも只管打坐も

クンダリーニ・ヨーガも只管打坐も極めたのは釈迦とダンテス・ダイジ。

 

古事記の屋根を突き破るという布石

これは、ただのドラマチックな布石回収ではない。

 

二重の現実感、それは確実に世界を変容させる

それは真正の覚者の特徴である。

 

亡くなった教祖を見たり、光を見たり、クンダリーニが上がったり

その体験はみな、意識に漂う心象にほかならない。

 

どこから歩いても同じ一つの終着点に至るような人間共通の宗教モデル

これだけが現代に求められるもの。

 

見ている自分と見られるもの-2

見られるものは見ている自分を解放するために経験を提供する。

 

自分と神仏が大逆転

皆、キーポイントがそこだとは言わない。

 

何のためにニルヴァーナに向かおうとするのか

人間には結局苦悩と絶望からの救いはないから・・・。

 

ニルヴァーナ、語るべからざるを語る

神とは絶対の未知自身だ!

 

15 悪魔

オープン・マインドは最終ステップでの必要条件だが、対応次第で、人は神にも悪魔にもなる。

 

万人の召命

現代人は、ほとんどすべての人が召命されて生きている。召命とは、自分が神とコンタクトするべく、神の側から召されること。

 

隙間理論とヴィパッサナー-1

呼吸の隙間にそれがある。

 

如何に時代的な奇跡を起こすか

まれに一人二人が覚醒するのはいわば当たり前だが、万人が覚醒するのは奇跡である。

 

人間の進化とアトランティス-1

エジプトのピラミッドからアトランティスの叡智を集めた真エメラルド・タブレットが発見される。

 

ジェイド・タブレットの3つのハードル-1

現代人が神に成るには、誰もが薄々感じているが言葉にしにくいことがある。

 

人間とは、連続的に気づいている意識だ

無意識とのせめぎ合いの中でも気づいている意識。

 

人間は玉の緒(クンダリーニ)が神様と結ばれている

善いことは容易にできない世の中だが、善いことをし続ける

 

睡眠の間に神に出会う-2

人は眠りを通して神に入っていくがそれだけでは決して神を知るには至らない。

 

人間の洗脳は何年で解けるか

3年で解けるということ。

 

願望実現時にちらりと兆す虚無感、倦怠感こそクリティカル

人が冥想に真剣に取り組むモチベーションあるいは分水嶺。

 

日本のカルマ

世界の運命は大筋は神様が決めているが、人間の行動状況を見て、節目節目で大きな転換点すなわち天変地異や戦争などが神様の決定で起こる。

 

ネット詐欺横行と強欲な人-1

詐欺にあった被害者が、逆恨みし、神も仏もあったものかと神仏を離れ、地獄への道を進む者がいると、出口王仁三郎は注意している。

 

脳内麻薬-ソーマ・パイロットの言葉-5

情熱があってこそ宇宙が宇宙としてある。

 

隙間理論の断片

見守ることを通して奇跡が起こる。

 

恋人たちは互いのなかに死ぬ

愛は死だ。

 

現代社会は巨大なカルトのようなもの

社会では、政府、マスコミ、コマーシャル提供企業などからの情報や、SNSでの“らしい”言説を、無意識に受動的に信じ込み、あたかもそれが自分の考えであるように思ったりしゃべったりするに至る。

 

今ここを生きれば生と死は同時にある

クリシュナムルティは、時間すべては今であると唱えた。過去も現在も未来も、今であるということ。

 

ダンテス・ダイジが語る「冥想とは何か」

本当の当たり前さを出す、ただそれだけ。

 

【Overview of the meditation 冥想の全体像】

 

一年間ご来訪ありがとうございました。

よいお年を。

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坐禅中の妄想

2024-12-30 06:55:36 | 達磨の片方の草履

◎のっぺら坊に出会う

 

黄檗宗のある老僧が、さる婦人に臨済無位の真人の公案を授けて坐禅させた。無位の真人は、凡でもなく聖でもなく、目もなく鼻もない。この人に出会えば、大悟覚醒することができる、と。

 

すると婦人は、昼も夜も只管打坐三昧となった。すると彼女の前に眉も目もない身長3メートルほどの僧侶が突然やってきて面前に立った。

彼女は、怖くなって坐るのをやめた。そしてこの現象は坐るごとに繰り返した。

ある日、彼女は、老僧にこのことを相談した。

老僧は、昔さる修行僧が犬に仏性があるかどうかという公案に取り組んだところ、面前に巨大な犬が出現した。あなたのもそれと同じである。皆妄想だ。

ただし三界六道(世界全体)も妄想によってできている。だからこの公案で釈尊の肝心なところを示している。

婦人は、しっかり反省し終には大悟したという。

 

この老僧は、わかっている。そんなもの妄想だと切り捨てるだけなのが普通だが、宇宙全体も妄想であるとヒントを与えるのが現代風である。

のっぺら坊とか、ペットの巨大化とか、化け猫、化け犬に関わっていてはどうにもならない。

 

ただし、クンダリーニ・ヨーガ系、密教系、ソーマ・ヨーガ系は、こうした中間的なものを使う。観想法も、中間的なものを使う。キリスト教で、イエスの一生を観想してイエスになりきるのも観想法。イグナティウス・ロヨラの霊操は、その一例。

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預言者ベラ・コチェフスカ(Vera Kochovska)死から生き返る

2024-12-29 03:45:14 | メインストリーム予言と先行モデル

◎命の川を一人で渡る

 

ベラ・コチェフスカは、生後まもなく親に捨てられ孤児院で育った。最初からネガティブな生い立ちを選んで生まれてきたわけである。12歳の時にトラックにはねられ臨死状態になった。2か月間昏睡状態が続いたが生還した。

ベラは、その時白髪を肩まで伸ばした赤いマントの長身の男性に出会い、「命の川を一人で渡りなさい」と言われた。命の川はごうごうと炎が燃え盛り、炎の中で666という数字と999という数字が燃えていた。

ベラは髪の毛のように細い糸の上を歩いて渡り切った。

その後、亡くなった父に出会い、天使に導かれて戻ってきた。

 

死の側から生の側に戻ってきたわけだが、たいていの人は三途の川を渡った程度の記憶しかなくほとんど無意識である。

これに対しベラは、髪の毛のように細い糸の上を渡り、炎の中で666という数字と999という数字が燃えているのを目撃し、その分意識清明である。

ただしチベット死者の書のような8段階の死のプロセスを見るほどの精密さではない。

 

六六六は弥勒。チベット死者の書の原初の光は666か。

9とは数の終極、尽すという意味で、完全無欠。999は、その意味が三重に強化される。

逆に大本神諭では、「九百九十九人と一人との辛棒」というように、悪人九百九十九人と善人一人のこの世という表現で多用される。999は未悟のサイド。

 

印象としては、999は有・現象の側で、666は無・神(ニルヴァーナ)の側。

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年末のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

2024-12-28 03:11:08 | 天人五衰、ロコモ、フレイル

◎立ちピラティス(目のかすみ、うすら貧血、嚥下のひっかかり、痰のからみ、呼吸が浅くなる対策)

 

午後の運動10分×3とおちょこ2杯の飲酒をスータートして20日ほどになる。特に効果がみられたのは、立ちピラティス(STANDING PILATES)である。

おすすめはこれ。

“30 MINUTE STANDING PILATES WORKOUT FOR WEIGHT LOSS- No Repeats | Fat Burning”

https://www.youtube.com/watch?v=uk0znADBVFU

 

膝の力がなかなかつかず、運動の絶対量が少ないせいだと考え、午後の室内散歩メニュー10分×3回を増やして3週間ほどになるが、その際どのエクササイズをやるかが問題と考えていた。

スクワットとランジを入れた方が良いのはわかっていたが、中野ジェームズ修一さんのスクワットとランジを継続した時期もあったが、結果ははかばかしくなかった。

上記のおすすめは、スクワットとランジが含まれ、体側運動も入ってより、踏ん張りの強化に役立つ。

Olivia Lawsonには、カテゴリーがいくつかあり何百本もあるが、踏ん張りの強化は、Standingであり、確実にスクワットとランジが含まれているのは、STANDING PILATESであることに気づいた。STANDING PILATESは、15本くらい動画があるようだ。

 

この結果、

午前は、walking 20分、STANDING PILATES 20分、

午後は、walking 10分、STANDING PILATES 10分×2回、

というような感じ。

 

まだ初めて数日だが、STANDING PILATESはきついせいか、ひざ強化に加え、目のかすみ、うすら貧血が若干改善したように思われる。

室内エクササイズも限られた時間でやるわけだから、老化による筋力減少を上回る運動量をその時間でこなすためには、どんなメニューをやるかという問題になる。

STANDING PILATESはきついので、あまり連続でやると、逆効果になる場合があるようだ。動作によってはできないものもあるが、怪我しないことと転倒しないことに注意しながらやっている。

 

改めて思うが、老化による筋肉の衰えは全身的であり、前後上下だけのスクワットやランジだけでは左右の動きは強化されない。ときどきやってないメニューをやることで動かさなかった筋肉に気がつくことがあるので、新しいメニューも取り組んだ方がよいと思う。

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ベラ・コチェフスカ(Vera Kochovska)の予言

2024-12-27 03:19:52 | メインストリーム予言と先行モデル

◎人類の人口が三分の一になる

 

ブルガリアの予言者ベラ・コチェフスカは、人類の人口が三分の一になると予言している。

それは、突然起こるようだ。人類が三分の一になる予言は、出口王仁三郎やダンテス・ダイジと同じ。

 

出口王仁三郎は、その後みろくの世が来ることを予言しているが、ベラ・コチェフスカはどのような時代が来るかは見切れていないようだ。

『ベラ・コチェフスカの大予言 / 宮﨑 貞行/ヒカルランド』という本はベラ・コチェフスカの話題が三分の一程度で、他はそれ以外の話題であったので、やや食い足りなかった。

マリア様の力で病気を治し、予言もするが、神人合一の話はない。つまり霊能力者は最後まで自分を捨てないといわれるが、まさしく自分を捨てて神様と一つになるなどということはできないのだろう。彼女は、魔除けの金の十字架は手放してマドモアゼル愛さんにプレゼントしたが、自分を手放すことはできなかったのだろう。

 

よって今生は最終転生ではなく、もう一度山形県に転生してくるらしい。

 

ベラ・コチェフスカは、盛んに日本が世界の精神的リーダーになると言っていたが、敗戦国条項がしっかり残っている現在では容易ではない。

夢想的かもしれないが、全面核戦争の末に世界全体が武装解除となり現国連がなくなるような非常事態でも来ない限り、それはないのではないか。

パックス・アメリカーナという核武装国共同の脅しによるまずまず平和なこの時代に、敗戦国日本が世界の精神的リーダーになることは決してないのだ。

そうなるための道は、自分の心と行動を変えること。それは、冥想により自分が大悟覚醒することしかない。信じられないかもしれないが、自分が変われば世界も変わる。

他人を損させて自分は儲けようとか考えているのでは、その道は遠い。ところが、資金運用、資産運用の根本思想は、そういうものだから、状況はなかなか困難である。国と社会を挙げて資金運用をさせようという動きの、ほとんど地獄的社会だが、それでも日々の冥想を。

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大祓と大洪水-2

2024-12-26 21:39:07 | 時代のおわりneo

◎霊界物語の大洪水

(2019-04-05)

 

霊界物語では、第六巻第三篇大峠の中の2章が大洪水に当てられている。

 

大洪水そのものは、禽獣、鳥類が、発生直前に一斉に山を目指して逃げるのに気づいた人間が、真っ先に山に逃げ、事前に大洪水があるのを予知した人間は、船を用意する。うち何百隻かが山の麓にたどりついて生き延びるのだが、サブマリンみたいな目無堅間の船でないとだめというようなことが書いてある。

 

そもそも大洪水は、霊界の太陽が、霊界高山の氷を溶かし、その水が地球に流れ込んできたものという霊界的説明であり、現界と霊界をチャンポンにした説明である。

 

大洪水の最中は、グルグル回るが上部の床がすべりやすい巨大黄金橋に乗ることができれば、洪水から助かるとか、銅橋から出る金属製の救ひの鈎につかまれば助かるなどと書いてはいるが、こうした大洪水と救命の描写の陰に隠れて、人間がいかに悟っていくかの道筋を小出しに織り込んでいる。

 

目無堅間の船などは、その最たるものだと思うし、大物神霊である野立彦神、野立姫神が天教山火口に飛び込むなどもその真意をよく冥想せねばならないと思う。

 

ある一定の意識レベルに達して、将来の大洪水シーンを幻視して、どこにどのように行けば助かるか、自分の財産、地位、名誉、権力をどう保全するかを考えるのではなく、自分が新たな神の時代、住民全員が神を知っている時代に生き残る資格を持っているかどうかを思うべきだと思う。

 

霊界物語第六巻の第三篇大峠は次のような構成になっており、第四篇立花の小戸に続く。単純な世界的大洪水の惨状と人類の救済状況とその後の新世界を描いているわけでなく、古神道の行法でどう悟るかを現界と神秘生理学ないまぜにした描写で、クンダリーニ・ヨーガ系求道者にヒントを与えていると思う。

 

 

第三篇 大峠

第一五章 大洪水(一)

第一六章 大洪水(二)

第一七章 極仁極徳

第一八章 天の瓊矛

 

第四篇 立花の小戸

第一九章 祓戸四柱

第二〇章 善悪不測

第二一章 真木柱

第二二章 神業無辺

第二三章 諸教同根

第二四章 富士鳴戸

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大祓と大洪水-1

2024-12-26 21:37:07 | 時代のおわりneo

◎古事記仲哀天皇の段

(2019-04-04)

 

古事記仲哀天皇の段で、これから熊曽の国を撃とうとしている前に、建内宿祢大臣は、神功皇后に神託を請うた。

すると神功皇后に懸いた神は、「金銀本位制度で、享楽的な西の国を帰順させようと思う」とお告げになった。

すると仲哀天皇は、「高い所に登って西の方を見れば、国土は見えず、ただ大きな海があります。」と述べ、神功皇后に懸いた神は嘘を言っていると思い込んで、琴を押しやって黙っていた。

すると神がこのような仲哀天皇のことを怒って最後に崩御に追い込むシーンに続く。

 

西の国が大海になるというのが、見間違いでなく、大洪水のことであるとは、思いもしなかった。

洪水になると屋根に上がった人が下に降りられなくなるのは、洪水災害シーンで時々目にする。

 

出口王仁三郎のつぶやき集に『大祓になったら大変なことになる。屋根の上にあるものは下に降りられぬ時が来る』

(新月の光/下巻/木庭次守編P146から引用)とは、この西の大海のことを言っていたのか。

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ベラ・コチェフスカ(Vera Kochovska)と伊勢神宮

2024-12-26 03:26:13 | 浅い霊感から神人合一まで

◎伊勢神宮にヤーウェが祀られている

 

東日本大震災の一か月前に故人となったが、ブルガリアの予言者ベラ・コチェフスカが伊勢神宮に参拝した。その際、伊勢神宮にヤーウェが祀られていると述べた。

これを聞いた人が、古神道の神社に異教のユダヤ教の神が祀られているとは・・・と驚いていた記事を読んで、そんなことを意外に思っているとはと、私も意表を突かれた。

 

全知全能にしてすべてのすべてである神は、当たり前のことだが、世界各国に存在して、これは一般に主神や主宰神などとされ、呼び名は異なるが、実体は共通であって、

天之御中主神(古神道)

道(道教)

ニルヴァーナ(インド)

ヤーウェ(ユダヤ教)

ゴッド(キリスト教)

大日如来(真言密教)

等々

宗派が変われば呼び名は変わるが、主神そのものが別の主神に入れ代わるわけではない。出口王仁三郎が万教同根と言ったのは、そういう意味だが、それを受け入れられない人が多い。また共産主義国民は、全員無神論者だが、逆に彼らにも平等に神の恵はある。

 

なお主神には、有の顔と無の顔の二つの顔がある。有の顔は、すべてのすべてにしてすべてが夢幻。無の顔は、言葉で表現できない石ころのようなもの。

 

有の側は、第六身体アートマンであり、無の側は、第七身体ニルヴァーナ。

 

この二面性についてのダンテス・ダイジの説明は以下。

 

『無限生命の絶頂を完全な解放を意味するニルヴァーナというサンスクリット語はアトランティス当時の正確な発音ではニーバーナとしたほうが良いであろう。

 

ニーバーナとは、ニーが無、バーナが有を表し、これはアメンと同じ意味の真言(言霊)であった。

 

無          有    (タオイズム、禅仏教)

 

 ニー         バーナ   (主にインド・ウィグル)

 

 メン         ア     (主に古代エジプト・アトランティス)

 

 メン         アー    (キリスト教)

 

 ム          オー    (サンスクリットのマントラ・オーム)

 

 ウン         ア     (真言密教)

 

 カ          ミ     (日本古神道)』

(未公刊の断簡「超人ダンテス(又はダンティス)の伝説」/ダンテス・ダイジから引用)

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今北洪川の悟り

2024-12-25 03:12:12 | 達磨の片方の草履

◎自我の内部が完全に一となり

 

今北洪川は、明治初期の禅僧。鎌倉円覚寺の管長までやった。彼の悟りとされる体験。

『明治時代の著名な禅僧今北洪川は、もと儒教徒であったが、この体験について次のように述べている。

「ある夜、坐禅に没頭していると、突然全く不思議な状態に陥った。私はあたかも死せるもののようになり、すべては切断されてしまったかのようになった。もはや前もなく後もなかった。自分が見る物も、自分自身も消えはてていた。私が感じた唯一のことは、自我の内部が完全に一となり、上下や周囲の一切のものによって充たされているということであった。無限の光が私の内に輝いていた。しばらくして私は死者の中から甦ったもののごとく我に帰った。

私の見聞き、話すこと、私の動き、私の考えはそれまでとはすっかり変わっていた。私が手で探るように、この世のもろもろの真理を考え、理解し難いことの意味を把握してみようとすると、私にはすべてが了解された。それは、はっきりと、そして現実に、私に姿を現わしたのであった。あまりの喜びに私は思わず両手を高く上げて踊りはじめた。そして、突然私は叫んだ。『百万の経巻も太陽の前のローソクにすぎない。不思議だ、本当に不思議だ。』」――続いて洪川は次の詩を作った。

 

まことに、わたしたちは長らく相会しないでいた、孔夫子よ。

このような世界であなたに会えたことを

私は誰に感謝したらよいだろう。

いやそうではない、ここに私を導き来たったのは私自身である。』

(禅 悟りへの道/愛宮真備/理想社P34-35から引用)

 

さて今北洪川のこの体験とは言えない体験がここで書かれたのがすべてだとすれば、今北洪川は、第七身体、マハパリ・ニルヴァーナに到達したのだろうか。

上掲『自分が見る物も、自分自身も消えはてていた。』は、神と自分が合一した時に起きる、なにもかもなし

さらに上掲『自我の内部が完全に一となり、上下や周囲の一切のものによって充たされている』は、神(有、アートマン)と自分が合一した時に起きる状態で、自分は宇宙のすべてであった、という体験とは言えない体験。彼は個と全体が逆転したのだ。

七つの身体論やダンテス・ダイジの指摘によれば、さらに無底の底に降下する身心脱落があり得るが、それがあったかどうかは、この文ではわからない。

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雪の落ちる様は見飽きぬもの

2024-12-24 07:15:09 | 達磨の片方の草履

◎龐居士が禅客を咎める

 

ここ一週間ほどは、北日本の大雪のニュースが伝えられ、例年の二倍三倍の積雪ということで、私は雪国で育ったから、ことさらに高齢化した各地の除雪の苦労が思い起こされる。

 

というわけで雪の禅語録。薬山、龐居士、雪竇(せっちょう)とも、有力な禅僧。薬山のところには、禅客と呼ばれる老師上堂説法時に質問だけをするけしからん輩がいたようだ。

 

雪竇頌古から

薬山を訪ねた龐居士が辞去した。薬山は十人の禅客に門のところまで見送らせた。

居士は空中に舞う雪を指さして言った、「見事な雪だ、一ひらひらが余計な場所には落ちない(最初からそこに落ちることが決まっていたかのように、きちんきちんと落ちる)。」

折から全禅客という男がいて、「どこに落ちますか。」

居士は一発平手打ちをくらわせた。

全禅客、「居士どの、乱暴は困ります。」

居士、「君はそんなことで禅客だなどというが、閻魔大王の前では通用しないぞ。」

全禅客、「居士どのはどうです。」

居士はもう一つ平手打ちをくらわして言った、「目はあいていても盲同然、口はきけても唖(おし)同然だ。」

 

雪竇(せっちょう)が初めの問いかけに別の見方を示して言った、「俺なら雪の丸(たま)を作ってぶっつけるだけだ。」

 

 

雪の落ちる様は見飽きぬもので、雪見酒の風流がある。

雪竇は、龐居士の見方に同意した。

禅では究極を示すことだけが認められるので、脇道に逸れると一瞬にしてやりこめられる。

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大地平沈-只管打坐と下降

2024-12-23 06:59:50 | 達磨の片方の草履

◎天童如浄の語録から

 

ダンテス・ダイジは、クンダリーニ・ヨーガは上昇、只管打坐は下降と唱える。クンダリーニ・ヨーガの上昇は異論のないところだと思うが、只管打坐の下降は結構論証が大変だ。

 

まず道元の師の天童如浄の清涼寺語録から。天童如浄が弟子たちに説法する。

『法座。

大地平沈し、この座は高く広い。千変万化、功無くして賞を受ける。』

(天童如浄禅師の研究 鏡島 元隆/著 春秋社P151から引用)

 

(大意)

『説法の座に拠っていう。大地は等しく沈んでも、この法座は高く広く巌としている。世界は千変万化しても、この法座は無為の功によって賞を受ける。』

 

大地は等しく沈んで、身心脱落する。そこで無為の功(無用の用)が達成されて、その報酬を得る。

 

さらに清涼寺語録から、

『衆寮を建てて上堂す、喝一喝、大地平沈、徧く黄金を布く。』

(上掲書P183から引用)

 

(大意)

『修行者寮を建てるにちなみ、天童如浄が上堂説法。

喝一喝しながら言うには、

大地は等しく沈んで、身心脱落する。そこに黄金を敷き詰める。』

“大地は等しく沈んで、身心脱落“というのが体験とは言えない体験。そこで有の側第六身体アートマンの状況は、世界が自分と合一したので、これを” 黄金を敷き詰める“と云う。

 

台州瑞巌寺語録から

『法座を指して云く、大地を平沈して、高く虚空に出、機先に坐断して、遊戲神通、須彌燈王、下風に立つ』

(上掲書P191から引用)

 

(大意)

『天童如浄が法座を指していうには、

大地は等しく沈んで、身心脱落する。そこで高く虚空に出る。ここに坐することは、あらゆるものの最古、大本、最先端に出ることであって、神通不可思議(超能力もあり、神秘もあり)の世界に遊戯すること。

8万4千の高さの須弥灯王のことも下に見下ろせる。』

大地は等しく沈んで、身心脱落すれば、世界最古最高の根源に達し、世界全体と合一したのだから須弥灯王も下に見下ろせる。

 

天童景徳寺語録から

『問有り答有り、屎尿狼藉、問無く答無し、雷霆霹靂(びゃくりゃく)、是に於て眉毛慶快し、鼻孔軒昻たり、直に得たり、大地平沈、虚空迸裂することを。』

(上掲書P278から引用)

 

(大意)

『問いに対して答えるのは、大小便をまき散らすようなぶざまなものだ。一方、問うことも答えることもしないのは、激しい雷が急に鳴るような素晴らしいものだ。

ここにおいて、意気軒昂となり、直ちに大地は等しく沈んで、身心脱落し、虚空が引き裂かれる。』

 

このように、修行者向け説法の眼目として、ことさらに繰り返し大地平沈を説くことこそ、只管打坐は下降である証拠だと思う。

 

映画「禅ZEN」(2009年 中村勘太郎、内田有紀、藤原竜也等)で、道元の身心脱落シーンがぐるぐる回って上昇なのは、大いに誤解を招いているのではないか。

なお笹野高史の典座(食事係)は良かった。

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タラビッチのクレムナの予言

2024-12-22 03:06:09 | メインストリーム予言と先行モデル

◎瞑想と東方の賢者たち

 

セルビアのミタール・タラビッチ(1899年没)は、読み書きができなかったので、その予言をザハリヘ司祭に記録してもらっていた。

クレムナの予言を注目した理由は、瞑想を評価していることと、東方の賢者たちが終わりの時代をリードするということである。

ところが、『新釈・クレムナの予言/たくきよしみつ』を見たところ、瞑想という言葉は見当たらず、代わりに「自分の心の中に真実を見つけようとすること」みたいな表現がそれに該当するようだった。「自分の心の中に真実を見つけようとすること」で瞑想をイメージする人はほとんどいないので、残念なことだった。

 

東方の賢者たちの教えは、最初受け入れられないが後に受け入れらるようになるということだけ書いてあって、東方の賢者たちが誰で、その教えがどのようなものかどうかは何も言っていない。

また最終戦争の後に至福千年が来るかどうかも言及していない。

ただ全体に神の智慧こそ真実という見方が横溢しているところは評価できる。

 

さて近代西欧数百年の運命を霊眼でスキャンした預言者ノストラダムスが目にしたのは、ヘルメスがダンテス・ダイジとして日本に転生した純粋な黄金のきらめきだった。ダンテス・ダイジの前身は、クリシュナにして、ヘルメスにして、道教にあっては如意第慈。

 

『X-75

 

待望久しい人は二度と

 ヨーロッパに帰って来ないだろう。

偉大なヘルメース神の血をひく一人物がアジアに出現し、

 東方のすべての王のうえに権力を及ぼすだろう。』

 (新釈ノストラダムス/J.C.ド・フォンブリュヌ/講談社P291から引用)

 

さらに

『日の国はメルキュールによってエクリプスを隠す

 第二の空にしか置かれない

 火と金属の神(ヴュルカン)により エルメスは祈らされる

 日の国は純粋なきらめきとブロンドを見るだろう。

(諸世紀四巻29)』(大予言・日本編/五島勉/祥伝社から引用)

※メルキュールは、ヘルメスの別名。

 

上掲『第二の空にしか置かれない』とは、いかにも全面核戦争から逃れられるみたいな雰囲気だが、日本は神国であるがゆえに立替立直しは、世界に先んじて起こるので、ご油断召さるまじ。

 

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キリスト教の神殿の眠り

2024-12-21 03:26:43 | イエスと救世主たち

◎救いと癒し

 

キリスト教の神殿の眠り (神殿の御籠り)というのは、病人や助けを求める者が教会に泊まり込んで、夢の中で聖人に出会い、願いを叶えてもらおうとすること。

 

初期キリスト教は、当初この神殿の御籠りの風習に激しく抵抗したものの、すでに四、五世紀には、夢の中で聖人からじかに 指示を受けたり、また聖人と直接的に触れ合うことにより癒しを得ようと、多くの人々が殉教者の墓 や巡礼地を訪ねるようになった。

神殿では、現れた神に心配事や悩みをすべて打ち明け、そして癒しのために必要な指示を受け取る。聖人は心の聖なる領域を示し、魂の隠れた次元への入口を開く。

癒しの夢の話では、大天使ミカエルおよびコンスタンティノープルの殉教者コスマスとダミアヌスに奉献された教会に由来するものが多い。これらの巡礼地の評判を聞きつけ、キリスト教徒でない者も救いと癒しを求めてそこに詣でた。

 

ところが、異端審問の影響からか、幻視や神秘的体験はただそれだけで即座に悪魔的なものとされ、死をもって罰せられた。

よって神殿の眠りは、中世末期以来もはや行われてはいない。教会がこれを魔術的儀礼として断罪した結果、多くの地で夜教会に入ることすら禁じられるようになったのである。

 

神殿の眠りとは、高級神霊とのコンタクトを求めるものだが、救いと癒しを求める心の中にいささかも私があってはならない。

高級神霊とのコンタクトを求めても、降臨するのは多くは下級霊であろう。

出口王仁三郎が数千人規模で降霊実験をやったが、ほとんど下級霊だった実例もある。

 

その点で、教会が神殿の眠りを魔術的儀礼として禁止したのは英断だった。もっともカトリックの聖者認定基準では、若干の奇跡の実行が含められているのは、変な感じである。

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雲水は経を読まず、坐禅もしない

2024-12-20 03:49:02 | 達磨の片方の草履

◎雲水の誰もが仏になるわけではない

 

臨済録から。

『王常侍が、ある日臨済禅師を訪ねた。師と僧堂の前で出会うと、そこでたずねた、「この雲水諸君は、いったいお経を読みますか。」

師、「読まない。」

常侍、「坐禅をしますか。」

師、「しない。」

常侍、「お経も読まず、坐禅もしないとすれば、いったい何をするのですか。」

師、「あいつらをみんな、仏にならせ祖師にならせる。」

常侍、「『黄金の粉は貴いが、眼に入ったら病気になる』といいますが、これはどうです。」

師、「今までそなたは一箇の俗物だとばかり思っていた。」』

 

雲水は経を読まず坐禅もしないというのが、黄金の粉で、雲水だからといって誰もが仏になるわけではない。

高官の王常侍に厳しいところを突かれた。

 

禅堂には、UFO(UAP)も宇宙人もないが、中間段階を認めないその作法でもって究極に至ることはできる。

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UFOと宇宙人の印象

2024-12-19 06:14:45 | 浅い霊感から神人合一まで

◎大災害の時代の直前に「今だ、今だ」と叫ぶUFO

 

最近アメリカを中心に世界各地で目撃されるUFO。米海軍報告では、これは中ロのものではなく、かつレーダーに映っておらず、地球製飛行体では不可能な迅速、敏捷な動きをするという。

 

UFOを考える基本線は、以下。

UFOは、現実(肉体レベル)のものでなく、霊界(エーテル体、アストラル体レベル等)にある。

UFOといえば宇宙人だが、ダンテス・ダイジの言い方では、映画館に行ったら複数名の宇宙人がいたなどと言っていたので、人間には、外見は人間だが中身が宇宙人の人間がいるらしい。

また宇宙人の判別についてダンテス・ダイジは、人類に友好的かどうかという見方を披歴していたので、これには「おや」っと思った。霊界の生き物に対しても同じような区分をとることがあること、そしてジョージ・アダムスキーか何かの宇宙人の見方もそのようなものだったからである。

 

またどんな時に霊(UFO)を見るか。それは、意識レベルが落ちた時であって、狸に化かされる(狐狸を人と認識する)、瞑想時の魔境、トランスなど。

日常では、入眠時、睡眠からの覚醒時など。いわば半覚醒時である。

 

そして、公式な統計があるかどうかは知らないが10人に一人くらいは霊を見たことある。それを基本線として、集団で霊(UFO)を見た例として挙げられるのは、アウシュビッツ強制収容所のユダヤ人が壁に描いた、ファティマ第三の秘密で有名な太陽ショー等。1917年10月、ポルトガルのファティマに聖母マリアの出現を見ようと集まった約七万人の群衆が見た、太陽が空中を「ダンス」するように、またはジグザグに動いた、地上に向かって突き進んだ、色とりどりのまばゆい光を放ったというような、異常な太陽の活動とは、UFOだったのだろうと思う。

 

またUFOと言えば、アブダクション(誘拐)、キャトル・ミューティレーション(家畜が惨殺されたり血を抜き取られたりする事件)、ミステリー・サークルなどもあるが、次元間出入り(三次元と四次元。三次元は肉体レベル、四次元は、エーテル体やアストラル体レベル)は、その運動として特徴的。

 

次元間出入りは、UFOの運動機能として見がちだが、飛行機や船舶などの次元間出入りとしては、バーミューダ三角海域での飛行機や船舶などの行方不明事件について、ダンテス・ダイジは、否定していなかった。彼は、アトランティスの社会全体の巨大動力源だったツーオイ石が今でもバーミューダ海域に残って機能することがあり、それが次元のゆがみを形成しているというニュアンスのことを言っている。

 

また巨大なパワーは肉体レベルと霊界レベルの壁を壊すことがあるというのは、ムラダーラ・チャクラとクンダリーニの接点の分離(クンダリーニ覚醒プロセスでもあるが、発狂する人でも起こることがある。ダンテス・ダイジ説)もそのような例ではないかと思う。

 

また憑依した霊体が口をきく(イタコ、ユタ、ノロ、デルフォイの神女、降神、降霊、necromancy)のは、憑依した霊体が次元間出入りしていると見ることもできる。

 

米国海軍は無数にあるUFO映像を隠していないで公開して議論すべきだと言っているが、宇宙人からの攻撃の予兆とか通告を懸念して言っているのだろうが、真相は万人が神知る時代(至福千年、みろくの世)が来て、すべての人が普通に霊を見、霊を感じる時代にならないとわからないと思う。

七つの身体のアストラル体レベルにはウダーナ気という上昇する気があり、それが墜落しない飛行機、沈没しない船舶の原理として次の時代に出てくる。エジプトのギザのピラミッドは、半重力装置を用いて建設されたと言われるが、それはウダーナ気の応用なのだと思う。

 

なお断っておくが、UFOを見るのも霊を見るのも、人間の本質的な幸福とは何のかかわりあいもない。

人類が滅亡に瀕している危機の時代だからこそ、次元の隙間から到来するUFOを目撃する人が多数出ているのだろうと思う。

その危機感は、アメリカにおいてより強く、平和ぼけの日本では情けないほど弱い。

 

ノストラダムスのアンリ2世への手紙に『大惨害の時代の直前に、多くの見慣れぬ鳥が空中をさえずり、「今だ、今だ」と叫び、しばらくしていなくなる。』とある。

多くの見慣れぬ鳥とは、UFO(UAP)のことではないのか。

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